1-14 チャレンジド・ピープル(2)
マキと話した日の夜。
ユウタは自分の部屋で、机の前に座っていた。
マキに誘われた、福祉施設でのDJ体験会の内容について、どんな内容、どんなやり方がいいか、あれこれと考えをめぐらせている。
DJコントローラーとPCはマキが持ってくる。
なので、自分の使う音源はUSBメモリに入れて持っていくか、あるいはあらかじめマキに渡してPCに入れてもらうか、そのどちらかをやっておかなければならない。
あらかじめPCに入れておいてもらうほうが、やりやすいかな……。
その場合、オレ用のプレイリストを作ってもらう必要があるな……。
そしてスピーカー。
施設にあるというスピーカーは、おそらく一般的なPC用パワードスピ-カーだろう。
であれば、DJ用の音楽を聴かせるには性能的にも音量的にも力不足だ。
よりよりよい音で聴かせたいから、こちらからパワードモニター(注1)を持っていったほうがいいな。
パワードモニターはそこそこ大きさも重さもあるから、これはオレの担当。
オレのうちのを持っていこう。
設置も、テーブルに直置きということになるだろうから、モニターの下に置くインシュレーターも必須だ。
注1:パワードモニター
DTM・DJのモニター(音楽をよい音質、高い解像度で聴いて確認する)を目的としたプロ用スピーカー。
アンプが内蔵されているので、オーディオインターフェース(PCからの音を高音質で出力するための機器)やDJコントローラーにケーブルでつなぐだけで使用できる。
個人が机の上に設置して聴くための小型パワードモニターを多くのメーカーが発売している。
代表的な機種に、JBL 104-BT、Presonus Eris 3.5 2nd Gen.、IK MULTIMEDIA iLoud Micro Monitorなどがある。
ヘッドフォンも忘れずに持っていかなきゃな。
あ、そうだ。
利用者さんにもヘッドフォンをかけてもらうことになるから、それ用にもう一つ持って行ったほうがいいのか……。
……と、こんなことを考えていて、ユウタはふと気がついた。
「……待てよ。
スケジュールの中に、利用者さんのDJ体験時間が入ってないじゃん!!」
ユウタははたと考えた。
DJ体験と言っても、参加者にどこまでの体験をさせるか、それをまず決めておいたほうがいい。
……2つの曲をヘッドフォンで聴きながらBPMを合わせてミックスしてもらうまで、ってのが現実的なところだろう。
ユウタはマキにLINEを入れた。
<いま、LINE通話で話できる?>
5秒くらいでマキからスタンプで返信が来た。
<OK!>
ユウタはすぐさまLINE通話をかける。
マキが出た。
「おつかれー。
どうしたん?」
「マキ、B型事業所の件な。
DJタイムのスケジュールの中に、利用者さんの体験タイムが入ってないぞ」
マキが一瞬の沈黙の後、
「あー、そうやー!!
すっかり忘れてたー!!」
と叫んだ。
ユウタは冷静に言った。
「どっかに体験タイム、入れなきゃな」
「……そうやったわ……。
ユウタ、ごめん。
気づいてくれて、サンキュ……」
LINEを通して聴こえるマキの声は本当にしょぼくれていて、かわいそうに思えてくる。
ユウタはなぐさめるようにマキに言った。
「そんなにしょげなくても、だいじょうぶやぞ。
まあ、早めに気がついたからよかった」
「うん……。
あたしらのDJタイムを削る?」
「まあ、そういうことになるな」
「そうすると……。
DJの説明に10分。
あたしのDJが15分、ユウタが15分、B2Bが10分。
体験タイムが10分……。
少な過ぎるかな?」
ユウタは、うーんと唸って少し考える。
そして口を開いた。
「体験タイムは、そうスムーズにいかない可能性がじゅうぶんあり得るから、できるだけ時間をとったほうがええやろな。
最低でも20分とか。
そうすると、どうしてもオレたちのDJタイムを削ることになるから、いっそオレたちはB2Bだけにする、って手はどうや?」
「……B2Bだけ?」
マキが通話の向こうで、きょとんとした顔をしているのが見えるようだ。
「たとえばな、3曲ずつマキとオレとでプレイする、とするやろ。
これで大体30分。
そこから、1曲ずつのB2Bにすると、その時間が10分。
……トータル40分で、そこそこまとまったプレイになるんやないか?
3曲ずつ3曲ずつ、そして1曲ずつと、全部B2Bみたいな感じやけど、マキとオレならそれなりに統一感は出せると思うし、違和感はないんじゃないか?」
「……なるほどー。
それいいね!
やっぱユウタ、天才じゃね?」
マキの声をとおして、パッと明るい表情になったのが見えるようだ。
ユウタは思わず笑って、
「天才ちゃうわ、これくらいのこと」
そう言ってからマキに確認した。
「このタイムスケジュールで行けそうかな?」
「行けると思う!
いやイケる!絶対にイケる!!」
マキはおっ被せるように話してくる。
ユウタは苦笑いしながら続けた。
「お、落ち着けマキ。
……それとな、体験のときに利用者さんもヘッドフォンする必要あるやろ?
オレが前に使ってたオーテク(注2)のヘッドフォンが余ってるから、これを当日持っていくよ」
「さすがユウタさん、よく気がつきますねー。
ありがたいありがたい」
「なんやねん、その言い方」
「ありがたがってるの!
感謝の念!
それと、ほめてるの!」
「ほいほい、ありがと」
注2:オーテク
オーディオ家電メーカー、オーディオテクニカのこと。
DTM・DJ用途のヘッドフォンなど、プロ用・一般家庭用オーディオ機器を多数開発・販売している。
リーズナブルな価格帯で高品質な機種も多く、DJやDTMで曲作りをする人たちに人気がある。
ユウタが持っているのは、DJ用ヘッドフォンATH-PRO5Xと思われる。
ユウタは、自分の音源を前もってマキのPCに入れておいてもらいたい、そしてDJソフト上に自分用のプレイリストも作っておきたいんだ、と頼んだ。
マキは言った。
「それならさ、どんなプレイリストにしたらいいか、ユウタに直接見てもらいながら作ったほうがいいよね。
まあ、PC作業はカフェとかでもできるけど……。
……せっかくやから、あたしんちに来る?」
ユウタはマキの提案にちょっと躊躇した。
この間の、イベントでアクシデントがあった後の朝、放心状態のマキを家まで送って行ったときに、マキにすがるような表情でいっしょに家の中に入るよう誘われたときのことを思い出したからだ。
「……本当に、行ってもいいのか?」
マキはそのときのことを忘れているのか、それともわかっていてあえて触れないようにしているのか、変わらず明るい調子ですらっと答えた。
「全然ええよー。
だって、あたしもユウタんち行ったんやし。
遠慮せんで!」
「……そうか。
なら、寄らせてもらうわ。
……悪いな」
マキは本当にどうとも思っていないのか。
ユウタはまだ気になっている。
マキは変わらぬ調子で答える。
「全然、悪くないよー。
……それに……」
マキはそこで、言葉を止めた。
「……それに?」
マキはちょっと声を落とした。
少し恥ずかしそうな様子だ。
「……いや、あの……。
前に送ってもらったとき、あたしが変なふうに誘っちゃったからさ……。
あのときのお詫び、っていうか、リセットしたい、っていうか……。
そういうのもあるし……」
ユウタは、マキの心のうちがちょっとわかった気がした。
やさしく元気な声でマキに答える。
「あー、あれこそ全然気にせんでええぞー。
なんとも思ってない」
「うん……。
ありがと!」
「それじゃ、お言葉に甘えて寄らせてもらうかな。
途中で食べ物とか買って、いっしょに食べ飲みもしよか」
「ええね!
そうしよ!」
「いつにする?」
「……えーと、なるべく近いうちにやりたいんで……。
あさっての土曜日の午後とか、どう?」
「おう。
昼間バイトだけど3時には終わるんで、4時以降ならOK」
「あたしも2時までバイトやから、ちょうどいいね!
なら、4時に長居駅前ということで、いかがでしょう?」
「わかった。
USBと、念のためオレのPCも持ってくわ。
それから……」
「……えと、泊ってくよね?」
マキが間髪を入れずに言った。
ユウタは、一瞬の間言葉に迷ったが、やがてホッとしたように言った。
「……うん、そうするか。
ありがとな」
「ううん、こちらこそ。
コップとかタオルとかは用意しとくんで。
ユウタは着替えと、いつも使ってる歯ブラシとかシェーバーとか持ってきてくれればええよー。
……あ、あれも……」
「わかってる。大事なことやからな。
ちゃんと持ってくよ」
「うん……ありがと……」
通話の向こうのマキの声は、はにかんだ笑顔を浮かべているように聞こえた。
「じゃ、また土曜に」
「うん、土曜日に!」
通話を切ると、ユウタはマキのことを想った。
あのときは入らなかったマキの部屋に、今度は初めて入ることになる。
ちょっと緊張するような、でも楽しみな。
なんか妙な気分だ。
でも、あのときといまでは、状況がまったくちがう。
いまは、もう二人ともお互い愛していることを、すでにちゃんと確かめ合っている上での訪問だ。
マキの家か……楽しみだな……。
マキもきっと、同じように思ってるはずだ。
ユウタはそう考えて、スマホを机の上に置いた。
***
土曜日の午後。
ユウタは家庭教師のバイトを終えて、バイト先の家から最寄りの駅に、速足気味に歩いた。
そして駅に着くと、マキにLINEを入れた。
「いまバイト終わった。
30分くらいで長居駅に着くと思う。
よろしく」
送って10秒もたたずに、マキから返事が来た。
「了解!
あたしもバイト終わって帰ってきてる!
ほな4番出口改札前で。
気をつけて来てね!」
大阪メトロ、地下鉄御堂筋線。
土曜日なので、けっこう多くの乗客がいる。
バイトは中学生相手の家庭教師なので、服装はビジネスカジュアルでよい。
きょうのユウタの服装も、白無地Tシャツの上に半袖のサマーシャツ、カーキ色のチノパンという、無難なものだ。
本当はせっかくマキの家に行くのだし、もう少しおしゃれをしたかったが、まあしかたない。
ユウタはドアの脇にもたれながら、窓の外を眺めた。
中津より北側までは、地上を走っているので地上の景色が見える。
高速道路と並走するこのあたりは、ほとんどビル群が並ぶばかりの風景だ。
やがて電車は地下に入る。
先ほどまで自分がバイトでいた東三国のあたりもそうだが、大阪の街は東京よりもどこかしらちょっと古びた、昭和の時代を思わせる街並みが多い。
でもそんな大阪の光景が、ユウタは好きだ。
大阪は都会的な新しさと、歴史ある古さ、懐かしさが混在し同居している。
その新旧の落差が、東京よりも著しい。
そんな大阪。
ユウタは思った。
大学を卒業しても、たぶん自分はこの大阪にずっといることになるだろう。
東京には戻らずに。
それくらい、いまの自分はこの場所を愛するようになっている。
そして、なによりもここにはマキがいる。
大阪の大学に入って、すぐにDJを始めて、そしてマキと出会って、いっしょにイベントをやり始めて……。
いろんな意味で、自分の人生が本当に始まったのは、すべてここ、大阪に来てからだと言ってもいい。
マキがこの土地にいるのなら、自分も絶対いっしょにいよう。
そして、ずっとマキといっしょに生きていこう。
ユウタは、そう心に決めていた。
地下鉄はすでに地下道にもぐり、いま窓の外ではトンネルの灰色の壁が延々と続く景色が流れていく。
それを眺めながら、ユウタはマキとの未来を考えていた。
***
長居駅に着いた。
ユウタは地下鉄を降りると、約束した4番出口に向かった。
改札の前まで来ると、マキが立って待っている。
マキはユウタを見つけると、ぱっと笑顔になって手を振り、改札に近寄る。
ユウタも笑顔で手を挙げると改札を抜けた。
「いらっしゃい!
けっこう早かったやん!」
マキはいっぱいの笑顔で、改札を出たユウタに駆け寄って出迎えた。
見るからにこぼれるような、うれしさにあふれた表情だ。
マキの服装は、白地にさまざまなパステル調の色彩でキャラクターがデザインされたプリントTシャツに、ナチュラルカラーのショートパンツ。
足にはライトグレーのショートソックスに、マキお気に入りのナイキのスニーカー。
明るく、軽快で涼し気な姿。
マキのいまの気分そのもののようだ。
「おう。
来たよ。
……よろしく」
ユウタは駅の周囲を見回して、ぽつっと言った。
「……あらためて来ると、なんか不思議な気分だな」
マキがユウタの様子を見て、悪戯っぽく笑った。
「あ、また東京弁に戻ってるなー。
そういうときのユウタはだいたいいつも、あわててるときか、余裕のないときか、そうでなかったら、あれこれ考えてるとき!」
そう言って、ユウタの腕をつかむ。
ユウタはふざけるように顔をしかめた。
「……よくわかってんな。
そのとおりや。
いま、あれこれ考えてた」
「なにを?」
「んー、きょうマキと決めとくべき内容とか、施設やマキのゼミの人たちのこととか。
それから、こないだ来たときのこととか……」
「あー……まあ必要なことやね、最後の以外は!」
そう言ってマキは、あははは、と笑う。
「マキの言うとおりやな。
最後のは考えるの、止めとくわ」
「……ええけどね、別に考えても。
しゃあないわな」
そう言ってマキは、くすっと笑いながらユウタの手を引く。
「行こ!」
二人は地上に出た。
出たところにすぐ、大きな小学校がある。
見るからに長い歴史を持っていそうな、古びた鉄筋コンクリートの校舎だ。
その校舎の前を、二人は通り過ぎる。
「この先にスーパーあるから、夜食べるもんはそこで買ってこ。
途中にベーカリーもあるよ。
安くてけっこうおいしいんよ」
「へえ。
ならちょっと寄ってみるか」
「よし来た!」
マキは気合が入ったように威勢よく言う。
ユウタは思わず、くすっ、と笑った。
ベーカリーに着いた。
二人が店内に入ると、すでにたくさんの客が入っていた。
レジに行列が何列もできている。
「すごい流行ってるな、ここ。
いつもこんなんなのか?」
「そうやねん。
いまはちょうど、特に人が多く来る時間帯かもね」
ユウタがトレーとトングを取った。
二人は並べられたパンを順々に眺める。
お互いに食べたいものを言っては、ユウタがトングで取ってトレーに載せていく。
「確かに、どれもうまそうやし、安いな」
「やろー?
そやから、いつもこんなに混んでんねんて」
二人は食べたいものをひととおり取ると、レジの行列のひとつに並んで順番を待った。
店内の横に、テーブルと椅子がいくつか置かれたイートインスペースがある。
それを見てユウタが言った。
「イートインコーナーもあるねんな」
「そうやねん。
次来たときは、いっしょにイートインで食べへんー?」
うれしそうにマキが言った。
「それもええな」
ユウタが笑顔で応える。
ようやく支払いを終えると、二人は店を出た。
「いやいや、大盛況やったけど、なんとか無事買い終わったな」
「そ、いつも混んでるから、ここで買うの気合いるよね」
「そやな」
二人は笑い合った。
次はスーパーに入る。
関西では有名なチェーン店の、ここはけっこう大きな店舗だ。
ユウタが先ほど買ったパンの袋の中を覗き見ながら言った。
「……もう、このパンだけでもじゅうぶん夕食になりそうやけどな」
「いや、そのパンはおやつ!
夕食はこれから!」
マキが毅然とした表情で、きっぱりと言う。
「おいおい、そんなに食えるのか?」
「だいじょうぶ!
食える!」
またマキはきっぱりと答える。
ユウタは指を鼻に当てて、くすっ、と笑った。
二人は店内を順々に見ていく。
「ねえユウタ、お菓子かデザートも食べるやろ?」
「あのな、しつこいようやけど、本当にそんなに食えるのか?
……って、オレは食えるけど」
「なんやユウタ、全然同じやん!」
マキはそう言って笑った。
そして自分が食べたいものを、ユウタの持ったかごに放るようにポンポンと次々に入れていく。
そのマキの様子を見ながら、ユウタは微笑ましく感じた。
ま、食欲旺盛なのは健康的でいいことだ……。
「ユウタ、お酒も飲むやろ?」
「もちろん!
マキ、なんか飲みたいもんあるか?」
「あたしはね、ちょっとワイン飲んでみたい」
「めずらしいな。
ってか、飲んでるの見たことないぞ」
「うん、たぶん初めて」
「マジか。
だいじょうぶか?」
「いや、挑戦してみようと思うて。
TVでタレントが飲んでるの観てておいしそうやったから、あたしも飲んでみようかなー、って」
「きわめて単純な理由やな」
「ええやんー!」
マキがぷくっとふくれる。
ユウタは、ワインが並べられた棚のうち、比較的安価なものが並べられているコーナーの中から1本を取り出して、マキに向かって掲げた。
「……ほら、これとか試してみるか?
これは価格はお手頃やけど、その割にまあまあうまいぞ。
赤ワインなんで基本肉に合う、ってやつやな。
今夜の夕食も肉がメインやから、ちょうどええやろ?」
「あ、じゃあそれにする!
ユウタって、ホントなんでも知ってるね。
感心するわ。
ユウタは、あたしのブレーンやな」
「おい、勝手にブレーンにすんな」
「えへへっ」
二人は買い物を終えてスーパーを出ると、マキの部屋があるマンションに向かった。
「考えてみれば、マキはいい場所に住んでるよな。
買い物も便利やし、公園のそばで環境もいいし」
「まあねー。
ちょい人が多い気はするけど、うちの周辺はそんなにうるさくないしね。
悪くないよ」
「うん」
マンションに着いた。
小ぶりだけど、比較的新しく、きれいなマンション。
ユウタにとってはあの日以来だ。
ユウタはマンションの入口前で立ち止まると、ぼそっと言った。
「……女性の部屋に入るのは、緊張するな」
「え?
いまさらなに言ってんの、あたしの家やし。
ユウタがそんなこと言うとか、意外ー!」
マキがそう言って笑った。
「ま、でもさ……。
オレ実を言うと、女性のひとり暮らしの部屋に入るの、初めてなんだよ……」
ユウタがまだ躊躇している様子なので、マキはおかしそうに笑いながら、
「遠慮しない!」
と、ユウタの腕を引っぱった。
エレベーターで5Fに上がると、マキが先に歩いて、部屋のドアの前に着いた。
マキは鍵を開けてドアを開くと、
「ただいまー!
ユウタ、どうぞどうぞ」
と、両手を部屋の中に向け、ひらひらとユーモラスに振ってユウタに入るよう勧めた。
ユウタは意を決したように声を上げた。
「おじゃましまーす」
そして玄関で靴を脱いで、部屋に入った。
マキが後に続いた。
「きれいやな」
「そんなことないよー。
ユウタの部屋のほうが圧倒的にきれいやん!
でもきょうはね、あたしもがんばって片づけた!」
マキの部屋は、ユウタの部屋より少し広い。
ワンルームだがよく整理されていて明るい感じだし、とても広く開放的に見える。
全体的にアイヴォリーに近い白で統一された天井と壁。
ベランダへとつながる大きな窓には、セージグリーンの遮光性カーテン。
床は板張りらしいが、部屋の中央、ダイニングテーブルの置いてあるところの下には、ライトブラウンのカーペットが敷かれてある。
テーブルの周りには、まんがキャラの絵柄がプリントされたクッションがあり、奥のベッドの上には大きなクジラのぬいぐるみがある。
そういうところは可愛らしい。
「落ち着いてて、ええ感じやな」
「ありがと。
ユウタにそう言ってもらえて、うれしいわ」
マキは照れ臭そうに応えた。
ベッドの横、窓の近くの一角には長テーブルがあり、その上にはDJコントローラーが置いてある。
そしてDJコントローラーの横にはノートPCが置いてある。
そのさらに右端のほうには本が何冊か。
そしてノート。
ボールペン、色鉛筆などの筆記用具が、空き缶のペンスタンドに立ててある。
テーブルの前にはオフィスチェア。
マキは、このテーブルをふだん使い用、兼DJ作業用として使っているようだ。
その筆記用具やノートの横に、スケッチブックが開いたまま立てかけてある。
ユウタはそれを見つけて、開かれているページを見た。
そこに描かれているのは、淡い青色の空に、雲がいくつも浮かんだ風景のような、抽象画のような画。
色鉛筆で描かれたもののようだ。
「これ、マキが描いたんか」
ユウタが尋ねた。
マキが、恥ずかしいものが見つかってしまった、という様子であわてて、
「あー、それ、見んで!」
と叫んで手で隠そうとする
ユウタは落ち着いた様子で、マキの肩に手を置くと言った。
「いや、これ、いいと思う。
……画描くの、好きなんか」
ユウタの真剣な様子に、マキも隠すのを止めて冷静に答えた。
「うん、そう。
画描くの、趣味みたいなもんや。
気分転換したいときとかに、このスケッチブックと色鉛筆持って外に出て、そこの公園のベンチに座ってね。
景色眺めながら、ときどき描くの」
ユウタは、スケッチブックを手に取ろうとして、
「……ええか?」
とマキに確かめた。
マキは、
「もちろん。
……ユウタに見られるのは、ちと恥ずかしいけど……」
と、少し頬を赤らめて答えた。
ユウタはスケッチブックを手に取って、ページをめくった。
空の画のほかにも、いろんな画がそこにある。
黄色っぽい鳥のような生き物が、何羽も空を飛んでいるように見える画。
どこかの川だろうか、水色や白の細い線が何本も、黒い崖のような岩から流れ落ちているように見える画。
海らしい真っ青な空間の中を泳ぐ、赤や黄色、オレンジ色など、さまざまな色の魚の群れのような画。
どれも不思議な美しさを持った画だ。
ユウタは、画を眺めながらマキに言った。
「これ、どれも、すごいきれいやな……。
マキ、画うまいな」
マキはびっくりしたように目を見開いて、さらっと言った。
「えー、そうかなー?
そんなん、言われたことないわ……。
ってか、そもそも、人に見せたこともほとんどないけどな」
そしてしばらく沈黙していたが、やがてはにかんだように、
「……でも、ユウタがほめてくれるのは、すごいうれしいわ……。
ありがとう」
と言った。
ユウタはスケッチブックから顔を上げ、マキを見ると、
「この画な、なんていうか……。
マキのDJ聴いてるときにも、いつも思うのと同じものを感じる。
なんていうか、この画もみんな、マキそのもの、って感じ」
やさしい笑顔でそう言った。
マキはますます恥ずかしそうに頬を赤らめて、
「……んんん……ユウタ、ほめ過ぎや……。
恥ずかしいわ……」
とつぶやいた。
そして続けた。
「でもな、確かにどの画も、描いたときにあたしが感じた気持ち、そのときの思いが表れてるとは自分でも思うとる。
……まあ、あたしの好きな画家の影響が、恥ずかしいくらい思いっきり露骨に出てるけどな」
「……マティス?」
ユウタが言った。
マキは、ぱっと明るい表情になって、
「そうそう!
アンリ・マティス!
大好きなんよ!
ユウタも知ってるんやね!」
「ああ、オレもマティスは大好きや」
「マジで……!
すごいうれしいわ……」
マキはそこで両手の指を組むと、そのまま両腕を上に向けて深呼吸をするように、うーん、と伸びをした。
そして、やさしい笑顔で言った。
「……こんなとこで、またユウタと気が合ったわ……」
「そやな……オレもうれしいよ。
……そういえば、マキと美術の話をしたこと、いままでなかったな」
「そうやね!
なんでいままで話題に出なかったのやろ?
不思議やわ」
「オレもけっこう美術、見てんねんけどな。
美術館巡り、好きやで。
描くほうは全然才能ないから、やらないけど」
「ほんま?
じゃ、今度いっしょに美術館行こ!」
マキは目を輝かせてユウタに駆け寄り、勢いよく抱きついた。
ユウタはあわてて後ずさりながら、かろうじてマキを両腕で受け止めた。
「おおおー!
……おう、わかった。
行こうな、今度」
そう言って、ユウタはマキの両肩を抱えた。
「うん!」
そのままユウタは、マキの唇に自分の唇を重ねた。
マキが深く口づけを返して、二人はしばらく抱き合ったままキスを交わした。
ユウタはマキといっしょに、再びマキの描いた画を見た。
「マキ、この画、ほとんど人に見せたことないって言ってたな?」
「うん。
まあ、個人的なラクガキみたいなもんやからな。
……あ、でも、仲のいい友だちには見せたことあるで。
ほめてはくれたけど、まあお世辞やと思うしな……」
マキは淡々と話す。
ユウタはマキを真っすぐに見て言った。
「いや、そんなことない!
これ、すごいええぞ。
美術展の賞に応募するとか、全然できるんやないか?」
「え、えええー?
そんなこと、考えたこともないわ……」
マキは話題を変えようとするように、ユウタから離れて床に置きっ放しのエコバッグの前に来ると、しゃがんでエコバッグを開きながら、
「……忘れてた。
とにかく、片づけ、しよ!」
と声を上げた。
ユウタは、
「お、おう……」
と、マキのそばに寄って、片づけを手伝うことにした。
二人は、買ってきたものを広げて、冷蔵庫に入れるものと、冷蔵しなくていいものとに分けていった。
冷蔵するものはマキが冷蔵庫に入れ、ユウタは常温保存できるものをまとめて、ダイニングテーブルの上に並べた。
「……ユウタがいると、片づけ早く終わるなー」
「そりゃまあ、二人やからな」
「助かるわー。
……ね、ちょっと一服しよ!
パン食べて、ジュース飲もうよ!」
「さっそく食べ飲みか……食欲旺盛やな」
「ええやん!」
二人は笑って、パンをテーブルの上に並べた。
そして、マキがジュースを冷蔵庫から取り出し、そのそばに置いた。
「じゃ、とりあえず乾杯ということで!
おつかれさまでしたー!
あと、マキのうちにいらっしゃーい!
かんぱーい!」
「うーす!」
二人はパンを食べジュースを飲んだ。
ユウタがマキに尋ねた。
「ところでさ、見学に行くB型事業所って、どんなとこ?
かんたんでええんで、概要を教えてくれるかな」
「うん!
就労継続支援B型事業所は、全国にたくさんあるんやけど、今度行く所は民間の株式会社が経営してる事業所。
大阪市内に3か所事業所があって、そのうちのひとつ。
利用者は現在20名から30名ぐらい、って言ってたかな。
B型事業所って、一日当たりの定員が20名やから、まあまあ繁盛してるほうやと思う」
「こういうのって、利用者さんはどうやってそこを知って来るわけ?」
「最近はWebサイトで知って来る人が多いみたい。
就労したいって希望する障がい者の人がいたらね、民間の福祉系ポータルサイトにアクセスすると、自分の住んでる場所に近いエリアの事業所を検索できるねん。
それか、区役所や市役所の福祉窓口で事業所を紹介してくれたり、病院やクリニックが患者さんに紹介してくれる、ってパターンもあるみたい」
「なるほど。
……ということはさ、基本的に障がいのある人が就職を希望したら、自分から探さないといけない、ってわけか」
「そうなんよね。
それと、ハローワークみたいにだれもが知ってる公的窓口があるわけやない、ってことでもあるの。
そのことは、あたしもずっと気になってて……」
「というと?」
「ふつうの人、いわゆる健常人の場合、仕事したいから探そう、ってなったら、ハローワークに行けばええわけやん?
もちろん民間の就職サイトもあるけどさ、まあ、とにかく職を探すのにどんな手段を使えばいいか、みんなほぼわかってるやん?
でもさ、障がいがある人の場合、仕事したいって思っても、その時点での症状とかによっては、すぐ就職できる状態にない場合も多いわけ。
就職に必要なスキルや知識が足りないこともよくある。
そやから、いきなりハロワに行く、ってわけにはいかないケースがほとんどやねん。
そしたらな、そういう人は、まずどこに行けばいいのか。
実際に企業などに就職 (福祉の世界では「就労」という言葉を使うことが多いみたい) する前段階として、「就労移行支援」「就労継続支援」といった事業所に行って、就職できるだけのスキルや安定した体調を身につけるための訓練をする必要があるの。
今回見学する「就労継続支援B型事業所」ってのは、そういう位置づけの福祉施設。
でもな、こうした施設は全国にたくさんある。
障がいのある人はどうやったら、自分に合った事業所を見つけることができるのか。
問題はそこよね。
公的な相談窓口は、区役所・市役所の保健福祉関連の窓口ぐらいしかない。
でも、そこでも得たい情報がじゅうぶんに得られないことも多いみたい。
そやから、障がいのある人は多くの場合、ネットを使って自分で調べるってところから始めなきゃなんない。
これが実態らしい。
……っていうわけで、なんか、障がいがある人の場合、ふつうの人に比べると仕事探すの一つとっても、探す手段にたどり着くまでのハードルがものすごく高い、っていうか……」
マキはそう言ってため息をついた。
ユウタもマキの言いたいことはよくわかる。
「……そやな。
障がいのある人が、自分に必要な福祉のサービスをすぐに見つけて使う手続きをする、っていう仕組みが、まだ全然じゅうぶんに整っていないって感じやな」
「そう!そうなの!
それがあたしも、すごく気になってるねん。
障がいがあると、日々の生活でも、仕事を探すのでも、至る所でそういう困難に直面すんねん」
「大いに改善の余地あり、って状況やな」
「そうなの、そのとおり!」
マキはそう言ってジュースの残りを一気に飲み干すと、ユウタに微笑みながら言った。
「……こういう話、やっぱりユウタはすぐ理解してくれるな。
うれしいわ」
「おう、それはオレも福祉に興味あるからな」
「うん。
でもね、福祉に興味がある人でも、たとえ福祉の仕事をしている人であっても、こういう状況を改善すべき問題として理解しとらん人が多くいるんよ。
でもそこが、ユウタにはすぐ伝わるな、って思う。
それがうれしい!」
「オレがどこまで理解できてるか、わからんけどな」
「ううん。
ちゃんと理解してくれてる、って感じる」
「そか。
ありがとな」
二人は福祉についての話をしばらくした。
やがて、ひと段落着くとユウタが言った。
「……さて、と。
音源データの準備、そろそろ始めるか?」
マキがぱっと明るい表情になった。
威勢よく答える。
「おし!
やるか!」
ユウタは笑った。
「なんや、その妙なかけ声」
「やる気満々、ってこと!」
「はあ……」
二人は、マキのノートPCにユウタの音源データをコピーして、プレイリストを作る作業に取りかかった。
「プレイリストの名前は、どんなんがええの?」
「『DJ U-TA Playlist』とかでええよ」
「まんまやな」
「すぐわかればええ」
「ま、確かに」
「じゃ、そこにこのフォルダの曲、全部インポートして」
「……200曲?
そんなにいらんやろ!」
「マキ、そう言うがな、たとえ30分のプレイでも、選択の余地が多くあったほうがいいプレイができる、ってもんや」
「それはそうかもやけど……。
わかった。
全部コピーするわ」
「すまぬ……かたじけない」
ユウタはうやうやしく頭を下げる。
マキがぷっ、と吹き出した。
「なにそれ。
サムライかよ!」
あはははは、とマキは大笑いした。
PCの準備が終わると、もう7時近くになっていた。
二人は夕食に食べるものを出して準備を始めた。
「ワイン、開けるぞ」
「待て待て待て、ユウタ!
それはあたしがやりたい!」
「ならおまかせするわ」
「では、記念すべきあたしの人生初ワイン、開けまーす!」
マキはワインの栓を開けると、二つのグラスにワインを注いだ。
「これは安いワインやからかんたんに開けられるキャップの栓やけど、いいやつはコルク栓で、コルク抜きが要るから。
次飲むときは、そういうやつ買って飲むか。
コルク抜きも買ってな」
「いいねえ!
なら、次の機会はユウタの誕生日やな」
「おいおい、もう決まりかよ」
「へへへー」
二人はワインで乾杯した。
「では、ユウタの初あたしのうち訪問を祝して!」
「そして、マキの初ワインを祝して!」
「かんぱーい!!」
カチン、と二つのグラスが音を立てた。
二人は話し、笑いながら夕食を食べ、飲んだ。
2時間ほど後。
グラスには、3分の1ほどまで減ったワイン。
ユウタは足を延ばし、両手を床について楽な姿勢を取りながら、はー、とため息をついた。
「……よう食えたな、あのパンの後に」
マキは、ワインのせいで頬を赤く染めていたが、まだまだ元気な様子だ。
「食える、ってあたし言うたやん!
……でも、さすがにおなかいっぱいやわー。
それとやっぱり、少し酔ったっぽい……」
「そりゃ当然や。
初めてやしな」
マキがユウタに身体を近寄せ、ユウタの右腕にしがみついて言った。
「楽しみやね、見学」
「ああ。
DJもな」
「うん、もちろん!
見学にね、ゼミでいっしょの友だちのユカリちゃんも来るんよ」
「ほう。
どんな人?」
「すごいきれいで可愛くて、頭がよくて、性格も最高によくて……。
スーパー完璧な女、って感じかな」
「なんや、その雑な説明……。
もう少し具体的に、どんな性格でとか、ないんか?」
「あるよ。
すごいやさしくてね、思いやりもあってね、だれからも嫌われないタイプ。
でもね、だれとでも仲のよい友だちになるってわけじゃなくて、本当に気が合う人とだけ親しい付き合いをしたいみたい。
あたしはね、光栄にもユカリちゃんのそういう友だちの一人!」
「それは光栄やな」
「そうなの!
でね、ユカリちゃんにもユウタの話、してるよ。
すごく会いたい!ってユカリちゃんも言うてる」
「どんなふうにオレのこと、話してるんや?」
マキは人差し指を顎に当てて考えるようなしぐさをした。
「んー……なんていうか、すごいいいやつ!
って言ったかな」
「なんやそれ!
漠然とし過ぎやろ」
そう言いながら、ユウタは笑った。
マキは、ちょっとまじめな顔になって言う。
「まー、そんな生々しい話はできんしね」
「そらそうやな」
「……一見ふつうやけど、すごいおもしろいところもあって、で、すごいまとも。
根はすごいまじめ。誠実。
そこがユウタのええとこ。
ってのは言ったかな」
「それも光栄やな」
ユウタはうれしそうにマキに微笑みかけた。
「……言うてたら、なんやあたしのほうが恥ずかしくなってきたわ……」
マキは、両の手のひらを赤くなった両頬に当てる。
「なんにしろ、そのユカリさんにオレも早く会ってみたいよ」
ユウタがそう言うと、マキがユウタの耳元に口を寄せた。
そして、ささやくように言った。
「……会ったらね、ユウタも惚れちゃうかもよ、ユカリちゃんに……」
「……なに言うてんのや、マキ」
「えっへへへー、冗談。
ってか、冗談であってほしい」
「アホ!
ところで、先生はどんな人?」
「あ、武田先生?
武田先生はね、一言で言うと、ヘンな人!」
「それも全然説明になってないな」
「あははー。
おもろい人よ、冗談よく言うし。
でもときどき、すごい鋭いこと言う。
授業でもそうやし。
ラディカル、っての、そういうの?。
そんな感じの人。
やから、ゼミに出てる人はみんな、先生のゼミ楽しみにしてるし、先生のこと信頼してると思うわ」
「ほう。
武田先生にもぜひ会ってみたい」
「すぐ会えるよ」
ユウタは、しばらくなにかを考えてる様子だったが、やがてまじめな顔になってマキに言った。
「マキ」
「ん?」
「あの、マキが描いた画な。
あれすごくいいと、オレは思う」
マキはあらためてユウタの顔を見つめる。
「……そう?」
「そうや。
DJも、画も、マキが生み出すものにはどれも、マキにしかない、すばらしいもんがある。
どれもマキそのものや。
さっきの、マキの福祉の話も、同じように感じた」
「なんやの、急に……」
マキは少し恥じらうように、それでも話しているユウタをじっと見つめ続けている。
「前も言うたかもやけど、オレは、マキの全部が好きや。
マキ自身も、マキのすることも、マキの考えていることも。
そんぐらい、オレはマキが大好きや。
そんぐらい、オレにとってマキは可愛くて、賢くて、かっこよくて、素敵な人や。
オレがマキ以外のだれかを好きになるとか、あり得へん。
だから、マキは自信を持っていい。
マキはオレにとって、最高の人やから。
……ちょっと恥ずかしいぐらい、ほめたかな……。
でも、本当のことや」
マキは黙ったまま、ユウタを見つめる。
やがて、静かに口を開いた。
「ありがとう、ユウタ。
あたし、ユウタがあたしを好きって言ってくれて、こういうふうにいつもあたしのことをほめてくれるから、少しずつ自信がついてきた。
昔のあたしやったら、ユカリちゃんみたいな完璧な人には気後れしちゃって、うまく付き合えなかったかも、って思う。
でも、いまはユウタがあたしの心の支えになってくれてるから、自信が持てるようになっていろんなことに積極的になれてきたし、ユカリちゃんみたいな人とも友だちになれたんやと思う」
ユウタがマキに応えた。
「いや、オレのほうこそ、マキにいろいろ教えられてる。
いつもそう思ってたんや。
福祉の話だけじゃなく、社会問題の話、世界で起こってることの話、音楽の話、画の話……。
マキはいろんなことを、深く感じて、深く考えてる。
オレが知らなかった、新しいことを教えてくれる。
オレが全然気づきもしなかったことに、気づかせてくれる。
マキの心は、繊細で、そして強い。
マキといると、オレのほうこそマキと並んで恥ずかしくない人間にならなきゃ、っていつも思うよ」
「……ユウタ……。
ありがとな」
そう言って、マキはユウタの両腕をつかんだ。
ユウタがマキの背中に手を回し、二人は自然に抱き合った。
「ユウタは、あたしのいちばんの理解者や。
もちろんユカリちゃんも理解者やけど、ユウタはもっとちがってて……」
ユウタがマキに顔を近づけて言う。
「……どうちがってる?」
マキは、ワインの香りがかすかにするユウタの息遣いを間近に感じて、ワインで赤くなった頬をさらに赤らめる。
「……あたしの考えてること、あたしの気持ちを、ホントにいちばんわかってくれてる。
こんなにわかってくれるのは、ユウタだけ……」
「もしそうなら、うれしいな」
そう言いかけたユウタの唇に、マキは勢いよく自分の唇を重ねた。
「……ん……」
急なタイミングにユウタは一瞬驚きながらも、マキを受け入れ、こちらからもマキの唇に深く口づけを返す。
一度唇を離すと、マキがバツが悪そうに言った。
「……えへへ、ごめん。
急にしたくなったから、キス」
「いまはオレもや……」
ユウタはあらためて、マキを両腕でしっかりと抱きしめた。
マキもユウタの身体に腕を回して抱きしめ返すと、言った。
「今度の見学もな、ユウタとまた新しい世界に行ける……。
そんなきっかけになるんやないかって、思ってる。
ユウタがいっしょなら、どこへでも行ける……」
「うん」
二人はひそかに笑い合いながら、唇を重ね合った。
マキがユウタの耳元でささやいた。
「……いっしょなら、どこへでも行ける、きっと……」
グラスの中のワインは空になった。
夏の夜。
外には車の走る音だけが聞こえてくる。
マキとユウタは、抱き合い、キスし合い、話し、笑った。