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〈 5 〉

 救急車が呼ばれた。ぐったりした玲亜は椅子を並べた上に寝かされた。呼びかけにはかろうじて答えるものの、立ち上がることはできない状態だ。友光が持ってきた水も口は付けられていない。

 サービス部の万場部長と店内常駐の看護師が駆けつけてきた。看護師は玲亜の具合を確認して声をかけながら片腕を枕にして横向きの姿勢にした。夏実は万場部長を通して警察にも連絡を入れた。

「他に具合の悪い人はいない?」

 看護師が聞く。一同は顔を見合わせて首を横に振った。

 救急隊員が到着して、玲亜を担架に載せて搬出した。魚田紗季が付き添っていった。

 夏実は研修室の扉を閉ざした。

「みんな、この部屋から出ないほうがいい。それからチョコレートには触らないで。」

 夏実の言葉が終わらないうちに、扉が荒々しく開かれた。

「おい、これはどうした事だ。」

 太い声が響く。自称体育会系の坂木店長が、大柄な姿で仁王立ちしている。

「社員が一人救急車で運ばれたらしいが。」

「はい、詳しい容態はまだわかりませんが、意識はありますから、大丈夫と思います。」

万場部長が汗を拭いながら言った。

「そうか、それならあとは早く片付けてしまって、全員売場に戻りなさい。」

「待ってください、もうじき警察が来ます。」

「警察だと。」 

 坂木店長は声を荒げた。

「なんでそんな勝手なことをする。俺になぜ先に言わない。」

 万場部長は店長にすぐに連絡したのだが、不在だった。部長は逡巡したが、夏実に推されて警察に通報したのだ。しどろもどろに言い訳をする部長に、店長はさらに声のトーンを上げた。

「責任者の承認なしになんでそんな事をしたんだ。」

 店長に怒鳴られて、万場部長は小さくなった。

「こんな場合には責任者の承認は必要ありませんよ。」

 明瞭な声が研修室の入口で響いた。二人の男が立っている。警察手帳を広げて見せた。背の高い方の男がピシャリと言う。

「警察に一報をくださった部長の判断は間違っていません。」 

「あっ、大門さん、それに木場さん。」

 夏実が声を上げる。夏実を見て、背の高い方の大門刑事は柔らかく微笑み、もう一人のがっちりした体型の木場刑事は眉をあげて少しおどけたような顔をした。二人は夏実の父、稲森警視の部下にあたる。夏実の家に遊びに来た事もあり、こどもの頃からの顔なじみだ。去年も夏実は大門刑事の結婚式に招かれたりしている。刑事同士も仲の良い二人だ。

「大げさな。女の子が一人気分が悪くなっただけじゃないですか。」

 店長が顔をしかめた。

「事件かもしれない。」

 夏実の言葉に店長は鼻で笑って、

「バカバカしい、何を根拠にそんなこと。」

「事件かどうかを判断するのは我々ですよ、店長。」

 大門刑事が穏やかな口調を崩さずに言う。

「しかしねえ・・・」

 言葉を続けようとする店長を木場刑事が一瞥して、

「店長さんはしはらく黙っててくれませんか。仕事の邪魔だから。」

 木場刑事の顔には深いシワと大きなキズがある。強面で鋭い眼光でにらまれると、凶悪犯でも震え上がってしまう。低い声でそう言われると、店長も黙るしかない。

「それでは事の経緯を伺うましょう。」

 大門刑事が、場違いなほど明るい声で言った。


 スタークラブの会合での経緯は、進行役だった孝之が説明した。大門刑事は質問を挟みながら一通り聞いた。木場刑事はメモをとる役割のようだった。

 それから刑事たちは一人ひとりから話を聞き、その後一同を席につかせて会合を再現させた。チョコレートを選んだ経緯についてはかなり詳しい聞き取りがあった。刑事は一通り持物検査もおこなった。特に興味を引くものは出てこなかったようだ。坂木店長は終始憮然とした表情で見守っていた。

 大門刑事がチョコレートを鑑識にまわす手配を指示している時、入口のドアが開いて警官と魚田紗季が現れた。一同の視線がいっせいに集まる。

「真名井さんの容態はどうなの。」

 黒田明日奈がせきこむように尋ねる。紗季は心配そうな顔をぐるりと見回して、

「ええ、大丈夫よ。命に別状はない。今は落ち着いて寝ているわ。しばらく入院の必要はあるかもしれない。」

 一同はほっとした顔を見合わせた。

 紗季と同行して来た警官が、大門刑事に何事か耳打ちした。大門は何度かうなずいた。

「倒れた方が無事だったのは何よりです。長い間お引き止めしました。今日はこれで結構です。それから店長、この部屋は手を触れず、このまましばらく閉鎖ということにしておいてください。こちらから連絡するまで。」

「わかりました。」

 坂木店長はおとなしくうなずいた。

 一同は二人の刑事と警官を残して、研修室を後にした。

 孝之と夏実は最後に研修室を出たが、夏実はドアを出るとすぐにくるりと身をひるがえして、研修室に取って返した。孝之もあわてて夏実の後を追う。大門刑事は目を丸くして夏実を見る。

「一つ聞いてもいい?さっきこの方からどんな報告があったの。」

 夏実は制服の警官に目をやってから、大門刑事に質問した。

 刑事と警官は目を見合わせた。

「それはちょっと言えないね。いくら夏実ちゃんでも、捜査上の秘密だから。」

 夏実はちょっと黙ってから大門刑事を上目遣いに見た。

「ところで大門さん、妹さんは元気?」

「妹?ぼくには妹はいないが・・・」

 話題が唐突に変わって刑事は目を白黒させた。

「そう、先週末の夜、花ノ宮の大鳥居のまえで手を繋いで仲良く歩いてなかったっけ。ごめんなさい、わたしの見まちがいね。てっきり妹さんかと。」

 夏実はにっこり笑って刑事を見上げる。目は笑っていない。大門刑事は大きく咳払いして夏実を部屋の隅に引っ張っていった。刑事は夏実に顔を近づけて、囁き声になった。

「そんなに大したことじゃないんだよ。倒れた人、真名井さんだっけ。医者の見解では、何かの毒を飲んだ可能性が高いらしい。」

「やっぱり。じゃあチョコレートに毒が。」

「それは鑑識の結果を待たないと。でも、毒としても摂取量は多くない。おそらく残されたチョコの量を考えても、致死量にははるかに及ばないらしい。」

「そうなのね。」

「まあ、傷害事件の可能性として調べることになりそうだね。この事は他言無用だよ。」

 大門刑事がそう言った時、ふいに背後で短い悲鳴が上がった。振り返ると、木場刑事が泣きそうな顔をして天井を指さしている。大門刑事のいる反対側の天井の隅に虫のようなものがとまっている。木場刑事は見かけによらず、虫が大の苦手だ。夏実はこどもの頃、その事でよく木場刑事をからかったものだ。

 大門刑事が目を凝らして見る。青い色をした蝶々のように見える。ホワイトボードの指示棒を伸ばして、大門刑事が突付いてみる。それは天井からひらひら舞い落ちて、木場刑事に体をかすめた。

「ひゃあっ。」

 木場刑事が顔に似合わない悲鳴を上げて飛び退く。大門刑事がそれを拾い上げた。

「怖がることないよ。蝶々のフィギュアだよ。良く出来てるけど。」

 大門刑事は手のひらほどの鮮やかな青いフィギュアを興味深く見ている。

「モルフォ蝶のフィギュアだね。」

「大門さん、蝶に詳しいのね。」

 夏実も刑事の手元を覗き込む。

「昆虫採集は昔からの趣味でね。」 

 大門刑事が言う。夏実は不思議に思う。この二人は何故昔から仲が良いのだろう。 

「どうしてこんなものが天井にあったんだろう。勝手に貼り付くはずはないし。とりあえず持って帰ろうか」

 大門刑事は首をひねりながら木場刑事にフィギュアを渡す。木場刑事はしぶしぶ受け取ってハンカチで包んだ。

 それまで黙っていた孝之が小さく何かを、つぶやいた。夏実は耳ざとくそれに気づいて、

「小澄さん今何と言ってたの。」

「ああ、いやモルフォ蝶でふと思い出したことがある。」

「いったい何を。」

「モルフォ蝶はその美しさから、美の女神の化身とも言われている。」

「モルフォ蝶はヴィーナスの化身?それに何の意味があるの。」

「そう、偶然のことかもしれないけど。」

 孝之は額にてを当てて考え込んでしまった。



 



 

 

 

 

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