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お嫁さんかよ!

 二階にある生徒会室。


 『扉のウラに誰かいるかも!!

  ご用の方はノックしてね!!』


 ひと目で彼女の自筆とわかる張り紙に従い、三回叩いてみるも無反応。


 不在。確認完了。としたいところだが、今日の彼女はご機嫌斜め下。


 居留守の可能性も考慮して一応ドアノブを回してみると、あらあら不思議。奥へどうぞと開いてしまう。


「失礼します」


 わりと引き締めた声で入場。生徒会メンバーが勢揃いなんて場合もある。

 最初の挨拶大事。

 が、誰も居ない。


 不在。確認完了。なのだが、中央に並ぶスチールデスクにバッグがひとつ。彼女のものかと近づいて確かめてみると、違った。同じ学校指定のスクールバッグだけれども、彼女が好きそうな子犬のマスコットがぷらぷら付いている。


 だが彼女はバッグに一切の飾りを付けないのだ。

 学校ではバッグどころか、身に纏うものすべてに個性や趣味を感じさせるものを排除している風さえある。素がインフルエンサーだからな。諸々配慮しての処世術なのだろうと勝手に理解したつもりでいる。


 というか白状すると、ここに入る前から彼女の匂いが弱かったから期待してなかったんだよ。冗談のつもりが本気で嗅覚犬並み君になってしまったらしい。

 別の匂いがやたら強い。

 しかも選別眼が要らんものを見てしまうし。


 ちなみに黒澤から借りた伊達メガネは理科実験室の格闘でひしゃげてオシャカ。

 ここに用は無くなったというのに、出て行って良いものかどうか判断に迷う。

 純粋に事故案件に繋がる恐れありだからさ。


 コン、ココン。


 不意に、変わったリズムのノック音が耳に入る。

 俺は入室を許可できる立場でないが、張り紙の目的はそういうことじゃない。

「はい」

 返事をしたものの、扉は動く気配がない。

 開けてもらうのを待っているのだろうか。


 俺もそうすべきだったかと思いながら扉へ向かうと、寸前で開けてきた。

 ぶつかりはせずとも、それなりに近い距離で目が合う。


「来てたんだ」


 素っ気ない声に俺は苦笑いしか返せず、彼女は部屋の奥へと入っていった。

 肩にバッグをかけて、折り曲げた腕には俺のシャツがあった。


 足取りにふらつく様子はなく、顔色も悪くなかったので一安心。

 安心を通り越して、過剰な嗅覚のおかげで不覚にも緊張を覚える俺。

 冷静な状況判断、大事。


 恐らく彼女の記憶が途切れた部分では、休み時間に教室を出た後、貧血で具合が悪くなり保健室で休んでから復帰した、ような内容を埋められているはず。


 そこはいいとしても、それ以前は変わらない。

 髪型の件と補佐役の件、それと友達とのわだかまり。いくら賢い彼女であっても一件ずつ気持ちを整理するのは酷というもの。それこそ「なんか腹立つ」と蹴られても甘んじて受けるべきなのだと思う。決して俺がそう願っているわけじゃない。

 アレはご褒美のレベルを超えた痛さ。


 しかし、ここで大問題。


 ひとみさんの仕事が良すぎて実は心中それどころでない。

 完、璧に俺好み。


 なんとなく、彼女はひとみさんのような晴れた性格に憧れがあるのではと思った。

 俺は彼女に心機一転など不必要と思ったから、もし髪を切りに訪れても極端なのはやめるよう説得して欲しいと、ひとみさんへお願いしただけだった。

 そしたら、そんなオーダーじゃわからん、ちゃんと決めろとヘアカタログ持たされてしまいエイヤっと指差したまでは覚えている。ただあれは、モデルの服装が目に留まったからで、今思い返すと普通のヘアカタログとは異質だったなと。


 そんな適当な経緯にもかかわらず、あの仕上がり。

 俺は確信した。

 ひとみさんはオトコの夢を叶えるプロフェッショナルなのだと。

 言葉にするとキング・オブ・キモイなので控えるが、本当に美味い米に出会った時に「おかず要らんわ」となるのと同じ。

 本当の美味い米知らんけど。


 ただでさえ今日は無許可(許可されたこと無いが)で抱きしめたり抱き上げたり、あと噛まれたり。少し思い出すだけでたぎる気持ちがぶしゃあである。

 これが本当に二人だけの密室だったら、ヤバい事案になっていたこと請け合い。


「ちゃんと皺を伸ばしてから干して。取りきれなかったよ」


 会長席にバッグを置くと、俺のシャツを広げて見せてきた。

 一応独り暮らし長かったからさ、干す前に軽くパンパンと伸ばすくらいはしたつもりなんだけど。何気に使ってたアイロンスプレーが優秀だったのか。


「え。学校にアイロンなんかあるんでしたっけ?」

「被服室の借りた」

 お嫁さんかよ!


 俺が感謝感激する間も無く「はやく着ちゃいなさい」とシャツを当てられ、言われるがまま背を向けて腕を通した。

 ボタンを留める間も両肩の端を摘んで整えてくれたりする。

 お嫁さんかよ!


「すみません。千代乃さんに主婦させるつもりはなかったんですが」


 さっきから苦笑いの顔が固まって動かない俺。

 軽い冗談もスルーされてまた奥へ行かれてしまう。

 俺ほどのプロ営業をもってしても余裕なし。


「適当に座って」

「はい。じゃあ失礼して」


 備え付けの冷蔵庫からお茶のボトルを取り出してマグカップに注いでいる。

 じっと見ているのも何となくはばかってしまい、こびりつきそうな視線をエイヤと剥がして他へ移す。


 改めて見回してみると気付くこともある。

 古びた殺風景な部屋だなというのが第一印象だったが、レイアウトに無駄がなく、それほど広くもないスペースに書類や備品がびっしりと置かれているわりに圧迫感がまるで無い。それなりに生徒会室としての機能美が引き継がれているようだ。


 トレーにカップを二つ載せて振り返る彼女は、遅い疑問を投げてくる。

「この部屋の鍵、ユキトが開けたの?」

「いえ。多分、他の人が先に」


 俺の指差す方向に置かれたバッグを一瞥すると、

「花岡先輩ね」

 すぐに持ち主を言い当てた。


「生徒会の?」

「会計をしてくれてる」


 なるほど。聞けば、生徒会の構成員は会長と副会長、書記と会計の四人。並ぶスチールデスクの数からすると少ないなと思えば、昔は広報や渉外の役もあったが今は活動も小規模になって人員も減ったらしい。


 会計と書記は三年生だそうだ。二年生の彼女からすると上級生に指示を出すのは心苦しい面があるだろうし、ましてや広報や渉外の無関係な仕事を振るのは難しいかも知れない。思った以上に取り巻く環境は厳しそうだ。

 そして思っていなかった甚だしく強い殺気がとある箇所から漏れてくる。


「会計の先輩、優しい方ですか?」

「うん。いつもすごく気を遣ってくれるし、優しい先輩」


 左様ですか。

 彼女は俺の前にカップを置いて、横隣の席に座った。

 俺は身を守るためにこの位置を選んだのだが、より安全なセッティングとしては、できれば彼女は対面の席が良かったと予感している。


 緊張で渇いた喉を冷たいお茶で潤す。

「あ。そういやこのカップとかポットとか、図書室に置きっぱなしだった」

「わたしも今朝気づいた。間に合ったから怒られなかったよ」

 安堵して礼を言うと、ようやく少し柔らかい顔になって目を合わせてくれた。

 が、すぐにぷいっと逸らされてしまう。

 可愛い。


 じゃなくてな。この密室実験みたいな状況をどう片付けるかなんだよ。

 とりあえずメシに行きましょうと彼女を誘って、場所を変えつつ腹を満たしてから、順序立てて弁解と謝罪をすることが俺にとってのベストプラン。


 だが、万が一にもここで事故があってはいけない。

 優しい先輩は俺に優しくないことは確定済みなんだけどな。

 彼女には何か理由をつけて先にマスターの店に行ってもらい、その間に俺が交渉するしかないか。


「ユキトはすごいよね」


 決めた算段を実行しようとしたところで、思わぬ言葉が彼女の口を衝いて出た。

 確かに俺が今日巻き込まれた不幸は凄いどころの騒ぎじゃないが、彼女の記憶にある中で考えれば、よくもいけしゃあしゃあと顔を出せたものだという皮肉しか思いつかない。


 営業やっていれば厚顔無恥を装う場面もある。

 平気で笑い返すなど造作もない事。

 そのはずが、やはり苦笑いから苦いが取れない。

 全然凄くない。


「凄くは、ないですよ。半端者です」


 自虐して返すと、俯く彼女に首を振られる。


「わたしは、ユキトをみんなから離すことしか考えてなかった」


 みんな、か。

 彼女のクラスメートが言っていた「みんな」のことだ。

 嬉しいことを言ってくれる。こんな俺を守ろうとしてくれていたのか。


 そんな彼女の気も知らず、俺はステージから観客みんなへダイビングしたようなものだからな。それは呆れるだろうし、怒りもするだろう。


「俺もみんなから距離を置くつもりですよ?」

「だったら!」


 突然シャツの袖を掴んでくる。

 せっかくシワを伸ばしてくれたのに、憤りの跡がついてしまう。


「距離を置くというのは、みんなの考えに合わせないってことです」

「でもそれじゃダメだよ」


「それでも陸上部とか書道部とか、吹部も、俺を受け入れてくれたわけです。俺も見習って、距離を置きつつ窓は開けておくスタンスでいこうかと」

 そう考えたら、なぜかお前らも一緒に走れみたいなノリになっちゃいました。とおどけてみせても、彼女のうれえた顔は変わらない。


「拒む人の方が多いことくらいわかってるよね?」

「みんな異物を嫌いますからね。でも、それはそれで虫除けになれるから、損はしませんよ」

 ガタリと音を立てて彼女が立ち上がり、今まで見たことのない険しい顔で、今まで聞いたことのない大声を頭から落とされる。

「自分で何言ってるかわかってるの! それ誰の為なんだよ!」


 参った。

 俺何言った?

 そんなに怒らせることだったか?

 まずいぞ。どっちの方向に間違ったのかわからん。

 完全に方角をロスった。

 どう答えていいのか、さっぱりだ。


「誰のと言うなら、俺の為ですけど……」

「もうなんで、そんな言い方ばっかりするかなあ」


 いや俺の為だし。思いっきり自己中だし。

 なにか思いが噛み合ってないというか、ボタンを掛け違えてるというか。


「これじゃ、こんなんじゃユキトがつらいだけじゃない」


 待て。

 なんでそうなる。

 俺のどこがつらいんだ。


「ああ。そういうことか」

「どういうことよ!」


 ついに胸ぐら掴まれる。

 彼女の固くなった指に手を触れる。

 真っ直ぐに俺を見る目が湿ってしまっていた。

 申し訳ない。俺が浮かれ過ぎていた。


「千代乃さん、俺が可哀想だと思ってますよね?」


 何を今更というように、眉根を寄せた。

 だよな。


 結局、杉田Bの言ったとおりなんだよ。


「言っておきますが、俺は今、めちゃくちゃに幸せですから」

「何言って……」

「こんなふうに、千代乃さんが本気で怒ったり蹴ったりする相手は世界中探しても俺だけだって有頂天になってるわけですよ」


 特別感、優越感、言葉にすると少々俗物的になってしまうが、少なくともその権利があることを幸いと思うし、誰に譲る気も無いでいる。


「バカみたい」

「そう。俺の心の中はバカみたいに小躍りしてる。最近は毎日が楽しくて仕方がない。ああいや、千代乃さんを怒らせるのが、じゃないですよ?」


 夏休みが明けたらどうやって千代乃さんのスキマ時間を貰おうとか、不届きなヤローどもの虫除けは何をしてやろうとか、ご機嫌とりに秋のスイーツはどんなのがいいかとか。そういう事がですよと、ごたくを並べる。

 我ながら格好悪いの極みだ。


「バカだ」


 その通り。

 でも嘘じゃない。俺は全く可哀想じゃない。

 これだけ恥を晒したんだから、少しはわかって欲しいんだが。


 俺のシャツから手を離した彼女は、再び会長席の方へ離れてしまった。

 背を向け自分のバッグを開けて何やら漁っている。帰り支度かな。

 ご機嫌斜めから拗らせてしまった。

 どう説明すれば良かったのか。あとでひとり反省会になりそうだ。


 仕方がない。彼女のクラスメートに大口を叩いて泣かせた手前、去られる前に俺の言うべき事だけは伝えておこう。


「すごいと言えば。千代乃さんの会長就任挨拶、格好良かったです」


 無視。

 どうにも今日はムシに縁がある。てオヤジかよ。オヤジだよ。

「堂々として、安心感があって、力強かった。さすがですね」


 無視。

 けっこうダメージあるぞー。あと一、二回が限度。

「千代乃さんが大事にしてきたみんなは、ちゃんと応援してましたよ」


 無視。

 ムシの息。俺がな。次で死ぬ。

「あのつまらない野次を一蹴したのも、最高に格好良かった」


「付き合ってないから!」


「はい?」


 いきなり振り返って過敏な反応。

 驚いて理解が進まなかった。


「だから、あの人とはそんなんじゃないの。そういうふうに振る舞ったときもあったけど、仕方なくて、でもそんな気はぜんぜん無かったの! ココだけなんだよ、ココだけ!」


 そんなこんなで、あって、なくて、ココだけ?

 あの人ってのは、アイツの事だろうな。

 付き合っている体裁を装っていたと言いたいのか。

 最後のアタマがどうしたのかさっぱりだが。


「だ、大丈夫ですよ。そこは気にしてなかったんで」

「…………」


 こんな生き物がいたなんて。みたいな顔して固まる彼女。

 ショック受けて嫉妬してたと言う方が正解だったか。

 恥の上塗りでもいいけどさ、ちょっとは俺にも見栄を張らせて欲しいんだよなあ。

 やむなし。


「嘘です。ショックでさっきまで寝込んでました」

「それも嘘」

 はい。ムシ相手に暴れてたしね。


「本当はこう思ってました。やっぱりイケメン大好きじゃん、チヨノのアホー」

「そうなんだね」

 肩を落とした。

 まさか落ち込んでるわけじゃないよな。

 ちょい焦ってしまう。


「いやだから、本気でどうでもよかったんですよ」

「どうでもいいんだ」

 拗ねたよ。

 ああ正解わからん。


「どうでもいい。あの男の隣にいた千代乃さんより、俺の前にいる千代乃さんの方が断然可愛いに決まってるんだから。嫉妬のしようがない」

「なっ、なんで、そんなことばっかり。自惚れないで」

 いやいや自信過剰でもなんでもない。

 根拠が今そこで俺と喋ってるんだから。


「アイツにビンタとか蹴りとかしてました?」

「そんな気持ちになんか、なったことない」


 良かった。


「それ。そんな気持ちを俺だけのものにします。この先、千代乃さんが誰の隣に居ようとそれだけは絶対に渡さない。という覚悟あっての『どうでもいい』なんですけど、伝わります?」


「バカユキト!」


 片手にタオルを握った彼女が俺の後ろを過ぎて扉へ向かう。


「えっと、どこへ?」

「汗かいたから顔洗ってくるの!」


 早足で出て行ってしまった。

 ヒートアップさせ過ぎましたかね。俺が悪いの?

 


 一呼吸して気持ちを切り替える。

 よし。今しかない。

 俺の正面に見えて並ぶ縦長の個人用ロッカー。それらのうち一際匂いが強く赤黒い殺気を隙間から放っていた扉の前に立つ。

 今は赤黒から赤が弱まり黒だけに見える。


「このロッカー、中から開けられないでしょう。どうするつもりだったんです?」


「……っさい」


 弱々しい、くぐもった声が返る。

 それはやはり女子の声で、放置するわけにはいかなかった。


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