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一片も、一滴も、くれてやらない


 逃した蟲は大きかった。

 そんな後悔を感じさせる情報が依頼とともに黒澤へ届いていた。


「依頼が遅れるのも当然だ。運の悪さに泣けてくる」


 蟲は未だ校舎内の何処かに潜伏しているとみて屋上から俯瞰したものの、動きは感知できない。


 呼び寄せた蟲が襲来するまで身を潜めて延命を試みているのか、あるいは、かなりゆっくりと慎重に動いているようだ。いずれにせよ、僅かながらも知能を残しているのは間違いない。

情報の通り“炎上精霊”なら、手段を選ばず消滅させるべき危険な存在だ。


 それでも処分ではなく捕獲の方針を通告してきたのは、かなりの希少種だと判明したから。

 体育館で見逃したのは結果的に正解だった。むしろ見逃してもらったようなもの。もし執拗に追い込んで精霊由来の力を発揮されていたら、今頃ここに立ててはいない。


 こんな仕事、難度を見積もるだけでも憂鬱でしかない。

 炎上精霊相手に手加減など無理に決まっている。

 失敗して消滅させてしまうくらいなら、追い回すていで再び逃してしまった方がペナルティは少ないという打算がはたらく。その打算で命を落とした同業者を何人も知っているから一層憂鬱になる。


 日差しが痛いほど強い。

 足元のコンクリートも素足なら大火傷するほどの熱を帯びている。

 長く居ていい場所じゃないし、もう時間もない。


 応援が間に合ってくれるか不安を感じながら屋上の出入口まで戻り日陰に入ると、懐のスマホが震える。

 呼出中の蟲狩人からだった。到着が遅れるとかいう嫌な予感が的中しないことを念じながら応答する。


「黒澤だ。どうした?」


 いつもの強気で挑発的な態度の煽りではなく、今月ピンチだから稼がせてという懇願だった。邪推してホスト遊びかと問えば、男は間に合ってんだよと半ギレ状態に。

 いつものとおり調子は悪くなさそうなので群れの方を全部任せる指示を出すと、瞬時に機嫌が直る。


「早い到着は助かるが、本職が事故るなよ」


 誰にモノ言ってんのよと交通機動隊分隊長様が教育委員会相手に威嚇してくるという、この業界ならではの人間関係には慣れが必要。

 源五郎が立ち会うことを伏せたまま通話を切った。


「はあっ、暑い。水を持ってくれば良かったな」


 しばらくは此処で探索を繰り返し動きを待つしかないと覚悟した途端、首筋が痺れるほどの強烈な波動を感知した。


 久々の大物だ。


「しかし、どういうことだ」


 この痺れ具合は我々が攻撃を仕掛けた時に興奮して発する波動と酷似している。これではまるで、蟲の方が襲撃を受けているかのようだ。

 状況を飲み込めないまま階段を駆け降りる。



 フトンがふっとんだ並に軽いノリで俺は飛ばされ、実験台の上に並べ置かれた木製の椅子を薙ぎ倒す。椅子と一緒に床に落ちた衝撃で一瞬手放すも、すぐに立ち上がり彼女に届く寸前で飛びつきタックルした。


 その十キロ米袋サイズの黒い塊は、持ち上げると大人の男一人分の重さは余裕にある。両腕に抱え、そのまま彼女から離れるために走り出すと、塊から伸びた触手が床を勢いよく蹴って今度は真上に飛ばされ、天井の石膏ボードに激突してから落下。


 塊を下敷きにして衝撃を逃すも壁の方へ跳ね返り背中を強打してしまう。

 それでも俺は意地でも塊を離さない。廊下への出口を目指して這いずる。


「お前はぜってえ許さねえ」


 ほんの少し前、俺は彼女を発見した。

 特別教室の並ぶ四階の被服室、調理実習室を巡り、理科実験室に至ったところで窓際の奥に人が倒れている影が目に入った。考えることなく駆け寄り確かめると、紛れもなく床に横たわる彼女だった。

 そしてもうひとつ、右肩から首にかけてゴムボールサイズの黒い塊が張り付いて急激に膨れ続けているのを見つけ、反射的に鷲掴みにした。

 だが塊はゴムよりもずっと柔らかく、目一杯引っ張っても伸びるだけで彼女から剥がすことができない。

 それでも諦めず、首筋あたりにできた僅かな隙間を見つけ強引に指を差し込むと、指先が硬い物に触れた。


 感触ですぐにわかった。

 それは彼女を噛む、『歯』だ。


 一筋の赤い液が俺の指を伝わり落ちるのを見た瞬間、全身が熱を帯び、俺の中で何かが破裂した。

 多分、このタイミングで正気を失った。

 ほぼ同時に、あれだけしつこかった塊が感電して弾かれたように離れた。


 しかし逃げたわけではなく、実験室の一番奥で止まり、再びゆっくりと距離を詰めてくる。

 それは既に真っ黒なビニール製の米袋にしか見えないほどの大きさになっていた。


 後で考えてみれば、この隙に彼女を抱えて逃げるべきだった。

 だが俺の思考は全く別のところにあった。

 逃げるとは真逆。俺は塊へ向かっていく。


「食ったもん返しやがれクソが!!」


 顎を引き、背中を真っ直ぐ伸ばし、限界まで腰を落とす。

 深く曲げた膝へ力を込めて一気に踏み込む。

 正面から当たるも、練習用のタックルダミーより遥かに柔らいそれに全体重を乗せた衝撃をいいように吸収されてしまう。


 ただひたすらに重い。

 それでも構わず後ろへ回した両腕で絞め上げ、そのまま身体を捻って廊下への出口へ向かって押し進む。


 俺の頭の中を占めていたのは黒澤がムシに施した仕打ちそのもの。

 腹を割いて、食ったものを全部取り出す。それが肉だろうが血だろうが知ったことじゃない。

 一片も、一滴も、くれてやらない。


 求めるのは腹を切り裂く刃物。

 調理実習室の包丁を求めてこの塊を持っていくことだけ考える。


 あと少しで廊下というところで、突然触手を伸ばして一番近い実験台の脚に絡め、塊自身ごと俺を実験台に向けて飛ばした。重く頑丈な台に衝突する直前に床を蹴って身体を浮かし、辛うじて回避。またも机上の椅子を薙ぎ払って床へ散らばす。


 同じような事を何度繰り返しただろうか。

 この黒い塊は一向に彼女を食らうことを諦めない。

 俺もコイツの腹を掻っ捌く以外考えられない。

 気力だけで塊を捕まえては引き摺り回し続けた。


 そして、執念の初トライ。

 一瞬だが首から先を廊下に出した。

 再び触手に引っ張り戻される寸前、その男は現れた。


「黒澤ああっ、コレの腹を切れえええ!」


 俺を見つけ目を丸くして驚愕するもプロはプロ。

 どうやったかは見えなかったし知らないが、瞬時にやって来て俺の抱えた塊をロープで何重にも縛り上げた。

 その仕上がりはチャーシュー作りそのもの。


 一旦の静止を得て黒澤は状況把握につとめる。

 扉を開け放ったままの理科実験室を覗き、崩れ落ちたほぼ全部の椅子と、窓際に横たわる彼女の姿を見つけ愕然とする。


「まさか、あなたは素手でこの蟲と闘ったのですか?」

「いいからそんな事より、はやくコイツを鎌で掻っ捌いてくれ!」


 無害だったはずのムシが俺を投げ飛ばし放題してくれた責任追及は後でいい。コイツの食ったものが消化されていく時間が許せない。


「生憎、この個体は生け捕りにしろという指示がありまして」


 悪気はないんだろうが、つくづくこの男は俺をイラつかせる。

 今の俺は異常だ。それは頭でわかっている。

 全く俺らしくない、理に適った目的がない、行動に根拠がない。

 だがコレを絶対に許さない。

 その感情だけで俺の中が満杯なんだ。


「なら鎌を貸せ。俺がやる」

「だから潰したらダメなんですよ。そもそも貸し借りできる代物じゃない」


 もういい。

 やっぱり調理実習室で捌いてやる。

 塊を縛ったロープを掴んで引き摺ろうと右手を伸ばした瞬間。

 いきなり触手が襲いかかり真っ白な歯を剥き出した大顎へ変化、俺の肘から先を飲み込んだ。食いちぎって持って行くつもりなのか、激しく引っ張られる。


 不思議と慌てることはなかった。

 のまれた腕の肉ではなく『存在』を喰われるような感覚。

 俺の魂を削り取っているのだとわかる。

 ただそれよりも、噛みつかれている部分が普通に痛むことに腹が立つ。


「お前。彼女にこんな思いさせたのか」


 飲まれた腕を引かれるまま塊の本体へ押し込む。

 俺の魂を喰らって膨らんだのか、ロープが食い込み始めている。


「そのまま動かないでください!」


 黒澤が意を決して鎌を手にする。

 人間の救助を優先した判断なのか。殊勝なことだ。


「待て。このロープ、切れたりしないよな?」

「十分に丈夫です。いいから腕を抜く準備を!」


 前に出ようとする黒澤に左手を向けて制止させる。

 コイツは俺が潰さないと気が済まない。


「そんなに喰いたいならくれてやる。残すんじゃねえぞ」


 メシの時間だ。

 早ゆでパスタ業務用特大パック開封。

 煮えたぎる熱湯に全投入のイメージ。

 削られた魂の部分を際限なく増大させる。


「うわ、うわっ!」


 慌てて距離をとる黒澤の目前に、ロープの網目からはみ出て膨張する塊が止め処無く巨大化していく。限界を超えた表面の膜がはち切れると、裂け目から更に別の膨らみが生まれ膨らみ続ける。

 グロテスクな物体に成り果てたそれは、たちどころに廊下の天井まで達した。

 真っ黒だった色が紫と茶色と赤のマダラ模様へ変化していき、表面が細かく震えだして悲鳴に近い音まで発するようになる。


 俺の腕を吐き出そうとしているが、中の臓物を掴んで離してやらない。


「この程度で音を上げるなよ。ほら替え玉だ」


 つってラーメンかよ。

 自分ツッコミした途端、全体が破裂した。


 大量の赤黒い水が崩れるように落ちて流れ廊下が地獄の川になる。

 それは段々と色を失っていき、やがて透明な水となり、最後は蒸発して消えた。

 残ったのは解けたロープ。だけではなかった。


 毛が生えている。


 白いフェレットが鳥の羽を生やしたような、見た事のない動物に見える小さなそれが、両足を前に出して背をのばす。昼寝から起きた犬か猫そのものの仕草。


「まずい。まずい、まずい、マズイ、マズイ、ヤバい!!」


 突然に取り乱す黒澤が、その白いやつを両手で掬い上げると猛烈な勢いで走り去っていった。


 急激に冷める頭の中で一番大事なことを思い出す。

 全身を打った痛みも構わず駆け出して彼女のもとへ戻る。


「千代乃さん、千代乃さん!」


 声を掛けるも反応がない。

 手首を持ち、脈があるのはわかった。

 彼女の口元に耳を寄せ、呼吸があることも確認した。

 頭を打ったりしていると下手に動かせない。


 黒澤は頼りにならない様子だった。ここを安全に速やかに離脱するなら救急車が最善か、だがムシに襲われた状態を普通の病院に見せて対処できるのかと迷ってあれこれ思案するうちに、彼女の弱々しい声を耳にする。


「ユキト?」

 重そうな瞼をうっすら開けて、俺の名を口にした。


「千代乃さん、俺です。わかる?」


 まだ朦朧とした様子。

 自分で起きあがろうとするのを制して、両肩を持ち支えて上半身を起こしてやる。


「ユキト、眠い。あと、お腹すいた……」


 力なく俺の方へ身を預けてくる。

 酷い目に遭わせてしまった。

 人生最大級の失態。

 何が確率の問題だ。鵜呑みにして悠長に構えていた自分が許せない。


「すみませんでした。ちょっと早いですけど、お昼食べに行きましょう」


 食事など無理だとわかっていても、そんなことしか言えなかった。

 後悔に耐えきれず、思わず彼女を強く抱きしめてしまう。



「うん。いただきます」



「ん? いてっ!」


 首の横、襟のあたりに鋭い痛みが走る。

 耳元に彼女の頭があることからして、これは、噛みつかれている。


 寝ぼけてるのか!


 求めるような彼女の息遣いが首に当たってくる。

 何度も吸い付く唇、時折触れてくる舌先。


 唐突の出来事にパニックとなって完全に固まってしまった。

 むしろ動物的本能に負けず固まった自分を褒めてやりたい。


 ただ、ひとつだけすぐに気付いた。

 この感覚はついさっきの状態に似ている。

 これは間違いなく、彼女が俺の魂を食っているんだ。

 無意識に失われた分を取り戻そうとしているのかもしれない。

 人間とは元来そういう生き物なのか。


 もし、俺なんかので事足りるなら。

 いくらでも持っていってくれ。


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