方針説明は以上です
今となっては遠い昔と感じる去年の出来事。
新入部員の浮き足立つ雰囲気も消えつつある五月。
二年生、三年生部員の最も陰鬱となるその日が来た。
「集合!」
部長兼主将の池田がグラウンドに散らばる全員を監督の前に並ばせる。
表情の固い先輩達の後ろで何も知らない一年生部員は教わったばかりの直立姿勢を必死に保っている。
「いいか?」
「はい!」
話を聞く姿勢が整ったかとの監督の問いに池田が即答する。
典型的なイメージを忠実に再現したフォルム。すなわちユニフォームのベルトが出っ張る下腹を支え切れていない監督が、三白眼で全員を見渡してから話を始める。
「先日の職員会議で今年度の行事計画について話し合われ、体育祭、文化祭、スポーツ競技大会、修学旅行など、例年通り実施することが決定した。そして例年通り、各部活動主管に対し行事委員会委員の選出協力依頼があり、これを受けた」
どこの部活も一人選出、極端に部員の少ないところは免除されるといった程度であるのに対し、野球部は部活動予算優遇の点数稼ぎとして毎年三名を選出している。
監督の指図によって、指名された野球部出身の委員は委員会の幹部になることがほぼ通例になってしまっていた。結果、委員会に大半の時間を取られ、練習の不参加を余儀なくされる。
つまりこの場は、監督による実質的な『戦力外通告』なのであった。
部員同士の間で行事委員の話題はタブー視されており、時折、「生贄だけは御免だ」と自分を鼓舞して練習に打ち込む場面だけが見られた。
そういったわけで今年も君たちに協力願いたい。
そう告げて、部員達に固唾を呑む暇も与えず指名を続ける。
「戸塚、宮崎、平田。それと、池田。頼んだぞ」
二年生の戸塚と宮崎は自分の名を呼ばれた事に動揺を隠さず、三年生の平田は静かに受け入れ、池田は黙って俯く。
三人ではなく四人が選ばれたことに皆が驚き、とりわけ主将の名が挙がったのは衝撃的であった。
「亀山」
「はっ、はい」
「夏は、お前が投げろ」
亀山は即座に返事ができなかった。
先輩として、同じ投手として尊敬し、いつか追いつきたいと目指してきた目標を突然奪われ、望まないかたちで追い越してしまう。
到底納得できる事ではなかった。
「どうした。嫌なら変えるぞ」
「あの、なぜ池田主将が抜けなくてはいけないのでしょうか」
「投げられないからに決まっているだろう。お前の脳ミソは飾りか?」
投げられない。
なんてデタラメなことを言い出すんだと、すぐに否定するはずの池田の方へ目を向けてみれば、唇を固く結んだまま、何も言い返そうとはしなかった。
「池田。不服はあるか」
「いえ。ありません」
監督の確認に、池田の口は容易に開いて即答する。
その従順な振る舞いに亀山は絶望し、軽蔑した。
「みんな、黙っていてすまない。俺は春の大会で肩を痛めた。頑張って治療してきたが、夏の予選には間に合いそうもない。これからは違ったかたちでチームを支えていきたいと思う」
違うだろう。
去年、あんたがあの時、たとえ望み薄でも夏までに肩を直してみせると言い切ってくれさえすれば、こんな事にはならなかったんだ。
「私からの方針説明は以上です。本内容で合意頂ければ、以降の進行を文化祭実行委員会へ委任したいと思います」
多目的教室。
各クラス代表委員二十一名、部活動及び有志参加代表二十五名、行事委員十八名から成る文化祭実行委員会を前にして、生徒会長の方針説明を終えた。
配布された資料は前例にないほど広範囲かつ詳細な内容が記され、明らかに今後の実行役の負担を軽減するものとなっていた。
しかし、中身が詳細であるほど細かな疑問が湧きやすくなり、議論が発散するデメリットもある。
この場を仕切る生徒会書記役の篠田は、各団体への指導意見は後日送付として資料内容の削減を事前にアドバイスしていた。それでも『終わらない仕事』の理屈が頭を過った生徒会長は、必要な説明は最初に済ませるべきとしてそのままとした。
「早坂生徒会長、説明ありがとうございました。それでは、意見、質問のある方はこの場で挙手のうえ発言をお願いします」
篠田はつまらない意見や恥ずかしい質問をするなと言わんばかりの圧を込めた声で、発言を求める。
一人が遠慮気味に手を挙げる。
「材料とかの買い出しはいつから可能でしょうか」
「本会議の採決がとれましたら、予算案を職員会議にかけて決裁が下りた時点で現金支給が可能となります。一週間後くらいになると想定してください」
会計役の花岡が適切に回答を済ませる。
誰かが先頭を切ると、後に続く者は声を出やすくなる。
「この指導意見は従わないといけないの?」
「文末の表現から判断して欲しい。しなければならない、すべき、必要があるといった内容は法律、校則、保健所の指導を守る上で必須。した方が良い、望ましいとあるのはあくまで提案だ」
質問者の態度に合わせて篠田も口調を変えて答える。
「企画はもう変更できないんですか?」
「挙手を」
花岡が冷ややかな声で窘めた。
せっかく篠田が約束を守って仕事をしているので、余計なストレスを溜めないようフォローする気でいる。
「今から飲食を扱う模擬店、体育館や特別教室の使用をともなう変更は他の団体へ負担を強いることになるため不可です。それ以外において多少の変更は可能と思いますが、事前の届出審査とパンフレットの原稿提出期限などに注意してください」
篠田の理路整然とした切り返しに肩を落とすクラス代表の男子。
恐らくクラスの中で足並みが揃っていない。今から何でもできると信じている面々を説得できる自信がないのだと花岡は見抜く。
「後からやりたい事は色々出てくると思います。そんな時は必要になるお金を見積もってみると、冷静な判断ができて納得もできます」
助け舟を出したつもりのアドバイスは、当人にはあまり響かないようだった。
そしてそれは一所にとどまらない。
「でも、周防会長はとりあえずアイデアを出してくれればいいって言ってたし」
「だよな。あれは最終締め切りって感じじゃなかった」
生徒会メンバーが最も恐れていた反応。
確かに前回の委員会で周防新の説明は期限をぼかした緩いものだった。
当時は、困るのは最高責任者だからと誰も責めなかった。
かろうじて、副会長から夏休み後はすぐに準備なので今のうちによく話し合ってくださいとコメントが添えられた程度で終わっていた。
ここで生徒会の非を認めてしまえば、前提が総崩れとなりスケジュールが確実に間に合わないものとなってしまう。
篠田は生徒会長が口を開く前に反論する。
「締め切りに関する質問は一切なかったはず。企画書の提出期限が最終締め切りでないと思っていたとして、いつまでに決めるつもりでいたのか。これから企画を検討して確実に間に合う考えがあったということですか?」
まるで進路指導の先生のような理屈をこねる自分に辟易する。
だが、自分の将来さえ他人に委ね気に入らなければ文句を垂れる人種に真っ当な反論などできるわけがないと、篠田は口を尖らす連中を見下す。
その考えは残念なほど当たっていて、長い沈黙を産んだ。
「篠田君、採決とろう」
このタイミングを逃したくない花岡が催促する。
言われるまでもないと篠田が続ける。
他に何か、などとは絶対に言わない。
「それでは、今年度の文化祭方針に賛成の方は挙手をお願いします」
元々部活方面は要望を加味してあるので異議は出ず、既に飲食店舗権利や場所の確保を済ませた団体は他所の我儘に付き合いたくない心理がはたらき、行事実行委員も採決が遅れて仕事が忙しくなるのを恐れるといった具合で、大半が挙手。
そして篠田の見通した通り、真っ当な反論のできない人間は目に映る雰囲気にのまれて迎合してしまうのだった。
たった一人を除いて。
「賛成多数により採決されました」
早々に篠田が宣言を済ませると、花岡が拍手を始め総意を喚起し、皆が続いた。
生徒会長は立ち上がり優美なお辞儀を見せ、一通りの儀礼は終了。
ここから先は文化祭実行委員長へ責任が引き継がれる。
「それでは亀山実行委員長、挨拶と諸連絡をお願いします」
篠田もこれが最後の仕切りのつもりで振ったが、反応が無い。
見遣れば腕を組んだまま下を向いている。
「亀山委員長、挨拶を」
今一度促すと、ゆっくりと顔を上げた。
「あ? わりい。話つまんなくて寝てた。もう一度説明してくれ」
明らかな敵対の意思表示に花岡が眉をひそめる。




