あげないよ
「ナガミネ。お茶」
俺は席を立ち、お嬢の湯呑みを一旦引き上げる。
「同じのでいいですか」
「ええ」
図々しくも上品に割り込む声が俺の理性を取り戻してくれる。
そして勝手についてきた二匹もこの場にあっては同じく役に立っている。
「僕は何を見せられてるのかな。兄さんでさえ落とせなかったはずなのに」
「な。俺の言った通りだろ。師匠はすげえんだよ」
たとえ彼女の機嫌を損ねても、この判断は正しかった。
「それで。あの目障りな人たちは何なのかな」
この部屋に入った瞬間から“いないモノ”として視界にも入れなかった彼女だったが、俺が当然の如くお嬢の言いつけに従い甲斐甲斐しくお茶を振る舞うので、いよいよ無視できなくなった。
出入り口に近い方のデスクに座る三人が、まとめて彼女の氷結視線を浴びる。
お嬢は体をビクリと震わせ、手にした湯呑みのお茶をはねさせた。
「おいあの人、今さ」
「もう寸前だね」
手練れの少年たちはそうした挙動を見逃さない。
こういう奴らは「ゴムつけてるうちは童貞だと思ってた」とか素で言いやがるから頭にくる。
にしてもお嬢、あれはホンモノだ。やべえな。
「一年の周防と君島です。二人には俺の手伝いをさせます。一応、お見知り置きを。それと周防の方は、会長見習いとしても勉強していきます」
「えっとユキト君、会長見習いは初めて聞いたんだけどなあ」
そうだな。初めて言ったし。今思いついたし。
君島の方にも何か役付けて、諸々終わったら後始末はこいつらに押し付けよう。
我ながらこの発案は冴えてる。
これからの時代、顔が良けりゃどうにかなるさ。
「まさかと思うけど。わたし目当てでユキトに近づいたわけじゃないよね?」
一層温度が下がる。
魔女化女神の再来。
こっちまで冷気が届いてビビる俺。
お嬢は既に別世界へトリップして一般公開できない顔になっている。
しかし、幾多の修羅場も経験して耐性が身に付いている少年たちは平然と応じてしまう。
「いやあ、兄さんのお下がりは貰わない主義なので」
「こんなに面倒とは知らず告ってすみませんでした」
やっちまった。
「そっか。あれはこういう時に使うんだね」
すっと立ち上がり、会長席の机に立てかけてある年季の入った竹刀を手にする。新任の生徒会長は代々受け継がれてきた宝剣の真価を今悟った。
剣先を落として床上をずり這わせ、迷いの無い足運びで間合いを詰めていく。
なんなんだこの女。デタラメな構えなのに全く隙が無い!
と馬鹿二人が思ってるか知らないが、身動き取れず固まってやがる。
「ち、千代乃さんちょっと待とう!」
今にも振りかぶりそうな彼女の前に出て止めに入る。
あんなのでも一応カタギだから。
竹刀が汚れるだけだから。
床掃除が色々面倒だから。
肩を痛めたら大変だから。
説得虚しく押されるうちにバタンと扉の音。
命の危機を本能で察した少年たちは、逃げた。
「なんで、よりによって、あんなの連れてくるかなあ!」
扉に向かってしなやかな脚を空振ってみせる。
上履きが俺の横を掠めて弾丸のように飛んでいった。
「あれでどっちも結構な人気があるので。俺の存在を薄められるから」
怒りまくっていても聡明な女神。
すぐに俺の意図を理解した。
昨日あれだけ本気で俺の事を心配させてしまったからな。あいつらをオモテに立てておけば、俺は陰に隠れて周囲が抱く嫌悪の矛先から逃れられると考えた。
少しは安心してもらえるはず。
飛んで転がった上履きを拾って、彼女の足元に置く。
理解はしても納得できるかは別。
つま先を通しながら「そのうちぜったい斬ってやる」と不満を隠さない。
「お下がりなんかじゃないからね」
俺のシャツを摘んで弱々しく訴えてくる。
だいぶ効いてしまったらしい。可哀想に。
あのバカどもは後でシメてやる。
「わかってます。面倒なんかもないです」
冷めてしまうから食べちゃいましょうと、席に戻るよう促す。
が、そこでもうひとつの存在に気付いて、二度見する。
「ユキト、あれ」
信じられないものがそこにあるというように震える指先を向ける。
「林檎のタルトです。カスタードクリームじゃなくて、固めのプリンを敷き詰めて焼き林檎を乗せてあるんですよ」
史奈さんが習慣になっちゃったからと毎日色々準備してくれている。彼女のストライクゾーンを完全掌握している史奈さんのレシピにハズレは存在しない。
めまいを堪えるように机に手をつく彼女。
「なんで、なんで花岡先輩が先に食べてるのかな」
申し訳ないが、契約に沿った対応としか言えない。言わないけども。
「ここの主へお供え、みたいなものですよ」
絶句する彼女の見ている前で、お嬢が上品にフォークを使って口に収めていく。
澄ました顔が僅かに頷き片手で頬をそっと押さえる。
気品溢れる満足の表情はさすが。
十二分に美味しさが伝わってくる。
実際のお嬢、心拍数のピークを迎えているはず。
それでも事前に打ち合わせた決め台詞を間違わず声にする。
「ナガミネ。もうひとつ頂こうかしら」
「あげないよ?」
狙い通りおキレになった千代乃さん。
「ユキト。花岡先輩に何したのか正直に言いなさい」
「べつに。何も」
「じゃあなんでこんなに厚かましいわけ?」
びくっと背を反らすお嬢。
「さあ……」
あくまでシラを切る俺。
トボけないでくれるかな。
なんなのさっきから。
飼主の許しなく勝手にユキトを使うとか何様にさせてるのよ。
ここのヌシ?
お供え?
水にしなさいよ。
お茶のおかわり?
タルトもうひとつ?
そんな強欲で愚鈍で卑怯なクズの人間いるわけないし。
はやく元へ戻しなさいよ。
こんなクズで醜い花岡先輩なんて見てられないんだけど。
ユキトがやらないならわたしがやるよ。
塩でも撒けばいいわけ?
「千代乃さん。とりあえず、そこまで」
両肩に手を掛けて、制止する。
はっと息を止めて我に返る彼女。
慌てて両手で口を塞いでも、取り返しはつかない。
お嬢の目に涙が溢れている。
「ち、ちがう、」
首を振って取り乱す彼女が弁解しようとするのを俺が遮る。
「大丈夫ですよ。千代乃さん」
充分な報酬を与えてくれた彼女に報いるべく立ち上がるお嬢。
大粒の涙を落としながら、深々と頭を下げる。
「早坂さん。どうもありがとう」
「先輩?」
「改めて、あなたを全力で支えていくと誓うわ」
再び見せた顔は、涙で汚れた頬に髪が張り付いた有様。
干からびた心を隠すために保っていた品位は消え失せ、
幸福に満たされて尚も溢れるばかりの笑みに崩れた。
まるでそれは。いや、言うまい。
「ナガミネ。ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
その言葉そのままの意味しかない。
濡れた頬を拭いながら出口へ向かうお嬢。
「それと、ナガミネ」
「は、はい」
振り返る姿を目にして、こんなに綺麗な子だったかと今更ながら驚く。
「生徒会へようこそ」
ひどい顔になっちゃったと、お嬢はそのまま生徒会室を後にした。
呆気にとられたままの彼女。
感動的な余韻を残すも、中身が色々酷すぎてどうしようもない。
これからの俺と彼女の環境を早急に整えるためとはいえ、短時間に詰め込み過ぎた感は否めない。
彼女を席へ戻し、二人で昼食を済ませるまでの間、人の趣味嗜好には様々あることを話した。黙々と食べていた彼女だったが、最後に「そんなのわからないよ」とだけ呟いた。わかってもらえなかった事に少しだけほっとした。
そして、「洋梨のタルトもあるんですよ」と冷蔵庫にある切り札を見せて放課後のお疲れティータイムを約束。彼女のご機嫌をキープするには常人の『倍』のカロリーが必要なのである。
なにか運動してもらわないとだな。




