じゃあ相思相愛だったのね
生徒会室に残った、同類で気の合うはずの女子二人。
一頻り笑った生徒会長は目尻を指で拭う。「あー、おかしかった」と呟いて腰を上げ座り直し、黒蜜寒天の残っている器を自分の前に寄せて一人で食べ始める。
まるで気遣う素振りを見せない振る舞いに負けじと腹黒姫もきっちり半分残された器を手にして寒天を頬張る。
「人の不幸とどっちがおいしい?」
澄まし顔で感想を尋ねる生徒会長。
「……。早坂。いくら闇堕ちしたからって性格悪くなりすぎよ」
「透がよく喜んでたじゃない。『人の不幸は蜜の味』だって。わたしはあなたの不幸より本物の蜜の方が好きだから、透ほど性格悪くないよ」
腹黒姫の所以を優しくバカにされて、返す言葉がうまく見つからない。
「私だって、早坂が無理してるの喜んで見てたわけじゃない」
「そうだったんだ。じゃあ相思相愛だったのね、わたしたち」
「そこまでじゃない」
強く否定しても無視され、ご機嫌に最後のひとつを救って口に収めた。
すんとなった後、静かに器を持って立ち上がるのを見咎める。
「ちょっと。やめておきなさいよ」
「寒天だよ? カロリーないんだよ?」
「また黒蜜かけるのよね?」
「少しだけだよっ」
あの自制心の塊だった子とひどく子供っぽい会話をしている。それだけで異次元に迷い込んだ感覚になる腹黒姫だったが、妙に心地良い気分になるのが不思議で恥ずかしくもなってくる。
「彼君に告げ口するから」
「んっ。透のイジワル!」
やっとひとつ負かせたと胸がすく。
それでも、しっかりと繋がっている二人の関係が目に見えるようで羨む気持ちは膨らむばかりだった。
「あなたたち、いつから付き合ってるの?」
「付き合ってるように見える?」
おかわりできなかった不満顔がぱあっと明るくなる。
「違うの?」
「違わないけど……。えっ、いつからだろう」
「早坂。あなた本当はバカなの?」
まるで耳に入っていない様子。
結構前からずっと一緒にいた気でいながら、はっきり言って良さそうなのは三日前から。そこまで短くないと認めたくない気分も何故かあって、夏休みからなし崩し的にと言えば身も蓋もなく、デートしたからその日だと言えば笑われそうで、そもそもどれもこれも一ヶ月どころかつい最近だったという事実に自分で驚いている。
一日が濃すぎる。
こんな毎日が一年も続いたら高血圧になって死んでしまうと本気で誤動作する生徒会長の頭脳。
質問の答えも飛んだ。
「透。一日を十日に薄める方法教えて」
「バカなのね」
早坂千代乃は悪魔に魂を売って壊れた。
処置無しと腹黒姫は諦めた。
「透たちは確か一年くらい経つよね。『俺と付き合ってくれ』っとか早乙女君が告白したの?」
全然低くならない声で想像を下手くそに真似る興味の塊が尋ねてくる。
「ばあか」
「バカばかいうな。ちょっとくらいいいじゃない、こういうの恋バナだよね。寒天禁止したんだからその分話しなさいよ」
寒天はノンカロリーだからノーカウントだと言えば、カステラ食べたでしょと小学生以下の低レベルなやり取りを経て。
「ほんとばか。あの唐変木の朴念仁が気の利いた事なんて言うわけないじゃない」
「そうなの? じゃあ透から告白したんだ。へー」
初めて耳にする早坂千代乃の『へー』は、今までのどの『へー』よりも腹が立つ。
「手紙」
「ほう」
その反応もムカツク。
「……手紙もらったの」
「そっか」
全てを優しく包み込むような微笑みを見せてくる。まさに悪魔的な魅力で不覚ながら胸が高鳴ってしまう。きっと、彼君だけが見つけたとかいう秘密のひとつに触れてしまったのだと予感する。
しかしそれも一瞬。微笑みは崩れてニヤニヤと薄ら笑みへ変化していく。
「その顔うるさい」
「いいなあ、手紙」
「書かせればいいじゃない。彼君なら得意そうに思えるけど」
その指摘はまったくその通りだった。
得意中の得意であるのを知るが故に笑みが消える。
「危険すぎてムリ。前に彼から頼まれて県知事に送る手紙をチェックしたとき、寒気がしたもの。これ書いた人どこの聖人君子って感じだった」
「え、待って。いま県知事って言った?」
もう何度目かわからない話の飛躍に戸惑ううちに、男子二人が外から戻って来た。
補佐役は重い頭痛を抱えるように目を閉じたまま、大男は出て行った時よりも思い詰めた固い表情をしている。
黙ったままの早乙女薫が一層空気を重くしていく。
嫌な予感がして耳を塞ぎたくなる巌田透。
補佐役が大きな尻を叩いた。
「と、透。話がある」
「なに、よ……」
とうとう別れを告げられる時が来てしまった。
拒んでしまった自分が悪い。
あの時に放った言葉が彼の心を深く抉って壊してしまった。
わかってはいたけど、認めたくなくて、離れたくなくて、彼が隣に居るのを叩いて確かめることでしか安心できなくなっていた。
本当に身勝手な自分。嫌われて当然。
でも、でも。
もし許されるなら、もう一度。
最後の言葉を聞くまではと、透のまつ毛が滴を留めた。
重く沈む空気をたっぷり吸い込んだ息と一緒に、不器用な言葉が吐かれる。
「俺はまだ諦めたくない。できれば、もう一度、」
バシンと強く尻を叩く音が響く。
背後からの厳しいダメ出しに慌てて言い直す。
「いやっ、もう何度か、チャンスを貰えないだろうか」
はっと上げた顔が涙を振り飛ばした。
「その、少しずつ……、できたらと……、思う」
透は小さく頷いて、大男の胸に飛び込んだ。
そして少しの間、声を上げて泣いた。
「私も、……がんばる」
「すまない。ありがとう」
急転直下、すべて解決したような雰囲気の二人。
そのすぐ近く、本気で胸を撫で下ろしている補佐役が、そろりと音を立てず離れようとする様子を生徒会長は訝しむ。
「透。仲直りできて良かったね。それで、何を頑張るの?」
その声に我に返った透は愕然とし、補佐役を一瞥してから薫を睨みつける。
大きく開いた瞳の中に悲しみと殺意が入り混じる。
「薫。まさか、話したの? まさかだよね?」
再び大男は完全フリーズ。
そのまさかの話をされてしまった補佐役が素早く割り込む。
「ゲ、ゲームですよ。早乙女先輩があまりにヘタクソで、巌田先輩がもう一緒にやるの無理みたいな感じで喧嘩してたらしいです」
わなわなと震える透。
何か怪しいと思った生徒会長だが、つまらない原因ほど関係を拗らせる事がありそうだと得心した。
「なんだ、そんな事でぎくしゃくしてたんだ。でも透がゲームとか意外ね」
「そうそう。誰にも知られたくなかったそうなので、秘密ですよ?」
「そっか。上手になって二人で仲良く楽しめるといいね。頑張ってね、早乙女君」
励ましの言葉が真実の意味で刺さってしまう透は、未曾有の羞恥心に圧死寸前で暫く復帰不能となった。おかげで九死に一生を得た薫もまた、激白した真実の目標に興奮と後悔が交互に積み重なってカクカクと首を縦に振ることしかできない。
近々、または遠い先、無邪気に何を応援していたのかを知る生徒会長の憤怒を鎮める仕事について、将来の自分に申し訳ないと思う補佐役だった。
本題。
もう何でもやる。やらせてくれといった態度になった文芸部の部長は、補佐役から今回の依頼内容について詳しく説明を受ける。文化祭のテーマ『フリーダム』を題材にしたコンセプト・ストーリーを原稿用紙一枚程度で作り上げて欲しいというもの。
できれば子供も読めるような文章スタイルで、フリーダムを模索する世界に引き込める物語がいいと。
「な、難儀だな……」
何でもやると意気込んだものの、想像を絶する注文に早速腰が引ける。
「実は俺も巌田先輩と同じで、能天気なクラゲどもがふわふわしたテーマを決めやがってとウンザリしていたんです」
補佐役には前生徒会長が嘲笑って賛成していたのが容易に想像つく。それどころかフリーダムやらハッピーやらピースやらへ誘導していたと確信さえあった。
フリーダム。
それは、束縛や制約が何もない状態。
何を選んでもいい、誰からの指図も受けない、どこへ進んでもいい。
そんなノリだけを誘発するトップが忽然と消え去った今。素面へ戻った生徒会や文実が立ち塞がって、あれはダメこれもダメとやかましく干渉せねばならないのだから、どこがフリーダムなんだよと。そんな迷惑なテーマをやらせるなよと運営を背負った側は思うのである。
「ふわふわか。確かに」
「ですが、『蠱惑の月人』を読んでから考えが変わりまして」
補佐役は予め机の端の置いていた冊子を手にする。補佐役が取り上げたのは昨年の文化祭で文芸部が発行した作品集に掲載された短編小説。
「あ、わたしも去年読んだ。早乙女君の作品だよね。すごく面白かったよ。あれって竹取物語のオマージュだったりするのかな」
「あ、ああ。まあな……」
褒めてくれたというのに微妙な反応を見た補佐役は、物語の主題に抱いた感想とは別に浮かんだひとつの推測が正しいと確信した。
小説の描く物語の舞台は現代。
名家育ちの主人公である少女、月城美来は高校へ上がる年になって両親から許婚を決めると突然告げられる。中学から交友に口煩かったばかりか恋愛を禁じられたことに不満を持っていた美来は、親の決めた結婚など絶対に従わないと強く反発する。
口論の末、高校生のうちに自分で立派な伴侶を見つけられたなら良し、できなければ親の決めた相手と結婚することを約束して念願の自由な高校生活を始める。
生来見目よく恵まれた美来だったので、数多の男子が好意的で優しく接してくれた。
あるとき、気になる男子を友達に話すと、彼は顔はいいけど賢くないからやめた方がいいと言われ諦める。また別の人を意識すると、またも友達から彼は優しくていい人だけど家が貧しく借金持ちだから危ないと諭される。話していて楽しい人ができたと思っていれば、あんなブサイクとお情けで会話する必要ないよとみんなから笑われた。
結局、誰を好きになることもできないまま三年の月日が過ぎた美来。
友達が自分の事を思ってあれこれと言ってくれたのは、結局親の指図と変わらなかったのだと最後に気付いて絶望したまま卒業するのだった。
ところが、いざ許婚と会ってみれば親が厳選した相手だけあって容姿と人柄、財力のどれも申し分なく、一日話して過ごしただけで美来は相手に惹かれた。
将来を選択する勇気が無いことを思い知った自分だから、たとえ用意された出会いでも、自分を選んでくれる勇気のある人と向き合ってみようと決心する。
そうして美来は誰もが羨む幸せな結婚生活を過ごしていったという話。
「なんか胸に引っかかるハッピーエンドなところが新鮮だったなあ」
無邪気に感想を述べるその可愛い人に露骨な苦い顔を向ける補佐役。
「あの主人公、千代乃さんがモデルだから。俺には全然笑えない話」
「あはは、なに言ってるのユキト。そんなのあるわけ、……早乙女君?」
補佐役の推測はやはり正しかった。
完全に顔を背けている作者。
「も、モデルじゃなくてだな、ただ、すこーしだけインスピレーションをもらったと言うか、その、……なんかすまん」
謝ってるし。三人から距離をとって心の養生に専念していた腹黒姫だが、詫びる必要がどこにあると月の自由人を邪気にする。
「かぐや姫が地球で自由に生きたら人間社会に迷惑って話なの。そのくらい察してさっさとそこの悪魔と一緒に月へ帰りなさいよ」
言われてきょとんとする生徒会長は、自分の事を棚に上げて「悪魔だ」と補佐役を指差して笑う。
ショックを受けたように口を開けた悪魔は向けられた指を再び咥える真似をして引っ込ませると、おでこを叩かれながら自分なら主人公の美来へどうアプローチするかを考える。
はたと思い当たって「いや、悪くないな」と頷く。
「早乙女先輩、今年の作品は続編書いてください。幸せなはずの結婚生活にどこか物足りなさを感じていた主人公が、突如目の前に現れた悪魔によって欲望を解放されてしまうのです。溢れ出る感情に抗いながらも快楽へ溺れていく様を描くオウフッ」
題して『蠱惑の月人—覚醒編』です。と言う前にボディブローが襲った。
どーしてそんなことばっかり好きなわけ、そーいうオンナがカワイイわけこのヘンタイユキト、と座ったままのボディジャブが続く。
「読んでみたいとか思わせるのやめてよ!」
腹黒姫はそうしたジャンルに目がない。
当の作者は受けたオーダーを真剣に吟味する。
「あれは、自由とは己の真実を浮かび上がらせる器にすぎないという考え方を主題にした作品だ。その意味では、悪魔もまた自由の化身とも言えるな。……早坂を溺れさせる長嶺か。ん?」
「早乙女君。それ以上くだらないこと考えたらこのヒトの命、無いから」
俯き考え込む目線を上げてみれば、刃物と化した鋭利な爪がそのヒトの顎下に食い込んでいる。悪魔の血の色を見たことがあるかと見開いた目に問いかけられる。
「か、書かんぞ。書かないから、穏便にしてくれ……。透が真似すると困る」
「いいえ書くのよ。他の女に悪魔を寝取られた早坂が嫉妬の炎で身を焦がし灰になるまで書きなさい!」
最期は優しかった頃の悪魔を夢見ながら息絶えるの。
題して『蠱惑の月人—追憶編』よ。
個人的趣味と怨嗟の念がだだ漏れの腹黒姫に皆がどん引く。
「とおる……」
「なによ」
「チェンジされて灰になるって、ついさっきのあなたじゃない」
「チェンジっていうなあ!」
鋼のブーメランが眉間に刺さった腹黒姫は今度こそ活動不能に陥った。




