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第20話 無能と罵られた令嬢は継母を認めない

 私の宣言に、ケリーアデルが目を見開いた。


「何を言うの!? 私は、アルバートと結婚の署名をしたわ!」

「それは認めます。ですが、その父は家に寄り付かず、リリアードの魔術師団で日々を過ごすようになりました」

「それは、あの人の仕事が忙しくてのこと!」

「えぇ。ですが、月に数度はお戻りになった。複数の侍女に確認しましたが、その間、父が貴女と夜を共にされたことはありませんでした」

「そ、それは、アルバートが疲れているだろうと思ってのこと!」


 そう、レドモンド本邸にいらした時のお父様は、とても疲れていた。お母様がお元気だった頃は、魔術師団との行き来を苦にすることなんてなかったのに。そうして、お父様が執務に手が回らなくなり、継母はあたかも女主のよう屋敷で振る舞うようになった。


 まるで、お屋敷に戻るのを嫌がっているようだと、幼い私は感じていた。

 きっとお仕事でお疲れなのよ。だから、私のことを気にかける余裕がないのも仕方ない。お継母様がいうように、お疲れなのだから近づいてはいけない。──待つことも愛なのだと、幼い私は思い込まされていた。


「貴族というのは血を重んじます。女は子を成さなければ認められません」

「レドモンド家には、すでにセドリックがいるでしょ! あなた達は小さかった。だから、私は教育を──」

「多くの子がいれば多くの貴族と繋がりを作れます。それに、私の養育がされた事実はありません」

「何をいいだすの!? 無能なあなたに私がどれだけの本を与え、読み書きを教えたのか忘れたの!?」


 金切り声がむなしく響いた。

 そうね。レドモンド家の書庫に閉じ込められ、目の前に難しい本を山積みにされ、読み終わるまで出てくるなといわれたことを覚えているわ。

 お腹がすいて泣いていたら、お姉様とダリアがこっそり、ナッツやクッキーを持ってきてくれた。それをポケットに忍ばせて、ひたすら本を読んだわ。


 物は言いようね。あれが教育だなんて、笑っちゃう。


「……ダリア、鏡をこちらに」

「はい、お嬢様」


 控えていたダリアは、失礼しますと言って立ち上がると、数名の使用人を従えて屋敷へと入っていった。


 しばらくして戻ってきた彼女たちは、私の側に大きな姿見を立て掛けた。

 なんの変哲もない磨かれた鏡が、私の花嫁姿を映している。


「あなたが、教育と称して私にした仕打ちをここで話せますか?」

「な、何を言うの……私は、ちゃんと、淑女の教育を!」

「私はその扇子が嫌いでした。私の頭を、頬を、身体を叩くその扇子が!」


 思い出すだけで体が痛む。心が苦しくなる。

 頬が涙を伝った時、ヴィンセント様が優しくそれを拭って下さり、静かに額に口付けてくださった。


 そう、もう泣くことなどないのだ。今日をもって、全ての真実を明るみに晒すのよ。


 額が熱くなる。


 私になら出来る。全てを、私の受けてきた痛みを、ここに──


「ヴェルヘルミーナ、さぁ、君の記憶の扉を開くんだ」


 ヴィンセント様の、耳に心地よいバリトンボイスが響くと、鏡にぼんやりと何かが浮かび上がった。それは次第に鮮明なものとなる。


 映し出されたのは、幼い私。

 暗い書庫で、重たい本を投げつけられ「許してください、お継母様」と繰り返し訴える姿だった。


 叩きつけられ、汚れた水を浴びせられ、引きずられながら連れていかれたのは狭い屋根裏部屋。そこに押し込められる姿は、貴族の子女には見えない。使用人だってもう少し小綺麗な服装をしているだろう。


 みすぼらしさで、ぼろのような服を着せられた幼い私は、罵詈雑言に耐えながら震えていた。


 あぁ、やっと出来た。

 これが私に目覚めた能力──記憶を映し出す力。もう、私は無能なんかじゃない!


 フォスター公爵夫人が眉をひそめて顔を逸らし、その肩を公爵様がしっかりと抱きしめられた。ペンロド公爵夫妻は黙って鏡を見つめ、そろって顔面を青くされている。


「こ、こんなの……まやかしよ! こんな嘘……誰、誰かが魔法で作り出しているに違いないわ!」

「これは全て、私の記憶です」

「嘘よ……こんな、こんなの……だって私は、夫に……子ども達を託されたのよ。その証文だってあるわ!」


 髪が乱れるのも気にせず、頭を振って主張するケリーアデルの必死さに、私の心は冷めていく。


 自分の非を認めず、必死に己の立場を守ろうとしている。今でもレドモンド家の財産を自分のものにしようとしている。なんて醜いのだろう。貴族としてあるまじき姿だわ。


 この人に、一時でも認めてもらいたい、愛がほしいと思っていたなんて……私は、なんて滑稽(こっけい)なのかしら。


 唇を噛み締めると、横にいたヴィンセント様が控えていた使用人へと視線を送った。

 使用人は蓋の開けられた箱を差し出した。そこには、赤い布に包まれたものが置かれている。


「証文とは、これのことか?」


 ゆっくりと布が払われると、封蝋のされた手紙が日差しを浴びてきらりと光った。


 丁寧に切られた上辺から、ヴィンセント様は便箋を取り出す。そうして、そこに書かれた一言を読み上げた。


「子ども達が成人するまでのことは、ケリーアデルに任せる」


 ヴィンセント様の静かな声を聞いたケリーアデルは、口角をあげて「そうよ!」と叫んだ。ほら見なさい。私が正しいのよといいたそうね。いいえ、きっとそういうわ。

 だって、これがあなたの切り札でしょうから。


「そこに書かれていることが真実よ! 私はあの人に、子どもたちを任されたのよ。だから、私の承認のない結婚なんて無効よ!」


 形勢逆転だと言わんばかりに、ケリーアデルの高笑いが響く。

 だけど、彼女以外は誰一人として笑っていない。


 無能の呪いに囚われていた私だったら、この偽りだらけの手紙に縛られていただろう。

 でも、今はこれが真実だなんて欠片も信じられない。


 だって、ここに綴られた文字は、お父様の字と似ても似つかないもの。捺された封蝋だって、お父様の印章じゃない。

 どうして、我が家の誰もがこれを本物と思い込んでいたのか。


「この封蝋は、我がレドモンド家の印章ではありません」

「──!?」

「亡きレドモンド卿が、異なる印章を捺すとは思えない。ケリーアデル、お前は大きな過ちを犯したな」


 ヴィンセント様の声には、確かな圧があった。それにたじろいだケリーアデルは唇を噛む。


「封を開けようとしたとき、貴女はお父様から預かった証拠だからと、封蝋が砕けないように開けるよう進言されたそうですね。当時、立ち会いの場にいた使用人が教えてくれました」

「……当然でしょ! それがなかったら、中身が夫の書いたものと認めないって言われかねないわ。亡くなる前、あの人は字を書くのもやっとだったのだから!」

「……お父様に無理やり、書かせたのですね」

「違うわ。あの人は自分の意思で書いたのよ!」


 こんな、ミミズが這ったような文字、誰がお父様のものだと信じるの。あれほど厳格で姿勢正しく生きてこられたお父様の、最後の文字がこんなものだなんて。


 私の頬を、冷たい雫が落ちた。

 言葉をつまらせた私の代わりに、ヴィンセント様がひときわ低い声でケリーアデルに告げる。


「よく書かせたものだな。しかし、それがお前のしでかした過ちだ。本人の意思で書かれていない文書は認められない」

「夫の意思よ!……私は夫の遺志を守ってきたのよ!」


 あくまで、中身を正規のものだと言い張るケリーアデルに、私は深く息をついた。本当に、この人は救いようがないわ。


「中身はお父様の字とは思えない酷いものです。でも、当時のお父様はペンを握るのもやっとだったでしょう」

「そ、そうよ! どうせ、綺麗に書かれていたら、それだって書かせたというのでしょ。お前は、私のいうことが聞きたくないから、デタラメばかり並べているのね。本当に、無能だわ!」

「中身が本物かは、この際、どうでもいいことです」

「……何をいってるの?」

「この封蝋が偽物であると認められた時点で、文書は無効となります」

「──っ!?」

「もしも、この封蝋が砕けるように開けられていたなら、偽造であると気付けていませんでした」


 封蝋をケリーアデルにも見えるよう、私はそっと封筒を持ち上げた。


 そう、当時は誰も気づかなかった。


 私はまだ幼かったから見せてもらえなかったし、お姉様やダリアのお父様ですら気付けなかった。それくらい丁寧に偽造された印章なのだろう。

次回、本日13時頃の更新になります


残り3話で完結の予定となります。どうぞ、最後までお付き合いください。



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