第5話 運命の足音は騒々しくやってくる
継母がペンロド公爵夫人の邸宅に向かってから、十日が過ぎた。
ペンロド公爵夫人は王都に住まわれている。レドモンド領からは馬車で片道四日ほどかかる。当然だけど、めったなことで夫人がレドモンド領を訪れることはないし、お茶会は王都の邸宅で行われる。
流行が生まれる、華やかな王都。
意気揚々と向かった継母が、遊ばないで帰ってくるなんてことはないだろう。少なくても五日は滞在するだろう。
その間は屋敷の中も穏やかで、笑顔が絶えない。私の仕事も捗って助かるから、継母がお茶会に出掛けるのはありがたかったりする。
「ただねぇ……」
帳簿を前にして、頭が痛くなった。とはいえ、この睨めっこは今日に限ったことではない。頭痛だっていつものこと。
継母には十分なお金を持たせているつもりでも、毎回、それ以上に使い込んでくるのよね。
王都まで出向いたときなんて、足りないとなれば借金をこさえて帰ってくる。どんなに執事が止めても聞く耳をもたないし、贅沢三昧は義務だといわんばかりの振る舞いをする。
きらびやかな格好で高笑いする継母の姿を思い浮かべ、気が重くなった。
「……ペンロド公爵夫人も、よく飽きずに、あの人を何度も呼び寄せるわ」
あんな品のない人、どこがそんなに気に入ったのだろう。有力貴族の出自って訳でもないのに。
継母は、西の外れにあったヘクター子爵の三男様の末娘らしい。遠い昔に爵位をはく奪され、一家散り散りになったらしいけど、あの人は魔法の才を見出され、中央で名を馳せた──という話を、亡きお父様から幼い時に聞いたことがある。
あの人が魔法を使ったところなんて一度も見たことないけど。
どんなに執事が止めても、持ち合わせが足らなくても、次から次にドレスや宝飾品を買ってくるのは、ある意味、才能だと思う。魔法とは全く関係ないけどね。
『お前は金勘定をするくらいしか出来ないのだから』
帳簿を見ながら、激高した継母の言葉を思い出し、たまらず深い息を吐いた。
その金勘定あっての贅沢だということを、あの人は微塵も分かっていないのよね。お父様がご存命の時は、もう少し大人しかったのに。
「……本性を隠していたのね」
ぽつり呟きつつ、ふと感じた違和感に首を傾げた。
お父様は仮にも、国の北東部を預かる魔術師団、第五師団の団長だった人よ。そのお父様が見抜けなかったなんてこと、あるのかしら。
顔を上げ、壁にかかる亡きお父様の肖像画を見つめる。にこりとも笑って下さらない姿は、当然だけど何も語ってくれない。で、も「お前には真実が見えていないのか」といっているようにも見える。
お父様は、いつだって厳しかったから、生きていたとしても、自分でどうにか道を切り開けとしかいわなそうだわ。
悶々としながら、幼いころ訪れたことのある第五師団の砦を思い出した。
決して、嫌な空気はなかった。むしろ、活気があって楽しそうに見えたわ。
お父様は師団で慕われていると、亡きお母様から聞いたこともあるし、皆がお父様を見る目は優しかったのを覚えている。幼ないながら、父を誇りに思ったものよ。
男の人が多かったかしら。でも、女性もいたわ。
師団の皆さんは本当に優しい方ばかりで、幼い私にもよくしてくださったわ。魔法が使えないことを悩んでいた私に「時が来れば使えるようになりますよ」と声をかけてくださった方もいた。その時、お父様も、そうだと言って微笑んでくださって──
あれ? お父様が、微笑んでいた?
遠い記憶を呼び起こしながら、再び、妙な違和感を得た。
商売や領地のことは亡きお母様に任せきりで、娘の私にはいつむ冷たい態度だったお父様。
本当に、冷たかった?
セドリックが生まれた頃は、もっと、こう──
小骨が喉に突っかかったようなもどかしさに小さく唸っていると、表が騒がしくなった。
馬車の停まる音が聞こえたけど、今日、来客の予定なんてあったかしら。
不思議に思って立ち上がり、窓に近づいたその時、ノックもなしにドアが開け放たれた。
「ヴェルヘルミーナ様、大変です! ケリーアデル様が、お戻りになりました!」
血相を変えて飛び込んできたダリアに促され、私は執務室を出た。
継母が王都に出向く時の滞在は、少なくとも五日間。今回も、往復の八日も合わせて十三日間は戻らないと、屋敷の誰もが思っていただろう。
「十日で戻ったということは、滞在はたった二日?」
「お茶会に参加しただけのようです」
「お継母様らしくないわ……」
継母が急遽戻ってきたということは、何か不手際があって機嫌を損ねている可能性もあるわね。若い侍女に八つ当たりなんてしていないと良いのだけど。
ドレスを摘まみ上げ、急いでエントランスに向かうと、私をヘルマと呼ぶ声が聞こえてきた。
やはり機嫌が悪いのか。私を探しているにしては、いつものような金切り声ではないし、どたばたと走る品のない足音も聞こえてこない。
とはいえ、悠長に構えている場合ではない。いつ機嫌が悪くなって、周りに八つ当たりを始めるか分かったものじゃないわ。侍女たちに、もしものことが起きて変な噂を立てられでもしたら大変だ。
殴られるのは、私の役目だもの。急がなくては。
角を曲がった廊下の先で、エントランスから繋がる大階段を上がってくる継母と出くわした。
「お帰りなさいませ、お継母様」
「ヘルマ、私の出迎えもせず、何をしていたの?」
「申し訳ありません。各方面への書状を認めていました」
「ふんっ、相変わらず、金勘定ばかりね」
階段を上がりきった継母は、何かを探るように私を見下ろす。冷ややかな視線がまとわりつき、身体のいたるところに刺さっていく。まるで値踏みをしているようだった。
ぞわぞわとする嫌悪感の中、逃げ出したくなる足にぐっと力を込め、私は姿勢を正した。
「お前なんかのどこが良いのかね」
「……えっ?」
「まぁ、顔は悪くないし、小さいくせに良い胸と尻をしてるから、好色爺なら好みそうだけど」
「な、なんの、お話でしょうか……?」
嫌な予感に、思わず口角を引きつらせると、継母はにいっと笑った。
「ペンロド公爵夫人に相談したのよ。お前に、ロックハートの女侯爵が近づこうとしているって」
低い声にドキンッと心臓が跳ねた。
ロックハート家から届いた手紙を、継母に見せたことはない。お茶会にだって一度だって出向いたこともなければ、行きたいなどと伝えたこともない。
ダリアと、ロックハート家を蔑ろにするのはどうかと何度か話したことはあるけど、まさか、それを聞かれていたのだろうか。迂闊だったわ。
背筋が冷えていく。
私の目を覗き込むように継母は顔を近づけた。それから視線を逸らすことも出来ずに硬直していると、赤い唇がつり上がる。まるで、何でもお見通しだと言わんばかりの薄気味悪い笑みに、私の心拍がひときわ激しくなった。
動揺を気付かれてはダメよ。
この人は些細な変化すら喜んで、私をなじる理由にするのだから。
「……ロックハート家と、お手紙のやり取りは何度かありますが、それらは、お姉様の為に──」
「お前の魂胆はどうだって良いんだよ」
「魂胆などありません!」
継母は手にしていた扇子をパチンっと鳴らして閉じた。
心臓が跳ね、背筋が強張った。
「夫人が、結婚を進めたらどうかと仰られたのよ」
「……結婚……なんのことですか、お継母様?」
「そんなにロックハートと仲良くしたいのなら、結婚すればいいわ」
「ど、どうしてそういうことに……そもそも、ロックハート侯爵様から、そういったお話をいただいたことは一度もございません!」
「その女侯爵に王都で会ったけど、お前の婚約を持ちかけたら乗り気だったわよ」
扇子の先端で肩をパシパシと叩かれ、私の背中を冷たい汗が伝い落ちた。
次回、本日13時頃の更新になります
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