第7話 赤紫色をしたヒースの花が風に揺れる姿は、ざわめく心のよう
ロックハート侯爵の居城は、広大な領地の中で最も賑わいを見せるシェルオーブにある。レドモンド領からは馬車で十日もかかるし、そんなところに嫁いだら、そう簡単に家に戻ることは出来ないだろう。
それを考慮すると、継母が嬉々として縁談を進めようとするのは、ペンロド公爵夫人のためというのは建前ね。レドモンド家の財産を管理していた私がいなくなれば、好き放題出来ると思ったんじゃないかしら。
継母の持ち込んだ縁談騒動から一か月後。
私は馬車に揺られていた。今日までの日々を思い返すと、疲れがどっと押し寄せてくる。
あの日、私は早々にロックハート家へ確認の書状を出した。継母と交わした王都での会話は、単なる社交辞令ということもある。そうであってくれと思って待った返事には、一度お茶会をしましょうと書かれ、日時と場所が指定されていた。
お茶会の場は、ロックハート領の東に位置するメートランド地方で一番栄える地方都市リリアード。レドモンド家の領地からは、馬車で三日ほどの場所になる。魔術師第五師団の砦から近いこともあり、最初の面談には丁度いだろうと、ロックハート侯爵様が決められたのだ。
そのお茶会に、今、私は向かっているわけだが……
「ダリア……やっぱり、気が進まないわ」
「お屋敷のことでしたら、ご心配には及びません。私の両親が中心となって政務も取り仕切れるよう態勢を整えました」
「えぇ、ダリアのご両親のことは信じているの。でも、そうじゃなくて……」
馬車の窓から見える荒涼とした丘は、どこまでも続いている。赤紫色をしたヒースの花が風に揺れる姿は、まるで、私のざわめく心を現しているようだ。
「どうして、私なのかしら? 社交界に一度も出ていないのよ。顔だって知られてないわよ」
「何か、訳があるのかもしれません。ですが、こちらとしては渡りに船ですよ」
「そうかしら……いくら、我が家から第三王子妃を出したとはいえ、ペンロド公爵家の家門に変わりはないのよ。火種になるんじゃない?」
「諸侯の中でも、ミルドレッド様の評判は上々です。ロックハート侯爵様だけでなく、フォスター公爵夫人との交流も持たれているとお聞きしました」
さらに、ペンロド公爵家に連なる良家の婦人とも交流を持ち、まるで二つの公爵家の橋渡しのようになっているらしい。それだけでなく、対立する第一王子と第二王子の緩衝材ともなっているとか。さらに夫婦円満で、第三王子の溺愛ぶりがすごいと、もっぱらの噂なのは私も知っている。
私の不安を拭おうとするように、ダリアはお姉様の頑張りようをつらつらと話すけど、だからこそ、お姉様の邪魔になりたくないのよね。
魔術アカデミーでも常に上位の成績を修めていたお姉様。同時に家の政務も行っていたんだもの、王城でも王子妃として、しっかりと役目を果たせるだけの実力を持っているのよね。私には同じことなんて無理だろうけど……
「……私も役目を果たさないと」
継母の、無能な子を作れという言葉が脳裏に浮かんだ。勿論、それは私の役目なんかじゃない。レドモンド家を守ることが第一の役目よ。
お姉様の働きに比べたら、なんてことないわ。そう、自分に言い聞かせても、緊張で胸が締め付けられる。
「ヴェルヘルミーナ様、あの女の戯言などお忘れください」
「あの女って……」
いくら馬車の中にいるのが、二人だけとはいえ、思い切ったことを言ったものだ。思わずダリアの顔をまじまじと見てしまった。
涼やかな顔はいつもと変わらず、真剣そのものだ。
「商談に行く心づもりで、お願いします」
「そうね……」
「ヴェルヘルミーナ様の目的は、あの女を追い出すことだということを、お忘れなく」
「忘れてないわ。全ては、セドリックの為」
そう、この縁談を利用して、継母を追い出すのよ。
ロックハート家がどういった意図で私を迎えようとしているか、その真意は分からない。でも、領地を担保にして繋がるには申し分ない家よ。
若いセドリックの後ろ盾になってもらい、継母を追い出す協力をしてもらう。それが出来るのであれば、嫁いでからの私の立場なんてどうでも良いわ。
ヒースの丘を眺めながら、深く息を吸う。そうして心を落ち着かせようとしていると、ふと、幼い頃のことが脳裏をよぎった。
幼い頃、お父様と何度かリリアードを訪れたことがある。
夏になると、赤紫色に染まるヒースの丘が大好きで、何度も連れて行ってとお願いをしたわ。そんなワガママを言う自分の姿を思いだしたら、可笑しくなってきた。
どこまでも続くようなヒースの花が咲く丘に、思い出の風景が重なる。
そうよ。あの頃、お父様と仲が悪いなんてことはなく、ワガママも言っていたわ。お父様は困ったように笑って──幼い日を思い出そうとすると、どうしても違和感が込み上げてくる。
記憶に間違いなんてない筈なのに。
ヒースの丘を眺めていると、こんなにも胸の内がほっと温かくなるのに。どうして私は違和感を感じているのだろう。
「ヴェルヘルミーナ様?」
「ダリア……私が幼い時、ここに連れてきてくれたのは、お父様よね?」
「はい。私もご一緒させて頂き、砦でもお仕事を見せて頂きました。とても勉強になったのを覚えています」
懐かしそうに微笑むダリアに、そうよねと頷き返しながら、再び窓の外へと視線を向けた。
いつから、私はお父様にワガママを言わなくなったのだろう。お母様が生きていた頃は、お父様にお仕事へ行かないでとか、砦について行くとか言っていたわ。討伐遠征でなかなか帰ってこない日があったから、幼い私は寂しかったのね。
私はお父様が、大好きだった──?
やはり拭えない違和感に、私は小さく首を傾げた。
「ヴェルヘルミーナ様、リリアードの街が見えてきましたね」
「えぇ……ついに、ロックハート侯爵様とお会いするのね」
リリアードの街をぐるりと囲う石壁が見えてきた。さらに近づいた街の堅牢な壁は、鮮やかな花で彩られていた。
門を潜り抜け、街道を進む馬車の中から外を眺めた私は、無意識に感嘆の声を零していた。
なんて活気に満ち溢れているのだろうか。
通りには可愛らしいガーランドが下がり、街灯や馬車通りも色とりどりの花で飾られている。外は荒涼とした丘だったということを、一瞬で忘れてしまう程の極彩色だ。
「お祭りかしら?」
「この季節は、各地でお祭りが行われますからね」
「皆、とても素敵な笑顔だわ」
「リリアードは、ロックハート領の中心都市シェルオーブと、我らがレドモンド領を繋ぐ行路の中継地点です。宿場町としても栄えているのでしょう」
「他の領地へ繋がる行路も近いし、商人も集まる訳ね」
地方都市にしては、道をゆく女性たちも随分とオシャレで着飾っている。貴族でなくても、オシャレを楽しむ余裕を持つことの出来る庶民が多いのだろう。
ここを治める貴族の有能さをまざまざと見せつけられた思いだ。
「ここ一帯を治めるのが、ヴィンセント様だそうです」
「……そう。第五師団の長を務めながら、政務も熟すなんて並大抵のことではないわ。天は二物を与えず、なんて云われるけど」
キラキラと輝くように笑う町娘たちを見て、ずんっと胸の奥が重くなった。
私は継母の浪費癖から家を守り、なんとかレドモンド領を治めていた。このリリアードのように領民は笑って暮らしていただろうか。セドリックが治めやすい状態を築けていただろうか。
必死すぎて、領民の様子を見ることが出来ていなかったかもしれないわ。
紺のスカートを握りしめ、小さく息を吐くと、向かいに座っていたダリアが手をそっと重ねてきた。
「何を弱気になられているのですか。ヴェルヘルミーナ様も、天から二物どころでない才を与えられた方です」
「私が?……ダリアは、不思議なことを言うわね。私には、金勘定の才くらいしかないわ」
思わず苦笑って継母の様な事を言った私に、ダリアは目を見開いて驚きを露にした。
まったく、何をそんなに驚いてるのかしら。幼い頃から一緒に育ったのだから、私が魔法が使えない無能だって、ダリアも知っているのに。
次回、本日15時頃の更新になります
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