ポイント2倍デー 〜さあ狩りの時間の始まりだ〜
「フレッシュマジカル・ホンマ」
ほんまかいな。
正気の沙汰とは思えないネーミングセンスを抱えたスーパーだよ。
まあ感じ方は人それぞれ。
マジカルフレッシュだと賞味期限偽装みたいだからな。きっとこれが正しい。
それに昼間からこの賑わい様だ。真っ当な店舗のはず。サラリーマンしてると平日この時間のスーパーなんて出入りしないから、新鮮な光景ではあるな。
年寄りや乳児連れの母親なんかが多いのは納得。単独行動のジイさんがよく目に留まるのは気の所為だろうか。俺も死なずに過ごしていたら、早晩あんな感じになっていたのだろう。想像の十倍胸に刺さる光景だ。
そして想像は想像に終わらなかった。
「こちらのレジ空いてまーす」
「こちらへどーぞー」
必要以上に大きな声をレジ係が発していることに気づき見遣ると、異常な事態を目撃した。ひとつのレジにだけ大行列が作られ、空いているレジから声を掛けるも全く反応しない。
列を成すのはジイさんばかり。カートに目一杯積み込んで後方から「もっと前に詰めろ!」「あっち行けや!」と煽りが飛び交う。
そのレジだけ五人体制を組み、商品取り出し、分類と同商品まとめ、バーコード処理、レジ袋とマイバッグへ詰め込み、カートへ戻して支払い案内まで、流れるような連携プレーが見られる。
一際目を引くのはバーコード捌きだ。一瞬で商品のバーコード位置を正確にリーダーへ通していく様は工場のマシンを彷彿とさせる。
そして次の瞬間、驚愕の変化が起こった。
支払い案内をしていた一人が交代した途端、ジイさん達の列が崩れ、フロアの奥の方へ向かって散り散りになっていくのだった。
「ユキトくん! 来てくれたのね」
レジから離れてまっすぐ俺を目指して小走りしてきたのは史奈さんだった。俺はまだ不可解な現象の理解が追いついていない。
「母さん……。事務仕事では?」
「今日はポイント2倍デーで普段より混むからフロアのヘルプもあるの。いつもは三時くらいからだけど、もしからしたらユキトくんに会えるかなと思って、張り切って早めに出ちゃった」
女神の照れ笑いというものを初めて見た。
なんと神々しい。
ああそうか。
俺がこの世に残った意味はこれなんだな。
これって何かって、これはこれだよ。
「そ、そうだったんだ。レジ離れてよかったの?」
「ちょうど休憩で交代だったから大丈夫。それで、何から買おうか」
「えっ、一緒に回るの?」
「え、ダメ?」
「だめっていうか、……なんかまずい気がするけど」
店のエプロンを外して一緒する気満々な史奈さん。その様子を方々から熱視されている。レーザーに捕捉されている気分。
主に過積載カートをのっそり押すジイさん達。
えも言われぬ危険な予感に戸惑っていると、やはり指導が入った。
「長嶺さん、ほら早く中に入らないと危ないよ!」
青果売り場で品出ししていた女性店員がそばまで来て危ないからと注意する。
「ええ、でもぉ」
「フロアに出る時間は必要最小限って、チーフにいつも言われてるでしょう」
渋る史奈さんの背中に手を当てて半ば強制的に通用口へ連行してしまう。
ほどなくして集まる視線は解消し、人の流れが自然になった。まるで止まっていた時間が動き出したようだった。
「弟さん? ごめんねえ、一緒に買い物したかったよね」
史奈さんを連れて行った店員さんが戻るや否や俺に謝ってきた。彼氏と誤解されないのは残念だが、息子の立場を強調する場でもない。
「いえ。お世話になってます」
姉がとも、母がとも言わない。
「お客様の悪口は言いたくないけど、困ったものなのよ」
客のモラルが低いわけか。周辺に買い物できる店舗が少ないことも要因にあるのかもしれない。他の店員もよく見ると、客の動きに神経を尖らせているようだ。
なるほどな。察しはつくが、憶測で物事は判断しない。事情を知るこの人に確かめておこうじゃないか。
「あの、さっきあったレジの行列はなぜ会計をしないで散らばったんですか?」
「そんなの長嶺さん目当てだからに決まってるじゃない」
さあ狩りの時間の始まりだ。
死神の大鎌を借りて群がるジジイどもの魂を刈り尽くしてやる。
一匹たりとも逃さねえぞ。こっち見てんの何匹いやがる。
1ジジイ、2ジイ、3G、…………見えてるだけで13G。多すぎねえか?
「目当てって、人気女優じゃないんだし」
「人気女優どころじゃないんだってば」
女優じゃなきゃ演歌歌手か。
このスーパーそんなショータイムあんの?
史奈さんが和服とかドレスとか七変化すんの?
突然冷凍食品のショーケースからバーンと現れたりするわけだ?
あっ、マジカルってそういうこと?
そんなんスーパーイリュージョンスーパーじゃんか!
一瞬でスーパーの新しい業務形態を閃いたが、違った。
店員さんはお客を人間でないもので喩える。
「最初は公園のハトみたいなものだったのよ」
思いっきり悪口言ってる。
「餌は?」
「長嶺さん、無自覚に愛想振り撒くから」
ああ。公園のベンチでポップコーンばら撒くみたいな。
「癒してしまったと」
「もう喜んじゃって。普段忘れっぽいくせにこんなのだけ段々知恵つけて」
辛辣。
過積載カートもできるだけ接触時間を延ばそうとする策なわけか。
「ああやって再登場をじっと待っていると」
「じっとじゃないわよ! 盛った猿みたいにマウント合戦で大迷惑なんだから」
カートをぶつけ合って積み荷を崩すなんて日常茶飯事、史奈さんに駐車場まで面倒見られてしまう10キロ米袋や酒の箱買いは禁忌とされ、レジに並んでいいのは一万円以上の購入者、話しかけていいのは二万円以上。
カタギの人はそもそもレジへ近寄れない。不文律を破った者は、店の出口で生たまごの総攻撃を倒れるまで受ける。
そんな廃課金老人の説明を聞いてるそばから奥の方でガシャンと衝突音がして罵声が飛び交う。
びっくりした子供の泣き声も相俟ってカオスな状況に陥った。店員の一人が収拾のために走って向かう。
「出禁にすべきでは……」
「客単価がいいし、売り上げ貢献すごいのよ。逆に店長は味を占めて長嶺さんを毎日出そうとしてて、フロアチーフが阻止してるの。まあ、おかげで私たちの時給も上がってるし、文句言いづらいのよね」
店長としての判断は正しいと思う。売り上げは正義だ。
しかもトラブル収拾の手間分を報酬に上乗せしていると従業員に認識させているのならば、その手腕は優秀だと言わざるを得ない。
『業務連絡、惣菜前、お客様サポート願います』
店内放送で集合がかかる。
そう。興奮した客は大人数で囲って速やかに隔離するのが一番だ。
「あら行かなきゃ。そういうわけだから、弟さんからも、愛想良くするのは程々にするようお姉さんを説得してちょうだいね。あと、帰り道、気をつけるのよ!」
いい人だった。
史奈さんの知られざる天然スキルを知ることができた収穫は大きい。
だがヤバいな。今まで無事だったのが奇跡だ。
この状況で休憩を終えた史奈さんがフロアのヘルプに復帰するのは、サファリパークで車から降りるようなものだ。
俺が護衛するか、店長へ直談判するか。前者は俺の時間が許されるここ数日の範囲に留まる対処療法でしかない。
後者は売り上げ増分に相当するバーターが必要だが、こんな学生身分ではまともな交渉材料を出せない。最終手段はこの仕事を辞めてもらうことだが、説得を誤れば史奈さんが自分を責めるようになってしまう。
さて、どうしたもんか。
空の買い物かごを手にぶら下げたまま考え込んでいると、また別の所から濁声が発せられる。
「邪魔なもん持ち込んでんじゃねえぞっ!」
過積載ジジイがベビーカーを蹴りやがった。
母親は恐怖して声も出せない。
久々に、俺は、キレた。らしい。
「お前の存在が邪魔なんだよ」
側から見たら、ただのイキった高校生が老人に絡む構図。
「なんだ、クソガキ?」
中身はオッサン。
「あ。お前、もう長くないな。もうすぐ、それ止まるぞ」
人差し指をジジイの胸に向けて告げた。
「ふざけた事ぬかしてんじゃねえぞ! んぐっ」
ジジイは鳩尾のあたりを気にする。
「少し違和感があるだろう。それがあと何回動いて終わるか教えてやろうか?」
「言うな、言うなあっ!」
両耳を手で塞ぎ、急に青ざめて、辺りをキョロキョロ見回し出す。
そして、はっと何かに気づいたように目を見開いてから、項垂れた。
「くそぉ……。なんでオレばっかりなんだよお……」
ジジイは子供のように鼻頭から涙を落としながらレジへ向かっていった。
俺もやり過ぎた感にはっとなって驚く。
少しハッタリかまして脅す程度のつもりが、思ったより効きが強かった。
言葉で縛るテクニックは営業でよく使う。
お客に、チャンスに強い方ですよね、素早い判断できる方ですものね、と普段から刷り込んでおくと「そんなこと全然ないよ」なんて言いながら、ここぞという時の売り込みで食い付きが断然良くなる。
ポジティブな言葉を使うのが基本だが、ネガティブでも効果はある。
それでもって俺、昔から言葉が残酷なんだよ。会社で部下を持ちはじめてからどんだけ苦労したか。
離婚の原因もこれが発端だしな。
三つ子の魂百までとは、死んでも有効なんだな。間違っても史奈さんへ暴言吐かないよう戒めねば。
「あの、ありがとうございました」
背中からの声に振り返ると、漸く声を出せた母親からの礼だった。あのやり取りはドン引きだったろう。少し取り繕うか。
「いえ。赤ちゃん、大丈夫でしたか?」
「ええ。平気です」
俺は屈んで腰を落とし、ベビーカーの中でぼけらっとした赤ん坊の無事を確かめる。まだ首もすわりきってないようだ。
兄貴の子を面倒見ることがたまにあったから、多少の心得はある。しかし、この時期の子供を連れての買い物は苦労するな。
気の所為だろうか。
母親の色が薄く見える。
顔色というより、着ている服も含めて全体的に色褪せているような。
「完全にあの爺さんが悪いです。気分悪くなるだけだから忘れましょう」
「迷惑かけないように、空いている時間に来たつもりだったのだけど、今日が混む日だって知らなくて」
小さめのマイカゴをベビーカーに引っ掛けて買い物をしていたようだ。子供を抱っこするやり方もあるだろうが、どちらにせよ一度にたくさん買い込むのは難しいのだろう。
「ここまでは車ですか?」
「そうですけど」
「じゃあ手伝いますよ。買い物」
俺の大きい方のカゴを持ち上げて見せる。
申し訳ないからと遠慮されるが、そこはプロの営業トークでやり込める。まあ、元の見てくれだったら気持ち悪がられて拒絶されるのがオチだろうが。
嵩張るトイレットペーパーや重い米なんかが入用かと思ったが、そうしたものは足りているそうだ。
週末には旦那さんが買い出しに行ってくれるし、少し割高でも通販を使うように言われていて、特に物資調達に困っていたわけではないらしい。
ただ、通販だとどうしても冷凍物が多くなって解凍が面倒だったり、野菜は当たり外れが多かったりで、良し悪し色々だと。
張り切って一緒に歩き出したものの、思いのほか俺のカゴは品物が満たされない。
「ここへ来るのは、息抜きが半分以上なの」
いくらか会話を交わして、言葉づかいが歳下相手に慣れてきたようだ。
「子育てがキツイ?」
ストレート過ぎたらしく、苦笑いされてしまう。
「この子は手のかからない方みたいだけど、それでも朝から晩まで家にこもってると、なんかイライラしたりして」
知らなくもない話だ。
俺のいた職場でも、子どもが生まれてしばらくは電話一本かかってきて早めに帰るような男が多かった。隣席のやつから「電話、奥さんが叫んでましたよ」なんて、よく聞かされた。
育児休暇を推奨する会社ではあったが、職種によってはまだまだ難しい。
ウインナーの試食を二つもらって、片方を渡す。
こういうところで貰うと、なぜか美味いと感じるから不思議だ。気に入ったらしく、手に取って見せると、コクコクと頷くのでカゴに入れた。
すると、赤ん坊を抱いたうえに幼児と手を繋いだ母親がやって来て、足にしがみつく子にウインナーを食べさせ「おいしー? おうちでたべるー?」と、ご機嫌に二袋をカゴに放り込んで去っていった。
パワフルの一言。二人して呆気にとられる。
「他のお母さんは凄いなあ。私は弱くてだめだね」
あの逞しさと比べたら俺だって自信無くすけどな。でも大事なのはそこじゃない。
「いや、偉いですよ」
「え?」
「ちゃんと自分で息抜きのために外へ出ることができるのは、偉いです」
「偉い、の?」
「本当に弱い人は、我慢することしかできない。自分に全然やさしくない」
「自分に?」
「自分にやさしくする分、その子にも、旦那さんにもやさしくなれる。そう思った方がいい」
「いいんだ……」
「だから、もう息抜きばっかでいいんですよ!」
精神衛生を保つ極意を授けた。受け売りなんだけどな。
「あの、君は、高校生くらい、だよね?」
「高一です」
「すごいね、達観してるっていうか、わたしよりすごくオトナ」
正解。全然歳上だからな、敬ってもらいたい。
でも心ん中じゃオジキモい子とか思ってんだろ。いいんだよ別に。
「俺の尊敬する先輩が言ってた事なんで。真似してるだけです」
それでもすごいよー、と、ひとしきり感心された。
その後も、一緒に順ぐり店内を回り、俺がイチオシのスパイスミックス塩を教えたり、生前ハマっていた黒胡椒煎餅やパスタソースを勧めたりとマジカルDKな俺。最後に旬のさくらんぼを見つけて明るい気分になる色だねとカゴに加わって終わった。
結局、余裕で片手に持てる程度の出来高になったが、駐車場まで付き合った。
「なんか、せっかくの息抜き邪魔しちゃったみたいで申し訳なかったです」
「そんなことない。すっごく楽しい買い物だった。どうもありがとう」
終始ご機嫌だった赤ん坊に手を振ると反応した。
「男の子ですか?」
「ううん。女の子。君みたいに親切で優しい子になってくれるといいな」
「お母さんみたいな美人になるなら優しくなくてもいいですよ?」
いかん。オッサン魂が抑えきれん。
「そんなこと言う男に引っかからないようしっかり育てなきゃ」
気付けば、最初の印象と打って変わって全体が色鮮やかに見える。スーパーの照明が良くなかったのか。
ともあれ、いい笑顔だ。
営業トーク連発のオジキモい高校生だったが、何も嘘は言ってない。
気を付けて。またのご来店を。
見送って、一仕事片付いた満足感。
ん? 史奈さんの休憩とっくに終わってんだろ。ヤバッ。
生徒会長は、もう少し先です……。