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〈 3 〉

 休憩所に現れたのは、化粧品売場主任の魚田紗季と洋品雑貨売場主任の真名井玲亜だ。二人は孝之たちに手を振り返すと、夏実の隣に並んで腰かけた。二人ともS百貨店の第10期スタークラブのメンバーである。

 S百貨店では、2年に一度優秀社員の表彰制度を設けている。入社6年目までの若手社員を対象に、特に優秀と認められた者が所属部門の推薦を受け、店幹部の審査を経てスタークラブとして認定される。定員は決まっておらず、その時々の状況により5〜10名が選ばれる。スタークラブに選出されると、表彰式で金色の星型の胸バッジが授与され、祝賀パーティーも催された上、報奨金が支給される。スタークラブになるのは名誉なことで、将来の幹部への道が開かれたことにもなる。

 報奨金の使い道には報告義務があり、無駄遣いができるわけではない。資格を取ったり、研修旅行にいったり、自己研鑽に使われる事が多い。

 今年度は魚田紗季、真名井玲亜を含め7名のスタークラブが各売場から選出された。彼ら7名は報奨金を出し合って、東京への視察旅行を企画した。手分けして百貨店を含む都内の主要流通施設を視察したあと、信州蓼科高原のホテルに宿泊した。翌日は視察結果をもとに意見をたたかわせ、一つのレポートをまとめ上げた。「百貨店が再び小売のスターとなるために−デジタル時代の新戦略」と題したレポートは店幹部から高い評価を得ることになった。

 店からの推奨もあり、スタークラブのメンバーはレポートの内容を深化・発展させ、実践に繋げるべく、毎月定例の勉強会を開いている。今月の定例会は明日の夕方から予定されている。孝之と夏実は今回、オブザーバーとして会に参加する。孝之たちが所属するサービス部門は店内での教育係を兼ねている。会議にはサービス部門のメンバーが交代で立ち合い、進行役と書記をつとめることになっている。教育係といっても、孝之は会議内容の簡単な感想を述べるに過ぎない。


「紳士服売場の新人、なんとかならないかしら。商品を人差し指で指さすし、呼込も『まいど、どうも』なんて魚屋の大将じゃあるまいし。」

 魚田紗季がぼやきながら席についた。スレンダーな体型に短髪、角のある眼鏡をかけている。知的だが少し冷たい印象だ。

「仕方がないんじゃない。去年まではコロナ禍で、学生時代バイトもままならなかったろうし。元気があるだけいいと思うわ。」

 真名井玲亜はそう言って微笑んだ。中肉中背だが、ウエストまわりが程よく引き締まったスタイルは夏実が羨ましく思うほどだ。目鼻立のはっきりした華やかさのある美人だ。

「とりあえず、売場応援おつかれさま。」

 孝之は夏実越しに二人に声をかける。バレンタインワールドは水曜から月曜までの6日間、孝之たちの応援は前半の今日までだ。

「おつかれさま。お土産もらってきちゃった。」

 玲亜が紙袋から箱を取り出した。

「あっ、すごい。太陽系チョコのフルバージョンじゃない。」

 紗季が声を上げる。笑顔は案外人なつっこい。

「そうよ。去年も同じ売場応援でチーフも覚えていてくれて。今日は特に売上が良かったから、とっても喜んでくれて、お礼にって。」

 玲亜はいかにも高級そうな細長い黒い箱を開けてみせた。

 箱の中に直径3センチほどの色とりどりの丸いチョコレートが一列に並んでいる。太陽系をモチーフにした商品だ。太陽が1つと惑星が8つの合計9つのチョコだ。一つ一つ異なるフレーバーのガナッシュをこだわりのチョコレートで包み、カラフルなコーティングがされている。星の輝きをイメージした光沢感のある仕上がりだ。バレンタインワールドでは毎年安定した人気を誇るチョコだが、今回は特に売行きがいい。玲亜の目立つ容姿と高い販売力によるところが大きく、その感謝の意味での進呈なのだろう。

「一度食べてみたかったんだ。このチョコ。」

 うっとりしたようにチョコを見ながら紗季が言った。一個あたり五百円以上する高級品だ。気軽に手が出せないでいた。

「明日のスタークラブの例会の後で、みんなで食べようよ。一人で食べるのはもったいないから。」

 紗季の提案に玲亜は手を打って、

「それはグッドアイデアね。食べるのが惜しいくらいだけど。」

 横から覗き込んでいる夏実も感嘆の声をあげた。

「本当にきれい。宝石みたい。」

「稲森さんと小澄さんの分もあるわよ。チョコは全部で9個、わたしたちスタークラブは7人だから。」

 玲亜の言葉に夏実はバンザイした。

「嬉しい、明日が楽しみ。」

「本当にわたし達にぴったりのチョコね。」

 紗季がそう言うと、孝之はうなずいて、

「スタークラブっていうくらいだからね。夏実はどの星がほしいの。ぼくは太陽が食べたいよう、なんて。」

 紗季は玲亜と顔を見合わせてクスリと笑った。

「小澄さんは知らないでしょうけど、それ以上の意味があるのよ。わたし達スタークラブのメンバーには全員ニックネームがついてるの。」

「それは知らなかったよ。どんなニックネームなの。」

「去年、蓼科へ行った時、みんなで星を見に行ったの。空気が澄んでて、とってもきれいな星空だった。その時、だれかが星のニックネームをみんなに付けようって提案したの。」

「素敵な提案だって、みんながそれに賛成したの。わたし達はスタークラブだから。」

 玲亜があとを続ける。

「最初はシリウスとかスピカとかオリオンとかにしようとした。でも神話では、一等星や星座には悲しいエピソードか付いたものが多いのよね。」

「そうだね。飼い主を間違えて喰い殺してしまった犬とか、冥界にさらわれた美女とか、サソリに刺された勇者とか。」

「それでね、太陽系の惑星の名前をつけることにしたの。」

 玲亜は口調は楽しそうだ。張りのある声は耳に心地良い。

「地球を除いて、惑星は7つある。太陽に近い水星から年齢の順に付けていった。最初は魚田さん。」

「年齢といっても数カ月単位でしか変わらないのよ。」

 紗希があわてて口をはさんだ。

「それでわたしが水星、マーキュリーなの。商売の神様ってのは光栄だわ。そして玲亜が次の金星。」

 玲亜は少し照れたように笑う。

「金星はヴィーナス。美の女神なんておこがましいけれど。」

「マーキュリーとヴィーナス・・・」

 孝之と夏実は顔を見合わせる。

「そうすると、あとのメンバーは、マーズにジュピターにサターンに。」 

「ウラノスとネプチューンよ。小澄さん、良くご存知ね。」

 紗季が感心したように言う。

「ローマの神々か。」

 孝之は窓の外の夜景に目を移してつぶやく。

「どうか喧嘩せず、仲良くやっていってもらいたいものだ。」

 しかし孝之の願いはそれからまもなく、儚く裏切られることになる。


 

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