1-11 ラブ・イズ・ザ・メッセージ(2)
ユウタとアズミは、梅田にある小さなバーに来た。
ここがニシキとの待ち合わせ場所だ。
ここは梅田でも、駅前周辺からは少し外れた裏通りにある、いわば隠れ家的なバーだ。
20人も入れば満員になるような小さな店だが、内装は金色や黒を基調としたきらびやかなもので、高級感を漂わせている.
天井も黒一色。
その天井から、金色の細い鎖と無数のビーズを組み合わせたビーズカーテンが室内のあちこちにぶら下がっていて、それが並ぶ席をいくつかのエリアに分ける仕切りとなっている。
そのエキゾティックな装いは、なんとも言えない妖しげな魅力を漂わせている。
妖艶、とでも言うべきか。
ユウタは、自分にはちょっと場違いな場所だな、と思った。
アズミが手を差し出して、ユウタを案内した。
「……こっち、あの奥の席」
ユウタは、店の一番奥にある、VIP席のような一画に通された。
そこには見るからに高級な素材を使っているのがわかる、コの字型の赤いソファがあり、その一方に男……いや、若い人が座っていたが、ユウタとアズミを見ると立ち上がって二人を出迎えた。
そして、不敵な微笑を浮かべてユウタを見た。
妖艶な雰囲気を持った人物だ。
その人物が軽く会釈すると言った。
「初めまして。
『Pink Love』のリーダー、ニシキです。
よろしく」
ニシキはユウタに手を差し出した。
ユウタも手を差し出すと握手をしながら、
「こちらこそ、初めまして。
『Four Layers』の責任者、ユウタです。
よろしくです」
と返事した。
ニシキは、手でユウタとアズミに合図して、ソファのもう一方の側に二人を座らせた。
ニシキの容姿は、金髪をツーブロックにまとめ、金色の小さなピアスを右耳には2個、左耳には1個。
黒いTシャツを着て、その上に濃いグレーと金色の刺繍模様の入ったベスト。
首からは金色の細い鎖状のネックレスをぶら下げている。
そして、ボトムスには黒の細身のレザーパンツ。
そして、その顔を間近であらためて見ると、息をのむような美形だ。
カリスマホストのような、妖しい雰囲気を漂わせた美形。
アズミもかなりの美形と言っていいが、彼にはどちらかと言うと人を安心させるような人懐っこさがある。
そんなアズミとちがい、ニシキの美貌にはどこか人を警戒させるような危険な香りがする。
アウトローのような、ヤバい感じだ。
ユウタは、そんなことを感じながら心の中で体勢を整える。
……これは油断できなそうな感じの相手だな……。
チラリと横目でアズミを見ると、彼は不安そうな表情。
対してニシキは、自信に満ちた表情でかすかな笑みを浮かべながら、ユウタを見つめている。
「……さて、と。
ボクの希望は、もうアズミから聞いていると思います」
笑みを浮かべたまま、ニシキは落ち着いた口調で話した。
「ええ。
アズミを『Pink Love』に専念させたいんで、『Four Layers』を脱退させたい、ということですよね」
ユウタも、落ち着き払った様子で言った。
ニシキは両手を組んで、余裕の笑みを浮かべたまま言った。
「そこまで理解しておられるのなら、話が早い。
……単刀直入に言いますね。
それ、認めていただけますかね」
ニシキは、組んだ両手を崩さず、いっそう笑みを強めて言った。
ユウタも表情を変えず、冷静に答える。
「……それは、致しかねますね。
アズミはいいDJで、こちらにとっても貴重な存在ですし。
ご存じかと思いますが、アズミ自身も『Four Layers』を離れたくはない。
そういう希望ですので」
しばらく、沈黙が流れた。
やがてニシキが、不敵な笑みを絶やさないままソファの上に反り返って、グラスを片手にすると中のカクテルを一口、ぐっと飲んだ。
そして、静かな調子を保ったまま言った。
「……そうですか。
ま、それはそうですよね。
あなたが、そう簡単に折れるような人ではない、ということは予想してましたよ」
ユウタは、ニシキから次の言葉が来るのを待った。
少しすると、ニシキはこう提案した。
「では、こういうのはいかがですか。
もし、アズミが『Four Layers』への出演を、2か月に1度にして、『Pink Love』への出演を、空いたほうの2か月に1度、許していただけるなら、それで手を打ってもいい。
これでも、ボクとしてはかなりの譲歩となりますが、おたがいのことを考えれば、このへんが落としどころかと。
ユウタさん、あなたにとっても、悪くない条件と思いますがね」
ユウタは思った。
なかなか、したたかな奴だな。
しかも、アズミがもともと参加しているパーティーから引き抜こうとしているのに、その行為が相手であるオレとアズミににどういう気分をもたらすかということには、まったく無頓着のようだ。
オレは、こいつをとても好きになれそうもないな。
一方、アズミは二人を交互に見ながら心配そうな様子だ。
ユウタは腹が立ってきたが、それを抑えて表に出ないように努めた。
彼は言った。
「ニシキさん。
ご存じの通り、『Four Layers』は、アズミがあなたのパーティーより前からもともと参加しているパーティーです。
そしてアズミ自身も、このパーティーに愛着があって一生懸命やってくれてます。
だからアズミは、『Four Layers』を辞めたくはない、と言ってくれています」
ユウタは、冷静さを保つように努めながらそう話すと、グラスを取ってカクテルを一口飲んだ。
そして、こう続けた。
「……あなたは、そういうアズミの気持ちを、ちゃんと理解しておられますか?」
それを聞いた瞬間、ニシキの目つきが鋭くなった。
「もちろん、理解してますよ。
言うまでもないことです」
そして、ユウタをじっと見据え、戦いを挑むような様子で言った。
「しかし、アズミがこれからより発展していける場は、こちらだとボクは考えているのです」
ユウタはニシキに尋ねた。
「……というのは?
どういうことですか」
ニシキは、自分がカードを切る番が来た、というような表情で話し始めた。
「アズミは、確かにいいDJです。
しかし、あなたがた、いわゆるストレートの人たちによる、ストレートの人たちのためのパーティーの中では、アズミはマイノリティーな存在ということになります。
彼がそういうパーティーの中にいて、本当に自分を解放し、自分らしいアクトができているか。
それは疑わしいとボクは思っているのです」
ユウタは思った。
ほう……。
そういう論理か……。
ユウタは、口を出したくなったが、ニシキの話を最後まで聴こうと自分を抑えた。
ニシキが話を続けた。
「……このことは、アズミも自分ではっきりと自覚できていないと思うのです。
というのも、ボクは、彼が初めて『Pink Love』に参加してくれたとき……それは最初はオーディエンスとしてでしたが……彼がとても解放された様子だと見て取りました。
パーティーが終わってから、ボクは彼に声をかけたのですが、すると彼もDJをやっているのだということがわかった。
それで、ボクは彼に、次のパーティーにDJとして参加しないか、と誘ったのです。
実際に参加してもらってみると、アズミがDJとしてとても能力があり素質もある、ということがわかりました。
しかも、DJもオーディエンスもすべてがゲイであるこのパーティーで、彼が心底から自己を解放させることができ、心の底から楽しんでくれている。
そうボクは感じたのです。
……逆に言うと、彼の普段の生活は……それはあなたのパーティーも含めて、とあえて申しますが……抑圧されているのだということです」
アズミは、顔を少し赤らめながらうつむいている。
ユウタは、このニシキという男……いや、LGBTQの人物……とアズミとの関係性が、だんだん見えてきた気がした。
「ボクは……もうアズミから聞いているかと思いますが……アズミを愛するようになり、アズミもボクを愛してくれています。
彼といろいろなことを話していくうちに、こんなことを知るようになりました。
……彼が普段の生活の中で、いろいろなことを我慢し、ときに自分を偽りながら生きてきた。
そして、生きるためにそうせざるを得なかった、ということ。
それは、ボクにとっては絶対に許せないことでした。
彼をそのような、抑圧された人生から解放してあげる義務が、ボクにはある。
なぜなら、アズミはボクの愛する人だから。
……今回の件も、そうした、ボクの義務を実行に移す、いわば第一段階のひとつなのですよ」
ユウタは、ニシキの態度と話す論理に、正直、不快感を抱いた。
不敵な笑み、不遜な態度。
しかし同時に、ニシキの言おうとしていることもある部分は理解できる気がした。
ユウタには実感できないけれども、ゲイやレズビアン、いわゆるLGBTQ+と呼ばれる人たちは、異性愛者が多数を占める現在の社会では、必然的にマイノリティーとならざるを得ない。
だから、さまざまなかたちで差別や偏見にさらされながら生きなければならないのが実情だろう。
ニシキもまた、おそらくいままでの人生の中で、こうした差別や偏見をあちこちで受けて生きてきたのだろう。
だからそれに大きな怒りを感じ、そうした社会に反感を抱いてもいるのだろう。
それゆえ、自分と同じゲイの人間を……まして自分が愛する人であればなおさらのこと……そんな社会から守ってあげたくなるのも当然だろう。
そのことはよく理解できる。
ただ、ユウタには気になる点があった。
それは、ニシキが思っていること、認識していることと、アズミが感じていること、思っていることとが一致しているのかということだ。
アズミも言っていた。
ニシキには強情な面がある、と。
いまの話を聴いていても、ニシキは思い込みで強引に物事を解釈しているような印象がぬぐえない気がした。
実際、アズミはこのニシキの語ることに完全に共感しているだろうか?
それはちがうのじゃないか。
ユウタは思った。
自分はLGBTQ+ではないから、アズミの本音を理解することはできないかもしれない。
しかし少なくとも、アズミは『Four Layers』というパーティーを心から愛し、自分がそこでDJをやれていることを、心底楽しんでくれているはずだ。
ユウタはそう感じているし、実際そうであってほしい。
ユウタはニシキに言った。
「ニシキさん、いまの社会で、ゲイに対する理解がまだまだだということは、オレも認識しています。
そして、いろいろなかたちの差別や偏見があるということも。
あなたやアズミのような人たちが、いままでにもそうした差別や偏見を受けてきただろう、ということも」
ユウタは身を乗り出して話した。
「でもまず、オレたちのパーティーについて、アズミ自身がどう思っているか……。
その正直な思いをちゃんと確認することが先じゃないですかね?」
ニシキが片方の眉を上げて、両手を組んだまま、ユウタをじっと見つめた。
アズミは顔を上げた。
まだ緊張した面持ちでいる。
ニシキが口を開いた。
「それは、ボクがさっき言ったとおりですよ。
ボクとアズミは、完全に理解し合っています。
……あらためて確認する必要もないことです」
ユウタが反論しようと思ったそのとき、アズミが口を開いた。
「……ニシキ。
それは正確じゃないと思う……」
アズミの声は震えているように聞こえた。
ニシキは驚いた表情で彼を見つめた。
アズミは言った。
「ニシキ、ぼくはきみとちがって、いままで多くの場で自分の性的嗜好を人前では隠してきた。
数少ないが自分の性的嗜好を明らかにしたときには、きみと同じように差別や偏見を受けたし、ときに奇異の目で見られてきた。
それは事実だし、きみがいま話したとおりだ」
そう言ってからひと呼吸置くと、続けた。
「でも、ぼくが『Four Layers』でも抑圧され、差別されているというのはちがう。
ぼくはこのパーティーをとても楽しんでいるし、愛している。
いっしょにパーティーをやっているDJたち……ユウタ、マキ、アリヤも、ぼくを親しい友だちとして、差別も偏見もなくつき合ってくれている。
ぼくも彼らを愛しているし、大切な友人だと思ってる。
……これが事実だ」
アズミはほおを紅潮させていた。
ニシキは、苦々しい表情を浮かべながら黙っている。
しばらくの沈黙の後、ニシキは声を上げた。
冷静さは保っているが、その声は怒りで震えているように感じられた。
「アズミ、そんなはずはない。
……きみが古い仲間をかばいたいという気持ちはわかる。
彼らは、ヘテロの社会の中では比較的、理解者だったわけだからな。
しかしな、そうしたきみの行為こそが、結果的にきみをいままでどおりの差別や抑圧の中に置き続けることになるんだ。
……きみもそろそろ、そのことを明確に認識すべきなんじゃないか?」
アズミは反論した。
「ニシキ、ぼくはきみを愛しているし信頼してるけど、いまのきみの話ははちがうと思う。
ユウタは決してぼくを差別したりしない人だ。
そして『Four Layers』の4人は、お互いに完全に信頼し合っている関係だと、ぼくは思っている。
……ヘテロだということだけで、すべてゲイを差別する人間とみるのは、ちがうんじゃないだろうか」
ユウタは、アズミとニシキの二人を交互に見た。
言うべき言葉を探しあぐねているように見えるニシキ。
頬を紅潮させたまま、真剣な表情で話すアズミ。
ユウタには、この二人の間に割って入る余地がないように思えた。
ただ、二人の話の行く末まで待つしかないのじゃないか。
すると、ニシキが苦笑しながらこう言った。
「さて……アズミにこうまで言われちゃ、ボクもこれ以上強弁することはできませんね……」
そして、ユウタを再び見つめて尋ねた。
「それではユウタさん、あなたにお願いがあります。
アズミがこうまで言っている以上、ボクもその目と耳で事実を確かめたい。
……いかがでしょう。
次のあなたたちのパーティーに、ボクが遊びに行ってもよろしいですかね?」
それを聞いてユウタは思わず、
「え?」
と声を出した。
アズミも、驚きの表情でニシキを見つめている。
「百聞は一見に如かず。
……使い古されたことわざですが、古かろうとやはり真実を言い表している言葉であることにはまちがいないでしょう。
実際にあなたたちのパーティーを、見て、そして聴かせていただきたい。
それが、ボクからのお願いです。
……あ、もちろん、チャージはちゃんとお支払いしますよ。
ゲスト扱いなど、していただかなくてもけっこうです」
ユウタは、意外な展開に少々うろたえたが、それでも冷静に応じた。
「……もちろん。
そういうことなら、大歓迎ですよ」
アズミも、戸惑っているような表情ながら、
「……ニシキ、ユウタ、ありがとう。
ぼくもそれがいいと思う。
ニシキの目と耳で、直接確認してもらえるなら、それが一番だと」
「では、これでとりあえずの合意ができましたね」
ニシキは言った。
再び不敵な笑顔を浮かべながら、手をユウタに差し出す。
ユウタはすぐニシキの手を握った。
「ユウタさん、楽しみにしてますよ。
そして、アズミもね」
アズミは無言でうなずいた。
ニシキを見つめ、次にユウタを見つめながら。
ユウタもアズミを見つめた。
……ニシキにも、最高と思ってもらえるパーティーにしような……。
ユウタは、心の中でアズミに語りかけるようにそう思った。
***
「えー?
その人が、うちらのパーティーに来んのー!?」
マキが素っ頓狂な声で叫んだ。
二人は、大学近くの公園にいた。
ベンチに座って、マキはユウタから会談の結果について報告を受けていたところだ。
ユウタは、まあ、当然そういう反応になるよな、と思いながら、
「ああ。
なんていうか、まるでニシキくんが視察に来るみたいな感じにはなるけど。
でも、彼にもオレらのパーティーを楽しんでもらえるならいいな、って思ってな」
マキは、少々心配そうな表情だ。
「……でもな、そうなるとアズミが一番やりにくくなるんとちゃう?
ニシキさんとうちらの間で板挟みになって、つらくならないかな?」
確かに、マキの言うとおりの状況も起こり得る。
でもユウタは、そうはならない、したくないと思っていた。
マキにゆっくりと説明するように話す。
「それについては、その後アズミと話した。
……だいじょうぶだ。
アズミはオレらのことを信頼してくれてるし、こう言ってくれている。
『ニシキは、いろいろと差別や偏見を受けてきたから、ぼくがユウタたちとのこのパーティーでも、同じ思いをしていると思い込んでる。
でも、それは事実じゃない。
……そのことを、ニシキにちゃんと理解してもらいたいと思ってる。
だから、ぼくもユウタたちみんなといっしょに、彼に最高のパーティーを見せて聴かせてあげたいんだ』
……ってな」
マキは少しの間、考えているように沈黙していた。
やがて、振り向いて笑顔でユウタを見ると、こう言った。
「……まあ、なんにしても、あたしらのパーティーがいつも差別も偏見も一切ない、楽しい、最高のパーティーなのは事実よね。
そやから、いつもどおりのパーティーをやれば、いいってことよね!」
ユウタは、マキにあらためて気づかされたように感じた。
そう、気負わずにいつもと同じようにやればいいんだ。
ユウタは、マキに微笑んでこう答えた。
「そうや。
そのとおり!」