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第10話 ヴィンセント・ロックハートの出生の秘密

 肖像画を再び見上げるローゼマリア様は、懐かしむようにその瞳を細めた。


「クレアのお母様も私を励ましてくださったわ」

「ご家族とも良いお付き合いだったんですね」

「そうね。アーリックと長いこと交易をしていたこともありましたが……クレアのお母様も、なかなか子に恵まれなかった過去があったそうよ。だから、親身になってくれたのです」

「……お子が授かれないというのは、とても、辛いことなのですね」

「アーリックと貴族、立場は違えど血を大切にすることは同じです。気持ちを分かってくれたのでしょう。……何もかもが無駄に終わり、落胆していた私に、クレアのお母様が仰られたわ。()()()()()()()()()()という重圧が、受胎の邪魔をしているのだろうって」


 重圧という言葉に、ドキッとした私は無意識にお腹のあたりを擦っていた。脳裏をかすめるのは、継母の言い放った私の役目。


 侯爵家ともなればその責務と重圧はなおのことだろう。ロックハート家ともなれば、どこぞの骨とも知らない養子を迎える訳にもいかなかったのだろう。その重圧と比べて、私に課せられた役目は、なんて()()()()だろうか。


 私はどんな顔をしてローゼマリア様を見たらいいか分からず、視線を肖像画へと移した。


「一人でも良いから、跡継ぎが出来れば気が楽になるのではないか。養子を受け入れてはどうかと言われたのよ。でも色々と考えたら、それは難しかった」

「……諸侯から魔力の強い子を迎え入れたら、跡継ぎ問題に発展すると、考えられたんですね?」

「ふふっ、ヴェルヘルミーナは本当に頭が良いわ。そう、その通りよ。跡継ぎは嫡子と決まっています。本来、養子や庶子に侯爵位を渡すことは出来ない……。ただ特例として、嫡子が生まれなかったり魔力がうんと低い場合のみ、養子に爵位を渡すことができる」

「でも、一族の総意でなければならない」

「それだけでも厄介ですが、もしも、養子を迎えた後に子を授かったら、魔力の高い息子を養子に出した家は、どう思うかしら?」


 おそらく、嫡子を(うと)んじるだろう。最悪、暗殺まで企てる者が現れてもおかしくない。

 侯爵家ともなれば、その出産も仕事の内ということか。この方は、その重圧に打ち勝ったのだろうか。子どもを授かることが幸せと言えるようになったのだろうか。


 手を握りしめて息を飲んだ私は、涙でかすむ視界の中、ローゼマリア様を見た。


「……ローゼマリア様、お辛かったのですね」

「本当に、優しい子ですこと。泣かないで、ヴェルヘルミーナ」


 バラの刺繍の施されたハンカチが、そっと私の涙を拭った。その先には、優しく微笑むローゼマリア様がいる。この方は、聖母なのかもしれない。


「あなたと同じように、クレアも涙を流して私に言ったのです……『許されることなら、旦那様の子を産ませてください』と」


「クレア様、が?」

「あらっ。驚いて、涙が引っ込んだわね」

「えっ……冗談、だったんですか?」

「まさか、そんな(たち)の悪い冗談を言ったりしないわ」


 上品な微笑みの中、少しだけ悪戯の成功を喜ぶような、子どもっぽさを見せたローゼマリア様は、私の手を取ると優しく握ってきた。


「クレアは、ひそかに夫を慕っていたそうよ。でも、アーリックが一族以外の子を産むことは許されない。それどころか、相手は交易相手である侯爵の配偶者」

「許されない恋心だったんですね……」

「秘密にしておくつもりだった。でも、クレアは私のことも慕ってくれたから、長いこと悩んだ末……導き出した答えだったそうよ」


 許されることなら、一夜の思い出を。


 私にはその感覚がよく分からないけど、いつぞや、屋敷の若い侍女が教えてくれた流行りの恋愛小説が、そんな話だった。恋が叶わないと思うものほど燃え上がるのだとか。


 そうまでして産んだ子をローゼマリア様に預けたクレア様は、どんな思いだったのだろうか。それに、旦那様はどんなお気持ちでクレア様と夜を過ごされたのか。

 私には、何もかもが想像のつかない世界だわ。


「夫は私以外を抱くなど無理だと言って、泣いてくれたの。あの人、泣き虫で弱虫で……」

「……ローゼマリア様」

「その言葉で、十分でした。私は侯爵としてこの家を守らなければならないのですから」


 だから、クレア様との間に子どもを作るよう言われたのだ。それが、ヴィンセント様の出生の秘密でもあるのね。


 ローゼマリア様たちの気持ちを理解することは難しい。


 この短い会話の中で話せることは、きっと数少ないわ。ここにいないクレア様と旦那様の気持ちを知ることだって出来ないのだから、理解できないのは仕方ないだろう。でも、家族を思って辛い決断をされたってことだけは、なんとなく想像がついた。


 私には、ローゼマリア様の手を握りしめることしか出来なかった。

 その優しい手に刻まれたシワは、長年、侯爵として闘ってきた証のように見えた。


 アーリック族は、王国とは異なる秩序の中で生きている。爵位に興味など持っておらず、国政には関与していない。その血が外に出ることも快く思っていないだろう。それでも、ロックハート家に養子として預けることを(おさ)が許したのは、長年の交易を結んできたおかげだった。


 そう話しながら、ローゼマリア様は執務室を後にして、静かな廊下を進んだ。


「……つまり、庶子であるヴィンセント様は、爵位を得たとしても跡継ぎに選ばれない。次男様がいる今、異を唱える家門もない、ということですね?」

「ふふふっ、ヴェルヘルミーナは本当に賢いわね」


 実に楽しそうに仰られるローゼマリア様は、私を振り返った。


「ヴェルヘルミーナ」

「はい、ローゼマリア様」

「ヴィンセントが私の後を継ぐことはありません。それでもこの結婚は、あなたにとって、とても魅力的ですよ」

「え……?」

「ロックハート家は、有能な魔術師を輩出してきただけでなく、交易によって財を成してきました」

「……存じ上げています」

「本邸のあるシェルオーブは、アデルハイム王国の交易の要」


 春と夏、秋に行われるシェルオーブの定期市には、国内外から商人だけでなく、両替商や高利貸し、商売や金融に関わる人がこぞって集まる。その活気は、王国随一とさえ云われている。


 我が家は、ペンロド公爵夫人の顔もあるため、年三回も出展できずにいるが、できれば三回とも市に出向きたいと商人たちに相談を受けているくらいだ。


 つい、ため息をつきそうになると、ローゼマリア様がふふっと笑みをこぼした。


「ペンロド公爵領の商業都市トリメインにも引けを取らないと思ってるのよ」


 その名を聞いた時、心臓が跳ねあがった。

 この方は、どこまで私とレドモンド家の内情を見抜いているのだろうか。


 立ち止まったのローゼマリア様は、一枚の絵に視線を向ける。そこに飾られていたのはアデルハイム王国を中心とした、周辺諸国の地図だ。


「レドモンド家が誇る魔法繊維と織物を、あの()()()に牛耳らせるのは、勿体ないと思いませんか?」

「……この結婚で、ローゼマリア様が望んでいるのは、レドモンドの魔法繊維ですか?」

「そうね。でも、それだけではないのよ。レドモンド家というより、ローゼマリアの手助けをしたいと思っているのよ」

「私の手助け……?」

「あら私の本心は、とっくに伝えていますよ」


 まるで謎かけのように言って笑うローゼマリア様は、再び私の手を引いて歩き出す。


 出会ってから、どんなことを言われたかしら。


 やっと会えたと喜ばれ、人形遊びよろしく着替えさせられ、ヴィンセント様の出生の秘密を聞かされた。その一連の流れを思い出しながら、私は首を傾げた。


「ふふふっ、私、娘が欲しかったのよ。こんなに可愛くて賢い子が私の娘になるだなんて……この上ない、幸せですよ」


 朗らかに微笑みながらそういわれるローザマリア様は、中庭に面するガラス張りの廊下を指さした。

 そこには、初夏の花々が咲き誇っていた。


 中庭に出ると、そよぐ風が前髪を揺らして抜けていった。


 バラの蔦に彩られる中、カモミールやラベンダーなどのハーブも、植えられているのが目についた。風が甘く優しい香りを届けてくれるのは、その花々の芳香なのだろう。

 美しい庭園を吹き抜ける風が、嫌な気持ちを何もかも持っていってくれるようだ。


「ヴェルヘルミーナ、とても素敵な笑顔よ。ふふっ、花は好きかしら?」

「え?……はい」


 花が嫌いな人なんていないと思うんだけど、そんなに見とれていたのかしら。

 少し恥ずかしくなって俯いた時だ。


 ひときわ強い風が舞い上がり、庭園の中にある美しいモザイクタイルの上に、魔法陣が浮かび上がった。


「ヴェルヘルミーナ様!」


 声を上げたダリアは、私たちの前に飛び出し、魔法陣に向かって身構えた。

次回、本日15時頃の更新になります


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