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第1話 無能と呼ばれた少女に、結婚を夢見る恋愛思考はありません

 色とりどりの薔薇が咲き誇る初夏。


 雲一つない青空の下で、アデルハイム王国第三王子エヴァンは少し幼さの残る青い瞳を輝かせ、横に立つ妃へと微笑みを向けた。


 真っ白なベールが初夏の優しい風で翻り、豊かな髪が揺れた。赤みがかった金の髪(ストロベリーブロンド)は朝露をまとわずとも輝き、ベールとともに飾られる薔薇の花に負けず劣らず美しい。

 まるで陶器人形のように肌が白く、整った顔立ちの王子妃が笑顔を浮かべると、群衆は歓声を上げた。


 誰もが、エヴァン王子殿下と王子妃の結婚を祝福している。二人そろって美しい手を振れば、さらに歓声が上がった。


 御年十九になるエヴァン王子殿下のお妃様は、妃候補だった令嬢ではない。魔術アカデミーで出会った級友の伯爵令嬢だ。

 巷で流行りの恋愛小説、悪役令嬢の妨害を潜り抜けて王子と真実の愛を貫き通す、なんて劇的な背景はなかった。でも、二人はアカデミーで真実の愛を育んだと、市井ではもっぱらの噂だ。


 政略結婚が当然の貴族の中で、恋愛結婚を貫いた。それも一国の王子が!

 センセーショナルな出来事ではあったが、まるで花の精のごとく美しい王子妃ミルドレッドを国民は歓迎した。



 まるで恋愛小説の挿絵。いいえ、おとぎ話のお姫様のように微笑んでいるのは、私……ではなく、私のお姉様。


 伯爵家の娘だなんてとんでもない。と言われるかと思いきや、エヴァン王子殿下の後ろ盾でもあるロックハート侯爵様は大歓迎してくださった。ペンロド公爵夫人が反対したことで、なかなか話が進まなかったけど、ついにこの日を迎えられたわ。

 もしもエヴァン王子が王太子だったら、妨害が企てられたかもしれない。そうお姉様がいわれていたけど──


 やっと、やっと結ばれたのね!


 この晴れ渡る空は、きっと、王子殿下とお姉様を歓迎してるわ。だって、見つめ合う二人の瞳が青空のように輝いているもの。


「お姉様、幸せになってね」


 私が幸福感を噛みしめながら小さく呟くと、横に立つお父様が冷たい瞳をこちらに向けた。


「お前も、姉を見習って良き伴侶を得よ」

「……はい。お父様」

「ヴェルヘルミーナも、もう十二ですものね」


 お父様の後ろにいた継母、ケリーアデルは扇で口元を覆いながら笑うと私に近づき、耳元にその赤い唇を寄せた。


 くるくるに巻かれた栗毛色の髪が、ガサガサと私の頬を擦り、甘ったるい香水がまとわりつくように鼻に刺さった。


「無能なお前に、良き縁談などあるものですか」


 私だけに届く囁かれた低い声が、胸に深く突き刺さる。

 お姉様の結婚を誇らしく思い、浮かれていた気持ちが奈落の底へと引きずり込まれた。


 今日から、私を守ってきたお姉様はいないのだ。その事実が、私を見下ろす継母の姿をより大きく感じさせる。


「お前たち、無駄話もほどほどにしなさい」


 淡々としたお父様の言葉が、さらに重く伸し掛かった。


 私が、この人と無駄話をするなんて、一ミリもないのに。どうして、いつも気付いてくれないのかしら。まるで、私に向けられる継母の声が、お父様には届いていないみたい。


「この後、ペンロド公爵様にもお会いする。失礼のないように」

「ヴェルヘルミーナ、お行儀良くしているのですよ」


 お父様の横で勝ち誇ったように笑う継母は、歪む口元をその煌びやかな扇子で隠した。


 どっちがよ。


 性悪女はその扇子がないと、根性の曲がった笑顔を隠せなくて大変ね。そう、大声で言えたらどんなに気分がすっきりするのかしら。


 お姉様にお声掛けをしたい気持ちはあるわ。だけど、この人の横で娘のヴェルヘルミーナですって挨拶するくらいなら、家に帰って床を磨いていた方がマシよ。


 そもそも、この後のお披露目には国内外から多くの方が集まる。政治的な話ばかりに決まってるわ。子どもの私には楽しいことなんて、きっとないもの。


 私が失態をさらすと思うなら、家に帰してくれても良いのに。──憂鬱になりながら、無表情の父をちらりと盗み見た。その時だった。


 花の香りをまとった強い風が吹き抜けた。


 周囲から、いたずらな風に髪やドレスを乱された令嬢たちの小さな悲鳴が上がる。

 私も思わず小さく声を零し、慌てて、前髪が乱れないように抑えようとした。すると、上げた手からハンカチがはらりと抜けていった。


 風が私の宝物を攫っていくと気付くも、時すでに遅かった。

 強い風が、再び吹き抜けた。


「あっ! お母様の……」

「何をしているのです。行きますよ」

「で、でも……!」

「あのような古い布切れを今でも持っているだなんて、恥ずかしいと思わないのですか」


 だから捨てたのに。そう小声で、だけど憎々しそうに吐き捨てた継母の眉間には、深いシワが刻まれている。


 赤く塗られた爪が光り、私の手首を掴んだ。

 まるで重たい荷物を引っ張るように、乱雑に引き寄せられ、私のつま先が地面に突っかかる。


 もつれるようにして足を踏み出し、慌てて後ろを振り返った。


「お継母(かあ)様、お願いです。あのハンカチは!」


 赤い薔薇の刺繍があしらわれた白いハンカチは、まるで蝶のように青空に翻る。


 手を伸ばしても届きそうになく、私は目の奥が熱くなるのを感じた。


 嫌だ。あれは、お母様の大切なハンカチよ。大切な、私の宝物なのに。

 どんなに諦めきれずとも、背丈の小さな私は、すぐにハンカチを見失った。


 引きずられるように歩きながら唇を噛みしめた時だった。


「お待ちください」


 少し低いけど爽やかな声がかけられた。

 継母は、男の声と分かるや否や足を止めた。


「ハンカチを、落としましたよ」


 涙を零しそうになるのを堪え、私は顔を上げた。

 そこに立っていたのは、魔術師団の正装に身を包んだ綺麗な男の人だった。その筋張った大きな手が、私の宝物(ハンカチ)を差し出している。


 瞬きを繰り返し、おずおずとハンカチを受け取る。


「……ありがとうございます」

「いいえ。今日は風が強いので、お気をつけて」


 ずいぶんと背の大きいその人は、にこりとも微笑まず、軽く頭を下げると私のお父様に近づいていった。


 ハンカチを握りしめ、私はそっとその人の様子を伺った。

 お父様が長を務める第五師団の方かしら。それで、見回りをしていたのかもしれないわ。あるいは、どこかの貴族のご子息で招待客……でも、それなら魔術師団の礼服ではなく、周囲の令息のように着飾ってくるわよね。


 周りもそっと伺ってみたけど、魔術師団の方は他にいなさそうだった。

 お父様と何か話し始めたその人の髪は、とても美しいプラチナブロンドだ。それをきっちりと一本の三つ編みにして結んでいる。あれを解いたら、さぞ豊かで長いのでしょう。


 ふと、彼が長い髪を解いたところを想像した私は、どうしてか、まるでお姫様のようにブラシを当てて髪を梳く姿を想像してしまった。それは絶対にないだろう、おかしな姿だ。


 思わず笑いそうになり、慌てて口元にそっとハンカチを押し当てて隠した。


 人を見て笑うなんてはしたない。継母に見つかったら、そう言われて叩かれるに決まってる。あの扇子で人混みの中、見えないようにして、背中やおしりを強かに叩かれるのよ。

 そんなの絶対に嫌だもの。気付かれないようにしないと。


 それにしても、にこりとも笑わない人が、誰かに髪を梳いてもらっているなんて、ちょっと面白い姿よね。

 お礼は云うのかしら。あるいは、当たり前のような顔で手入れをしてもらっているのかもしれない。どこかの有力貴族なら、ありうるわ。


 あの人も、どこかのご令息なのかしら。


 もう一度、その姿を目で追うと、扇子を口元に当てた継母が私の耳元に顔を寄せてきた。


「諦めなさい。無能なお前には縁のない男よ。まぁ、そこらの小娘にも言えることでしょうけど」


 継母が何を言っているのか分からなかった。


 悪趣味な扇子がパチンと閉じられ、辺りをすっと示すように動かされると、周囲の令嬢たちの視線が彼に向けられていることに、さすがの私も気付いた。


 幾人もの令嬢たちが、ひそひそと話しながら彼を見ている。

 それに気づいてはいないのだろうか。彼はにこりとも笑わず、着飾った令嬢の誰一人とも視線を合わせなかった。


 今思い返せば、ハンカチで口元を隠した私を見た継母は、私が彼の姿にときめきを感じて頬を染めていると勘違いしたのかもしれない。

 お父様が、良き伴侶をなんて云ったから、ありうるわ。


 でも、当時の私は恋愛をするどころか恋愛小説を読む暇すらなくて、無能と蔑まれて毎日を送っていたんですもの。彼との結婚を思い描くような乙女思考は、微塵もなかったのよね。

次回、本日13時頃の更新となります


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