第17話 眠る前のひとときに語られる衝撃の事実
部屋に入ってきたヴィンセント様は、手に持っているトレーをベッド横のナイトテーブルに下ろした。
「そこで侍女殿に会ってな。ハーブ水を預かった」
「えぇ!? そ、そんな、ヴィンセント様自らだなんて」
「ははっ、侍女殿にも言われたよ」
グラスにハーブ水を注いだヴィンセント様は、私の横に腰を下ろすと、それを差し出して微笑んだ。
「二人でゆっくり話したかったんだ。起きていてくれて良かった。眠くはないかい?」
「えっ、あ、あ、はい……」
そう言われて、寝たふりをしていれば良かったのかと気づいた。だけど、もうどうすることも出来ない。
グラスを受け取り、もじもじと俯いていると「ハーブ水は苦手か?」と尋ねられた。
「いいえっ。いただきます」
慌ててグラスを傾けたけど、香りなんてちっとも分からないわ。ドキドキと緊張していると、ヴィンセント様が「今日は驚いただろう?」と静かに問いかけてきた。
横を見ると、優しい眼差しを向ける綺麗なお顔がある。きっと、いくら見つめても飽きることがないだろう。
昨日、亡きお父様を重ねて緊張していたのが嘘みたいに、今は彼の表情を追ってしまう。何をお考えなのかしら。私を見つめて、何を思っているのかしら。
グラスから仄かな香りが漂ってきた。
「……正直、今でも混乱しています」
「そうだろう」
「社交界に出ることのなかった私は、貴族の相関関係も書面上のことしか知りません。他のご令嬢より、噂にも疎いです」
「ああ、事情は分かっている」
「ですが、どのご令嬢よりも多くの本を読んでいると自負しております」
魔法が使えないからこそ、人より多くの知識を求めた。魔法に代わるものを探し、算術、歴史、薬学、経営学、数えきれない学術書も読み漁った。
お金を数えるのも、交渉の場で銭ゲバ商人に負けじと喋るのも、全部、令嬢らしからぬ姿だろう。
ヴィンセント様から視線を逸らし、グラスをぎゅっと握りしめ、地味なドレス姿をした私の姿を思い浮かべた。
社交界に立てるわけもない、地味な女。こんな私が、真っ当な婚姻を結べるなんて思ってもいなかった。だから、ヴィンセント様との婚姻だけでも、青天の霹靂だったのよ。なのに──
「アーリック族のことも、多少は存じていました。しかし、魔女の話は見たことがなく……さらに、その片方が私で、私の前はヴィンセント様の実母様だった……言葉にするのは簡単ですが、まだ、信じられません」
「そうか」
「私に、大層な力はございません。幻惑の魔女を封じる力なんて……」
「私の母も、そうだった」
俯きかけた私に、ヴィンセント様はそっと語りかけた。
空のグラスが取り上げられ、ナイトテーブルに戻される。
グラスで冷えた私の手を、ヴィンセント様の大きな手が包み込んだ。
「私の亡き母は、魔法が使えなかった」
「えっ!?」
ヴィンセント様のお母様も!?──思わず声に出しそうになり、私はグッとこらえた。だけど、驚きを隠すことなどできず、瞳を見開いて彼を振り返った。
嘘をつく人じゃないだろうけど、でも、私を安心させるために作り話をしているのかもしれない。
何が真実なのか探るように、ヴィンセント様をじっと見つめた。
「魔力はその体内にあった。だけど、どういうわけか、火を点すことすら出来なかったそうだ」
「……それは、お辛かったですね」
「いいや、そうでもない。魔法が使えなくても死ぬことはないと、両親──私の祖父母は笑い飛ばして、母を外に連れ出したそうだ。魔法に代わるものを学ばせようとしたのだろう」
その言葉に、幼い私の姿が重なった。
魔法がなくても、お姉様の力になりたい。セドリックのために家を守れる知識が欲しい。
私は必死だった。
「そうして、父と出会い、魔法のことを一から学んだそうだ。その時に、義母上とも親しくなったと聞いている。むしろ、義母上との交流が深かったそうだ」
「……複雑なご関係ですよね」
「そうだな。私にも両親たちの関係性はよく分からない。だけど、亡き母のことを語る義母上はとても幸せそうな顔をされるよ」
目を細めて笑うヴィンセント様に、私も頷いた。亡きクレア様のことを話してくださっていたローゼマリア様の瞳には、憎しみや嫉妬のような感情は欠片もなかったもの。
「魔力がなくても、大切な人を助けたい。それが亡き母の口癖だった」
「大切な人を……」
「私を身籠ったのも、義母上を助けたい一心だったそうだ。幼い頃から、耳にタコが出来るほど聞かされたよ」
「えっ!? あ、あの、そんなに幼いときから?」
「ああ。物心ついた頃から、包み隠さず話された。そうして、母は義母上を母として敬うようにと、常日頃いわれていた。ローゼマリア様がいなければ、貴方は生まれなかった。私たちはローゼマリア様のお優しさに救われたのです、とね」
ヴィンセント様の二人のお母様は、なんてお優しいのだろうか。
複雑なご関係だというのに、お互いに思いやり、ご子息をこんなにもお優しい方へと育てられた。
私の頬を、熱い涙が伝い落ちた。
「魔力がなくても、お幸せだったのですね」
「それだけではない。母の内側にあった魔力は、ある時、突如として解放されたのだよ」
意外な告白に、私の涙は引っ込んだ。
魔法が、解放された?
言葉の意味が分からずに目を白黒させていると、ヴィンセント様は私の頬を濡らしていた涙を拭った。
「ヴェルヘルミーナ、心配することはない。貴女の胸の奥に輝く魔力は確かにある。私にははっきりと見える」
「……見える?」
「ウーラのいっていた能力を持つのは、幻惑の魔女と覚醒の魔女だけではない。世の中には、様々な能力を持った者たちがいる。私は、魔力の色を見ることが出来るんだ」
「魔力の、色?」
「持っている魔力の本質によって、様々な色が見える。人だけではない、動植物、魔物、様々なものの中にある魔力の善し悪しが見える能力だ」
大きな手のひらが、私の両頬を包み込んだ。
「ヴェルヘルミーナの魔力は、とても強い輝きを持った純白だ」
「私の、魔力……でも……」
魔法が使えないと出かかった言葉を飲み込んで、ヴィンセント様から視線を逸らした。
クレア様のように突如、私も魔法が使えるようになるのかしら。そんな奇跡が、起きるというの?
鼓動が激しくなり、無意識に肩が上下した。
「大丈夫だ。もう、何も隠すことはない」
まるで、私が魔法を使えないと知っているような口振りに、さらに鼓動が跳ねる。
話していいの?
私が無能だと罵られた理由を。貴方に嫁げと言い渡されたのは、無能な子どもを成すためだっていうことを。
「ヴェルヘルミーナ、魔法の使えなかった母から生まれた私は無能だろうか?」
「──!? い、いいえ。そのようなことは決して!」
「何も心配することはない」
穏やかな微笑みに、肖像画の中にいたクレア様と、ローゼマリア様が重なった。この方は、本当にお優しいのね。
私を傷つけないよう言葉を選び、私が自ら打ち明けることを待ってくださっている。
大きな手に、私はそっと手を重ねた。
「私も……魔法が使えますか?」
声と一緒に震える指が握りしめられ、私は強い力でヴィンセント様に引き寄せられた。
顔を上げることも出来ず、彼の胸へと頬を押し付ける。とくとくと響く心音が心地よく耳を叩いた。
「必ず使えるようになる。私が、その魔力を解放しよう」
顔を上げなくても、ヴィンセント様が静かに笑みを浮かべているだろうことが伝わってくる。
ヴィンセント様は全て知っていて、私を迎えてくれていた。そのことをただ嬉しく思った。
「……ありがとうございます」
震える声で伝えると、ほんの少し私とヴィンセント様の間に隙間ができた。
顔をあげれば、綺麗な顔がある。
私は、この方と結婚するのね。
ヴィンセント様の指が髪を撫で、首筋に触れる。そのくすぐったさに身をすくませると、彼はくすりと小さく笑った。
「そんなに怯えられると、イケナイコトをしている気になってしまうよ」
「──!? お、怯えてなどいません。た、ただ、その……こういった場面は、慣れておりません、ので」
尻窄みになって、ごにょごにょと言えば、ヴィンセント様は目を細めて「私もだ」と呟いた。
二人も奥さまがいた人の言葉とは思えず、目をぱちくりとさせていると、再び身体が彼の腕の中に引き込まれた。
「本当に美しく育った。お父上は、貴女を遺していくのがさぞ心残りだっただろう」
「……お父様が、ですか?」
「意外だと言いたそうな顔だな」
「そ、それは……お父様は、無能な私を疎ましく思っていたので……」
優しい言葉なんてかけてもらえなかった。ヴィンセント様のように、頭を撫でてもくれなかったし、抱き締めてももらえなかった。いつだって、私に厳しかったお父様……
「お父上は、貴女が強く生きられるようにといっておられた」
「強く?」
「そのため、人一倍厳しくしてしまった。母親にはなれないものだとも」
「そんな……」
お父様に、お母様の代わりなんて求めていなかったのに。どうして、本心を私に打ち明けてくださらなかったのかしら。
もやもやとしていると、ヴィンセント様が耳元で「泣かないで」と囁いた。
熱い吐息に背筋が震えた。
「お父上は、幻惑の魔女から貴女を隠すので必死だったのだから、責めないでほしい」
「えっ……?」
「貴女が目覚めるまで、守らなければ。強く生きられるようにと……最期まで貴女を心配していた。私が会いに行ったときも、後ろ楯を頼むといわれてね」
砦で亡くなられたお父様は、息をひきとる数日前に、何人かのお客様と会っていたことは聞いていた。最期まで、魔法師団とお家存続を案じて、各方面に協力を頼んでいたのだと。その一人が、まさかヴィンセント様だったなんて。
「私は、亡きレドモンド卿に誓ったんだ。ヴェルヘルミーナを誰よりも幸せな花嫁にすると。そうしたら、難しい顔をして『お前に娘はやらないからな』といった後、笑いながら『ウェディングドレス姿を見たかった。きっと世界一可愛いだろう。よろしく頼む』といってくださった」
お父様が亡くなられる前、面会一つ許されなかった。
一目だけでもと願っても叶わず、私はお父様に見捨てられたのだと思っていた。
だけど、違ったみたい。
涙が止め処なく溢れた。
「お父様の、口から聞きたかった、です」
「……うん。そうだね」
「お父様、お父様……」
まるで幼い少女に戻ったように、私は声をあげて泣き出した。それを止めることなどなく、ヴィンセント様は私を抱き締め、髪を撫で、背中をさすって側に居続けてくれた。
次回、明日15時頃の更新になります
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