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小悪魔め


 ———— 臨時の生徒会長補佐役を設け、

 ———— 一年一組の長嶺行人君に務めてもらう事を決定しました


「どうして彼を巻き込むわけ? 先生の仕返しなのかなあ!」

「ま、待て早坂! これ長嶺の要求だから。仕返しされてるの俺の方!」


 舞台袖で頭に血がのぼったわたしは、本気で先生を殴る寸前だった。

 でも、心のどこかで「やっぱりね」と呟く声がして、どうにか胸ぐらを手放して停学回避。ものすごくつまらない言い訳を最後まで聞いてあげた。


 あの物理の答案用紙を提出した日にはもう、ユキトはこうすることを選んでいた。

 先生は臨時の補佐役よりも副会長になればいいと勧めたけど、文化祭が終わる頃にはめちゃくちゃに嫌われてるだろうから、副会長だと身を引けなくて困るって。「何がしたいのかかさっぱりだったが、娘の安全が第一だからな」とか、ほんと意味不明。


 最初から嫌われて逃げる前提って、ぜんぜんヒトのこと言えないじゃない。しかも頼んでもいない仕事を終わらせる気だし。ぜったいユキトの方がアホだ。

 こんな事なら、副会長にしちゃえば良かった。


「は、早坂?」

「ごめん由紀。課題ノートは提出しちゃった」 


 次の授業の予習に忙しいフリをしてやり過ごすつもりだったけど、どうしても声が掛かってくる。


「ノートは、残念てか、いいんだけどさ。早坂、どっか具合悪くない?」

「なんで? 普通だよ」


 どうしてこんなにもイライラするんだろう。


 ———— カノジョのくせにウソ言わないで!


 あの声が頭の中で繰り返し響いて荒れた気持ちが治らない。


 お願いだから今日はそっとしておいて欲しい。


「でもなんか、いつもと違うし、みんな心配してるっていうか……」

「みんなって誰かな?」

「え?」


 心配じゃなくて楽しいんでしょ。

 だめだ。卑屈にしかなれない。


「由紀もみんなと同じ? わたしは人づての心配にも気を遣わないとダメなのかな」

「違っ……」


 ただの八つ当たり。言葉の揚げ足とって憂さ晴らししてる。


 たった一〇分さえ、我慢ができない。


「ごめん。みんなの早坂は、今日はお休みなんだ」


 わたしは、逃げ出した。




 ノート四十冊。結構ヘビーだった。

 一番下のやつ、手汗でふやけたらゴメンな。

「やー、悪いね長嶺」

「そう思うなら半分持ってくれてもいいんだけどな」

「いやほら、このとおり指細いんで五冊が限界みたい」


 生物の授業終了後、教壇に提出した課題ノートが積まれていく中、先生から「長嶺は今回免除だ」の一言をもらって安堵していたところ、この俺にノートを運ばせるのは見た目の印象が良くないと思ったのだろう。


 まさに今、一番上にぱさっとノートを置いた女子に白羽の矢が立つ。


「富田理論」

「変な呼び方すんな。ちょっとウケたからってキモ」


 くはっ。いきなり槍で心臓ぶち抜くなよ。

 俺までダメージ受けてんじゃねえか。

 しかしさすがプロの教師。瞬時に蘇生。


「そこの絶滅イケメン起こして一緒に理科準備室まで運んでくれ」

 ええーっ、最悪ー。

 根は真面目なのだろうか。文句を垂れつつ積まれたノートの重さを確かめている。えー、重そー。

 さすがリケジョだけあって、上から四、五冊をまとめて持ち上げ全重量を推し量っている。俺と目を合わせながら。あざとい。


「えっと、ソイツ起こそうか?」

「あ、やめて。煩いのニガテなんだよね」


 それは気が合うな。


 と思わせての、俺一人にやらせたいのか。

 何か怒らせた事があっただろうか。まあ、ノート運ぶ程度で手打ちになるなら構わないが。と思ってたらついてきた。


「なら、その五冊もここへ乗せて行って構わないぞ?」

「なんか悪いしー。それにさ、」

 理科準備室の扉が開かれる。

 そこで漸く俺は理科準備室の場所を理科室と勘違いしていたことに気付く。危うくクラス全員の苦労を行方不明にするところだった。


「片手の空いた女子は大事にしとくもんだよ?」


 意味不明の意味深発言は誰もいない部屋に吸い込まれる。確かに大事だったよ助かったと礼を言ってノートの置き場所を探すも、既に机の上は別クラスのノートが並んでいて一杯。

 リケジョ、「ここでいいんじゃない?」と椅子を引っ張り出した。


 わりと大雑把な性格。

 言われたとおり一旦荷物を椅子の上に降ろし、別の机に置かれた天秤や器具を棚に片付け、空いたスペースに幾つかのノートタワーを移動した。


「長嶺って律儀だね」

「こんなクソつまらない仕事が椅子にまで積まれてたら心が折れるだろ? せめてもの気遣いさ」


 ほんとに辛い光景だと思うぞ。

 いったい何のために教師になったかなんて思い出せなくなるほどに萎むだろうよ。


「長嶺さ、頭打っておかしくなったってホントなの?」


 なんだ。それを確かめたくてわざわざついてきたのか。

 しかし相手は理系思考の使い手。

 理論に納得したなら、次は実証実験に移ろうとするかもしれない。


「おかしくなったかは見ての通りだけどさ、真似は勧めないよ? かなり痛いし失敗もある」

 失敗かあ。それは嫌だなあ。という反応。


 マジで試す気満々だったか。変身願望でもあるのだろうか。そういう思春期ならではの衝動は若さの特権、大いに悩んでくれたまえ。そして俺には絡まないでくれたまえ。


「行こうか。俺、理科室の臭い苦手なんだ」

 独特の、硫黄とアルコールの混濁したような空気が好きじゃない。


「残念。長嶺みたいに頭打って優しくなれたら良かったのに」


 何だこの子は。


 メガネを若干ずり下ろし色を確かめると、首から上はオレンジ、胸のあたりが薄く青みがかっている。敵意は発していないようだ。別段色褪せた部分も無い。


「富田さん、実はもう頭打っておかしくなってるね?」

「あははっ。いいねそれ。ほんとにアタマおかしい人誰だみたいな。ちょっとホラーっぽい」


 俺を揶揄いたいわけじゃないのだろう。

 自分の胸にある不安をちゃんと頭で考えて解決しようとしている。そのヒントをなぜか俺に求めているといった具合か。求める先は大間違いだと言わざるを得ないが、無視するのも忍びない。


「親しくない相手の方が話せる事もある。何か心配事があるなら聞くけども?」

「え、マジになっちゃってどうしたのいきなりー」


 両手をひらひら、ゴメーン、そういうの要らないんでーのポーズ。

 なら絡むな。


「頭おかしいから聞いてもすぐ忘れる。あとこのノートの束より重い話は却下」


 リケジョ、呆気に取られた顔になって止まった。

 まどろっこしいJKの情緒に付き合ってられるほど暇じゃない。俺は君の上司でもないから傾聴する気もない。俺に用があるならさっさと言え。的な。

 ちょっとドライで憧れてたキャラづけ。


「やっぱ優しいじゃん長嶺」


 どうしてそうなる。


「何だその謎理論。俺絶滅するの?」


「そうそう、長嶺は絶滅危惧種。アタシが保護してあげようか?」

「そういう話じゃないだろ。いいならもう行くぞ」


 急ぐほどの問題でなければ後回し。

 伊藤さんを見習って窓は開けておくまでだ。首は突っ込まない。

 椅子の位置を直し、机を離れようとする。


「ね、次の物理って自習じゃん。二人でどっか遊びに行っちゃおうよ!」


 一撃で胸を貫くミラクル青春イベント発生!


 学校という囲いを抜け出して背徳感とスリルに追われながら、ごく限られた時間をふたりだけの誰にも知られることのない思い出の結晶に昇華させる。(早口)

 喉から手が出るほど欲しかった青春逃避行へのチケットが目の前に!


 いきなり最終兵器をくらって正気を失いかけた瞬間、偶然目に入ったノートの表紙。小さいながらもしっかりした字で氏名が記されている。その名は、


 『伊藤 愛』


 はっとなって、天井の四隅を確認すると一角に黒い半球レンズを発見。

 その深淵を覗いてはいけない。

 つか伊藤さんの名前、「愛」さんだったのか。まじか。え、本人?

 そんなわけないか。

 おかげで理性を取り戻す。


「楽しそうな提案だが、バレたら困るだろ」

「大丈夫だって。もう長嶺の所為で三人も帰っちゃってるし、あと二人抜けたってわからないってば」


 小悪魔め。

 俺が現役のおっさんだったら百パー折れてるぞ。


「人聞きの悪いこと言うな。それに、委員長は絶対許してくれないぞ」

「あははー、伊藤さん真面目だもんねー。あ、ちょっと待ってよお」


 限界。逃げ出すように部屋を出た。

 俺はそのリケジョを、初めて青春テロ危険人物として認定した。


 誰もいなくなった理科準備室。

 理科室と繋がる連絡ドアがギギギと音を立ててゆっくりと開かれる。

 闇の中を覗く目は妖しく光を留め、唇がわずかな音を漏らす。


「バカユキト……」


 そしてゆっくりと崩れるように、床へ沈んだ。


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