1-15 チャレンジド・ピープル(3)
9月のある日、昼前。
日中はまだまだ暑い日が続いている。
きょうは就労継続支援B型事業所を見学する日だ。
マキとユウタは事業所に行く前に、大阪メトロ天王寺駅で待ち合わせる約束をしていた。
地下鉄の駅から地上に出て、駅の出入口前の通りを渡るとすぐ、ハンバーガーショップが2軒ある、そのうちの1軒。
ここは、もう1軒のほうが有名チェーン店であるのに対し、それほど知名度が高くないせいか比較的すいていて、いつの時間帯に行っても座れるというメリットがある。
価格も安い。
天王寺駅は、御堂筋線から谷町線への乗り換え駅だ。
本来ならこの駅で乗り換えて真っすぐ行くところだが、マキがこう提案してきた。
「天王寺で途中下車して、ここに寄ってランチを食べて行かん?
DJタイムにやることを、ユウタと最終確認しときたいしな」
マキがそうしたいのにはわけがある。
事業所の利用者さんにDJを見せ、聴かせるというこのDJタイム。
利用者、つまり今回のお客さんは、みんな障がいのある人だ。
特に精神障がいを持つ人、発達障害を持つ人が多い。
おそらくそのほとんどが、クラブミュージックに接するのは初めてだろう。
彼ら彼女らが、マキとユウタのプレイする音楽にどんな反応をするか、二人にとってまったくの未知数だ。
そもそも、DJそのものや、DJプレイ自体に興味を示してくれるか、それさえもわからない。
だから、
「利用者のみんなに興味を持ってもらえるように、なにか「しかけ」を考えたほうがいいんじゃないかな。
そのためのアイディア出しをしたいんよ」
マキはそう考えた。
本当なら、事前に時間を取ってじっくり考えるべきところだが、この夏休みは季節がら、通常より多いDJイベント、アルバイト、そしてその合間の限られた時間に勉強と、あっという間に過ぎてしまい、じゅうぶんに時間が取れなかった。
だからきょう事業所に行く前に、ランチを食べながらユウタとアイディア出しをするのが、このランチミーティングの目的というわけだ。
「とは言ったものの、いまんとこ、あんまりいいアイディアは出なかったな……」
ユウタはそうつぶやくと、はぁー、とため息をついて両腕を組んだ。
マキはテーブルに両ひじをついて、頬づえをつきながら思案顔をしている。
「あたしもや……。
なんかいいアイディア、ないもんかな……?」
しばらくするとユウタが言った。
「ひとつ思いついた。
えーと、DJ体験にゲーム要素を取り入れる、ってのはどうかな?」
「……ゲーム要素?」
「ミックスって、作業としては地味やから、初めての人にはそうおもしろみを感じないと思うのやんか。
そういうのよりもさ、スクラッチとかバックスピン、あるいはエフェクトをかけるとか、効果が派手なやつを重点的に体験してもらう、ってことさ。
そのほうが、DJやってる感がより強くて楽しめる。
……そうは思わんか?」
「なるほど……。
でもさ、もしスクラッチ教えるとかになったらさ、あたしスクラッチとかあんまりうまくないし、ようやらん……」
マキが戸惑ったように言った。
ユウタは両腕を組んだまま、少しの間考えた。
「えーと、スクラッチは、オレの担当にするか。
オレもあんまりうまいわけじゃないけど。
……ってか、そもそもマキ、この体験タイムのとき、司会やってることになるやろ?
利用者さんから質問攻めに遭うとか、じゅうぶん考えられると思う。
きっと、それでいっぱいいっぱいになるぞ。
そやから、マキは司会に専念する。
実技を利用者さんに教えるのはオレ担当。
……そのほうがよくないか?」
「確かにその状況、あり得るわ。
……じゃ、その分担でお願いしますー!」
マキはすんなりとそう言った。
そして、少し沈黙した。
「……でもな、もしかしたら……」
「ん?
もしかしたら?」
マキが、ちょっと笑顔になってユウタを見つめた。
「もしかしたらな、ミックスに興味を持ってくれる利用者さんもおるかもしれん。
そんな気もするんよね……」
「……そのココロは?」
ユウタが興味深々な様子でマキに尋ねた。
マキはまじめな表情で答えた。
「そのココロ?
そのココロはね……。
……ミックスすれば、みんなミックスで混じり合ってなかよくなれる。
……って感じ?」
ユウタが、ぷっ、と吹き出して笑う。
「あはは!
マジにかけたのか!」
マキがユウタの爆笑する様子に、ぷくっ、とちょっとふくれた。
「……ええやんー!
だいたいさ、ユウタがそんな大阪人的に『そのココロは?』を振ってくるとか思わんかったから、答えを準備してへんかったし!
……あたし的にはこの答え、けっこうええと思うたんやけどなあー……」
ユウタは笑いながらマキに補足の言葉を加えた。
「……いや、あかんとは言うてへん!
おもろいってことや。
マキのボケは、いつもサイコーにウケるわ!
なんでおまえは、いつもそんなにおもろいんや!
……マキ、いまみたいな感じで司会やれや。
絶対みんなにもウケるぞ!
まちがいない!!」
笑い転げそうなユウタに、マキはますますふくれる。
「……んー、なんかコケにされてる気がするなー。
ま、ええわ。
ユウタのありがたいアドバイスは参考にするわ。
……でさ、ほんならさ、利用者さんがミックスをやりたい、って言ってきたら、そんときはそんときで臨機応変に対応する。
そういうことでええ?」
「ええと思う。
……よし、これで決まりでええやろ?」
マキは満足げにうなずいた。
「ええよ。
おし!
決まりや!」
そして、マキは一遠くを見つめるような視線で、目を輝かせながら言った。
「……いやー、どうなるんかなー。
なんかワクワクやなー」
ユウタもそんなマキを見つめて、うれしくなった。
「そやな」
***
大阪メトロ、谷町四丁目駅。
マキとユウタは谷町線の車両に乗っていたが、車両が駅のホームに入り速度を徐々にゆるめると、各々荷物を抱えて降りる準備をした。
マキは、ノートパソコンの入ったリュックを背中に、右手にDJコントローラーの入ったバッグを持っている。
ユウタは、予備のために持ってきた自分のノートパソコンを入れたリュックを背負い、パワードモニターが2台入ったバッグを左腕に抱えている。
車両が停車しドアが開くと、二人はほかの乗客とともに、持った荷物をぶつけないよう注意深く運びながら、車両を降りた。
そして、待ち合わせ場所、3番出口方向の改札に向かう。
駅の改札前は広い通路になっていて、十数名の人数でも集合できるぐらいのスペースがある。
そこに男女入り混じった、明らかに大学生とおぼしき10人ぐらいの集団がいた。
ゼミの学生たちだ。
「マキちゃーん!」
その中にいた一人の女性が、こちらに向かって元気よく手を振って呼びかけた。
マキの表情がぱっと明るくなる。
そしてこちらも、思いっきり手を振った。
「ユカリちゃーん!!」
マキはユウタに向かって言った。
「ユカリちゃんや!
いっしょに行こ!」
そしてすぐ、ユウタの空いているほうの手を引っぱって、ユカリたちのほうへ駆けていく。
「お、おう……」
ユウタは、パワードモニタースが揺さぶられ過ぎないように注意して持ちながら、マキに引っ張られていった。
「マキもコントローラー、気いつけろよ」
「わかってるってー」
ユカリのほかにもう二人、女性と男性がいっしょに手を振っていた。
マキは、ユカリの前に着くとユカリの両手を取って喜んだ。
「わー、ユカリちゃん、元気ー?
ミオちゃんも、ダイトくんもー!」
マキはいっぱいの笑顔で叫んだ。
ユカリも、マキとつないだ両手を上下に振りながら、
「うん、元気ー!
マキちゃんも元気そうやねー!」
と、とてもうれしそうな笑顔で言う。
ミオとダイトも、マキたちに近づいて喜び合った。
ユカリは、肩ほどまで長い黒髪の上に、麦わら帽子をかぶっている。
服装は、紺のブラチューブトップの上に白いカーディガン、ベージュのアンクルパンツ。
あずき色っぽいほのかな赤みを帯びたライトグレーのウォーキングシューズ。
ユカリの美しく端正な顔立ちは、聡明な印象を与える。
確かにマキが言った通り、非の打ち所のない「完璧な女性」という形容がふさわしい。
もう一人の女性ミオは、すらりとしたスレンダーな容姿。
赤いTシャツに紺のデニムという、スポーティーな感じのコーデ。
本人の見た目も、ボーイッシュで活発そうな子、という印象だ。
男性のダイトは、白のTシャツの上に水色の半袖シャツ、チノパン。
短髪を小ざっぱりとまとめた、いかにも好青年といった感じだ。
マキがユカリから手を離して、ユウタを紹介しようとした。
ユカリは察して言った。
「……ユウタくんね?」
マキはうなずいて返した。
「そう!
こちらが岡野雄太くんです!」
マキが自慢げに紹介する。
ユウタは、マキのその様子にいささかはにかみながら、それでも笑顔で応じた。
「はじめまして。
マキのDJ仲間の岡野雄太です。
ユウタ、って呼んでください」
ユカリはにっこりと微笑んでお辞儀すると言った。
「島波友佳理です。
よろしくお願いします。
お会いするの、楽しみにしてました。
マキちゃんから、ユウタくんのお話はいつもうかがってます。
マキちゃん、ホントにユウタくんのことを信頼してるようなので」
それから、両側に立つミオとダイトの二人を交互に見ながら、
「それから、こちらがミオとダイトくん」
ミオがにっこりしてあいさつする。
「はじめまして、中村美央です。
わたしもお会いするの、楽しみにしてましたー!」
そしてダイト。
「はじめまして、若宮大翔です。
ぼくも楽しみにしてました。
よろしくお願いします」
ユウタは、ユカリたち三人にあいさつした。
「こちらこそ、よろしくお願いします。
ぼくも楽しみにしてました」
そして、マキの耳元に口を寄せて小声で尋ねた。
「……マキ、ユカリさんたちにオレたちのノロケ話、聞かせてるんじゃないだろうな……気になるわ……」
マキはすずしい顔で答える。
「んー、普通に印象とかー、二人でやってるDJのこととかー、話してるだけやけど?
まあ、信頼してる、ってのはそのとおりやで!」
マキはユカリ、ミオ、ダイトの3人に尋ねた。
「先生は?」
ミオがスマホの時計を見ながら答えた。
「10分ぐらい前に本町駅を通過した、ってLINE来たから、もうすぐ着くんやないかな?」
そう言っていると、向こうから小走りに歩いてくる中年男の姿が見えた。
武田先生だ。
短めの髪の上に、ライトブラウンのマニシュハットを被り、白の半袖襟付きシャツ、グレーのカジュアルパンツ。
小脇にベージュのジャケットを抱えている。
垢ぬけていて、さわやかな印象だ。
学生たちの前にたどり着くと、少々息を切らしながら、
「みなさんー、すみません!
乗り換えに手間取って、ちょっと遅れてしまいました!」
話しやすそうな感じだな。
先生の様子を見てユウタは思った。
マキがユウタを武田先生に紹介する。
「先生、こちらが岡野雄太くんです。
ユウタ、こちら武田先生」
「あー、こんにちは。
社会学専攻の教員の武田文雄です。
初対面早々に遅刻してしまって、失礼しました。
森本さんから岡野くんのお話は、伺ってます。
まじめで信頼できる人だと森本さんから聞いていますので、とても頼もしく思ってます!
きょうはよろしくお願いします」
「岡野雄太です。
いえいえ、そんな……。
こちらこそ、きょうは見学に入れていただいて、ありがとうございます。
よろしくお願いします」
「きょうは森本さんとDJしていただけるということで。
ぼくもDJがプレイしている姿というものを見る機会がなかなかありませんので、とても楽しみにしています!」
B型事業所に向かうまでの道すがら、ユウタがマキに言った。
「マキは、いい先生と友だちに恵まれてるな」
マキはさりげない感じで答えた。
「まあねー。
このゼミ取れたのはラッキーやったと思う」
「そうやな。
ゼミでは、いままでにはどんなことをやって来たんか?」
「そやなー。
高齢者、障がいのある人、それから子どもとか未成年の人たちに、どんな支援が必要か、ってこととか、実際にこんな支援をした、っていう事例とか、こんな支援をした結果、こんな気づきがあった、とか、こんな課題も新たに見つかった、って話とか……そんなことを研究して発表したりしてる。
いろんなこと学んでるよ。
すぐには全部話せんくらい、いろんなことを、ね」
マキが、このゼミで学ぶこと、先生やゼミの友人たちをいかに大切に感じているか、ユウタにもそれがよく伝わってきた。
おそらく、それはただの勉強ではない。
人間として成長していくうえでも大切な知識や知恵なのだろう。
就労継続支援B型事業所に到着した。
ビジネス街の中にあるビルの5F。
ビルにはエレベーターがある。
ゼミ生と武田先生、10人ほどは全員エレベーターに乗れた。
「もし車いすの人がいたら、全員一度には乗れないですね」
ユカリが言った。
ユウタは思った。
さすがユカリちゃん、よく気がつくな。
武田先生が言った。
「そう。
この周辺にあるビルは、大企業のビル以外ほとんどが、このサイズぐらいのエレベーターのようですね。
もっとせまいエレベーターも多いです。
だから、この周辺のビルの上にある福祉施設ではほとんどの場合、エレベーターに車いすの人が入ると、それでエレベーターがいっぱいになってしまったり、そもそも車いすの人はエレベーターに入れない、ということになるわけ。
そんな現状を改善していくことも、これからの社会には喫緊の課題だということだね」
ユウタもマキも、真剣な顔で武田先生の話にだまってうなずいていた。
5Fに着いてエレベーターを降りると、目の前に事業所のドアがあった。
ベルのようなものはない。
武田先生がドアを直接開けた。
「こんにちはー。
難波大学、武田ゼミですー。
見学にまいりましたー。
おじゃまいたしますー」
武田先生がよくとおる声で中に向かって呼びかけた。
「はーい」
と中から声がして、まもなく一人の女性職員がやって来た。
「武田先生!
こんにちはー、お待ちしておりました!」
中年の女性職員は、明るい様子でそう返事すると、武田先生とゼミ生たちを中に迎え入れた。
彼女は小郷さん。
この事業所のサービス管理責任者、つまり責任者とも言うべき立場にあるということだ。
「いままでにない機会ですからね、DJさんが実演してくださるなんて!
本当に楽しみです!」
小郷さんは、息子さんがヒップホップ好きで、DJにとても興味があるようなのだと話した。
「なんやDJするための機械、買ってくれってせがまれてるんですけどね。
でも、息子もどれがいいか、わからなくて迷ってるみたいなんです。
わたしもどれがいいかなんて、わからんですから……。
たいへんぶしつけですけど、あとでそんな相談にもちょっと乗っていただけると、とってもありがたいんですが……」
ユウタが笑顔で応えた。
「もちろん、いいですよ。
ぼくたちでよければ。
ヒップホップはぼくたちのやってる音楽ではないですが、DJ機器は基本的にはどのジャンルでも同じですし、ぼくもヒップホップは少しかじっているので、どの機器がいいか、アドバイスできると思います」
「それはありがたいわー!」
マキがユウタにそっと耳打ちした。
「ありがと!
やっぱ頼りになるねー、ユウタがいると」
「マキ、当然おまえもいっしょに相談乗ってやるんやぞ。
もともとおまえが今回のDJ関係の責任者やろ」
「そやっけ?」
マキがすっとぼけて、天井を見上げた。
事業所の中は、部屋の一方、外側にあたる側が床から天井の高さまでの大きな窓になっていて、外の光がよく入り明るい。
20平米ほどもあろうかという部屋だ。
部屋に入るなり、ユカリが思わず声を出した。
「わあー、けっこう広いね!」
「ほんまや!」
ミオもうなずいている。
中にはもう二人、職員がいた。
一人は、30代くらいの女性の職員。
もう一人はもっと若い、20代半ばくらいと思われる男性職員。
二人も、部屋に入ってきたみんなにあいさつした。
職員はみんなうすいピンク色の襟付き半袖シャツを着ている。
これがこの事業所職員の制服らしい。
女性職員は堂島さん。
クラブに行ったことはないが、音楽はJ-POPからクラシックまで、幅広く大好きだという。
自分でもウクレレをたしなむらしい。
「わたしも、きょうはとっても楽しみです。
わたしが聴いたことのないジャンルなんで、なおさらです」
若い男性職員は三角さんと言い、この春に入社したばかりなのだという。
彼は、学生のころクラブにときどき遊びに行ったことがあるということだった。
「アメ村や梅田のクラブによく行ってました。
今回のDJ、ぼくもすごく楽しみにしてたんです」
三角さんはうれしそうに、そう語った。
部屋の中には、真ん中あたりに長テーブルが2列に並べられており、そこに6人ほどの人たちが座って作業をしていた。
この人たちが利用者たちだろう。
ゼミの一行たちを見ると、全員が声をそろえて、
「こんにちはー!」
とあいさつした。
利用者のうち、若い人は20歳くらい、いちばん年配の人が50代くらいだろうか。
男性が多いが、女性も20代、40代くらいという人が数名。
年齢層は幅広いようだ。
その長テーブルとは離れて、部屋の中で広い空きスペースになっているところに、もう一つ長テーブルが置かれていた。
その下に、電源の延長ケーブルが置いてある。
おそらく、これがDJ用に準備してくれたものだろう。
「あれやね」
マキがその長テーブルを指さして、ユウタに小声で言う。
「そのようやな」
ユウタはうなずいた。
武田先生が小郷さんに尋ねた。
「DJ用に用意していただいたのは、これですかね」
「はい。
これでだいじょうぶでしょうか……」
武田先生は、マキとユウタに声をかけた。
「森本さん、岡野くん、DJの荷物はそこに置いてください。
……これで、やれそうですかな?」
マキがユウタを見て、彼がうなずくのを確かめると答えた。
「はい、だいじょうぶだと思います!」
二人はテーブルのそばに荷物を下ろした。
武田先生が、ゼミ生全員と小郷さんに言った。
「では、まず事業所の見学をしましょうか。
……小郷さん、見学の案内をお願いしてよろしいでしょうか?」
小郷さんが事業所内を案内してくれた。
室内をゆっくりと歩きながら、ゼミのみんなを導いた。
「ここの事業所は2年ほど前にオープンしました。
当初は利用者さんが3~4名くらいだったんですが、その後だんだん増えて、いまでは20名を超えました。
その後、中津、上本町と事業所ができて、近々、北浜に4つ目の事業所をオープンする予定になってます」
「ほう、すごいですね。
なかなかの人気ですね」
武田先生が言うと、小郷さんがその背景を説明した。
「やはり、障がいのあるかたで、就労したいというご希望を持つかたが、それだけ多いのだな、と感じさせられます。
障がいのあるかたの就労支援をする施設は、就労継続支援B型、A型、就労移行支援と全部含めると、かなりの数が存在します。
ですけど、そうした事業所が、実際の当事者のかたのニーズと必ずしも一致しない場合も多いのでは、と思うことがたびたびあります」
「とおっしゃいますと?」
武田先生が尋ねた。
小郷さんはこう答えた。
「いまここに入所していらっしゃる利用者さんには、それ以前に別のB型事業所やA型事業所に通われていたというかたが、少なからずいらっしゃいます。
で、前に通っておられた事業所が、ご自分の求めるものとちがっていた、合わなかった、というかたがけっこう多いんです」
「なるほど」
「わたしたちの事業所も、さまざまなニーズにできる限り対応できるように、努力しています。
ここでできる作業の種類も少しずつ増やしてますし、職員のサポートの質もよりよくするよう、日々改善を続けています。
利用者さんの求めるものには可能な限り対応できるよう、工夫を続けています」
武田先生はうなずきながら言った。
「利用されるかたのニーズも多種多様でしょう。
いろいろとご苦労もおありのようですね。
そのへんのことも、差し支えない範囲でお聞かせください」
そして、ゼミ生のほうに振り向くと少し声を上げて言った。
「……みなさん、質問があれば遠慮なくどうぞ!」
最初にダイトが手を挙げて質問した。
「具体的には、ここではどんなことを利用者さんができるのでしょうか?」
小郷さんが答えた。
「はい。
まずは、比較的難易度の低い軽作業です。
たとえば、部品の組み立てやねじなどの袋詰め、それから、ネットショップでの販売用に食品の袋詰めをする、という作業があります。
また、パソコンで行う作業もございます。
こちらをご希望のかたには、Excelへのデータ入力作業、イラストやLINEスタンプの制作、ブログ記事の執筆やホームページの簡単な更新、といった作業がございます」
ミオが尋ねた。
「それぞれの作業を、利用者さんは一つだけ選んでやっているのでしょうか。
それとも、複数の作業をされている感じですか?」
「複数を兼任していらっしゃる利用者さんがほとんどですね。
どの作業も、始終切れ目なく入ってくるものではありませんので、ある作業が終わって次回分が入ってくるまでは、別の作業をされる、というケースが多いです。
たとえば、組み立てや袋詰めと、データ入力を兼任とか、イラストとブログ記事を兼任、といったような。
ホームページ系に関しては、ブログ記事とホームページ更新を兼任とか、イラストとホームページ更新を兼任、といったかたちで、実質的にホームページ関連の作業に専念されている利用者さんもいらっしゃいます」
マキが尋ねた。
「利用者さんの出勤時間についてお尋ねしたいんですけど、月曜から金曜の10:00から15:00、でしたよね?
祝日も開所している、土日は休み。
……これで合ってますか?」
「そうです、そのとおりです」
「利用者さんは実際には、そのうちのどのくらいの時間、出勤されているんでしょうか?」
小郷さんが答えた。
「そうですね、半数くらいのかたが週に2日から3日、10:00から15:00まで出られてます。
月から金までフルに出られているかたが4分の1くらいですね。
あとの4分の1のかたは、午前だけとか午後だけというかた、週1日だけ出勤、といった感じです。
出勤の日数や時間については、利用者さんのご希望に合わせて、自由に選んでいただいてます。
こちらから強制は一切してません。
利用者さんと職員との間で、定期的にモニタリング面談というものをしていまして、ご本人のご希望と体調に合わせて無理のない目標を設定して、それにしたがって進めていくことにしています」
ユカリが尋ねた。
「ここから、利用者さんはどのようにして就労へと進んでいくのでしょうか?」
「……そうですね。
まず、ここで安定してフルタイム勤務ができている利用者さんには、就労継続支援A型事業所に移っていただく、というルートがあります。
A型事業所は別の法人になりますけど、弊社と提携している事業所が複数ありますので、まずはそこを紹介するケースが多いです。
A型での作業自体は、たいていの場合、ここでやっている作業とほぼ同じものができますので、すんなり移行できると思います。
もちろん、提携しているところ以外のA型事業所を希望される場合も、しっかりサポートいたします。
それともう一つの道ですが、就労移行支援事業所に移っていただき、企業などへの就労のための訓練を本格的にしていただくルートもございます。
それと、ここから直接、一般企業に障害者雇用で就労していただく道。
これはあまり例が多くないですが、あることはあります。
以前、障がいのあるかたの雇用実績がある企業の社長さんが見学にお見えになったことがございます。
そのときに、ここでの利用者さんの働きぶりをご覧になって、大変気に入られて。
そこから面接へと話が進んで、採用に至ったという例がございました。
いずれの場合も、ご本人の希望、体調、スキルなどをふまえて、面談でよく話し合って、ご本人、事業所側の双方とも納得できるかたちになるように進めています」
ユカリは、真剣な表情で小郷さんを見つめながら話した。
「そうですか。
ありがとうございます。
……それで、もうひとつお尋ねしたいんですが、A型事業所や就労移行支援事業所に移った例を除くと、企業などへの就職に至った例は、実際のところ何%ぐらいなんでしょうか?」
「……そうですね……。
すみません、最新の正確なデータはまだ出していないんですが、昨年度の数字でだいたい20%から30%、といったところだと思います。
多くない数字に感じられるかもしれませんが、ほかの多くのB型事業所よりは高い数字だと思います」
学生たちが少しざわついた。
小郷さんが、慎重に言葉を選ぶように話を続けた。
「学生のみなさんには、低いな、と思われるかもしれません。
それくらい、障がいのあるかた、ここの場合は精神障がいのかたが多いのですが、そういうかたの就職率、ということになると、まだまだ厳しいのが現状です。
一般の企業は、どうしても効率を重視するものですから。
それに、障がいのあるかたの雇用に二の足を踏んでいる企業も、特に中小の企業には正直まだまだあります。
もう少し、いろいろと柔軟な働き方というものが普及していけば、障がいのあるかたがたが就労することが、もっともっと増えていくと思うんですけどね……」
学生たちはみんな、なるほど、と言ったり、腕組みをしてだまっていたり、うなずきながら話を聴いていた。
マキがユウタに尋ねた。
「ユウタ、どう?
ユウタは質問、ないん?」
マキはなにか言いたそうな表情だ。
ユウタは思った。
マキがなにを言いたいか、それはもうわかってる。
「……あるよ。
あるけど、それはDJタイムのときまで、とって置こうと思う」
マキが目を見開いた。
「ん?」
ユウタはまじめな顔で答えた。
「オレらがやってるDJみたいなものと、たぶんすごく関係してると思うからさ」