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〈 4 〉

 翌日の午後4時。スタークラブの定例勉強会が始まった。

 S百貨店の別館地下に大小の研修室がA〜Eまで並んでいる。勉強会が開かれたのは小さいほうから二番目のD研修室だ。10名以下の比較的小さな会議に使用される。8坪ほどのほぼ正方形のスペースだ。中央にしっかりした造りの長方形の机が据えられ、まわりに椅子が10脚、机を取り巻くように置かれている。

 入口から反対側の壁際にプロジェクターとプリンターとホワイトボードが置かれている。プロジェクター横には発表者用の簡易の演台が据えられていた。入口に近いほうの壁に冷蔵庫と食器棚を兼ねたキャビネットがある。反対側の隅はパーテーションで区切られていて、予備の椅子や用度品の棚が置かれていた。

 演台を前にして立っているのが、今回の発表者、スタークラブで一番若い、海王星−ネプチューンの布施友光だ。外商部に配属されて4年間、トップセールスとして実績を残してきた。柔らかい笑顔と物腰の持ち主だ。てきぱきとした話し方で今月の発表を終えたところだ。話の要点はホワイトボードに書き出している。

「中野さん、何かご意見はおありですか。」

 布施友光は演台に一番近い席に座る中野恵利に聞いた。恵利は少し考えてから、

「百貨店がブランドの枠を越えた館、メゾンとしての強みを活かしていくための具体的な施策は何なのかな。」

 歯切れの良い口調で、自問するように言った。中野恵利は電話交換室の副室長だ。裏方の仕事ではあるが、業界の電話応対コンクールの最優秀賞受賞経験がある。ニックネームは天王星−ウラノスだ。あまり前に出て意見を言うタイプではないので、友光はあえて最初に話を振っておいた。

「ブランドやショップの枠を越えた対応をするために、フリーで動ける我々のような外商部が重要になると思うんです。」

「ターゲットは富裕層ね。」

 そう言ってうなずいたのは、サターン−

土星の黒田明日奈だ。仕事が早く正確で、信頼性の高い総務部主任だ。やや理屈っぽく神経質な所がある。孝之には黒田明日奈の笑顔の印象があまり無い。

「ただ、商圏内の富裕層をこの店にどうやって引っ張って来られるの。競合店に比べて富裕層に弱いのがこの店の現状よ。」

「それこそ外商の腕の見せ所です。」

「富裕層を狙うということは賛成です。」

 手を挙げて明るい声で賛同したのはインテリア売場担当の火星−マーズの大杉晃だ。性格は明るく、少しおしゃべりで動きも軽い。歳より若く見え、ハンサムといっていい容貌をしている。

「百貨店の商品は品質は良いけど、高いと言われます。たとえば、普通のものより二割良い品質のものが、倍の価格だったりする。でもこの二割の良さのために喜んで倍のお金を払ってくれる富裕層は確実に存在します。」

「百貨店の商品が本当に質が良いかが疑問だね。」

 腕を組んでそう言ったのは紳士服売場の宇戸雄飛だ。ニックネームは木星−ジュピター。がっしりしたスポーツマン体型で背も高く、ブランドのスーツが良く似合っている。少し尊大なものの言い方をするのが欠点かなと孝之は思う。

「スーパーの量産品よりは少なくとも良いと思うけど。」

 真名井玲亜の言葉に大杉晃もうなずいて、

「うちの売場のPBも品質にはこだわってますよ。」

 PBとはプライベートブランド。その百貨店のオリジナルブランドのことだ。

「PBなんか特にくせ者だよ。」

 宇戸雄飛は晃に指を突きつけて、

「PBとか百貨店限定品とか、仕入率は良いし、差別化できると言われて百貨店側は喜んで飛びつくけど、何のことはない、メーカーは質を落として仕入率を下げてるだけだ。それを見抜けるやつが、この店にはいない。」

「それ詐欺じゃないですか。」

「そう言ってもいいかもしれない。」

「宇戸さんには見抜けるというの。」

 魚田紗季が皮肉っぽい視線を向ける。雄飛は眉をぐいっと上げてかぶりを振った。

「残念ながら相手が一枚上だ。相手は見えないところで手を抜いてくる。でも、見る目を持った真の上級顧客はそれを見抜いてしまう。そうして百貨店にとって最も大事な顧客は離れていく。」

「宇戸さんはどうすればいいと思うの。」

 明日奈が聞く。

「我々がスペシャリストになるしか無い。商品を見る目を持つしか無い。」

 雄飛は声に力を込めてそう言った。玲亜は首をかしげて、

「そうかしら。それは確かに大切だけど、わたしの売場のように幅広い商品群で、すべての商品のスペシャリストになるのは現実的ではない。商品を見る目はスペシャリストに任せればいい。わたしたちに必要なのは、販売も含めたスペシャリストを育て、それを動かしていくマネジメント力よ。」

「商品のスペシャリストでなければ、真のマネジメントなんて出来るはずが無い。」

 雄飛は譲らない。少し意地になっている。

「いいえ、一流のオーケストラの指揮者が、それぞれの楽器のスペシャリストである必要はないわ。」

「俺たちが目指すのはオーケストラの指揮者ではなく、一流のプレイングマネージャーだ。」

「議論が白熱しているけれど。」

 孝之が口をはさんだ。

「時間が大分オーバーしてるよ。ひとまずペンディングとしないかい。」

 書紀を務めている夏実もペンを止めて、

「そうしましょうか。あとで議事録は回しておくわ。」

 その言葉に一同は緊張を解いた。玲亜が席を立ちながら、

「それじゃおやつタイムにしましょうか。」

「待ってました。」

 晃が大げさに拍手をした。


 真名井玲亜は研修室の冷蔵庫から細長い黒い箱を取り出し、机の真ん中に置いた。赤いリボンを外してふたを取る。

 一同が覗き込んで歓声をあげた。魚田紗季が9枚の紙皿とフォークを準備する。

「ツヤツヤしてて綺麗。全部色がちがうのね。」

 中野恵利がチョコを一つ一つ指さしながら言った。黒田明日奈は箱に同封された説明書と見比べながら、

「中身も全部違うみたいよ。どれも美味しそう。」

 チョコの説明書が手から手へ回覧される。

「それじゃあ、それぞれ自分の惑星のチョコを取ることにしますか。」

 布施友光がそう言って一同の顔を見渡す。

「太陽と地球は、小澄さんと稲森さんに好きな方を取ってもらうとして。」

「それじゃ面白くないだろ。」

 宇戸雄飛が友光の言葉をさえぎった。

「宇戸さんはバニラが嫌いだもんね。」

 魚田紗季はそう言った。木星チョコはバニラ味だ。

「チョコを貰ってきた真名井さんからそれぞれ好きなものを取ればいいと思うよ。」

 大杉晃がそう言ったが紗季は首を横に振る。

「それも何だか喧嘩になりそう。公平にクジにしましょうよ。あみだクジとか。」

「賛成。わたしがあみだクジ、用意します。」

 黒田明日奈がA3のコピー用紙をプリンターから引き抜いた。ホワイトボード用のペンで9本の縦線を引く。紗季から順番に縦線を選んで自分の名前を入れていった。残った2本の線には孝之と夏実が名前を書いた。紗季が、線の下に太陽から順に星の名を入れてから、

「ここに横線を入れていきましょう。今度は稲森さんからどうぞ。一人3本までね。」

 そう言って夏実にペンを渡した。順番にランダムに横線を書き入れていく。最後に紗季が3本の横線を入れてあみだクジが完成した。

「このチョコを手に入れてくれた真名井さんから引いてください。どうぞ。」

 友光がそう言って玲亜のまえにチョコの箱を置いた。

 玲亜があみだクジの線をたどる。その指は一旦左の端まで行ってから真ん中あたりへ降りてきた。

「火星だ。やった、わたしはこれが本命だったの。」

 玲亜は赤い火星チョコを取って自分の皿にのせた。

「ヘーゼルオレンジね。いいなあ、わたしもそれ狙ってたのに。」

 明日奈が残念がった。

「じゃあ次は今日の発表者のネプチューンどうぞ。」

 玲亜はチョコの箱を友光の前へすべらせてからホワイトボードを指さして、

「なかなかいい発表だったわね。でもメゾンの綴りが間違ってるわ。」

 一同の視線がホワイトボードに書かれた文字に集まる。

「MAIZONではなくて、MAISONよ。ZではなくてSよ。」

「本当だ。ご指摘ありがとう。」

 友光は頭をかいてからあみたクジをひいた。引き当てたのはオレンジ色の水星、ココナッツマンゴーのチョコだ。

「これが水星か。何だかイメージと違う色。」

「水星っていっても水は無いしね。太陽に近いから熱いイメージなのよ、きっと。わたしの星が取られちゃった。」

 マーキュリーの紗季が言う。

 その後はあみだクジは席の順番に引かれていった。金星、黄色のクリームレモンを引いたのは夏実、木星の赤茶のバニラは宇戸雄飛、土星の薄茶のラムレーズンは黒田明日奈、天王星の緑の抹茶ミルクは中野恵利、海王星の白いカプチーノは大杉晃、青い地球はココアで魚田紗季、そして太陽はゴールドでパイナップル、孝之が引いた。


 目の前のチョコに向かって一同は、いただきますと手を合わせた。

「おいしい!酸味と甘味のバランスが最高。」

 クリームレモンを口に入れた夏実が声を上げた。向かいの宇戸はフォークを使わず、手でつまんでかじる。

「結局俺はバニラか。でも甘すぎず、ブランデーの香りがする。以外といけるな。食べ過ぎは禁物だが。」

「宇戸さんはコレステロールを気にしてるのよね。飲み過ぎの方が問題なんじゃないの。」

 紗季はそう言って、チョコをフォークで突刺す。雄飛は鼻をならして紗季を見る。

「そういう魚田さんも、甘いものは肌荒れの大敵って言ってましたよね。」

 紗季はチョコをかざして見ながら、

「この青色が綺麗。中身は王道のココアね。食べ過ぎなければ、カカオは身体にも肌にもいいものなのよ。」

 晃は楽しそうにチョコをフォークで切り分けて口に入れる。

「これは大人の味ですね。コーヒーのコクが深い。ぼくは子供のころ肝臓を悪くして、チョコを控えるようにいわれたことがあるからチョコには少し気を付けてますよ。」

 友光はチョコを削りながら口に運ぶ。

「ぼくは血糖値が心配ですよ。父が糖尿で。これ、トロピカルな風味がいいですね。」

 「わたしのもおいしいけど、ちょっと想像とちがう。」

 玲亜は少し首をかしげた。恵利もおいしいとつぶやきながら、まわりを見回す。

「抹茶とミルクの相性抜群。みんなのチョコにも興味あるけど。」 

 恵利はとなりの人のチョコの方が気になるようだ。

「定例会の時はこれから持ち回りで、おすすめのスイーツを用意することにしたらどうかな。」

 明日奈が提案する。

「いいわね。とにかく今日は玲亜に感謝ね。」

 そう言って玲亜を見た紗季が怪訝そうな顔になった。玲亜がフォークを持つ手を止め、口を押さえて顔をしかめている。

「どうしたの、玲亜。」

 紗季か心配そうに言って立ち上がった。 「なんだか口がしびれるようで、苦しい。」

 玲亜がフォークを取り落とす。金属音を響かせて、フォークが床に転がる。

「水を持ってきます。」

 友光が慌ただしく席を立ち、部屋を飛び出す。

 玲亜がうめくような声を上げた。紗季が玲亜のそばに回り込み、背中に手をやる。

「玲亜、しっかり。」

 玲亜が絶息するような声をもらし、机に突っ伏した。全員が席から立ち上がる。玲亜の身体の上にかがみ込んだ紗季が小さく悲鳴を上げた。玲亜の口から一筋の血が流れ落ちた。

 


 


 






 

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