これからお仕事モードだからさ
結構怒られた。
昼間なのにルミさんに怒られた。
具体的には午後の授業で教員を乗っ取って登場。
上司に無断の暴挙だよ。きっと。
よほど気に障ったらしい。コテンパンにやられた。
まだ精神のダメージを引き摺っている。
五限・数学。
「エロジジイ指数を1.6として、いきなり耳の下から攻める童貞の偏差値を求めなさい。今日はエロ男の日なのでナガミネ。前に出て解いてみろ」
エロ男の日だった。じゃあ俺だね、しゃーない。
クラスのみんな、誰も助けてくれない。
てか、全員目がイッてる。
先生の舌打ちが何度も何度も教室内に響く。
怖くて黒板の全面が埋まるまで『ごめんなさい』をびっしり書いた。
生きててごめんなさい。
最後にそう呟いてた自分がいたよ。
六限・地理
「この首筋川流域から広がる耳ノ下平野において、豊富な水資源を活かして栽培が盛んな農作物といえば何だろう。小宮山わかるか?」
「あ、オレ? ええっと、エロ男じゃね」
「正解。そしてナガミネの出身地でもあるよな」
へええーっとみんなのオーバーリアクション。
えっマジかよー、すげえじゃん長嶺。
小宮山。何がすげえんだか教えてくれよ。
「ナガミネ、折角だ。君のおすすめ観光スポット、黒板の地図にキスマークをつけてみんなに教えてやってくれ」
もうね、精神壊された。
短いチョークを横に持って、くいっと回すと、ほら、蝶々。
黒板を埋め尽くす花びらのようだ。そこはもう桃源郷。
首筋川のせせらぎがきらきらと輝いて美しい。
オススメ官能スポットに頭突きしてる自分がいたよ。
いきなり舐めるのは厳禁だゾ。チェリボ諸君。
あの死神、ほんと俺を生かす気が毛ほどもない。
それから放課後、篠田書記にも怒られた。
文化祭の予算案は無事決裁が下りて、資材不足の問題も解消の目処がついたということで、週末は一息つこうとなった生徒会。
一応、帰る前に顔は出しておこうと生徒会室に寄ると、ちょうど彼女が「それじゃ、あとはよろしくお願いします」と篠田書記とお嬢に挨拶しているところだった。
俺の登場に気づいた彼女、慌ててお嬢の背後に回って顔を隠す。まるで強盗が人質を盾にするかのようにお嬢の両肩を鷲掴みにしながら出口まで引き連れて、ばっと扉を開けて逃げ去って行った。
お嬢、突然の密着に耐えられずブレーカーが落ちてダウン。
一瞬で起こった惨状に目を覆う篠田書記。
このあとお嬢と二人で文実本部に寄って予算引き継ぎをしてから帰る予定だったらしく。花岡を壊すなら用が済んでからにしろと恨みがましく怒られた。
その気持ちは良くわかる。根拠は昔仕事に使ってた俺のポンコツPC。
珍しく報告書が早く出来上がりそうだ、今日は定時で終わってやんちゃしちゃうぞと思った途端にPCがフリーズ。マウスをカチカチシャカシャカ、キーボードをカタカタバンバンする儀式を済ませてから再起動するとあらあら不思議、報告書のファイルが消えてるんですね。裏返った声でハハッって笑えるようになったら一人前。
こまめなバックアップはカラダで覚えるものなのだよ若人諸君。
今はクラウドだから? 笑いたい奴は笑っているがいい。
にしても文実か。代わりに俺が篠田書記に同行してもいいが、折角動き出した雰囲気を乱すのも気が引ける。学校へ復讐を誓った長嶺行人は薬を駆使して着々と支配を進めているというダークサイドキャラが定着しつつある俺。
大半の連中は面白半分のノリで騒いでいるのだろうが、本人が登場しては興醒めするというもの。せいぜい俺を共通の敵と見做して文実の団結を強めてくれたらいいと思っている。
ちなみに、前回の文実委員会で好き放題暴れた挙句、鼻水垂らして泣いていた亀なんとか先輩は、翌日にもう一人ガタイの良い仲間を連れて生徒会室を訪れ陳謝した。
陳謝というか土下座。いろいろ酷かった。
全身色褪せた上に白旗の白が見える俺は黙って怒りの女神を見守るも、
「ユキト、そこのゴミ片付けて。素手で触ると妊娠するから気をつけてね」
とパワーワード全開の拒絶。
お嬢は大興奮で動画撮影に夢中。
唯一正常機能する篠田書記が再びイケメン奉行然となり、「仕事で誠意を見せろ」と文実委員長としての職務全うを約束させてその場を収めた。
生徒会長があの調子じゃね、補佐役の出る幕ではない。
そんな色々だから、俺自身は文実に直接首を突っ込まない方が良いのだ。
仕方がないので、会計役の復帰を試みる。
床に倒れているお嬢の側で腰を屈め、彼女が友達と一緒に駅前商店街の『喫茶SUZUNE』へ向かったことをこっそり教えてやる。
ビーチフラッグスのスタートよりも素早く立ち上がったお嬢は篠田書記の襟を掴み取り、「篠田君、ちゃんとしたお店のコーヒー飲みたいでしょ。偶然ね私もなの。たまにはつきあって。私が奢るから。遠慮は無用よ。行きましょ。ほら立て。いま立て」と強制連行。
文実へ寄った足で帰るからナガミネ戸締りよろしくねと部屋の鍵を投げ渡され、「長嶺、貴様俺に何の恨みがある!」という叫び声を最後に静寂を得た。
すげえパワーだった。本物のビーチフラッグス知らんけど。
からの、今。
もう今日は誰にも怒られたくない。
もう今日は誰にも絡まれたくない。
だってこれからお仕事モードだからさ。
絡むといえば、舎弟二人には前屈みホイホイのまま帰ろうとする意地っ張り富田を家まで送り届けるよう頼んだ。何となく自棄っぽいところが垣間見え、本当に何かあっては寝覚めが悪いから。
二人揃って心配性だなあと俺を笑うので、声を低めて「何か悩みを抱えていそうだから、それとなく探ってくれ」と、実は俺には深い考えがあるんだ風のお題をテキトーに出したら火がついた。
段々と舎弟の使い方がわかってきたよ。
「なあんで長嶺じゃないわけえー!」
イケメン二人に挟まれる贅沢なテロっ子を見送った。
それぞれに散ったみんなから遅れて学校を後にし、駅へ到着。
電車が来るまでそれほど待つわけではないが、ホームのベンチが空いていたので腰を下ろす。体調が悪いわけではないが、気分が悪かった。
昼に大人の本気を出して少し過ぎてから、段々と。
いつものシラフに戻ったあとの悶絶羞恥の類と思っていたのだが、ここまで移動してみて全く違う原因だったと気付いてしまった。
これは、確かめる必要がある。
一席空けて座るリクルートスーツ姿の女の子に話し掛ける。
「ルミさん、これから面接?」
疲労が滲み出ている顔の眉が下がる。
「呆れた。もうそこまで分かるようになったのですか」
黒澤と同じ感覚を持てるようになったのかは知らない。
色が変わって見えるとか、匂いがするというわけでもないのだが、人でないものが付かず離れず居るなと感じていて、今ここで人間に乗り移ったルミさんだと認識できた。
「その事なんだけどさ、あっちと、向こうの方、それからあのバスの中とか。ぽつぽつ居るみたいなんだけど、死神かムシだったりするのかな。なんかぞわぞわするんだよ」
魂がどうとか毎日言ってるわりに幽霊とか信じてない方なんだけど、たとえば目には見えないけど誰かがそこに居ると感じるようになったら気分悪くなるじゃんか。まさに今、そんな感覚なんだよ。
ルミさんは少しだけ首と目を左右に動かしてから頷く。
「両方いますね。バスの方は死神です」
「両方か。まあ元が同じだから区別は難しいのか」
「もうあなたの場合は時間の問題で、ってちょっと?」
ぽつぽつのひとつに、明白な『悪意』が生まれたのを感じた。
悪意とは、ぎょろっとした目玉が彼女の居る方へ向いたイメージ。
ざわっと鳥肌が立ち、焦りと怒りが同時に込み上げてくる。思い出すのは理科実験室のムシと対峙した時に近い感情。もうそれだけで俺には我慢ならない。
ムシも死神も知った事でなし。
迷わず小さめの槍を出して威嚇の一投を飛ばす。座ったまま助走なし最速。
立ち上がり、本命の槍を出して反応を待つ。
目玉が消えた?
「ストーップ!!」
ルミさんが全体重をかけて俺の右腕を捕まえてきたので、たまらず後ろによろけてベンチへ尻餅をつく。手から離れた槍が倒れて転がる。
「ちょっとルミさん、邪魔しないでよ」
「ダメ! だめっ、それ、うちの幹部だから!」
偉い死神だったか。
それはお互い不幸なことになった。
「へえ。なおさら仕留めないとだな」
横に転がった槍を念じて立てると、今度は槍の方に飛び付かれた。
別のもう一本を出して飛ばそうと思ったが、必死に掴まるリクルートスーツの姿を目にして、憐れみを感じてしまう。
「今、上司が説得してるはず! とにかく待ってください」
確かに、最初のぽつぽつに戻った。
ルミさんが俺を制御できるところを見せておかないと担当が変えられ後々面倒になると思い直し、槍を収めた。
威嚇で放った方も回収を済ませる。
しかし、どうにもこの感情の昂りは宜しくない。
弱い犬ほどよく吠えると言うしな。こちらから攻めるにしても冷静に素早く判断できる忍耐力が欲しい。滝行でもするか。
「ごめんよ。ルミさんが叱られちゃうかな」
ベンチに戻ったルミさんは深く息をついて「知りません」とだけ。
すると、前を通り過ぎるオジサンが足を止めてニヤリと笑う。
「人間『早坂千代乃』を狙うとどうなるか、良いデモンストレーションになったんだね」
と俺に向かってほざいた。クソ上司の源五郎だ。
やっぱり俺の弱点と見て彼女を狙ったのか。ならばもっと派手な警告を見せやると考えたが、威嚇のつもりだった槍がしっかり刺さってダメージを受けたと言うので我慢した。ソイツの名前教えろと迫ったら源五郎は早々に退場。
「もしかして俺がこうなるとわかっててルミさんが来たの?」
「私は間近での監視を命じられただけ。あの上司は企んでいたのでしょうけど」
あなたのゼレがこれほど厄介とは思いませんでしたと不満たらたら。
なんだか本当に可哀想になってきた。
落ち着いたら温泉行こうね。
「それで。就活の方はどう?」
「この世界は転職してもブラックばかりなんです」
「じゃなくて、その子の」
予期せず死神世界の闇を耳にしてしまったが、人間の方ね。
スーツも皺が目立ってだいぶお疲れのようだから。
「……うまくいってないようですね。今日も何社か面接しての帰りです」
「自己PRシート見せて」
「個人情報です」
「いいから」
俺の意図をわかっているルミさんは、文句を言いながらも黒い手提げバッグから薄いクリアファイルを取り出して渡してくれた。
ファイルに差し込まれた幾枚かのPRシートにさっと目を通すと、予想した通り真面目で平凡、尖った個性なし、就活ガイドにありがちな模範的記述が退屈だった。よく言えば従順。
そうした人材の需要は間違いなく毎年一定数有るが、供給側も多いので早めに埋まる枠でもある。だから出遅れると相当に苦労する。希望するランクを下げ続け、どうしてこうなったと思っている就活生も多いことだろう。
婚活じゃないよ。就活ね、就活の話。
赤のボールペンで自己PRをサラサラと添削する。
言葉を置き換えたり、語尾を強気な表現に変えたり。
その上で、俺はこの子の人格を勝手に決めつけ、二枚目の真っさらな紙にメッセージを残す。
君は内定まであと二十回はお祈りされる
どうせだから明るくウソをつく練習をしなさい
相手もウソツキだからお互い様だよ
通りすがりの採用神より
「なんて無責任な事を……」
「この子はまず、肩の力を抜かないとだから」
隣で眺めていたルミさんは俺の傲慢さに呆れつつも、返したクリアファイルをそのまま閉じてバッグに仕舞った。
この後も俺に付いて来るのか問うと、自分が件の実験体に近づくと無用な摩擦を生むので、ここで離れるそう。お疲れ様だ。
「何飲む?」
ベンチのすぐ隣にある自販機の前に立ち、好みを訊く。
「いつもお茶ですね」
「じゃなくて、ルミさんの」
「……。いちごミルクを」
少し恥ずかしそうだが、別に笑ったりしない。
甘いものに甘えていいのは頑張った大人の特権。
それは死神でも同じだ。
出てきた小さめのスチール缶を渡す。
白地にイチゴの絵柄がスーツ姿の堅苦しさを和ませる。
頭上からまもなく電車が来るとアナウンスが降る。
少し休んでいきなよと言い置いて、俺は目的地へ向かった。




