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言われたばかりでしょ

 伊藤さんの握るスマホの画面にズラズラっと検索結果が返ってくる。

 俺の脳内スマホは誤魔化す方法をいくらググってもヒット件数ゼロ。

 ついー、ついーっと画面に指を滑らせて眺めること暫し。

 ついに伊藤さん、こてんと首を傾げて俺に問い掛けてくる。


「長嶺君、腰の神経痛なの?」


 ま、そうなるわな。


「腰抜けだよ、ヘタレ腰だよ、ヨボヨボだよ」

 背を向け机に肘を突くテロっ子は不満たらたら。


 ずいぶんな言われようだが、ここで元気に腰振って見せたら、ただの逮捕案件である。ぐっと我慢。としても、トミタのうなじエロッ、やばっ、は間違いじゃない。


「なんでもいいけど。その髪、帰る時は戻しなよ? 富田さん」


「なんでよ、アタシの勝手じゃん」


「間違いなく前屈みの集団が寄ってくる」


「だからなに。長嶺にカンケーないしぃー」


「そうだよ。関係ない俺に心配させないでくれ」


「…………」


 無視。

 ここでシャットアウト。午前の部終了。


 肉、まだ五十回しか噛めてない。

 口の中は既にそぼろ状態。

 馬鹿ども、交互にこまごま語りやがって止まりゃあしない。


「最後の一言で俺まで胸キュン。師匠すげーってなったわ」

「あの富田さんが顔を赤くしてたから驚いたよ。もう一度付き合いたくなるくらい可愛かったね」


 おい待て。顔赤くしてカワイイとかなんだ。それ俺知らんぞ。

 普通に心配して言っただけだし。

 しかも完全シカトこかれてお通夜状態だったじゃねえか。


「ユキト」

 すみません。まだ咀嚼中。


 なにがトミタさんだったかな、よ。

 とか呟いた。

 ほら蒸し返しちまったじゃねえか、馬鹿野郎。

 せっかくいい感じでほとぼりが冷めてきてたのによお。


「でも僕にとって本当に勉強になったのは伊藤さんの方かな。陽太君にはまだわからないだろうけど」

「見くびるなよスグル。俺だって見逃しちゃいない。あの伊藤さんが自分の髪を触って気にしてたってな!」

「ふっ。あれは恐らく本人も無意識だね。髪が伸びるほどの先の先を見越して種を蒔く。兄さんとは違う長期スパンの攻略法だね。さすがユキト君」


 うん。芽吹くのが楽しみだね。って知るかそんなこと!

 お前らどんだけ目ざといんだよ。全くわからんかったし。

 観察眼てやつか。羨ましすぎるぞ。俺の選別眼と交換しろ。

 つか伊藤さんにはあのショートスタイルが鉄板なんだよ。それを後ろでちょこんと結ぶのがいいんじゃねえか。普段着のまま近所のコンビニで買い物してる時くらいしか拝めない超レアだぞきっと。そんな事もわからんのかガキども。


「ユキト」

 はい。あと二十回です。


 もう口の中は殆どカラなんだけどね。

 真面目な話、俺ぜんぜん悪くないと思うんだが。

 なぜにそんな白けた目で俺を見てくるのかな。 


「ねえ。ナガミネと話してる時の私も可愛く見えるのかしら?」


 ここにも居たテロ嬢。

 いい加減勘弁しろ。


「まあ。何も知らなければ、告りたいですかね」

「僕も。何も知らなければ。花岡先輩もユキト君に興味湧いてきました?」


 言われ放題。

 しかし、これはお嬢も狙ってやがる。


「私の夢を叶えてしまうオトコだもの。囲っておいて損はないわね」


「玲奈。食事中に汚い女やめて」


 絶頂到来。大成功。

 ほんと大丈夫かよこの人の将来。

 受験以前の問題だぞ。卒業してくれなかったらどうしよう。


「ハア。わたしユキトのこと甘く考え過ぎてた。花岡先輩、真面目にどうしたらいいと思います?」

 賢者モードになったお嬢が、おとがいに指先を当てて自身の見解を述べる。

「そうね……。私としては、このまま放っておくのが良策と思う。むしろ、早坂さんの方が抑えていかないと、良くない噂が広まってしまうから心配なの」

 それは発展的な考えではなく、現状から悪化を防ぐための憂いた内容だった。


「噂? なにかあったかな」


 周囲の言動に割と敏感な彼女にとっても認識できていないことらしい。

 もちろん俺も噂なんて耳にしていない。

 だが、あらゆる場面で最先端のコイツは知っていた。

「ああ、僕も聞いた。ユキト君が薬使って早坂先輩を操ってるってやつ」


「なんだそりゃ!!」

 咀嚼百回達成。ゆっくりしっかり噛んだので胃袋は大助かり。

 なんつったってストレス爆増で消化どころじゃない。


「そうとでも考えなければ、貴方たちの急な変化が説明つかないということ」

 私だって最初は疑いたくなったもの。と、お嬢のもっともな感想。


 急な変化の自覚は十分にあったけども、外からどう見えているのか指摘を受けて初めて危機感を持った。

 つまり俺は既に彼女の尊厳を傷つけている立場だという事。


 あってはならない由々しき事態。早急に手を打つ必要がある。どうするべきか。噂の元を断とうにも誰でも思い至る内容だけにきりがない。彼女の血液検査をして薬物反応が無いことを理詰めで証明するか。仮に有効だったとしても、次は催眠術だの洗脳だのと手段の名目が挿げ替わるだけで根本解決にならないだろう。


 根本か。根本原因はなんだ。俺か。俺の信用だ。

 あれ。これ詰んでるだろ。


「逆手に取って、薬ビジネスやりましょうか。サプリメントの容器変えて『長嶺の媚薬』とか言って」

 潔く発想の転換。

「おお、たくましいな師匠。百均で仕入れてくるよ」

「グッドだ。その素早い行動が重要なんだよ」

「栄養ドリンクも使えるよね。値段高くするほど瓶が小さくなるみたいな」

「いい発想だ。その調子だスグル」

 これが後の長嶺製薬誕生の瞬間である。

 やっぱビジネスとなるとスイッチ入るな。

 このビッグウェーブを逃すな。


「ハア。くだらない。バカばっかり」

 失望させてしまうのはやむなし。俺の事を面白おかしく貶めたい噂なのだから、逆らわず振る舞っていた方が彼女にとって安全なのだ。

 しかし、冷静に状況を見るお嬢の考えは全く違っていて、俺が噂を生み出す原因であることより、彼女が噂を広げてしまう原因であることの方を危険だと憂いていた。

「大丈夫。ナガミネはあなたの事しか眼中にないし、あの二人も監視役くらいにはなるでしょう。それより今の自分に自覚をもってね」


「わたしがどうかしました?」


「ユキト君の影響で一番可愛くなったのは誰かなー」


 お嬢の心配が分らない彼女へ揶揄うように周防弟が横槍を入れてくる。

 実際、それは俺も早くから気付いていて、懸念はしていた。

 俺の影響というか、俺がお願いしてしまったことだから。



 皿に残った油汚れをペーパーナプキンで拭き取ってから洗剤で洗い流す。

 問題なく綺麗になるけども、普段の感覚からすると油系はやはりぬるま湯で流したいと感じてしまうところ。冬場になると食器洗いも厳しそうだなと思いを馳せつつ手を動かし、さっと水を切ってから隣へ渡す。

 皿を受け取った彼女が布巾で拭き取って乾燥カゴに並べていく。

 俺も彼女も多少なりとショックを受けた後なので、お嬢が気を利かせて片付けは二人だけになっている。とはいえ、それほど沈んだ空気になっているわけではない。


「ユキト疲れてる?」

「大丈夫。噂程度でヘタる繊細な神経は持ってないですよ」

「そうじゃなくて。目の下にちょっとクマできてる」

「え、ほんと? 夕べ夜ふかししたんで寝不足かな」


 夢の中で夜ふかしって意味不明な話なんだけどさ。

 ルミさんから知らされた仕事の件でちょっと張り切り過ぎて無茶した。

 丁度いい機会と思って、触らずに保留していた“人の記憶が覗ける”とかいう便利玄関を今回の対象人物に試してみたんだ。


 結果、本気で参った。

 想像の百倍キツかった。


 ヒトが安易に使ってはいけないという事を身をもって学んだよ。

 一時的とはいえ精神的にかなり危険な状態に陥った。目覚めた朝には治ったと思っていたのに、顔に出るほどのダメージが残っていたとは気付かなかった。

 ただ、対象が見ず知らずの他人だったからどうにか無事で済んだという感覚はある。

 最初にあれで彼女の記憶を覗かせようとしたルミさんは死神以前に鬼だよ鬼。

 彼女に関しての問題はどれほどの時間と労力を費やしても横着は無しだと固く誓った次第。


 それにしても、彼女に心配そうな顔をさせて反省すべきとわかっていながら、こんな少しの変化まで気付いてくれるのだなあと、なんとも面映い気分にさせられる。

 とりあえず彼女の気を逸らさなくては。


「千代乃さん、今日は莉愛先輩とマスターの店に行くんでしたよね」

「うん。ユキトも一緒する?」

「遠慮しときます。久しぶりの幼馴染水入らずで楽しんでください」


 マジで今はパイセンに何されるか恐怖しかなくて無理。

 それに本当に久しぶりだろうからな。のこのこ付いて現れるような野暮はしたくない。彼女と二人でせいぜい俺への不満を吐き出してくれたらいい。

 マスターにも頼ってしまったが、少しでもパイセンのツケが減りますように。


「そうだ。月曜の弁当はどんなのが良いです?」

「え、いいの?」

「もちろん。俺も弁当になるし、手間は一緒だから」


 ユッキー先輩の願いが通じて、毎週月曜日の昼食タイムは見事奪われたのである。

 なぜ月曜日なのかというと、ユッキー先輩が最も学校へ行きたくない週の始まりのモチベを上げるためだとか。

 彼女の方は嬉しさ半分、不安半分といった感じでいる。何事も最初からうまくいくことの方が少ないのだから、気を張らずにやっていきましょうよと俺も背中を押した。


 問題は量だな。

 俺が真剣に悩んで呟くと、

「普通でいいよ」

 とあっさりした反応。

「普通だと、花岡先輩の弁当箱くらいだけど足りる?」

「大丈夫だよ。前はそのくらいだったし」

 前。俺の知らない頃の彼女。

 みんなの知っている彼女。

 そうだな。まずはそこからでいいだろう。


「了解。その代わり、午後のおやつは多めに用意しますよ」

 それが補佐役の本分ってやつだ。

「うん。ありがとね」

 ぴとっと体を寄せてくる。


 ちょいとお待ちなさい女神様。


「言われたばかりでしょ」

「いいじゃない。二人だけだし」


 二人で自重すると宣言したそばからこの有様では立つ瀬がない。

 しかも二人でいる時も俺からのアプローチはNGで彼女はやりたい放題という生殺しルールが出来上がりそうで、危機感を覚える。


「慣れてしまうと人前でボロが出るもんです」

 横へ避けて僅かに隙間を作ると、怒った彼女が腰をどんと当ててくる。

「ケチユキト!」

 お互い様でしょ。

 ケチチヨノってちょい言いづらい。

 ケチヨちゃんとか呼んだら速攻で殴られるだろうな。


 最後のマグカップを洗い終えて、彼女へ渡す。

「ユキト。わたしにどんなクスリ盛ったのか白状しなさい」

「こんなに可愛くするクスリが存在するとでも?」

「だって、絶対おかしいもの。わたし」


 アホの子が始まった。

 少しだけ、揶揄ってみたくなる。


「思い当たるとすれば、コレかな」

 左の襟をめくり首筋に貼っている絆創膏を見せてみる。

 薬じゃなくてね、俺の血を飲んだからだよ。

 なんちゃって。


「そ、そうなのかな」

 本気にして考え込んでしまった。

「冗談ですよ?」

 意地悪されたとむくれる彼女。

 あの時の事を少し思い出させるだけで頬を赤らめてしまう。

「……。わたしばっかり恥ずかしいのずるい!」

「いやいや。俺も恥ずかしかったんで」

「わたしの方が何倍もなんだからっ」


 ———— いいじゃない。二人だけだし


 そんなこと言うのが悪い。

 

 彼女の髪を手の甲でそっと退けて、

 襟元に顔を寄せ首の横に口づける。


 ほんの一瞬だけ、大人の本気を出した。


 数秒遅れて、彼女の両手からマグカップが滑り落ちる。


「これで御相子おあいこです。どっちが恥ずかしい?」


「知らないよ……。もう。もうっ!」


 つい、アイツと張り合ってしまった。

 オトナゲない。

 これで当面おあずけくらった犬だなあ……。


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