第2話 弟から届く手紙を読むことが、無能な私の幸せです
アデルハイム国の現国王は御年五十六歳。まだご健在で国務の中心にいらっしゃる。
お姉様が第三王子エヴァン殿下とご成婚された折、一度だけお話をすることが出来た。とても優しく微笑まれる方だったのを覚えているし、お父様に爪の垢を煎じて飲ませたいって、幼かった私は思ったものよ。
だって、お父様はいつだって継母の味方で、私には冷たい眼差ししか向けてくれなかったんですもの。
頭を撫でてなんて我が儘を言わないから、せめて、昔のように私をヴェルって呼んで欲しかった。
でも、そのお父様も、お姉様のご成婚から三年後に、急な病で──もう一度だけで良いからと願った幼い私の小さな夢が叶うことは、未来永劫失くなってしまった。
月日が過ぎるのは早いもので、あれから三年も過ぎたのね。
亡きお父様の執務室で、届いた手紙を仕分けながら物思いに耽っていると、一通の手紙が目についた。帝国のファレル伯爵領にいらっしゃるお祖母様のもとで、勉学に励む弟のセドリックからのものだ。
手紙の束を執務机の上に置き、それを開くと無意識に口元が緩んだ。
父の葬儀の後、セドリックはお祖母様と一緒に帝国へ行ってしまった。それっきり会えていないけど、毎月のように手紙が届く。それを読む時間は、何よりも幸せなひと時だわ。
今月の手紙には、秋から帝国の魔術アカデミーに通うとか、お祖母様の植物園で薬草を育てる手伝いをしていると、楽しそうな様子がびっしり綴られていた。
最後に、はとこのライサに贈り物をしたいのだけど、何を贈れば良いのか悩んでいるとか、微笑ましいことが書いてあったのは意外だった。
これは、俗にいう恋の相談というものかしら。
泣いて私と離れるのを嫌がったセドリックだけど、成長しているのね。それに、恋を覚えるくらい豊かな心を育めているってことは、充実した日々を送れている証ね。
お祖母様に預けて正解だったわ。
少しだけ寂しさと共に弟の成長を感じ、私は胸の奥を熱くした。
ライサには、あなたの選んだリボンと一緒にお菓子を贈ったらどうかしら。私であれば、それだけでも嬉しいものです。そう手紙を書こう。
豪華なものでなくても良い。それに、宝石とドレスを贈るにはまだ早いでしょうからね。
手紙をそっとしまうと、見計らったように執務室のドアがノックされた。
「どうぞ」
「ヴェルヘルミーナ様、お茶をお持ちしました」
姿を見せたのは、私の幼馴染でもある侍女のダリアだ。デール子爵の三女で、私の三つ年上になる。
そろそろ結婚をしたらと言っても「ヴェルヘルミーナ様が良き伴侶を得るまで、お側に仕えます」の一点張りなのよね。
栗色の髪は、髪一筋のほつれも許さないとばかりに、きっちりと濃紺のリボンでお団子に結い上げられている。服装も飾り気のない紺のドレスで動きやすさ重視。何から何まで頑固なダリアらしい格好をしているけど、切れ長の緑色の瞳は、夏の山々を思わせるような深い色をしていて、とても美しいの。
せっかくの美人なのに、行かず後家になるなんてもったいないわ。
じっと視線を送っても一切動じないダリアは、運んできた質素なティーセットを机の端に置いた。その横には、可愛らしい焼き菓子の載る小皿が置かれる。
「お菓子をつける必要はないって言ったでしょ?」
「朝食を、あまりお召し上がりにならなかったので、料理長が心配していました」
今朝は、いつも昼近くまで起きない継母が、珍しく朝食を食べると言って食堂に現れた。
無能の顔を見ていると食事がマズくなる。そう言われるに決まっているから、食卓が騒然となる前、私がいなくなるのが最善策だったりする。
だから、私は食事を始めたばかりで退席したのだけど。今朝は料理長に気を遣わせてしまったのね。
「朝のお食事を執務室に運びますか?」
「ダリア、私を早朝からここに軟禁するつもり? まぁ、そのことはまた後で話しましょう。それより、届いたお茶会の誘いへの返事、代筆をお願いしたいの。私の分はお断りでね」
「分かりました。ケリーアデル様へのお誘いは、いかがいたしましょうか」
「お継母様の分は、日にちが早いものから出席のお返事を。日が重なるものは、お伺いを立てます」
「かしこまりました。早急に取り掛かります」
手紙の束をざっと見て、送り主を確認した彼女は小首を傾げた。
「お嬢様、また、ロックハート侯爵家からお誘いが来ています」
「お断りして」
即答すると、ダリアは切れ長の瞳を少し見開いた。
お姉様がご成婚されたことで、ロックハート家とレドモンド家の関係は近しいものとなった。とはいえ、ロックハート侯爵様とペンロド公爵夫人の仲はあまりよろしくないから、交流を持つことが難しい。
継母はペンロド公爵夫人から特に目をかけられてるし、夫人のご機嫌とりに忙しい。だから、ロックハート家と近づくものなら、すぐ告げ口をするに決まってる。
出来れば、お姉様のためにも関係を構築したいのだけど、そうもいかないのよね。
「本当に、お断りしてよろしいのですか?」
「お茶会は、お継母様が許してくださらないわ」
「ですが、これほどご執心ということは、お嬢様とご令息の縁談をお考えなのではありませんか? 確か、三男様が十六歳になられたはずです」
「まさか! いくらなんでも、それは考え過ぎよ」
「そうでしょうか? それに、ミルドレッド様のお立場を考えれば、もう少し交流を持たれた方がよろしいかと」
「……それはそうなんだけど」
珍しく一歩も引かないダリアは、厳しい眼差しを私に向けた。
「いい加減、ご自身の幸せをお考え下さい」
それは、結婚しろってことかしら。
返答に困って押し黙ると、ダリアは小さくため息をついた。
「お嬢様、ご縁談の話がいつまでも来ると思ってはいけませんよ」
「……その言葉、そっくりダリアにお返しするわ」
「私は、一生ヴェルヘルミーナ様をお守りすると誓いましたので」
「結婚しても、私に仕えることは出来るでしょ?」
「お嬢様の助けとなれる縁談であれば、応じましょう」
「そうじゃなくて!」
思わず声を荒げ、すぐに深く息を吐いた。
ダリアは本当に頑固だわ。
「結婚だけが幸せとも限りません。私は、こうしてヴェルヘルミーナ様にお仕え出来ることが一番の幸せなのです」
「……だったら、私も、セドリックがこの家に戻るまで、ここを守ることが幸せよ」
「家を守るための後ろ盾を手に入れ、かつ、良き伴侶を得られれば、最善ではありませんか?」
お茶会の誘いが綴られているだろう手紙の束を、扇子のように広げたダリアはにこりと笑った。
「……そうね。後ろ盾とするなら、伯爵家かそれ以上の爵位をお持ちの家でなければならないわね」
「子爵家では心もとないですし、男爵家はもってのほか。どこも、お嬢様をお嫁に欲しいといいますが、ここの領地を狙ってのことでしょう。となれば」
私へ届いた手紙の中から、子爵家、男爵家のものをダリアは引っ張り出して脇に置いていく。
最後、その手に残ったのは、たった一通だ。
「やはり、ロックハート家が最良でしょう」
「だから無理よ。お継母様が許さないわ」
そう告げれば、ダリアは小さく舌打ちをした。時々、ものすごくガラが悪くなるのよね。私以外には見せない姿だけど、この淑女らしからぬ態度、いつか誰かが見るのではと心配でならない。
「ご縁談は難しいとしても、ロックハート家とは懇意にすべきだと思います」
「でも、ロックハート家はフォスター公爵家の家門よ。あまり深入りしたら、ペンロド公爵夫人の怒りを買う可能性もあるわ」
ロックハート家から届いた手紙を見て、私は小さくため息をついた。
次回、本日15時頃の更新になります
続きが気になる方はブックマークや、ページ下の☆☆☆☆☆で応援いただけますと嬉しいです。応援よろしくお願いします!↓↓