〈 7 〉
瑠璃色のカーテンが音もなくゆっくりと開いた。
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あわただしく発車のベルが鳴る。アナウンスが繰り返される。
「お急ぎください。もうこの星に住むことはできません。」
列車は長い汽笛を残して走り出す。レールの継ぎ目を拾う音はどんどん間隔を短くし、やがて聞こえなくなった。
窓の外は真暗な闇を背景に、無数の星が光っている。向かいの席に、ゆるやかな服をまとった髪の長い女の人が座って窓の外を眺めている。この車両に乗っているのは自分たち二人だけだ。
女の人が顔をこちらに向けた。以前、夢にでてきたヴィーナスの顔だ。
「地球はもう人の住める所ではなくなった。」
ヴィーナスが、朗読するように言う。
「これから、はるかな旅が始まる。」
制服に身を包んだ車掌がやってきた。そう言えば、切符を持っていない。
「かまいません。後払いでも。」
車掌が穏やかな低い声で言う。
「でも高いんじゃないかしら。随分遠くまで行くんでしょう。」
「まず、あの星へ行きます。あの星まで千円くらいです。」
車掌は近づいてくる強く輝く星を指差す。
「全部で7つの星を回ります。」
それならそんなに高くないと安心する。
窓の星はどんどん大きくなる。ヴィーナスはその星を見つめる。
「あの星は金星、わたしの故郷。でも今は帰れない。」
「それは何故?」
「着いたらわかる。降りることはできないけれど。」
やがて白く輝く星は窓いっぱいに広がってきた。列車は星を周回する。
「この雲の下は灼熱の世界。空からは濃硫酸の雨が降る。」
列車は金星を後にして次の星に向かう。燃えるような太陽のほど近く、輝く星に列車は近づく。その星が眼下に広がってくる。雲は無く、月のように無数のクレーターに覆われている。
「マーキュリー、水星よ。水も空気も無い。太陽にさらされた昼間は灼熱、夜は極寒の世界。」
列車は一周しただけで水星を離れた。しばらく暗い宇宙空間が続く。やがて、ヴィーナスが指差す方向に、赤い星が近づいてくる。
「あれがマーズ、火星よ。ここには駅がある。でも迂闊に降りてはいけない。空気が薄すぎる。」
列車は赤い星の地表に降りて駅に停車する。赤茶けた砂漠の世界。砂嵐が迫っている。列車はすぐに出発した。列車は再び暗い虚空を走っていく。
黄色とオレンジの縞模様の星が迫ってくる。大きな星だ。
「あの星はジュピター、木星。恐ろしい嵐がが吹き荒れていて、あまり近づくことはできない。」
列車は木星をかすめるように通り過ぎる。
「次の星はサターン、土星よ。」
「とっても綺麗ね。」
「そう、美しい環を持っているけど、木星と同様に嵐の世界。荒れ狂う嵐の下の地表は誰も見たことがない。」
列車は環をくぐって、土星を後にする。
「次はウラノス、天王星。」
白く、のっぺりした外見の星が近づく。
「ここまで来ると、極寒の世界。氷の大地が、ただ広がっているだけ。」
天王星の周りを一周して、さらに列車は走り続ける。
青く光った星が近づく。
「ネプチューンの海王星よ。ここに最果ての駅がある。でも外には出ないほうがいい。雪と氷の嵐の世界。」
列車は凍りついた駅に降りる。激しい嵐が吹き付けて、昼間のはずだが薄暗い。
「この星は一年中晴れることはない。何もかも凍りつく死の世界。」
ヴィーナスの声も低く、冷たく響く。自分たちにはもう行き場所は無いのだろうか。
その時、空の一点から光が差し込んだ。一筋のその光の隙間から一羽の蝶が舞い降りてきた。鮮やかに青く光る蝶。それはヒラヒラと金色の光を振り撒きながら空の彼方へ消えていく。
「奇跡が起きる。あの蝶は神さまの使い。」
ヴィーナスの目に光が宿る。あたりはみるみるうちに光が満ち、嵐が収まり、氷が溶けていく。晴れ渡った空へ列車は出発する。もと来た道を列車はたどる。
奇跡の蝶は次々に星に舞い降りては光を振り撒いた。
天王星からも氷は消え、穏やかな水をたたえる美しい星になっている。土星も木星も嵐は収まり、光の中を白いちぎれ雲がゆっくりと流れている。火星には湖が無数に現れ、地表は緑の植物に覆われている。水星にもいく筋にも川が流れ、魚が跳ねている。
列車は太陽を周ってUターンし、金星に近づいた。厚い雲には切れ間ができ、その下に青い海が広がっている。海の中の小さな島々も見える。
「ああ、故郷。わたしはここに帰ってくることができた。」
ヴィーナスは一筋の涙を流し、こちらを見てにっこり微笑みを残したあと、ふっとその姿を消した。
金星を後にして列車は終着駅の地球に向かう。窓から見える地球も青く美しい姿を取り戻している。車掌があらわれた。
「ありがとう、素敵な旅だったわ。運賃を払わないと。いろんな星をめぐったから、2万円で足りるかしら。」
車掌は運賃表を取り出して見る。
「太陽を周って海王星まで往復ですね。特別往復割引があります。」
「まあ、嬉しい。」
「割引してちょうど二十万円です。」
「なんですって。金星まで千円って。」
「星一つずつでは無く、距離で運賃が決まります。海王星までの往復は金星までの二百倍以上の距離があります。」
「そんなの詐欺よ。払えないわ。」
車掌に向かって大きな声を上げる。
「払えないなら、ここで働いてもらいます。わたしももうじき定年。人手不足なので、ありがたいです。」
車掌はそう言って高笑いする。耳につく笑い声。思わず目を閉じ、両手で耳をふさいだ。
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瑠璃色のカーテンがゆらめきながら静かに閉じた。




