第8話 「お初にお目にかかります。ロックハート侯爵様」
私がため息をつくと、ダリアは確信をもった顔をした。
「そのお姿で、何を言われるんですか。自信をお持ちください」
「姿って……」
ダリアは、本当におかしなことを言う。
私の身長は152センチ。あと5センチ伸びてくれたらと、何度、夜空の星に願っただろうか。だけど、十五歳の頃からは1ミリすら伸びていない。
踵の高い靴を履けば、なんとかそれなりに見える程度の背丈だろうけど、元から背の高いダリアの様な女性に、とても憧れるものよ。
ほうっとため息をついてダリアを見ていると、そっと手が握りしめられた。
「自信をお持ちください」
「……ダリアくらい背が高くてすらりとしていたら、ドレスも似合って素敵だったでしょうね」
「ヴェルヘルミーナ様は、世界で一番、可愛らしいです。私は足元にも及びません」
「……可愛いじゃなくて、美しいって言われてみたいわ」
爽やかに微笑むダリアを見て、毎朝鏡に映る自分の顔を思い浮かべた。
大きな緑の瞳が、もう少し切れ長だったら良かったのかもしれない。ふわふわの赤毛だって、さらさらのハニーブロンドだったら上品だったと思うの。
お母様似の髪や瞳に文句がある訳じゃないけど、どうも子どもっぽく見られるのよね。
ロックハート侯爵様とヴィンセント様は、私の姿をどう見るだろうか。
馬車の窓から覗いた街中で、仲睦まじく微笑む男女の姿が目に付いた。ヴィンセント様が、あんな風に微笑まれる方だといいのだけど。
脳裏に、にこりとも笑わない生真面目なお父様の顔を浮かべ、再びため息を零してしまった。
「ヴェルヘルミーナ様?」
「幸せな夫婦とは、どういったものなのかしら……」
「あまり難しく考えずともよろしいかと」
「嫁ぐのであれば、妻の役割というものがあるわ」
「そうですが、ヴィンセント様は女性に全く興味がないとの噂です。危険魔獣討伐の最前線に赴かれる死にたがり、という噂まである変わった御仁です」
「ダリア……その噂は、殿方の前では決して口にしない方が良いと思うわ」
「こういった秘密の話は、ヴェルヘルミーナ様にしか話しませんので、ご安心を」
ふっと笑ったダリアは、握っていた私の手をそっと放した。
女嫌いで、危険な魔獣討伐に向かう死にたがり屋。本当にそんな方が、この美しいリリアードを治めているのかしら。
「ヴィンセント様は、まるで、お父様のようね」
「亡きアルバート様ですか?」
「お父様は、政務こそお母様任せだったけど、あの第五師団をまとめていたのよ」
「第五師団は、昔から荒くれ者が多いで有名でしたね」
「ふふっ、お父様もなかなかの戦歴だったわよ。でも、魔術師の皆さんはとても優しくて……」
お父様についていった第五師団の砦は、いつも賑わっていた。その大半が、魔術師とは思えない屈強な男ばかりだったけど、皆、私のことを娘のように可愛がってくれた。ただ、幼かった私から見たら、戦士と見間違いそうな体躯をした魔術師は怖い大人たちだったのよね。
ふと、一人の若い魔術師を思い出した。
恐怖に泣き出してしまった私に、皆が困り果てる中、一人の青年が幻影の魔法を見せてくれたのよ。
殺風景な砦の一角に花が咲き乱れ、現れた蝶や小鳥の幻は私の周りを飛び回った。今でも鮮明に思い出せるくらい、とびっきり綺麗で、キラキラしていて──びっくりした幼い私は、涙を引っ込めて魔法に夢中になったわ。
その魔法を見せてくれたのは、美しい銀髪を風に揺らした青年。優しく微笑んだ彼は、幻の花を私の髪に挿してくれたのよ。まるで、お伽噺の王子様のようだった。
幼い娘も令嬢として扱うスマートな振る舞いだったから、どこか名のある貴族のご子息だったのかもしれないわね。
今もまだ、あの砦にいることはないだろうけど──思い返せば、あの時に感じた驚きが、初めての恋だったのかもしれない。
思い返したら頬が少し熱くなり、堪らず、とびっきり大きな息を吐き出してしまった。それを見たダリアは心配そうに眉をしかめる。
「ヴェルヘルミーナ様、ご不安でしょうが……」
「大丈夫よ、引き返すことが出来ないのは分かってるわ。それより、お屋敷に着くのは、あとどれくらいかしら?」
「もう間もなく到着します」
ダリアの言葉にうなずき、一度深く息を吸いこむ。
おぼろげな幼い記憶などに縋っている場合ではない。私の目的は、セドリックの為にレドモンド家を守ること。
継母を追い出せるなら、政略結婚も辞さないわ。
しばらくして馬車が停まった。
決意を新たにし、外に足を踏み出した私は、そのお屋敷を見上げて息を飲んだ。
バラの蔦に彩られた姿は、まるで絵本に出てくるような美しいお城だわ。馬車道を挟んで広がる庭園も、隅々まで手入れが行き届いているし、妖精がひょっこり顔を出しそう。
「やっと、会えましたね。ヴェルヘルミーナ嬢」
美しさに飲まれるようにしていた私に、穏やかな笑みを浮かべたご婦人が声をかけてきた。
優しい声は、まるで亡きお母様を思い出させるようで、胸が熱くなった。
「お初にお目にかかります。ロックハート侯爵様」
ドレスの裾をそっと上げ、足を引いて淑女の挨拶を披露する私の心臓は、緊張で早鐘を打っていた。
「どれほど今日を待ち望んだことでしょう」
「お茶会のお誘いを何度もお断りしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いいのよ。貴女の立場を、私なりに理解しているつもりです」
「ありがたきお言葉、感謝申し上げます」
「固い挨拶はそれくらいにしましょう」
侯爵様は私の手をとると、さあといってお屋敷に招き入れた。
まさか、手を引かれて歩くことになるとは思っていなかった。その手を払うことも出来ず、私は侯爵様についていき、そっとその表情を窺った。
とても楽しそうで、私の視線に気付いたらしい侯爵様は、こちらを見て慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「お茶の前に、ヴェルヘルミーナへ贈り物をしたいの」
「えっ!? そ、そんな、私なんかに」
「そんな謙遜しないで。貴女がお嫁さんに来るのを困っていることくらい想像つくのよ」
「……それは」
「大丈夫。貴女もお家も、家族も、ロックハートが守ります」
きゅっと手が握り締められた。まるで、この手を離さないというように。
「私の思いを分かってもらうためには、贈り物が一番だと思うの! お話をする前に、見てもらいたいわ。今日のために揃えたのよ」
「揃えた?」
不思議な言葉に首を傾げた私に、侯爵様は無邪気に微笑んで「見るまでのお楽しみよ」といった。
そうして連れてこられた部屋の前で、お屋敷の侍女たちが仰々しく扉に手をかける。
「ヴェルヘルミーナ、目を閉じて」
「目を?」
「驚かせたいのよ」
私の両手を握った侯爵様に従い、私はそっと目蓋を下ろした。
扉が開く音がした。手を引かれ歩みだし、柔らかいカーペットの上を歩くのを感じながら、私は仄かな明かりを感じた。
侯爵様が立ち止まり、その腕に少しぶつかりながら私も足を止める。
「目を開けて」
言われるがまま、そっと目蓋を上げると──
「こ、これは……」
「私からのプレゼントよ。気に入ってくれたかしら?」
広い応接室に並んでいたのは、ドレスやアクセサリーが飾られたトルソーの数々。
社交界に出たことのない私には縁のない、まるで花束のような鮮やかで美しい衣装が、窓から差し込む明かりを浴びて輝いていた。
次回、明日8時頃の更新になります
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