矛盾した願望を抱いてまして
机に突っ伏す腹黒姫を大人ぶった態度で窘める生徒会長。
「少し静かにしてなさいよ。話が進まないんだから」
たが従順で優しいはずの悪魔から横槍が入る。
「千代乃さんも少しお静かに」
「なんでわたしっ! む?」
優しい悪魔は、彼女の口から不満が溢れ出す前にポケットから取り出した非常用のキャンディを放り込んで黙らせた。いちごミルク味が今の彼女へのベストチョイス。
効果のほどを確かめてから補佐役の顔に戻る。
「主人公の美来が自分で伴侶を選べなかったのは何故か。その根底にあるのは恥ずかしいという感情に尽きます。早乙女先輩の言葉を借りるなら、自由という器の中で自分の真実を晒す羞恥に耐えられなかった月人。人間社会の中では平凡な一般人に過ぎなかったということです」
早乙女は深く頷いてから、ここへ来て初めて笑って見せる。
「美来は、うちの高校の代表格というわけか」
「はい。口先ではフリーダムをさも当然の権利のように主張するくせに、いざ手に入れると恥ずかしくて何もできやしない。クソどもの典型です」
「お、おい。辛辣だな」
補佐役は頭を横に振って口の端を歪ませる。
「フリーダムのテーマを持ち上げた前の生徒会長。学校の制服を廃止しようと本気で動いていた記録が残ってました」
急な話題の転換に戸惑うも、すぐに思い出す。
「校内アンケートのあれか」
「ええ。生徒会方針を決めるために募集して、トップになった案件です」
「有言実行を当然とする優秀な人だったからな」
今度は補佐役が深く頷いて、生徒会長席のPCを指差す。
「ほんと腹が立つくらいに。その校則の草案、『服装の自由化』じゃなくて『制服着用の禁止』になってたんです。あまりに見透かしていると思いませんか?」
制服の購入数が減れば制服メーカーの採算が取れなくなるから廃止せざるを得ないという理屈。服装の自由を歓喜するであろう生徒達。
しかし、何を着ればいいのか悩むことになり、一番の逃げ道となりうる制服の選択肢は最初から封じられている。みんながどうするかを必死で探りながら、好みでもない服に金を使わねばならない。
結果、今まで見えなかった交友関係のつながりや経済の格差までもが浮き彫りになることで差別や孤立が加速、仲間から外れないよう精神を削る毎日に縛られる。
そこまでを想像した早乙女は、先の文化祭実行委員会で耳にした、学校を潰す目的で色々手を尽くしていたと言う本人の声と、見透かしているという補佐役の言葉が結び付いて背筋が寒くなる。
「まさか……。この学校を潰すには自由を与える事が一番だと?」
「恥ずかしいという思いは社会構造を維持する上で必要不可欠な感情です。それが強い傾向にあるこの学校が、考えなしに自由を歓迎すればどうなるか。最初からわかっていたんです」
学校を潰すなど現実味の無いただの感情的な恨みの表現だと捉えていた。それは自分だけでなく、あの場に居た多くが同じ理解だったはずと早乙女は思い返す。しかし有言実行を成せる人物だと自分が認めたのも事実。
事実だが。
「だが、それだけでは学校の崩壊まで至らないだろう」
「そう。だから恥ずかしい人間の象徴として長嶺行人という布石を置いた」
補佐役は自分もまた計画的に用意された駒だったと明かす。
みんなから笑われ嫌われ、集団から排除された者の悲惨な末路として俺の姿を全員の脳裏に焼き付けることに成功しているんですと、否定し難い事実をつけ加える。
隣で飴玉を噛み砕く音がした。
「長嶺。お前はそれを承知した上だったのか?」
「どうでしょう。正直、あの事故より前の自分を正確に思い出せません。だけど、地獄から這い上がって戻った俺には怖いものなどありませんでした」
戯けて笑う補佐役は、腕にしがみつく存在に気を取られる。
「……のはずだったんですが。今の俺はこの人を失うことだけが怖くてたまらない。しかも、俺の隣で自由に生きて欲しいとか、矛盾した願望を抱いてまして。そのための補佐役という仕事なわけです」
信じられないものを見る顔になっている透を横目に、早乙女も同じ感想を抱くようになる。
その存在はもはや人にあらず。
「俺にもお前が鬼か悪魔に見えてきたぞ」
補佐役は素性を明かすように悪い笑みを浮かべる。
「そう思ってもらえたなら俺の仕事は終わったも同然です。つまるところ、千代乃さんが生徒会長である以上は最高の文化祭となるのが必然にして必須。そのために俺は、美来のような存在を描いて導くことのできる早乙女先輩に目をつけた。お二人とも悪魔の呪いを胃袋に収めてしまったのですから、もう諦めてください」
絶句して目を合わせる薫と透。
誘われるがまま不用意に生徒会室へ足を踏み入れ、上品なもてなしに油断して散々翻弄された挙句、二人の絆を修復までしてもらった上で悪魔の企てに取り込まれた。
得体の知れない心地良さまで感じる早乙女は恐怖する。
「お、お前の考えるコンセプト・ストーリーとは一体何なんだ?」
その辺りも考えて頂きたかったのですがと呟いて天井を見上げる補佐役は、少し思案してみて折角だからと悪魔のイメージを取り入れる。
「そうですね。悪魔の与えるフリーダムを、さも自分の意思で勝ち得たと錯覚して喜ぶ迎合集団の安っぽい幸福。それを輝かせて見せるストーリー。ですかね」
補佐役以外の三人が息をぴったり合わせた深いため息を吐く。
どんなストーリーかはさっぱりでも、何を言いたいのかは伝わって理解してしまうところがいかにも悪魔の囁きだった。
「なぜだ。そんな物語が役立つと思えんのだが」
補佐役からすれば当たり前すぎる事に疑問を返されるのが不思議、といった困惑気味の顔になって理由を答える。
「なぜって、集団の中で無関心に生きる人間は、自発的に行動していると信じるときこそ、協力的になるからです」
呆気に取られる早乙女に構わず目論見の説明が続く。
予め全校生徒へコンセプト・ストーリーを浸透させます。これは残された短い準備期間で効率を上げるために欠かすことのできない心理操作です。そしてパンフレットを目にする来訪客もまた生徒達と同じフリーダムの感覚を共有することで同調効果を生み出し、称賛を得るのが狙いです。
「な、難儀すぎるぞっ。俺の実力では無理だ」
「そう構えず簡単に考えてください。昔から政治の世界では常套手段ですし、企業の商品宣伝を誘導する体験談とか口コミなんて最たるものです。世の中どこでも、普通にやってますから」
言ってるそばから心理操作されていることに気付けない早乙女は、既に悪魔の呪いから逃れられない。
「しめ、締切はいつだ?」
「明日中です」
「……。真面目に聞いている。冗談はよせ」
「既に漫研にキャラデザイン、手芸部にはキャラマスコット作成、あと軽音部へテーマソングを依頼済みで、皆インプット待ちです」
「お前はやはり鬼か悪魔か?」
「さあ。どっちでしょうね。まあ確かに、お一人では厳しいでしょうから、今日は巌田先輩と二人で徹夜して仕上げてください」
再び絶句して目を合わせる薫と透。
生徒会のオーダーという強権発動によりこの上ないエクスキューズが成り立った二人に言葉はもう不要。この後の事で頭が一杯一杯になる。
「ぜ、善処する」
その言葉だけを残した早乙女は、のそりと立ち上がると頭から湯気がたちのぼる透の腕を取り、ゆらゆらと歩いて生徒会室の出口に手をかける。
「息抜きのゲームは一時間までですよ?」
補佐役の世話焼きに膝を崩す二人。
「大きなお世話よ! もうっ!」
声を張り上げてへたり込む透をどうにか立ち上がらせる早乙女は、「善処する」ともう一度言ってから扉を開けて去っていった。
* * *
昔々、クラゲは自分のチカラで泳ぐことができました。
でも、ぶかっこうに泳ぐ姿を魚たちに笑われたクラゲは、
恥ずかしくなって泳ぐことをやめてしまいました。
やがて、海の波に身をまかせて自由に流されるうちに、
自分のココロがあることも忘れて考えなくなります。
今はもう行きたい場所もありません。
ふわふわゆらゆら。みんな一緒のフリーダム。
ある日、旅をする小さな魚がクラゲの傘に隠れました。
—— ちょっと休ませてね、青いクラゲさん
かまわないよ。小さな魚さんはどこへ行くの?
—— 海へ落ちた虹のかけらを探して集めているのさ
そうなんだ。たくさん見つかるといいね。
—— 青いクラゲさんはどこへ行くの?
わからない。みんなと一緒の場所。
—— そうなんだ。一緒なら安心だね。それじゃ、バイバイ
元気よく泳いでいく小さな魚の尾ひれは虹色でした。
ぼくも旅をすれば虹色になれるかな。
青いクラゲは今日も波に揺られながら、
おくびょうなココロで考えています。
考えて、迷って、考えて、きっと何かを選ぶ。
それが、私たちのフリーダム。
* * *
親友は幼馴染から「さっき文芸部の部長から渡されたばかり」という紙一枚の原稿を手にして黙りこくっている。紙面よりずっと奥の方を見つめていて、そこにある何かへ目を奪われているようだった。
興味深げに横から覗き込む幼馴染は、はっと思い立ち、スマホを取り出して『曲の生まれる瞬間』というものをとらえようとする。それはまんまと成功して、漏れ聞こえだす親友の鼻歌を貴重な動画記録として残すことができた。
「なっ、なにシテンダヨ!」
間近に迫ったレンズに驚いて我に返る親友。
「やー、すごーい。こんなの世界初じゃない?」
「ばっか、せっかく、あーもう、忘れちったじゃんよー」
「大丈夫だよ。ばっちりとってある」
得意気にスマホをひらひらさせて見せる。
そのあまりの自由奔放さに嘆き呆れる。
「オマエほんとにチヨノかよ。つか、悪ガキ時代のチヨノそのまんまじゃんかよ!」
「そんなことないもん。莉愛、その原稿こっちに向けて」
「え、なんで」
「いいから」
親友の指で両端を摘まれた紙面をパシャリと撮影。
画像の文字が読み取れることを確認したらポイっとどこかへ送信。
これでよし。よかったよかったとスマホを伏せ置いて、再びコーヒーを楽しむ幼馴染。
「今ソレ、どしたの?」
「文化祭実行委員のグループトークに投稿したの。あとはお願いしますって」
つまり、今、コンセプト・ストーリーが生徒会公認となってリリースされた。
「アイツは、それでOKしたんだ?」
ふるふると頭を振って、彼はまだ読んでないし、見る気もないと。
「補佐役は準備まで。あとの良し悪しは会長の判断だって。ほんと腹立つよね」
「……。チヨはこれが気に入ったんだ」
親友は持っていた原稿をテーブルに置いて読み返す。
アイツの注文どおりになってるかは知らないけど、共感するところはあるし、どうせお前らは迷うだけで何一つできないと煽られているようで反発したくもなる。
どちらにしても、自然と湧き出る感情に揺り動かされるのだろう。
今の自分みたいに。
「莉愛が気に入ったからだよ」
「あたし? なんで?」
「親友が喜ばない文化祭なんてやる意味ないし。莉愛が嫌ならストーリーも歌も、全部キャンセルするつもりだった。彼もそれでいいって」
親友。
面と向かって口にされると、どうにもむず痒くなる。
もうそんな関係じゃないのかなと不安だった。
みんなの中の一人に埋もれるのが嫌だった。
嬉しくて、唇が震えてしまう。
で、なんだよ。彼もそれでいいって。
ふざけんなあのヤロー。上から見透かしやがって。
最初から全部、チヨノを喜ばせる文化祭しか頭にないくせに。
「ついでにあたしを喜ばせるなよ」
「ん、なに?」
「なんでもない。ああ、なんか甘いのも食いたくなった。何か頼もうよ」
それは良い提案だとメニューを二人の間で開いて、スイーツのフリーダムを楽しく迷っていると、悪魔に操られたマスターがやって来た。
カウンター越しに二人の前へそれぞれトレーが置かれる。
乳白のアイスクリームが盛られたガラスの器の隣に、熱い漆黒を満たした小さな陶器のカップが添えられている。
「彼からお二人への差し入れだよ」
きょとんとした顔を向け合う様がおかしくて笑うマスターは少し補足する。
「一番苦いエスプレッソを美味しくご馳走してあげて欲しいと頼まれてね。お代も頂いてあるから。当店自慢のアフォガードを、どうぞ召し上がれ」
苦い味が嫌いな親友を思い遣ったつもりでいた幼馴染は、その思い掛けない、意地悪くも優しさの詰まった彼の気遣いにやっぱり敵わないなと降参する。今日はもう会いたくないと思っていたのに、隣で熱々のエスプレッソをアイスクリームへかける悔しそうな顔のことを教えてあげたくて仕方がない。
「莉愛。これ、甘苦くてすごくおいしいね」
最初にコーヒーの濃厚な香りが広がって、続くアイスクリームの甘さのあとでほろ苦い。アイスだけ掬って食べると物足りない感覚になっているのがわかる。
「めちゃくちゃ美味いよ……。覚えてろナガミー!」
先輩へのツケが減るどころか増えたことを、残念な悪魔は知らない。




