〈 2 〉
「なかなか派手な活劇だね。今回の夢は。」
S百貨店コンシェルジュの小澄孝之は、自販機で淹れたコーヒーの紙カップに口をつけながら言った。最近導入されたコーヒー自販機は豆から淹れる本格派という売りだか、香りはいかにも物足りない。
「そうなの。めずらしいのよ、こんな激しい戦いの夢は。」
S百貨店の案内嬢の稲森夏実の目の前のテーブルには、生チョコレートのかけらが数個入った小さな箱がある。ひとかけら爪楊枝で突き刺して口に入れた。さっきまで販売応援をしていたベルギー産チョコレートの売場の試食品を貰ったものだ。
S百貨店の9階催事場裏にある休憩所で、孝之と夏実はカウンター席に並んで腰かけている。二人とも催事場のバレンタインフェアの売場応援が終わったところだ。
百貨店の従業員休憩室は、窓の少ない窮屈な穴ぐらのような環境のものがほとんどだが、9階のこの席は特等席だ。カウンター席の前のガラス越しに港町の夜景が広がっている。
2月14日のセントバレンタインデーの前週、S百貨店の催事場ではバレンタインワールドと銘打った催事が開催されている。会場には海外の人気ブランドのチョコレートや、国内有名メーカーの限定品など、色とりどりのチョコレートが並ぶ。義理チョコの風習ががどんどん廃れていったとはいえ、バレンタインの関連売上は、依然として年間のチョコレート売上の一割以上を占めている。
普段売場展開していない輸入チョコや国内ブランドの特別限定チョコなどは、専属の販売員が付いていない場合も多く、百貨店の自前の社員が各部門からかり集められる。売場の若手社員や、孝之たちサービス部門の社員は催事応援の常連となる。
「夢の中で瑠璃色のカーテンが閉まっていたんだとしたら、その夢はこれから起こることを暗示しているということか。」
夜景に目をやったまま孝之は言った。港のシンボルタワーがピンクにライトアップされている。期間限定のバレンタインデーのイメージ演出だ。
「そうかもしれないの。」
夏実はうなずく。
夏実の頭の中には名探偵がいる。夢の中の瑠璃色のカーテンの向こうの光景は、起こった事件の解決のヒントを表し、カーテンが閉まった前での出来事は、近い未来を暗示しているらしい。それこそ夢のような話だが、これまで夏実の夢の話と現実との関連を目の当たりにしてきた孝之は、その信憑性を実感している。
「なんだか物騒な内容でしょ。」
夏実は肩をすくめる。孝之は夏実の方を見て、首を少しかしげた。
「祈りを捧げて崩れ落ちる美女と、石造りの回廊での戦士たちの闘い、これが何を表しているか。」
「夢の舞台については何となく見覚えがあるような気がする。前に名画劇場で見た映画のシーンの記憶だけど。オードリー・ヘップバーンが出てた。映画はモノクロだったけど。」
「だったら『ローマの休日』だね、おそらく。僕も見たことはある。」
「いいわねローマ。行ってみたいわ。」
「一度はイタリアに行ったりあ。」
孝之の語尾は少し小さくなった。ギャグに自信がなかったのだ。夏実は聞こえないふりをした。孝之は気を取り直して、
「ローマとすると、舞台はコロッセオか。」
「そういえばそんなイメージね。」
「コロッセオとなると、闘ったのは剣闘士ということかな。」
「でも、剣闘士みたいな鎧は付けてなかったの。一人だけ兜をかぶってたけど。身体には布をまとってたり、ガウンのようなものを着てたりしてた。」
「武器は持ってたんだよね。」
「ええ、剣や槍や弓矢や鎌とか。杖を持ってる人もいた。大きな宝石がついてたり、ヘビが巻き付いてたりした見たこともない杖。」
「宝石の杖はすてっきだけど蛇はちょっとヘビーだね。」
反応の薄い夏実から目を逸らせて、孝之は少し考えた。
「ローマの神さまのイメージかな。僕もあんまり詳しくはないけど。調べてみようか。」
孝之はスマホを取り出した。
「『ローマの神々』で検索してみる。画像をだすから見てみて。」
夏実はスマホを覗き込んで、少し画面をスクロールしてみたが、すぐに声を上げた。
「この人よ兜をかぶっていたのは。」
孝之と画面を覗き込む。トサカのついた兜をかぶった半裸の彫像の写真があった。右手に剣を持っている。
「剣も持ってたけど、攻撃に使ったのは弓矢だった。」
孝之は写真に添えられた解説を読む。
「ええと、これはマーズ、戦いの神だね。惑星では火星をあらわしている。他にはいないかな。」
夏実はさらに画面をスクロールする。
「この槍にも覚えがある。先が3つに分かれてて。とても強そうだった。」
「三叉槍を持った海の神、海王星のネプチューンだ。」
「王冠をかぶったのはこの神さま。ジュピターって書いてあるわ。それからヘビの巻き付いた杖を持ってるのは、マーキュリーね。」
「ジュピターは神々の王様で木星、マーキュリーは水星で商売の神らしいね。」
「あとの二人は難しいわね。なかなかそれらしいものが出てこない。」
「ここまで出揃うと、予測がつくよ。」
孝之はスマホの検索をやり直して、
「ほら、あとの二人はこれじゃないかな。」
「そうよ、間違いないと思う。二人とも髪とヒゲが長くて。なんていう神様なの。」
「土星のサターンと天王星のウラノスだよ。『惑星と神々』で検索してみた。」
「何だか昔見てたスーパーヒロインのアニメみたい。」
「月と地球は無いけどね。でも、そうだとしたら、祈っていた美女はおそらく・・・」
「美の女神、金星のヴィーナスね。確かにそれにふさわしいような美人だったわ。」
「それは是非拝見したかったものだね。」
孝之は夏実の前の箱から生チョコを取って口に放り込む。
「さて、ここまでは順調に解明できたけれど、この神々の闘いが何を暗示しているかってことだよね。」
「そう、それが問題なのよ。」
「何か思い当たることはないの。」
「全く。見当もつかない。あんなに濃い顔の人たちに知り合いはいないし。」
休憩所の入口の方から楽しそうな笑い声が聞こえてきた。孝之は声の方向へ振り向いて、
「夢のことは宿題にしておいて、明日の例会のことについて少し打ち合わせしよう。ちょうど彼女たちも売場応援終わったようだし。」
休憩所に二人の若い女性が入ってくる。孝之は彼女たちに手を振った。
「スタークラブのエースたちの登場だ。」