〈 8 〉
「なんだよ、その夢のオチ。」
小澄孝之はあきれたように言った。
「せっかく、銀河鉄道に乗った壮大な旅の物語だったのに。」
稲森夏実も大きくうなずいて、
「ぼったくりよ、あの車掌。今思い出しても腹が立つ。でも、瑠璃色のカーテンが開いたから、この夢が事件解決のヒントになってるはず。」
「だからこんな所へ連れて来られたわけか。」
孝之はぐるりと周りを見回す。天井まで高く覆われた半球形のドームだ。S百貨店のある港にほど近い、天文科学館のプラネタリウムの中に二人はいる。施設はリニューアルして間がない。最新式の投影機と音響設備が自慢だ。座席も全席フルリクライニングだが、一部にダブルベッドのような二人席も用意されている。孝之と夏実がいるのはその席だ。身体が密着するようなソファーベッドで、孝之は少し落ち着かないが、夏実は全く気にしていないようだ。会場は8割ほど埋まっている。
事件から4日が過ぎた。真名井玲亜は退院し、自宅療養中だ。警察の捜査も進展は見られないようだ。D研修室は翌日から閉鎖が解かれる予定になっている。
休日だった孝之は例によって夏実からの電話で起こされ、天文科学館へ引っ張ってこられた。
「ちょうど、『太陽系、その惑星の旅』っていうプログラムを見つけたから、これだって思ったの。参考になるはず。」
「ぜひそうであって欲しいよ。」
孝之はあくびをこらえた。昨日は気心の知れた仲間と遅くまで呑んでいたのだ。
ゆったりしたクラシック調の音楽が流れ、会場が明かりを落とした。
一皆様、本日は当プラネタリウムへお越しいただき、誠にありがとうございます。解説を担当いたします富井でございます一
低く張りのある、落ち着いた女性のアナウンスが流れる。良い声だと孝之は感心する。わずかに関西弁のイントネーションが混じるのにも親しみを感じる。
太陽が沈み、星空が一杯に投影される。
一今日はこの無数の星の中から、わたしたち太陽系の家族である、惑星たちへの旅に出かけて行きましょう一
音楽がボリュームを増していく。孝之の意識が徐々に遠のいていった。
気が付くとあたりは明るくなっている。ざわめきが耳についた。隣りを見ると、夏実が冷ややかな目で孝之を見下ろしている。
「おはよう、よく眠れた?」
「もう終わったの、少し眠ってしまったよ。」
「初めから最後まで熟睡してたわよ。いびきをかいて。」
夏実はすっくと立ち上がって出口へ向かった。孝之はあわてて後を追う。
「ごめん、あとでお茶おごるからさ。」
夏実は小さなため息をついてから振り返った。
「『ブループラネット』のパフェで許してあげる。」
ブループラネットは天文科学館の中にある人気のカフェである。
プラネタリウムを出た二人は隣接する展示室を見て回った。直径3メートルはある太陽系の模型の前で立ち止まる。中央にソフトボールくらいの赤い太陽があり、その周りを8個の惑星が回っている。地球はパチンコ玉、木星はピンポン玉くらいの大きさだ。
「これが太陽系か。」
孝之がつぶやくと、背後で声がした。
「そうです。これ以外にも、以前惑星とされていた冥王星や小惑星、衛星なども太陽系の仲間です。」
振り返ると、制服姿の若い女性が微笑んでいる。どこかで聞き覚えのある声だ。
「あっ、プラネタリウムのアナウンサー。」
夏実が両手を打った。
「覚えていてくれて光栄です。富井愛梨と申します。よろしく。」
愛梨は礼儀正しく一礼した。ウェーブのかかった髪は長く、少し離れ目なのが愛らしさを感じさせる。綺麗な人だと孝之は思わず見とれてしまう。
「星に興味がお有りなんですか。」
愛梨が聞く。孝之は急いで答えを返す。
「ええ、特に太陽系に。太陽って大きいんですね。」
「この模型は随分デフォルメされてます。」
愛梨は模型をすらりとした腕を伸ばして指し示す。
「地球がこのパチンコ玉の大きさだとすると、太陽は直径約1メートル、運動会で使う大玉くらいの大きさになります。」
「そんなに大きいんだ。」
「ちなみに水星は地球の三分の一、火星は二分の一の大きさ、木星と土星は野球ボール、天王星と海王星はピンポン玉くらいになります。」
「太陽に比べると随分小さいんだなあ。」
「イメージと違うって驚かれる方が多いです。それぞれの距離もこの模型よりはるかに大きいんです。」
「模型の倍くらい?」
孝之のことばに愛梨は大きくかぶりを振って、
「たとえば、運動会の大玉の太陽を甲子園球場のホームベース上に置いた時、水星はセカンドベース上のビーズ玉、金星はセンター定位置、地球はバックスクリーンのパチンコ玉になります。外惑星はもっと遠くて、一番遠い海王星は3キロ離れた西宮北口駅におかれたピンポン玉に相当します。」
愛梨は少し、はにかんだように微笑した。
「例えがローカルで申し訳ありません、西宮が地元なもので。」
「太陽から見て地球がバックスクリーンのパチンコ玉だなんて。そんなに離れてるんだ。」
「それだけ宇宙は広大なんです。でもごめんなさい、これはプラネタリウムで話したことと同じでしたね。」
「あっ、確かにそうでしたね。」
孝之はあわてて言う。
「寝てたくせに。」
夏実がつぶやく。愛梨はにっこりして、
「午後から違うプログラムでプラネタリウムで解説します。良かったらどうぞ。」
「ええ、もう一度観てみようか。夏実。」
孝之がそう言って振り返る。夏実の目が三角になっている。
「もう十分よ。ありがとう富井さん。」
夏実は微笑んだが、目は笑っていない。腕を強く引っ張られて、孝之は少しよろけた。
『ブループラネット』で、孝之はブラックコーヒーに口を付けた。夏実の前のテーブルには背の高いグラスに入ったパフェがある。フルーツがいっぱいに詰まった人気パフェ。孝之はその上にチョコレートドーナツが乗せられたスペシャル版を奮発した。
「どーなつてるのそのドーナツ。」
孝之のことばに夏実はアハハと笑う。少し高い出費だが、夏実の機嫌が直って孝之はほっとする。
夏実は危なっかしく乗っかったドーナツをフォークで慎重に持ち上げると皿に置いた。まずパフェから攻めるつもりだ。
「見てるだけで血糖値が上がりそうだね。」
「たまにはいいの。実は祖父と叔父が糖尿病だから気を付けなきゃいけない家系だけど。」
「普段よく動いてるからね。」
案内所はよく歩く仕事だ。歩数計で測ると、1日2万歩を超えることは珍しくない。
孝之は少し改まった口調で、
「あの事件の事だけど、チョコに仕込まれていた毒物は特定できたの。」
「ええ、アコニチンっていう毒物だった。情報の出所は聞かないでね。トリカブトっていう植物に含まれてる。トリカブトはありふれた野草だけど、アコニチンを抽出するのはそれほど難しくないらしい。植物界最強の猛毒と言われてる。でも残されたチョコを合わせても、真名井さんに盛られた量は最低致死量の10分の1くらいだったって。」
「なるほど。」
孝之はうなずいて話題を変える。
「さて、例の夢の解釈だけど、プラネタリウムで何か思いついたかい。」
「誰かさんと違ってわたしはしっかり見てたからね。それぞれの惑星の環境についての説明もあった。夢の前半のイメージにほぼ近かったかな。」
「想像以上に惑星の環境は厳しいんだね。」
「灼熱の世界だったり、大嵐が吹いてたり、極寒の氷に覆われてたり。」
「太陽に比べたら惑星って小さいし、想像以上に離れ離れなんだ。スタークラブみたいに。」
「そうね。スタークラブの人たちの心理的距離も見かけよりずっと大きいってことかしら。」
「うん、夏実の夢の星もスタークラブを象徴してるんだろうか。」
孝之は頭に手を当てて考え込む。
「あの人たちのことか、それとも・・・」
夏実は食べかけのドーナツを見つめて沈黙する。
「夢に出てきた蝶も何を意味してんだろう。青い蝶ならあの天井に貼り付いていたモルフォ蝶のイメージだと・・」
孝之のことばをさえぎるように、突然夏実が立ち上がった。孝之は驚いて夏実を見上げる。
「そうよ、あの蝶よ。蝶が舞って氷が溶け、嵐が収まり、灼熱の星に水があふれた。」
立ったまま正面を見つめて、夏実が言う。
「いかなくちゃ、蝶を見つけに。」
「蝶って、何の蝶のこと?」
「モルフォ蝶に決まってるじゃない。」
「モルフォ蝶は確か南米原産で、日本には生息していないはずだよ。たぶん。」
夏実は腰を下ろして、孝之に視線を戻す。
「それでも見つけないと。小澄さんは先に店に帰ってて。そして万場部長に掛け合って、D研修室の開放は明日の夕方からにしてもらって。それからマーキュリーの魚田さんに、これから言う事を伝えておいて・・・」
夏実は孝之にひと通り依頼すると、再び立ち上がった。
「そうそう、忘れるとこだった。」
夏実は思いついたように言うと、バッグから小さな包みを取り出して、孝之の前に置いた。
「毒は入ってないわよ。じゃ後はお願いね。」
言い残してあわただしく夏実が立ち去ったあと、孝之は目の前の包みを手に取った。赤いリボンが掛けられている。
「今日はバレンタインデーだったっけ。」
孝之はつぶやいた。