よーく噛んでね。ゆっくり。百回
生徒会室。
人員の割にスチールデスクの数が無駄に多い。
現在の書記役は生徒会室で仕事することがほぼ無く、会計役は個人的嗜好で専ら会長席でPCを使う。生徒会長はゴハンが食べられればいい。つまりこれら中央に陣取っている事務用机の並びは食卓として機能すれば充分。
ということで、ツー・バイ・スリーの六卓を三卓横並びになるまで減らした。
テーブルクロスはまだ敷いておらず、不織布のランチマットを仮で使っている。
なぜ仮なのかというと、近々本格的なダイニングセットへ置き換え予定のためだ。
先日、美咲ちゃんから家を引っ越す予定だと連絡をもらった。結婚して新居が決まるまではとりあえず大吾の部屋で暮らしていたのだそう。「えっ、あんな釣具だらけの所に?」「そうなんだよ臭いが我慢ならないの!」といった具合で、可及的速やかに解決すべき課題だったから、ほぼ美咲ちゃんの独断で決めたらしい。
むしろ大吾の意見など聞いたら船着場になってしまうから独断が正しい。
それで、大吾の部屋を思い出して、彼女と落ち着いてお茶をしたいからリビングのテーブルを処分するなら安く譲ってくれと言ったら「詳しく」と食いついてきた。
事情を話すと、「ズルイ」「変態」「ロリコン」を連発して一通り俺を痛めつけ満足してから、「そういうことなら、お店のあげる」と。
経緯は省かれたが、ついこの間、お客がテーブルをフォークで思いっきり引っ掻いてくれたらしい。翌日客が詫びに訪れ、自分の傷が残るようで嫌だから新調して欲しいと全額弁償を申し出てきたので、六人卓一式を入れ替えたばかりだそうで。
「傷はテーブルクロスで隠せるし、椅子はきれいなままだから」
「椅子までいいの?」
「いいよ、元々セットだもの。割と裕福なお客様だったから遠慮しなかったの」
美咲ちゃんの沽券に関わる事なの強調するが、決して相手が金持ちだからせびってやったという意味ではない。次にお客が訪れた時に負い目を感じさせないよう、関わったもの全てを処分して納得してもらうという姿勢だ。
その証拠に、中古で売れるのにと言ってみたら、お客様の恥じているものを売ったりすればそれこそ店の名前に傷がつくと言い切られた。
あの美咲ちゃんが立派に店の看板を背負ってるんだなあと感慨もひとしお。
ならば遠慮なく頂戴しますということで、運送業者を手配したなう。
そして、この仮設食卓に並ぶ本日の昼食は生姜焼き。
俺も彼女も好きなおかずで上位にランクする一品。
「ユキト、熱々のごはんとお肉で嬉しいね。生姜おいしいねー」
今までの生姜焼きは弁当だったからね。
確かに温かいだけで格段に美味くなる。
生姜の風味をしっかりきかせた味付けが彼女の好み。
肉選びも史奈さんに教わりながら拘っている。
「ほんと。いいお味ね。漬け込みをしっかりしているのかしら」
「柔らかい肉を選んで漬け込み時間は短くしてます。その方が肉の味と食感がちゃんと残るので」
そうなのねと素直に納得するお嬢。
「花岡先輩のポテトサラダもうまいっす。ジャガイモの自然な甘味が最高です」
「うんうん。玲奈、ポテトおいしいよー」
ぷるぷると震えるお嬢。
玲奈って誰かって? 花岡玲奈だよ。
昼食時間限定で名前呼びしてあげるよう俺が彼女に頼んだ。
最初は嫌々だったが食べ出すとハイになるのでもう慣れたらしい。
「ナガミネ。私、生きててよかった」
昨日も聞いたよ。泣いてないで食ってよ。時間ないんだから。
「まじうめえ。こんな昼メシ、チートじゃんか師匠」
「早坂先輩、こういうのユキト君と毎日とか職権濫用じゃないかなあ」
処分を決めたスチールデスクを倉庫まで運んだ労を認めて、今日は舎弟の二人にも昼飯を振る舞っている。
どっちも基本顔だけの空気読まないアホ。
隅っこで黙って食ってりゃいいものを。
「黙れクズども。文句があるならここで息するな」
とは我が女神のお告げ。
「早坂さん私にも!」
「玲奈もお黙り」
お嬢の捧げる感謝の祈りに舎弟もどん引いて静かになる。
「師匠、俺もここで毎日メシ食いてえ」
「右に同じかなあ」
ふざけるな。毎日ハーレムの中で好きなもの好きなだけ食ってる奴らが、これ以上何を望みやがる。
待てよ。まさか、彼女に罵られたくてわざとクズを演じているのか!
ただのアホだと思って油断してしまった。こいつらの天然スキルは無意識に欲望を満たすための行動を選択できることだった。
ここは断固阻止せねば。
「「女神の施しを受けるなど百年早い(わ)」」
お嬢とハモってしまった。
「さっき言ったよな。お前らは今日だけ特別だ。花岡先輩はこうして一品持ち込んでくれるから食卓を共にしているんだ」
というかお嬢はセーフティシステムとして必須なんだけどな。
机減って彼女との対面距離が縮んだものだからほんとヤバい。
ほら、こうして目が合うだろ?
幸せホルモンが脳にぱあっと広がるわけだ。
次に気付いたら彼女の口に肉放り込んでるんだよ。
これでも人前だから自重してるはずなんだけどさ。
どういうことだよ、誰か教えてくれよ。
「なんつーか、最近女子といるより師匠と一緒の方が楽しいんだよなあ」
ぴたりと彼女の箸が止まる。
「そういえば僕も、なぜかユキト君と話してる女の子が可愛く見えたりするんだよね」
「あー、わかるわ。俺らに見せる顔と違うんだよな」
コイツらはあれかな。
地雷の上でケンケンパする遊びが好きなのか。
二人で勝手に仲良く爆ぜてくれ。
頼むから俺を巻き添えにするな。
「ユキト」
「誓って何もしておりません」
真剣な目力で訴える。だって本当に何もないし。
「簡単に誓って大丈夫なのかな」
「こんなクズどもの与太話で揺れるような僕らじゃないですから」
「僕ら?」
「千代乃さんと俺です!」
「わたし揺れた。下僕たち、詳しく説明なさい」
「そりゃないでしょお!」
自由な女神にとって飼い犬の舎弟が下僕となるは必然。
呑気な下僕どもは視線を宙へ移し、何やら同じ事を思い出す。
「さっきの富田さんとかヤバかったよなー」
「うん。あれは僕も勉強になったよ」
「お前ら!」
コイツらまでテロ仕込んできやがった!
よりによって彼女の前で禁忌の名を引っ張り出すとかありえん。結託して俺から彼女を取り上げようなどと企んでいるなら容赦はしない。
少しでも妄言を吐いてみろ、その身勝手粗暴なシンボルを小便専用にしてやる。
「ユキト、あーん」
煌めく最大出力の笑顔。
瞬間で意識が飛んだね。
知ってたけどさ。しぬ。
かわいすぎて。しぬよ。
まあいいか。じゃあね。
じゃあねじゃねえよ! しっかりしろ俺!
なぜか口の中が肉で満たされている。
いったい何が起こった?
「お肉、よーく噛んでね。ゆっくり。百回」
首を縦に振るしか選択肢なし。
下僕どもの口軽軽口は続く。
今日は朝から伊藤さんとクラスで催す文化祭企画の段取りで相談をしていた。
なにせ目前に座るテロっ子が我慢勝負で静かにしているものだから、席に座ったまま気軽に話し合いが進められるという良好な環境を活用しない手はない。
本来なら瀬戸内とかいう文実委員と直接話すべきなのだが、今日も不在。
伊藤さんは半ば自分が文実委員の代理を務める気でいるので、企画の発案者である俺へ自然と話を持ちかけてきてくれた。これぞ僥倖ってやつ。
俺はあえて触れずにいたのだが、伊藤さんもある程度は情報共有が必要と判断したのだろう。瀬戸内には幼い妹がいて、あまり体が丈夫でないらしく、頻繁に熱を出しては保育園から呼び出しを受けている事が早退の理由なのだと教えてくれた。
実は黒澤に頼んでもう少し踏み入った情報を既にもらっていた。俺の個人的業務に必要だったから。「因果なものですね。ご武運を」とは黒澤の感想。
なので伊藤さんの意を決した打ち明け話にも「それなら仕方ないね」と理解を示したように取り繕った。なぜだか伊藤さんを相手にすると、「それは大変だなあ」とでも同情したように言えば、「大変かどうか知っているの?」と返される気がして、余分な感想は引っ込んでしまう。
そう。大変かどうかは本人が決めることであって、瀬戸内とかいう少年が今の状況を受け入れて淡々と日々を過ごしているならば、大変でも可哀想でもないのだ。
余計なお世話が相手を傷つけることもあると知る伊藤さんだから、助けが必要なら言ってねと常に窓を開いているのだろう。
そして助けを乞われたなら、躊躇いなく手を差し伸べる。
本当に凄い子だと思う。
上司にしたい。窘められたい。
「長嶺ー。ちょっと持っててもらえる?」
三限目が終わった後の事だった。
伊藤さんと企画交渉に用いる資料について話し合っていると、珍しくテロっ子が俺に声を掛けてきた。
横に向けていた首を戻して前を見ると、一本に束ねた艶々の髪を頭上へ真っ直ぐ持ち上げていた。
当然の如く、露になった細い首のラインとうなじへ目が奪われる。
髪を留めたいから髪の束をちょっと持ってろと。なるほど。
安全ピンを抜いた手榴弾をちょっと持ってろと言うに等しい頼み事。
持ってろテロ。
爆死寸前の俺だったが無理矢理に平静を保つ。
伊藤さんに頼みなよ、などと無粋な事は言わない。
これは勝負なのだ。
「この辺でいいか?」
テロっ子の髪を握る手の位置に合わせて片手で持ち支えた。
「ん。ありがと」
そして空いている利き手の方で伊藤さんのノートに書かれた資料のレイアウト案を指差し、多忙な交渉相手をつかまえての立ち話による短時間勝負となる想定だから、要点を絞って大きな文字にしようと提案する。
細かい説明は後ろのページに付けて、興味を持ってもらった後に読んでもらえればいいと思う。そんな話に耳を傾け「そうね」と頷きながらノートに綴られる几帳面で小さな文字。手書きの文字には性格やその時の気分がよく写る。
経験則だが、こうした繊細なタイプの人に大胆で大きな文字を頼むと戸惑うことが多い。
俺は伊藤さんのノートとペンを借りて、一ページ全部を使ってタイトル、目的、理由、やること、お願いしたいことに絞ってのレイアウトと文字サイズのイメージを書き込んで伝えてみた。
伊藤さんはノートをじっと見つめて俺の描いた枠の中へどんな文言が入るかを考え始めた。少ない言葉に削ぎ落として手短に伝えることは、社会人にとっても重要で難しい作業だ。どんなに頑張っても無駄にはならないので、あとはお任せだ。
「長嶺ー。もういいよって言ってんだけど」
「おっ、すまない」
つい仕事モードに没頭してしまった。
慌てて手を離すと、ふさっと流麗な尻尾が垂れ下がった。
JKポニテ最高ー、イェーイ。
と心の中でハイタッチしている。
顔には出さない。出てないはず。
「伊藤さん、どーかな?」
尾っぽをぷらんぷらんと揺らして見せてくる。
「うん。似合ってる。素敵と思う」
伊藤さんが素敵と言うなら真実その通りでしかない。
それから、俺に目を合わせてくるテロっ子。
伊藤さんに同意という意味で俺も頷いてみせる。
だが納得いかない様子。
「てかさ、長嶺。頭打っておかしくなりすぎじゃない?」
「なんだよいきなり」
「普通さぁ、うわ、トミタのうなじエロッ、やばっ、とか前屈みになるじゃん!」
「よせ、やめろ。伊藤さんに『どうして前屈みなの』って問われて何と答える気だおい」
「そんなの血流が増えてさあ、」
「すまん! 俺が悪かった。降参だ」
万歳。お手上げ。
リケジョだった。しくみ説明するやつだった。
豆鉄砲と対戦車砲くらいの戦力差を思い知った。
俺にとってのテロ攻撃が、コイツにとっては庭先でやる線香花火程度だったんだ。
胃が痛くて前屈みになるわ。
「じゃあアタシの勝ちね。長嶺アタシのものー」
「ものーってなんだ。俺の臓器は売り物じゃないぞ」
「なあんでよ、そんなに早坂先輩がいいわけ?」
「断然いい」
「ふんだ!」
ぶんっと勢いよく回る尾っぽでぺしっと顔を叩かれる。
彼女のビンタよりはだいぶ優しい。
この子は俺に好意を抱いているわけじゃない。
それは俺の目にだけ重なって見える色の様子から何となくわかる。
俺は我が自由な女神に関わる事以外で責任を取る気はないし余裕もないから、他の誰かが困っているように見えても自分から首を突っ込んだりはしない。リスペクトする伊藤さんに習う精神で窓を開けておくまでだ。
もし俺に求める事があるなら、それをはっきりと声に出してもらうしかない。
できるだけ大きめの窓にしておこうとは思うけども。思うだけでごめん。
などと息を吐いている場合ではなかった。
隣の伊藤さん、自身のスマホを手にして『前屈み』『血流』でググってしまって俺の血流が急停止。
さーってね、青ざめた。




