第11話 はじめてのお茶会は美しい薔薇と共に
一瞬、緊張が走った。でも、ローゼマリア様は特に焦りを見せることもなく、ダリアの肩に手をそっと置いた。
「心配には及びませんよ。お下がりなさい」
穏やかな声に命じられたダリアは、私に視線を送って来た。それに頷くと、彼女は少しばかり眉間にシワを寄せながらも後ろへと下がった。
花びらが舞い上がり、風が渦巻く魔法陣の上に人影が浮かび上がる。
息を飲んだ直後だった。風が霧散して、長身の男性が現れた。
身に着けるのは濃紺の外套。
ひらりと風に舞う赤い薔薇の花びらが、男性の肩に落ちてきた。それに気づいた彼は、長い指で花びらを摘まみながら、こちらを振り返った。
すらりと長い足が踏み出されると、その指から赤い花びらが、離れていった。
揺れる銀髪は腰まで長い三つ編みだ。どこかで見たような気がするけど、どこだったかしら。
近づいた彼の襟元の徽章が、差し込んだ陽射しを浴びて輝いた。それは、国の魔術師団に所属していることを意味している。つまり、この方が私の結婚相手──
「ただいま戻りました、義母上」
「待ちくたびれましたよ、ヴィンセント」
「申し訳ありません。仕事を放り出すわけにはいきませんので」
「可愛いお嬢さんを待たせるほど、重要な仕事とは思えませんけどね」
近づいてくる彼を見上げ、私は唖然とした。
身長は一九〇センチ近くあるだろうか。肩幅もとても大きくて、お父様よりも威圧感を感じる。とても美しい顔をしていらっしゃるのに、見下ろされた私は無意識に委縮してしまった。
「お初にお目にかかります。ヴェルヘルミーナ・レドモンドです」
精一杯の淑女の挨拶を披露した私の指は小刻みに震え、心臓が激しく鳴っていた。だからこの時、彼が小さく何か言ったのを聞き逃してしまった。
ゆっくりと顔をあげた私は彼と視線が合い、息を飲んだ。
なんて美しい人なのだろう。日差しに輝く銀髪も琥珀色をした切れ長の瞳も、何もかもが美しい男性──ヴィンセント・ロックハートに私は見とれた。彼の背景は、お伽話に出てくる庭園もかすむ薔薇で彩られていて、王子様よりも王子様然としているのは反則だわ。
ヒグマのような大男だとか、にこりとも笑わず、眼光だけで人を殺せるなんて、誰が言ったのよ。確かに、ものすごく背が高くて、見上げていると首が疲れるけど。
ご年齢は二十八歳と聞いていたけど、年齢不詳の輝きをまとった美丈夫だわ。断られても諦めきれずに縁談を持ち掛けるのは、家柄云々だけじゃなくて、彼の美しさにご令嬢たちが酔ってしまってのことなのかもしれない。
ただ、その高身長のためか、こうして見上げていると、何だか居心地の悪さを感じて委縮してしまう。何て言うか、亡きお父様が私を冷たい眼差しで見下ろした時を彷彿とさせるというか。
「さあ、こちらへいらっしゃい」
ローゼマリア様に促され、まるで金縛りにでもあっていたように硬直していた私は、やっとヴィンセント様から目を逸らすことができた。
ヴィンセント様が私へ手を差し出した。
初めて受けるエスコートに、胸が早鐘を打つ。
大人と子どもほど大きさの違う手のひらに指をそっとのせた。そうして、案内された席に座って、ようやっと一息つけた気がした。
ヴィンセント様も着席したことで、彼から感じた威圧感のような居心地の悪さはなくなっていた。むしろ、その美しさが常に視界へと入ってきて、つい見とれそうになっていた。
綺麗な瞳が私に微笑み、ハッとして頬が熱くなった。
不躾にじろじろ見ていたかしら。急激に羞恥心が込み上げてきたけど、ここで視線を逸らすのも失礼よね。
ますます熱くなる頬を隠すこともできず、私はなんとか微笑み返す。すると、彼は少し驚いた顔をした。私はそれほど変な顔をしたのだろうか?
どう会話をしていいのか分からずにいると、ローゼマリア様が穏やかに話しかけてくれた。
「今日は、ヴェルヘルミーナの為に、特別な茶葉を取り寄せましたのよ」
「ありがとうございます。私、お茶会の席に出たこともありませんし……紅茶は詳しくないので、精一杯、学ばせて頂きます」
「まぁ、そんな固く考えないで。まずは楽しむことが大切よ」
優しさにほっと胸を撫で下ろす。
ローゼマリア様は、本当に……亡きお母様を思い出させてくれる。気を緩めると、嬉しさで涙がでてきそうだわ。
用意された庭園で開かれたお茶会は、しばらくローゼマリア様が話題を振って下さることで、穏やかなときが流れた。
ヴィンセント様は寡黙な方なのかしら。問いかけにはきちんとお答えになるけど、私へ何か尋ねたり、話題を持ち出すようなことはなかった。
私も、これは政略結婚だと割り切っているし、変に甘い言葉をかけられたら対応に困るから、むしろありがたいと言えばそうなのだけどね。
結婚に応じる条件を伝えるタイミングを探っていると、ふと小さなクッキーが目についた。それには小さな菫の砂糖漬けが飾られてる。
小ぶりだから一口で食べられそうだわ。
クッキーの粉を散らすのも失礼だろうしと、一思いにそれを口に頬張ると、仄かに花の香りが広がった。クッキー生地はサクサクと軽やかで、甘い砂糖漬けが紅茶にもとても合う。何てお洒落なお菓子かしら。
「ヴェルヘルミーナ。そのクッキー、気に入ってくれたかしら」
「はい。とても香りが豊かで見た目も素敵ですね。お花の砂糖漬けは、初めていただきました」
「まぁ、そうなの? こっちはバラの花びらで作った砂糖漬けよ。ふふふっ、作っておいた甲斐がありましたね」
「作って……ローゼマリア様がお作りになられたのですか?」
「えぇ。本邸の庭の花で、毎年作っているのよ。私の趣味みたいなものね」
驚く私を見て、ローゼマリア様が「今度、一緒に作りましょう」と嬉しそうに声を弾ませた時だった。レスターさんが傍に歩み寄り、小声で話しかけた。
柔和だった瞳が、途端に凛とした侯爵のものとなる。
「──早かったですね。今すぐ向かいます」
ティーカップの紅茶を飲み干したローゼマリア様は私を見た。
「ヴェルヘルミーナ、ごめんなさいね。来客の対応をしなくてはならなくなりました」
「……来客、ですか」
「あなたは気にせず、お茶を楽しんでね。ヴィンセント、後はよろしく頼みますよ」
静かに席を立ったローゼマリア様は、私が話しかける間もなく、レスターさんと共に中庭から立ち去ってしまった。
この屋敷は、ヴィンセント様が主ではなかったのかしら。それとも、初めからどなたかがローゼマリア様を訪ねてくる予定だったのか。疑問に首を傾げていると、ふと頬に突き刺さるような視線を感じた。
そちらを振り返ると、ヴィンセント様の琥珀色の瞳が私をじっと見ていた。
そうだった。彼と二人きりになってしまったんだわ。傍にダリアと、屋敷の侍女たちが控えているとはいえ、会話は私たちで何とかしなければならない。
何をお話しすればいいのかしら……
ここで唐突に政略結婚のお話を持ち掛けるのは、いささか不利になりそうよね。商談だって、相手の良いところを知った上でご機嫌を取ったり、話を引き出してから交換条件を提示するものだから──悶々と考えながら黙っていると、ヴィンセント様は唇の端を上げて小さく笑った。
体が大きくて威圧感があると思ったけど、微笑まれると優しそうにも見えるわ。きっと綺麗な顔をしているからね。
思わず、その顔に見とれてしまうところだったけど、まじまじと男性の顔を見る訳にもいかないわ。
私に少しでも微笑んでくれるということは、少なからず好感は持ってくれてるのよね?
勇気を出さなければ。まずは、会話をして好印象を持たせて、それから、レドモンド家の事情を話して──
「あの、ヴィンセント様……」
勇気を出してその名を呼んだというのに、彼は大きな肩を小刻みに揺らして顔を逸らした。
ちょっと、何なのかしら。
ヴィンセント様はさらに、その大きな手で顔を覆ってしまった。表情はさっぱり分からないわ。小さく、ふっと笑いを堪えるような声まで聞こえてきたんだけど。
えっ、私、笑われている──!?
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