お試しだね
虹と向日葵と『桜ノ川長寿園』のロゴがペイントされたマイクロバスの隣から、救急車が一台出発した。
ほんの数分前までは看護師が慌ただしくも手際よく処置を進め、名前を呼び掛けながら職員が搬送を準備する騒然とした空気に満たされていた。それもサイレンの音が遠ざかる頃には平常に戻った。
「行っちゃったんだね」
「源ちゃんよ、今日の進行当番誰だっけか?」
「セツちゃん」
広々としたダイニングルームの一角に集まる老齢の男女七人。
その中の一人が玄関の方を指差して今日の当番が不在になったことを示す。
「付いてったの?」
「愛着あるみたいだからね」
二人ほどが感慨深く頷き、他からは「くだらん」という声も漏れる。
「源ちゃん代わりやってくれるか?」
「今日の僕は問われる側だからね。シゲル君によろしくだね」
「面倒臭えなあ。しゃあねえ」
嫌々ながら当番代行を引き受けた目力の強い白髪頭が首を伸ばし「揃ってるか?」と確認をとる。うつらうつらと目を閉じていた老婆の一人が薄目を開けるのを見届けてから、源ちゃんと呼ばれるやや小太りの爺が「だね」と返事する。
「んじゃ、定例会議を始めるよ。まずは、さっちゃん。例の精霊、どんな感じよ?」
「交渉権一番取ったエルモが半分喰われた。戻るのに二十年くらいかかるそうよ」
「うへぇ。なにやらかしたんだ?」
「別に。普通に面通しで前に立っただけらしいけど」
背筋をぴんと伸ばした幸子がマグカップのお茶を飲みながら興味なさげに肩をすくめる。冷ややかな目がいくつか源五郎に向けられる。
「二番手のパルカが大喜びだな」
一番手の不幸に同情する茂が苦笑いすると、そうでもないと否定される。
「パルカったらエルモの姿見て震えあがっちゃって。弱らせてからじゃないと交渉しないって我儘言ってる」
全員の両肩が下がり、わかりやすい落胆の空気に包まれる。
捕獲した精霊を弱らせるとは給餌を断つことを意味する。しかし捕獲の時点で既に満腹の状態であったので、「三十年は元気だね」と捕獲主の源ちゃんこと源五郎から報告されていた。
交渉権期限の長さと自分の交渉順序番号を掛け合わせて、遥か先の将来を見据えることになった。
「次。源ちゃん、実験はまだ続いてんの?」
「まだもなにも、まだ始まったばかりだね」
「白々しい。希少三精霊から恩恵を受けた人間を使役するために実験を盾にするなんて。人間に染まり過ぎじゃないのアナタ」
冒頭から一番不機嫌な久美子。パープルカラーに染めた髪にうっすらと赤い縞が滲み出る。
「まあまあクミコちゃん、そこは冷静に見てこうって話し合ったばかりだからさ」
茂が面倒そうに手を上下に振って宥めようとするが、実験責任者は涼しい顔のままでいるから一層イラつかせる。
「源ちゃん。実験、今どんな感じ?」
久美子が再び口を開きかけた時、沈黙していた修が純粋に実験の状況を知りたくて割り込んだ。
「予定通り長嶺行人は休眠に入ったね。暫くは安定だよ」
「それだけで凄い成果だ。恩恵の影響は?」
「全くないね」
「すると、精霊の興味はやはり触媒の方になるのか」
「だね。気に入り過ぎてヤバいんだよね」
修は自身の推論に確信めいたものを感じて口数が多くなる。
得意な科目になると元気になる子供のような様子を見て悦子が笑う。
「オサムくん、大丈夫? そういうの勉強のムシって言うらしいわよ?」
蟲化してるという揶揄も修には興味深かった。
「確かに。この媒体、元は学者だったらしいからな。記憶を利用しているつもりが、いつの間にかこちらが利用されている可能性も否定できない。我々の行動誘発事象として見れば、蟲化の一種とも言える」
至極真面目に返されてしまい興を削がれてしまった悦子は、「お大事に」とだけ皮肉を言って弄るのをやめた。
相変わらず話の散らばる会合なので要点はなかなか纏まらない。
茂は「実験進捗問題なし」とだけ宙のメモに刻んで済ませた。
「はーい、皆さんおやつですよー」
ぷるぷると震えるオレンジ色をのせた小皿が並ぶ配膳ワゴンがやって来た。運んできた職員が元気に声を掛ける。
見回せば方々で同じ光景が始まっていた。
老齢の男女七人に宿る生気は一瞬で内に隠る。
エプロン姿の若い男は笑みを絶やさず一通りの様子を確認してから、一皿ずつテーブルに置いていく。
「またゼリーなの。頼んだ羊羹はいつ出てくるのよ」
「んー、まだ届かないんですよねー、ごめんなさい」
昨日羊羹を食べていた久美子の不服をやんわり躱し、眠っている悦子の肩を軽く叩いて起こそうとする。
「論文送ったか! おいっ、論文!」
「昨日郵便局に持っていきましたよ。修先生、甘いもの。論文お疲れ様でーす」
「そうか。……論文はちゃんと送ったのか!」
悦子は起きない。幸子が見ておくから置いて行ってと頼んだ。
いつも一緒にいるセツの事を触れずにいる職員は、人数分の皿とスプーンを並べ終えると、それぞれのマグカップにお茶を注ぎ足してから去っていった。
再び生気が表に出てくる。
「修先生、だいぶ進んでるみたいね」
「故に御し易く長く留まることもできる。オサム。その媒体の弱り切った自我に利用されていると言ったか?」
幸子の何気ない感想に、車椅子に座り肘をつく一番の年輩である博が疑問を挟む。
元々気難しそうな顔が、一層皺を深くしてオサムの変化に警戒の態度を露にする。「また始まった」と茂は呆れ顔を隠さない。
掬い上げたゼリーを口に入れる前に修が首を振って補足の説明を試みる。
「自我、ではないな。記憶と、記憶の属性や強弱を連続して読み上げていると、レコードの溝をなぞる音楽を聴いているかのような感覚になり行動が揺らぐ。そういった具合なのだが。博は覚えがないか?」
「無い。そうした不可解を我々が解してはならない。同じ媒体に執着すべきでないのは久美子と同意見だ」
久美子が深く頷く。
「源ちゃんさ、ニヤニヤしてっけど自分が一番執着してるやつだって自覚あんの?」
「だね」
茂の嫌味もどこ吹く風とゼリーを頬張る。
「源五郎の魂、少しくらい残して放ってやったらどうよ。また使い潰すわけ」
意外にも久美子が最も人間に近しい情を持ち続けているが、その自覚はないというのを皆はわかっている。
「約束だからね」
約束、契約。
過去から現在に渡り、如何ともし難い縛りの前では黙る他ない。
「我々は人間という媒介を用いねばこの程度の情報も交わせない脆弱な存在にまで退化した。この上媒体の特性を写し取って己の意思などと錯覚することは絶対にあってはならない。それだけはたとえ蟲になっても忘れるな」
遥か昔から多くを失ってきた博が皆に向かって厳しく念を押す。
沈黙は是。
とりあえず全員が無言でゼリーを完食する。
悦子だけが再び目覚めた時点でゼリーが半分なくなっていたことに腹を立てているが誰も相手にしていない。
「で、今日の本題だ。源ちゃん、どういうつもりだ?」
茂が掲げた本題。
源五郎が件の実験体『長嶺ユキト』に示唆した仕事に関する案件についてだった。
希少精霊の捕獲騒動も収まらないうちに、一歩間違えば派閥間紛争のみでなく、身内の連帯さえも崩しかねない新たな火種を呼び込むという勝手な振る舞いに皆が憤慨している。
その立場を承知する故に源五郎は冒頭で自分を「問われる側」と言った。
しかし、その弁明は無責任の極みであった。
「僕も招かざる客だと思ってるよ。不幸な実験体ではあるけどね」
「何が不幸だ。向こうの連中が精霊狩りの不始末を隠したくて実験体にしてただけじゃねえか」
「実験を利用するとか誰かさんみたい。類は友を呼ぶとは人間もよく言ったものね」
茂の図星に加えて久美子が違った解釈で畳み掛ける。
「党派は違えど糧を共にするもの同士だ。軽々しく精霊狩りなどと口にするな」
同じ種への愚弄は自身の尊厳を貶めるに等しい恥と知れ。
博は手厳しい言葉を容赦なく浴びせてくる。
但し、誰も真剣に受け止めてはいない。そもそもが尊厳など持ち合わせていない種であるから。絡まれるのも嫌なので媒体の性格を己の意思と錯覚している張本人だと教えてやることもない。
「実際問題、爆弾を抱えた厄介な存在だが、他所の実験体となれば我々は手を下せない。上は既に把握しているのか?」
修が彼方の政治的事情に通じている幸子へ問うと、またもつまらなさそうな反応が返る。
「実験体自らの移動は人間都合だと判断してダンマリ。それどころじゃないのよ、ホントに」
恩恵争奪戦が官僚級の機能を麻痺させている実態を嘆く幸子。
逆に、向こうの連中がこのタイミングを狙って行動を起こしているならば十分な警戒が必要だと考える修。「考えすぎちゃダメだよ」という悦子のアドバイスも耳に届いていない様子。
「それでアナタ。本気であの人間を使う気? 子飼いのハンターにでもするつもりなわけ」
久美子が今日の本題である源五郎の意思を問う。実験体でありながら特殊な能力を有した人間に何をさせようとしているのか。答えの如何によっては源五郎を拘束する判断をしなくてはならない。
「あれは飼えないよ。相互扶助の関係だね」
「意味が分からない」
人間が実験体に干渉する分には問題ない。とはいえ、実験体が他の実験体へ積極的に関わるなど前代未聞。人間の自発的行動だと主張するにしても管理元にかけられる嫌疑は限りなく黒に近いグレーとなる。
しかも今回は単独で強化個体の蟲を処理できるレベルの実力が求められるというのに、報告からすれば手にした恩恵が運よく作用した程度としか思えない。
そんな危険で心許ない実験体を対等な立場の如く推挙する源五郎の意図が久美子には到底理解できない。
源五郎は皆の困惑に構わず淡々と理由を述べる。
「今の段階で既に僕の手に負えないからね」
悠久の時の中で数多の恩恵を手にしたとされる源五郎が告げる事実に皆が呆然とする。管理責任者の管理能力が不足していると白状したようなもの。それどころか、精霊の炎上暴走よりも危険な因子を抱えている事実が明らかになった。
「おいおい、源ちゃんの弱気なんて初めて聞いたぞ」
「ちょっと待って。それ、この間の査問委員会でも言わなかったわよね?」
「言えるわけがないんだね」
ニヤリとする源五郎に「なら私の前で言うな!」と幸子が頭を抱える。
天然の恩恵とはそれほどのものなのかと修の興味は膨れ上がる。
「それがね、僕らにしか出来ないある条件を満たせば、感謝をもって働くと言っている。だから、相互扶助だね」
「あら、面白そう。どんな条件かしら」
たとえ危機に直面しようとも刺激を求める悦子は、人間ごときがどんな無理難題を吹っ掛けてくるのかと期待する。
「既に締結済みである『長嶺史奈不可侵条約』の順守、及び人間『早坂千代乃』の絶対的安全。だね」
けっ。またオンナかよ。
悦子が渋面になって吐き捨てる。
「それ、中の精霊よりもってこと?」
「そだね」
茂の予感はあっさりと肯定される。
精霊より優先される人間など存在したことはない。
そもそも卵の殻は中身を守るものであって、黄身が崩れても殻を守るなど本末転倒。簡単に受け入れられる条件ではない。
「その人間の安全を逆手に取り、今のうちに我々が実験体を処分するという考え方もあるが?」
博が厳しい目を向け、危険因子は早期排除が鉄則であることを問う。
「ヒロシ君と違って種の尊厳なんて眼中にないんだね。僕らを根絶やしにするなら人類が半分に減るのも厭わないそうだ。試してみるんだね」
挑発的な物言いに続けて温度の無い目を向け合わせる源五郎。
先に目を逸らせたのは博の方だった。
なぜか驚いた顔になっている。
「触媒ふぜいが私たちを根絶やしとか、生意気言ってくれるのね」
悦子が笑顔で殺気を放つ。
「えっちゃん、やめときなって。精霊に目をつけられたら厄介だからさ」
「だってシゲル君、面白くないんですもの」
茂が宥めていると、隣から博が悦子の肩に手を掛け首を振る。
顔に脂汗が浮いていた。
「どうしたのヒロシ君?」
「お試しだね」
立ち上がった源五郎が、博の背中に突き刺さった青白く光る棒を抜き取って見せる。抜いた箇所に服の穴ができているものの、血が滲むことはなかった。
理解の追いつかない悦子へ人肌以上に熱を帯びた棒を渡すと席へ戻る。
「ちょっと待って、それ、まさか」
驚愕する久美子。悦子から棒を奪い取るようにして手に持ち観察する修。
鏃も羽根も無い、ただの棒と言って差し支えない形状。
しかし先端は鋭く尖り、触れると感じるはずのない痛みを覚える。
紛れもなく我らの種を射抜くことのできる矢であると戦慄する修は、辺りを見回し、ガラス窓に小さな穴が開いていることも発見した。
「この矢を射ったのは?」
修が小声で源五郎に確かめる。
「触媒ふぜいだね」
悦子の方に向いてニヤけながら答える源五郎。
悪い冗談はやめてと言いながら久美子は警戒する。
「次、私?」
悦子が顔を引き攣らせながら誰宛てともなく問う。
「大丈夫だね。その小さな槍は、人間『早坂千代乃』を害するものを狙っている」
「ている?」
現在進行形の表現に茂が反応すると、青白い棒は修の手をすり抜けてガラス窓にもう一つ穴を作って出て行った。
源五郎は小さな槍と言ったが、投擲者の意思を貫くことのできる不可避の武器だと皆が知った。
源五郎は、アレを大きくした槍が容易く強化個体を撃ち砕いたんだねと自慢げに教え、件の実験体だけが持つ自在に変形させ操ることのできるゼレが正体であること、そしてどさくさに紛れ『選別眼』と『宣告』の異常発達についても皆に知らせた。
その上で、
「僕らは相互扶助の関係しか選べない」
と念を押した。
「たかだか人間の女ひとつの生死に踊らされるなんて。やってられないわ」
久美子がぼやく。
「生死じゃない。かすり傷ひとつ。だね」
源五郎のダメ押しに久美子は今度こそ言葉を失う。




