第4話 無能な私の結婚は誰ため?
継母が私の名をヘルマと省略して呼ぶのは、そういう時だ。それは決して愛称などではなく、兵士とかけてつけた、質の悪いあだ名だけどね。
お姉様は私をミーナと呼んでくださる。セドリックもミーナ姉様と。亡きお母様もそうだった。
だから、初めて継母に「ヘルマ」と呼ばれた時、自分のことだとは思いもせず、返事をしなかった。そのことに対して、お父様は私を「お前と仲良くなろうと努力をするケリーアデルの気持ちが分からないのか!」と散々叱りつけた。
幼かった私は、お継母様が愛称で呼んでくれたのだと受け止め「ごめんなさい、許してください」って、泣いて頼んだ。思い返せば、愛されたい一心だったのよね。
でも、それは幼い頃の話。
今はその意味を知っているし、そこに愛情なんて欠片もないと分かっている。あの人にとって私はただの駒、使い勝手のいい兵士にすぎないって。
姿勢を正した私は、継母の登場に身構えた。
さぁ、今回はどんなワガママを突きつけるのかしら。もう、幼い私とは違うのよ。
涙一粒、見せるものですか。
勢い良く扉が開かれる。
姿を現した継母は、金糸の刺繍でごてごてと彩られた真っ赤なドレスの裾を、これ見よがしに翻した。
「ヘルマ! どういうこと!?」
厚化粧の継母は、足を鳴らして執務机の前に立った。
「どうされましたか?」
「どうもこうもないわ! ペンロド公爵夫人のお茶会に呼ばれていると言ったでしょ。なのに、新しいドレスが出来上がっていないのは、どういうこと!?」
継母は扇子をパチンと閉じると、その先端を私の頭に叩きつけた。
衝撃に奥歯を噛みしめ、机に突っ伏しなかった自分を心の中で褒めたたえ、私は姿勢を正した。
「毎回、同じドレスでは失礼だと思わないの?」
「我が家の財力では、お茶会の度にドレスを新調するのは無理です」
「宝石だって、もう何回も使いまわしているのよ!」
「では、不要な宝石をお売りになってください」
「何故、私の宝石を売らなくてはならないのですか!?」
「しがない地方領主では限界があります。聡明なペンロド公爵夫人でしたら、ご理解くださるでしょう」
「お黙りなさい! 知った口をきいて。生意気な!」
再び振り上げられた扇子の先端が、私の頬を強かに打ちつけた。
口の中に血の味が広がる。
「お前が無能だから、母親の私がこんな惨めな思いをするのです!」
「……申し訳ありません」
着飾って贅沢三昧をすることしか能のない継母に歯向かうことも出来ず、私は首を垂れて瞳を伏せた。
これ以上、顔を殴られたら屋敷の皆に心配をかけてしまう。
継母から見えないところで拳を握りしめ、歯を食いしばったその時だ。
「ケリーアデル様、先週、ヘイゼル伯爵夫人とのお茶会で身につけられたブローチは、まだ公爵夫人へお見せになっていないと思います」
「ブローチ?……そうね。あの柘榴石なら見栄えも良いわね」
「それと、先日お求めになったステラ・シュタインのショールを合わされては、いかがでしょうか」
淡々と告げるダリアに、不愉快そうな顔をしていた継母だったが、ステラ・シュタインの名を聞いた途端にぱっと顔を輝かせた。
その名は、近年、王都で大人気の服職人のものだ。当然、地方にいてはリボン一つを手に入れるのも苦労するし、ショールともなれば貴夫人たちの羨望を一身に受けるようになる。
ふんっと鼻を鳴らした継母は、私に蔑んだ瞳を向けた。
「誰のおかげで、公爵夫人を始め多くの貴族と繋がりを持てているのか、よく考えなさい!」
それは、先祖代々が守ってきた領民の作る魔法繊維のおかげです。と言う訳にもいかず、静かに「お継母様のおかげです」と返せば、音を立てて扇子が広げられた。
「お前は金勘定をするくらいしか出来ないのだから、この母に惨めな思いをさせるんじゃありませんよ。分かったら、新しいドレスの注文を急ぎなさい、ヘルマ!」
身勝手な言葉を並べ立てた継母は、高笑いをしながら執務室を出ていった。
どっと疲れを感じながら、叩かれた頭を抱えた。こんなことで泣いていたら身体がもたないとはいえ、痛みを感じないわけではない。
「ヴェルヘルミーナ様、お助けできず申し訳ありませんでした」
「いいのよ。あの程度なら慣れているわ」
ダリアに心配をかけまいと、なんとか笑顔を維持する。だけど、彼女は少し傷ついたような表情を浮かべて頭を下げた。
「それより、ステラ・シュタインのことを思い出してくれて、ありがとう」
「もっと早く申し上げるべきでした」
「そんなことはないわ。どのみち、あの人は私を叩かないと気がすまないもの。しばらくはステラ・シュタインのショールを自慢げにつけて行ってくれるといいんだけど」
それも一ヶ月もつかどうか。
根本的に、継母を大人しくさせる方法が見つかればいいんだけど。例えば巷の小説のように、悪女を断罪出来たら良いのに。でも、そう簡単に継母を追い詰める材料が見つかるかしら。
私への暴力だって、亡きお父様の遺言にある「躾」の範囲だと言い逃れるだろうし、そもそも、証拠がない。
椅子の背もたれに体を預けると、ダリアが「失礼します」と言って私の頭に手を添えた。
ズキズキと脈打っていた頭に、ひやりとした空気がのしかかる。でもそれは不快な重さではなく、じわじわと熱を包み込んで和らげてくれる心地よいものだ。
「ダリア。いつも、ありがとう」
「私の氷の魔法が役立って光栄です。頬も、腫れておりますね。そちらも冷やしましょう」
ダリアの白い手が、頬に添えられた。
熱を持った頬が赤く腫れているだろうことは、鏡を見ないでも分かる。毎日のように、どこかしらを叩かれ、蔑まれるのには慣れている。とはいえ、痛みに慣れるわけではない。
この痛みや熱を、ダリアは幼い時から癒してくれた。彼女がいなかったら、もっと早くにくじけて部屋の隅で丸まっていただろう。
痛みが引いていくと、自然と安堵の息がこぼれ落ちた。
「ありがとう。屋敷の皆を驚かせてしまうところだったわ」
「……そういうことではないと思うのですが」
「なら、どういうこと?」
「ヴェルヘルミーナ様は、ご自身がご令嬢であるということを認識されるべきです」
「それくらい分かっているわ。今、レドモンド家を支えられるのは私だけよ」
「そういうことでは……顔に傷がついたら、社交界に出るのが難しくなりますよ」
「社交界に出るのは、お継母様が許さないわ。私は、病弱で表に出せないってことになってるのだから」
継母は、私を嫁がせるどころか、表に出す気すらない。
嫁げといわれたとしても、セドリックが家に戻ってからでないと不安で仕方ないけどね。私がいなくなった途端に、継母が散財して家を潰しかねないもの。
「セドリックが家督を継ぐまでは、私が家を支えるわ」
「しかし……」
「嫁いで家を支えるのは、最終手段よ」
次女という立場を考えれば、少ない土地を持参金として嫁ぐのが良いに決まっている。それも、レドモンド家に資金提供が可能な侯爵家へ。
それが不可能なら、レドモンド女子爵として入婿を迎えるか、最悪、養子を迎えるということも考えた方がいい。そうすれば、領地の一部を管理しながらセドリックを補佐できるし。
レドモンド家を繁栄させるため、亡き父が持っていた複数の爵位から、子爵位は私が継いだわけだし、そこを大いに利用することも考えている。
「でも、このままではご結婚の適齢期を過ぎてしまいます」
「それは……ペンロド公爵夫人も、適齢期を過ぎてのご成婚でしたけど、立派にお家を支えていらっしゃるでしょ」
「ここでもペンロド公爵夫人、ですか……」
心底嫌そうに、ダリアは顔をしかめる。
昔から、彼女は夫人にあまりいい感情を持っていないのよね。曰くありと云われ続けたペンロド公爵家を立て直した、ご立派な方なのに。
ペンロド公爵家は何代も子宝に恵まれず、公爵家の中では領土が少なく財力もないと云われてきた。
そこに嫁いだのが、二十三歳だったペンロド公爵夫人であるドロセア様だ。
口さがない者たちが、ペンロド家はまた若い娘を迎えられなかった。子に恵まれない呪いでもかけられているのだろうと、笑ったらしい。
だけど、夫人はそれから三十五歳を迎えるまでに、三男五女に恵まれた。
「凄いのは子宝の話だけじゃないわ。夫人の手腕で、ペンロド公爵家は有力貴族や他国と繋がりを持てた。今や第二王子の後ろ盾よ。結婚適齢期が十八歳なんてことはないわ」
「確かに、ペンロド公爵夫人は凄い方だと思います。でも、その急成長ぶりを妬む貴族も増え、危ういお立場になったのではありませんか」
「そうね……でも、家を守るにはそうするしかなかったんじゃないかしら?」
「お家のためとも考えられますが」
「私たちにとって、結婚ってそういうものでしょ」
有力貴族は諸侯、他国の姫君を迎えることで領地を広げ、財力武力を成す。そして、夫人は子を成してその手助けをする。それが淑女レディの役割であり幸せなのだと、私も幼い頃から教育を受けていた。
結婚していない私では、そこに幸せがあるかなんて分からない。
でも、セドリックの為に家を守れることが、今は何よりもの幸せよ。その為に政略結婚が必要というなら、きっとそこに幸せがあるんだと思うわ。
次回、明日8時頃の更新になります
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