よそでやってくれ
もし、俺なんかので事足りるなら。
いくらでも持っていってくれ。
そのままじっとしていたのは、ほんの一分程度。
彼女は目を閉じたまま満足気な笑みを浮かべ、再び眠りについた。
とりあえずは落ち着いたようだ。
そっと抱き抱え一階まで降りて、保健室のベッドに寝かせた。
保健の先生へ声を掛けたのだが、何も聞こえていないかのように机に向かったままパソコン仕事を続けているので、勝手にさせてもらっている。
窓の外ではトラックがずらりと並んで駐車していて、作業着を纏った業者らしき人々が活気づいて動き回る様子が見える。朝礼台に立ち業者と会話しているのは見覚えのあるヤツだが、興味が無いので意識から外す。
保健の先生が無反応であるのは死神の仕業だというくらい俺にだってわかる。
この校庭の景色を一般人に認識させないのは正解と思うが、彼らの基準で考えた正解がたまたま都合よく一致しているに過ぎない。あるいは、
———— こう言うのは気分だね
という程度かもしれない。
死神の気分など知らないが、できれば俺にも認識させないで欲しかった。
夏休みは終わったというのに、今日も彼女は俺の前で無防備な寝顔を晒している。
少々失礼すると、彼女の首に傷跡は見当たらず、シャツもきれいなままだ。
あのとき俺の指を伝って流れたのは血ではなかったらしい。良かったと言っていいのかどうか。
そう言えばと、自分の首に手をなすりつけてから手のひらを確かめると、「ですよねー」といった具合にべったり血が。はっとなって彼女の顔をもう一度よく確かめると、唇の端が僅かに赤黒くなっていた。
漠然とした、やってしまった感に襲われるがもう遅い。お腹壊しませんように。
壁に据え付けの鏡を覗いてみると、想像以上にがっつり残った歯形にどん引く。
こんな傷跡を彼女にも史奈さんにも見せるわけにはいかない。出血はほぼ止まっていて汚れは拭き取ったものの、とても絆創膏で隠せるサイズではない。ガーゼを当てて怪我っぽくも見せられないから、仕方なくシートタイプの湿布を貼った。
やっぱしみる、気がする。やむなし。
残る問題は襟についた汚れ。先生に詫びつつ保健室のシンクを借りて脱いだシャツを水洗い。備え付けの食器用洗剤が思った以上にチカラを発揮、シミはぱっと見で気付けないくらいまでに落とせたので良しとした。
ハンガーもある。窓際に掛けて干す。
日当たりもいいし、すぐに乾くだろう。
保健室、超便利。
普通に暮らせるじゃんか。
洗濯を済ませた主夫の気分で、もう一度彼女の傍に座る。
俺は居てくれるだけで満足です。
なんて、調子よく軽口たたいたのを思い出しながら素知らぬ風の寝顔を眺めているうちに、ついさっきまでの我を失うほど荒れた気分が治っているのを自覚する。
もう遠くへ連れて逃げる気など消え失せた。
今は静かに眠らせてやりたい。
これを邪魔する障害は悉く排除する所存。
そう思わせるのは、段々と騒々しくなる外の連中だ。しかも喧しいサイレンの音まで割り込んできた。
職務と真面目に向き合う人々を誹謗するつもりはさらさら無い。
無いけども。
「よそでやってくれ」
彼女の頭を軽く撫でてから、俺は校庭へ向かった。
遡ることおよそ10分前。
「やばい、やばい、やばい……、モル、源五郎さん!」
校舎の玄関から校庭へサンダルのまま飛び出た黒澤は、朝礼台に立つ周防優へ向かって叫ぶ。源五郎の名に反応する周防優は似つかわしくない神妙な面持ちで黒澤が胸に抱く白い小さな動物を見咎め、とあるトラックを真っ直ぐ指差した。
サンダルが脱げるのもなりふり構わずトラックへ方向転換して走る黒澤は、誰にともなく「シールドルーム開けろ!」を指示をとばし、開かれた荷台の更に奥の堅牢な扉をもつ庫内へ飛び込んだ。
暫くすると、息を切らせてげんなりする黒澤が荷台から降りてきた。
作業員の一人からサンダルを受け取ると、礼を言って手に持ったまま朝礼台の前まで歩み寄る。
「早坂千代乃の寄生精霊を実体化させてしまいました。申し訳ありません」
頭を下げ失敗を申告する黒澤をよそに、周防優を乗っ取った源五郎は腰に手を当て首を反らせ、校舎の方を見上げる。
「あの精霊はあっちで寄生したまま無事だよ。というか今、やたら元気になってるみたいだね」
「えっ、では、アレは?」
自分の勘違いに驚く黒澤は、先ほど飛び込んだトラックへ振り返る。
源五郎も首を戻してトラックを見つめ、自信なさげに考えを口に出す。
「きっと炎上精霊だね。と言っても今は浄化されて立派な精霊だけどね」
「浄化? なんですそれ」
黒澤は死神から初めて耳にするその言葉の真意を求める。
蟲に取り込まれ侵された精霊を炎上精霊と呼ぶ。
突然変異と違って精霊由来の能力を操る蟲へ変化するため、危険種として最優先処理対象の扱いとなる。これまでも幾度か対応してきたが、例外なく死ぬほど苦労して消滅させてきた。だから、今回の「希少ゆえに捕獲しろ」という指示が届いた時は笑えない冗談でしかなかった。
それを洗い清めて良い子になりましたといった口ぶり。
いったいどういう理屈だ。
「僕が知りたいんだね。あっちで何があったのかな?」
やや責める口調で黒澤に事情説明を求める源五郎。
目は笑っていない。それどころか口元を引き攣らせている。
「ええっとですね。私も訳がわらないと言いますか……」
そもそも、体育館で蟲を発見した時点で炎上精霊だと気付けなかったことに違和感があった。その後の理科実験室であっさりと捕縛できてしまったものの、間近にして受ける精神を持っていかれそうなほど強い波動はまさに炎上精霊のそれであった。
さらにそれを素手で抱えて格闘する存在があったという事実。
黒澤にとって今までの知識にない出来事だったので、見たままの通り身振りを交えながらナガミネユキトの行動を説明する。終わる頃には源五郎が若者を使っているのを忘れたように老け込んだ顔で口が半開きになっていた。
当然、それも演技のうちだと警戒は怠らない。
「彼、怒ってるんだね?」
「まあ。そうでしょうね」
「説得してくれる?」
「無理ですって。そっちの力で記憶消しちゃってくださいよ」
「もっと無理だね」
「なぜです? いつもお手軽じゃないですか」
「もともと精霊は僕らの上流の存在。それも希少三種から恩恵を受けたとなればもう、下手に弄れない人間だね」
三種。
既知である二種との関わりは源五郎の謀だと考えていた。だがもし、今回の三種目が死神の想定外として、今までは想定内だったと言えるのだろうか。全てが精霊の呼び寄せた結果だとすれば、過去より必然に流されているのは我々の方だ。
黒澤は自ら湧き出た単なる憶測に畏怖の念を抱く。
「君はおよそ百年ぶりに希少精霊を生還させた英雄だ。彼を宥めて無事を得れば、後は十分な報酬と昇格が待っている。人間はそういう動機で生きるものだね?」
人間の行動原理を見透かして操る存在。
そこに侮蔑や見下す感情など一切なく、ただ人間を観察して得た知識を駆使しているに過ぎない。
時にはパートナー、時には家畜然となってはたらく人間という扱いに思うところもあるが、会社勤めと何ら変わらないと割り切ってしまえば大した話ではない。そもそも人間の尊厳などと人類を代表したつもりになる方が不相応というもの。
黒澤はそのように気持ちの整理を済ませてはいるものの、不満は残る。
死神といえど、折り合いをつける“痛み分け”という考え方を学習してもらわねば困る。
「査問委員会で私を証人にしたければ、ちゃんと手伝ってください」
「……。努力はするけどね」
サイレンの音がいよいよ近くなってくる。
その音に意識を引っ張り戻されるようにトラックに置いてきた精霊を気に掛ける。
「気配は消えていると思いますが。やっぱり群れは止まりませんか」
「考えてないからね。まっしぐらだね」
「精霊を移動させた方が?」
「リスクは変わらないね。目に届くだけ此処がマシだね」
黒澤は頷いて、精霊の様子を確認するためにトラックへ向かう。
離れたテントで機材を操作する作業員が「群生波動検知! まもなく来ま……」と声を張り上げたものの、尻窄まりになる。
その後は青ざめた顔になって恐縮してしまった。
「やっぱり弄るのはダメだね」
具合が悪くなったのかと周囲が心配するのをよそに、源五郎だけが校舎の玄関から現れた厄介者に気付き、周防優らしくおどけて肩をすくめる。




