愛してると伝えておいてください
どうにか買いたかった品が揃った。
人生の中でこれほど神経擦り減らした買い物があっただろうか。
疲労感がハンパない。
そういえば、精神的な体力、耐力か。は、おっさんと若いヤツじゃどっちが優ってるんだろうか。
「精神と肉体は一体みたいなこと言ってたしな。やっぱり体が若い方に軍配か」
「そうでもないですよ?」
レジの方へ向かいながら呟いたぼやきに反応する、おっさん仲間が登場。
ヨレたワイシャツに黒のスラックス。エプロンだけは新品だ。少し歳上っぽいな。しかも胸のバッジ、店長かよ。
職業柄、つい足元を窺って革靴のヘタリ具合から相手を判断する癖がある。見た目はやつれてるけど強か。しぶとく死なないタイプだな。
「だいぶ疲れてるようだが」
「体力はだいぶ衰えていますが、気力の方は根拠の無い自信で溢れています」
店長の肉声を使って好き放題晒してしまう井澤さん、個人情報保護の概念なし。
「それヤバい奴だから。ほら、井澤さんとこの奥田部長と同じだよ」
「あー。なんかわかる気がします」
店長、人差し指を顎に当てて上向き納得顔。
全然可愛くないよ?
奥田部長の怖いところをひとつ教えてやる。
「あの人さ、『井澤さん、僕に気があるみたいなんだ。君の方から諦めるように諭してくれないかな』って俺に真顔で言ったんだよ」
「何を根拠にあのハゲヅラ!」
「だから根拠ない自信持った奴はヤバいんだって。てか、ヅラだったのあの人?」
「さあ。貴方の思った事が記憶に残って読めるだけです」
そんなこと思った記憶ないんだが。
酔った勢いの誹謗中傷か。知らんけど。
そんな事まで記憶に残って読まれるのはよろしくないな。
思った途端に忘れる技はないものか。
いや、あるな。何かしようとして立ち上がって、足元に有ったゴミに気づいて捨てた後、座ってたことあったよな。これぞ秘技、その名を『老化』という。
泣きたくなるよ。
「……。じゃあさ、もうひとつの相談事も記憶にあるからわかってると思うけど」
相談したかったのはユキト周辺環境の問題因子を急ぎ排除したいということ。俺が新しい環境に馴染んでから徐々に対応していけばいいと思っていたが、今日学校へ近づいてみて考えを改めた。
ユキトの記憶に反応するかのようにこの身に起きた頭痛とは違う足の震えや脂汗、喉の渇き。
このまま学校へ通えば、俺は至る所でガタプル震えて学園生活どころではないだろう。それが目に余るようだと、事件の所為で再起できない心の傷を負ったという認識が生徒や教師に広まり定着してしまう。
そうした話は必ずどこかで史奈さんの耳に届く。学校側が病気を都合良い理由にして退学を促してくる可能性だってある。それでは困るのだ。
問題因子は可及的速やかに悉く排除し、夏休み明けからはしれっと登校する。
このミッションクリアは必須。
頭痛と同じように俺の魂に原因があったとして、特約でどうにかなるものなのか。そうでなければ、サポート契約の話だ。
「ごめんなさい。貴方の記憶は不潔な事ばかりで、正直、読むのが億劫なんです」
「店長言いたい放題だな。このおじさんだって夜道に出没して根拠無い巨根を自慢してるぞきっと。記憶覗いてみなよ?」
「ほんとうに不潔ですね。ご相談は以上ということで」
店長の顔で腐った生ゴミを見る目をされてもムカつくだけなんだよ。そういうのは是非、りおさんでやってくれ。スレンダーマムは想像できちゃうからな。今頃はその目つきで太丸くんの手を洗ってるよ。
てか、話の先読んで逃げようとしてないか?
「ユキトが学校でカツアゲのカモになってた。主犯の生徒は警察のマークから漏れているらしい」
「なるほど。では、警察へ通報しなくてはなりませんね」
やはり惚ける気だ。
背を向けて、棚に並ぶ商品の整頓を始めやがった。
「そうしたいが、人物が特定できていないし証拠も無い。是非ともご協力願いたい」
今度は率直に願いを口にした。すると、店長は肩を落とし露骨な溜息を吐く。
「人間同士が魂を削り合うのは習性のようなものですから諦めるとして、私たちがその行いに手を貸すのは職業柄良しとされません」
「人間の罪を裁くのは神様の特権だろうに」
「便宜上死神と自己紹介しただけで、期待に応える存在ではないのです」
「……。サポート契約、やっぱり上司に怒られたのか」
「!」
店長の動きが止まる。図星を突いたようだ。
無意識に上司から怒られた時の言葉を使って客に説明してしまう事があるんだよ。根拠は俺の社会人初期。
魂のリユース混合率十パーセントの実験契約ができたとなれば、多少の例外取引があっても容易に上司を説得できると踏んでいたのが、見事に返り討ちにされたな。
だが、どう言い訳しても、契約は成立しているから簡単には覆せないはず。その上司とやらに直接交渉を持ち掛けてもいいが、それでは死神井澤が育たない。
上司が俺の前に現れないのも、きっと同じ考えだからだ。ならば何かしら指示を受けている事だろう。反応を待ってみる。
「サポート契約、無かったことに……」
「店長ぅぇえええ」
「じょ、冗談です! ちゃんと上と交渉、ちょ、調整中です」
「調整ねえ。サポート契約解除するために、何か良い説得方法がないか店長の記憶を覗いてみたものの、無根拠巨根ばっかりで残念でした。ってとこか」
「下品な部分に拘りますね。何かコンプレックスでも?」
「大アリだね。それだけが取り柄の自信満々な同期が俺より早く出世した」
図体と声とアレがデカけりゃ馬鹿でも出世できちまうんだよ。ほんとムカつく社会と会社だぜ。滅びてしまえばいい。
そう思ってたら俺が滅びた。
「偏見極まってますね……。ともかく、調整中なのは本当です」
「なら、なぜ有耶無耶にしようとする?」
「だって奥田部長よりめんどくさい上司なんです! 私の事、規則破りの無能呼ばわりしておいて、貴方の提案を利用する気満々なんですよ? そのくせ自分の尻は自分で綺麗に拭けとか貴方みたいに下品なことばっかり言って煽るだけだし。言いなりも癪だから、貴方の提案自体を無かったことにしたいと思ったんです」
店長の顔でプンスカされても可愛くないんだよ。そこ学習してよ。だいたい、人間が勝手に実験の手助けをするなんて好都合をその上司が手放すわけないんだからさ、もっと冷静に自分の立場を考えなきゃでしょ。
「ちゃんと建前と本音を見抜いて行動しないから無能って言われるんだよ」
「は? イチモツコンプレックスの男に言われたくありませんが?」
イチモツて。
なんだろね、どこでそんな表現覚えちゃうのかな井澤さん。
「まず建前だけど、君の取った契約を褒めたらどうなる? 一斉に他のみんなが真似たら困らない?」
「あ」
無理な契約の乱発、事故案件多発は必至。業界での信頼は失墜するだろう。それを防ぐためにも叱責を浴びせて規則を守れと釘を刺す必要がある。
「次に本音。この絶好の機会、普通なら実験の成果を確実にするため俺の担当をベテランに変えるところだ。それをせずに君を煽るのはなぜか」
「え?」
まさかと口が動きそうだけども、俺だって会社じゃ同じ判断をする。
「君の仕事を認めて、期待しているからだ」
おお、おお、目から鱗がボロボロ落ちてら。
だけどな、注意してくれ。
ただの詭弁だから。
上司が君の事を本気で無能の迷惑な奴と思ってる可能性、四割くらいあるから。
「そ、そんなものでしょうか」
そんなものなんですよ、井澤さん。
俺は黙って頷く。
「俺の提案を無にしたら本当の無能になってしまう。なのでサポート、よろしくです」
「……まあ、契約ですから。引き続き調整は努力します。取り敢えずは、付与した二種類の能力を活用してください」
「二種類。何それ?」
「お気付きでなかったのですか。既に両方を使いこなしていたので、てっきり分かっているものかと」
「いや全然。全く。何したの俺?」
素でわかんないんだけど。
他人の記憶が読めたわけでなし、ましてや操った自覚もない。
説明、大事。俺が目で訴えると、店長は首を傾げながら教えてくれる。
「一つは『死期宣告』です。文字通り、相手の人間に死の訪れを告げます」
「宣告って。まさか、さっき俺が過積載ジジイにハッタリかましたやつ?」
店長はイエスと簡単に答える。
言葉縛りであっさり撃退できたと思ってたが、違ったのか。
「ちょっと待て、命を刈り取る能力までは望んでないぞ。あの爺さん死んじゃうわけ?」
今度は店長の首が横に振られる。
「命を奪う力はありません。死を告げるだけです」
「何だよ脅かすなよ、告げるだけかよ。意味あんの?」
「告げる相手に己の死を確信させることができます」
俺が理解に苦しんでいると、店長は補足する。
本来は、今際の時を迎えた人間に用いる力なのだそうだ。魂の切り離れが良くなるらしい。茹で卵の殻を剥きやすくするみたいな、ライフハック的な技だな。
この能力を健康な人間に行使するとどうなるか。死にはしないが、死神には理解の及ばない多様な挙動を示すらしい。
影響は少ないし、同じ人間ならうまく使うだろうと上司が言うので付与してみたと。
「それで俺が使ったら、効果抜群だったと」
「正直驚いて見ていました」
—— なんでオレばっかりなんだよお
あのジジイは死を確信して、一瞬で人生を総括して諦めた。
俺も、言い訳ばかりの人生だったと簡単に纏めて終わった。
ジジイも俺も同じ括りの人間だ。
そして人生を謳歌している人間ならどうか。
藁どころか、希望に見えるものなら何にでもしがみつくだろう。
なるほど。同じ人間なら使いこなせそうだ。
「もう一つは?」
「あとは『選別眼』です。魂の活性状態を色の濃さで見分けられます」
果実の甘さを見分ける農家さんの眼、的な。
本来は、リサイクル前の魂を選別する時に云々。向こう岸の仕事については知っても意味がない。そして生きている人間では、その人間と周囲の色に顕れるとのこと。
「ベビーカーのお母さんが色褪せて見えたのは、気の所為じゃなかったのか」
「そう見えたから手を差し伸べたのでは?」
「いや。ただ何となく」
「……やっぱり子連れフェチなんですね」
子連れフェチて何!
つか、もういい加減、店長から抜けてくれねえかなあ。
腹が立ってしょうがねえ。
「色の濃さだけじゃなくて数値化して見れないのか?」
「できますが、熟練すると濃淡以外に色の違いで詳しく状態が分かるようになりますので、数字で見ない方をお勧めします」
ほーん。詳しくって感情とかかな。
面白そうだが、熟練には百年かかるとか平気で言い出しそうだ。
期待半分で様子を見るか。
「わかった。まずは授かった力で自助努力してみるよ」
概ね用が済んだと判断した俺は、レジへ向かおうとする。店長がにこりと笑って頷くので終わったと思いきや、呼び止められる。
「それともうひとつ。カツアゲの人物は、長嶺行人の記憶と生徒会メンバーを照会して特定しておきます。今夜夢の中でお知らせしましょう。枕元にノートと鉛筆を忘れずに置いて寝てください」
「なんか親切すぎない? ちょっと怖い」
「失礼ですね。……今回は、私も少し勉強になりましかたら、特別サービスです」
へええええ。
あの井澤さんが、ちょっとデレた?
そんなこと口にしたら殺されるけどな。もう死んだけど。
折角だから、お言葉に甘えて礼だけ述べることにする。
「店長、ルミさんに愛してると伝えておいてください」
呆けた顔で立ち尽くす店長。
それが店長本人かどうかは確認していない。
漸く買い物が終わった。
滅茶苦茶に疲れた。
俺の色が薄くなってないか心配なくらいだ。
会計している間、一番遠くのレジから史奈さんがちらっと俺を見た気がしたが、それ以上は何もなくひたすら過積載ジジイの荷物を捌いていた。手を振ると生卵が襲ってきそうなので、そのまま外に出た。
さて、今日の予定はコンプリート。帰るか。
「もうすぐ報酬を渡す時間だけど、こんな所でのんびりだね」
「うおっ!」
外に溜まったカートをガラガラと移動するおじさんから突然耳打ちされた。
マジでびびった。
ん? 報酬?
「七月二十日、十五時十三分ちょうどにコムラホームセンターの宝くじ売り場で連番十枚だね」
「今日、二十日?」
「そだね」
あー、そうね。忘れてたよ。そうだった。
マジかああ!
え、報酬あったの?
悪あがきで「それとは別に」って言ったけどさ、完全に諦めてたんだよ。
なんでさっき言ってくれないんだよお!
「今何時?」
「十四時五十分だね」
「コムラホームセンターへは……?」
「そこを右へだね、道路沿いを二十分ほど走った所だね」
「二十分。まだ間に合うな。え、走って?」
「全力疾走だね」
「くっそおおおお!」
死ぬほど走ったよ。死ななかったけどさ。
宝くじ売り場の店員さん、必死の形相の俺に向かって「最終日はまだですよー」と終始笑顔。その店員さんが井澤さんだったかは知らない。本気でどうでもよかった。
この日、ユキトの運動不足も課題に加わった。