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ホストに入れ込んでるような発言やめようよ

 歳とるとね、朝が早くなるってのは本当なんだよ。

 目覚まし要らなくなる。マジで。


 起き抜けの気怠そうな史奈さんも魅力的で眼福。

 三文どころか三億の徳。


 いっそ毎朝ベッドの傍で徳を積んでから起こしてさしあげたい。

 目覚まし要らなくするよ、マジで。


「何をしてるの、ユキトくん」

「おはよう。朝メシの支度だけど」


 キッチンに立つ俺に気付いた史奈さんは、ぱちくりと目を見開いて驚いている。そんな愛らしい表情に目を奪われたまま手元の卵を割ってフライパンに落とす。


 独り暮らしに戻って以来、自分を律した朝のルーティンは変わっていない。


 それまで元妻任せにしていた反省というのも確かだが、なんというか、金を使えば特に困らず済んでしまう生活には恐怖感のようなものがあった。


 だからこれは、生き残るための防衛本能みたいなものかもしれない。


「えっと、ごめんなさい、出掛ける用事があった?」


「別に。まだ暫く学校も行かないし、母さんも朝は忙しいだろうから、このくらいはするよ」


 そんなに感激されても困るな。

 これはただのルーティンなんだから。


 できれば洗濯もしたいところだけど、そこは自重。もう少し関係が進んでから。


 俺がプレゼントした下着を俺が洗ってリフレッシュ。繰り返しお使いいただく。

 これぞ究極のサステナブル!


「痛っ」


 ピキンと耳の辺りから痛みが走る。

 冗談に反応し過ぎなんだよ、バカヤロウ。


「どうしたの!」

「油が跳ねただけ。顔洗っておいでよ、もう出来るからさ」


 どうにも童貞ユキトはオトナ要素に過敏すぎて困る。もっと素直に正直に若人らしくだなあ、おっと焦げちまう。


 とりあえず、トーストに定番のベーコンエッグとミニサラダ。冷蔵庫にヨーグルトがあったからジャムをのせて出してみた。コーヒーは、俺流に落としたので自信はない。切り出しておいたバターも柔らかくなる頃合いだ。


「いただきます」


 まあこんなもんだろ。

 しかし、独りじゃない朝メシなんて何年振りだよ。

 しかも目の前に座るのはあの史奈さんだぜ。ん?


「米の方が良かった?」


「ううん、ちょっと驚いちゃって。ユキトくん、お料理できたんだ」


「えーと、見様見真似?」

 つまみ系なら結構得意っす。


「ほんとに? なんかすごいね、天才かも」

「母さんの腕には敵わないさ」


 昨夜はバイアス抜きで美味かった。ほんとに困るほど美味かった。

 お肉を焼くだけだから手抜きね、なんて言いつつ、ネギ塩わかめスープとか春雨サラダとか手作り満載。タレの隠し味は内緒だからと悪戯っぽく笑うもんだから、危うく抱きしめるところだったぜ。


 俺が爆発しないよう美味いもん食わすのもほどほどにしてもらわねば。


「んんー、おいし。朝からこんな幸せでいいのかなー」


「大袈裟だよ」


 独りじゃない朝メシが久しぶりなのは俺だけじゃなかった。喜んでもらえたなら真実、ウィン・ウィンってやつだ。

 願わくば、こんな朝をなんとも思わないほど当たり前の毎日になればと思う。


 ゆるふわな朝食タイムを名残り惜しみながら断ち切った史奈さんは、自分のルーティンを取り戻すかのように忙しく動き出す。


 洗濯物を干して、掃除機をかけ、歯を磨き、自室に戻り身支度にとりかかる。俺が洗い物を終え、キッチンに立ったままテレビのニュース番組を見ている間も、史奈さんはパタパタとリビングに現れては俺の方をチラチラ見ながら過ぎていく。


 おおかた、ここに立つユキトくんは幻か何かで、目を離したら消えてしまうのではと気が気でないのだろう。無理もない話だが、こればかりは慣れていってもらうしかない。


 俺の方は今日のやることを頭の中に並べている。

 速攻でニート部屋の断捨離に臨みたいところだが、その前に俺の中のユキト・ザ・十パーセントについて死神さんに幾つか確認しておきたい事がある。


 昨夜、夢の中でアポイントは済ませた。リアルでは初めての交流になるので些か不安はあるが、指定の時間に誰でもいいから話し掛ければいいらしい。


 いや不安しかない。俺が勝手にそうした夢を見て思い込んで、知らない誰かに話しかけたら完全スルーされるなんて痛い目に遭う可能性も多分にある。


 夢の中でも質問には答えられると言っていたが、夢だけに目覚めた後は細かいところが暈けた記憶となってしまい実用に足りない。「納得したという覚えがあれば良いのでは」という疑問はいかにも死神さんらしかったが、今後研究のサポートを担うためにも俺が覚醒中にコンタクトを取れる手段を設けた方が安心だと主張したら、すぐに了承してくれた。


 ちなみに俺との媒介は井澤さんモデルを専用にするそうだ。理由は知らないが、気に入ったらしい。そんな一連のやりとりも俺の勝手な妄想だとしたら痛くて痛くてどうしようもないのだが。


 約束の時刻は十四時。ということで今日は、


 この拠点周辺地域の土地勘を得るために散策。

 その足で高校までの通学ルートを確認。

 死神さんと会う。

 くらいか。


 このカラダでの単独行動も初めてだ。どうせトラブルもあるだろうし予定だけ詰め込んでも無駄。根拠は俺の出張。スキマ時間の観光なんてムリムリ。


「母さん、俺、昼間少し出掛けるけど、ついでに買い物しておこうか?」


 何回目かわからないパタパタの出現に合わせて声を掛けると、はっと何か思い出したように慌てて自室に引っ込み、すぐに戻ってきた。


「入院してたから今月のお小遣いを渡せてなかったの。ごめんなさいね」


 手渡された幾枚かの紙幣。

 そう言えば、学生の身分に落ちたのだった。


 稼ぎは無く、こうして親から施しを受けつつ勉学に勤しむ年代。夢のヒモ生活ではあるが、史奈さんに金を無心するのは気が咎めるなあ。


 ひ、ふ、み、よ、いつ。

 ……万札五枚。

 え、今の高校生こんな貰ってんの?


 さすがにないだろお。飲みに行くでも風俗行くでもなし、なんに使うんだよ。

 あれか、フィギュアとか、ゲームの課金てやつか。


「足りない分は、また必要な時に出すから言ってね」


 いやいやいや、ホストに入れ込んでるような発言やめようよ。ホスト?


「ちょっと待って。母さんの仕事なんだっけ?」


「お仕事は、スーパーのパートで……」


「夜は何時まで?」


「だいたい五時上がりね」


「朝の?」


「夕方の五時。それがどうかしたの?」


 いかん。妄想が過ぎた。そんなわけがあってたまるか。

 あったら毎日通っちゃうけどな。


 だから、そういう話じゃないんだよ。


「子供へこんなに渡してたら給料残らなくない?」

「だ、大丈夫だから。パートって言っても事務職で普通より時給がいいの」


 大丈夫なわけがないだろう。

 ぎゅっと胃が縮む感覚。ユキトの反応だ。

 こいつ、負担が重いこと分かっていやがったな。

 くそったれめ。また課題の上積みだ。


 マンションのローン債務は父親が亡くなった時に保険で済んでいるだろうが、管理費や修繕積立金は毎月かかる。

 さらに年金、健康保険、住民税、光熱費、通信費、学校の授業料、給料から差っ引かれる額を挙げればきりがない。それでもってガキにこんな大枚はたいてたら残るもんも残らん。

 史奈さんはメンタルだけでなくフィジカルな面でも自分を抑圧してきたんだ。


 ユキト、すべてはお前のために、だ。


 しかしどうするか。この金を突き返してしまえば、史奈さんの言ってることをまるで信用してないことになる。まずは二人の生活資金と考えて、やりくりを考える方向にしよう。


「わかった。ありがとう。でも今月は十分余るからさ、食費とかも賄うよ。夕飯、何にしようか」


 スーパーに勤めるなら仕事帰りに割安で食材買えるなんてのもあるかもしれないが、それよりも抑圧からの解放が先決だ。


 この環境に慣れたらバイトも考えよう。

 ぽかんとする史奈さんを、余計な勘繰りが始まる前に家から送り出した。


 一人になり、ユキトの所業に苛立った頭を冷やす。


 冷蔵庫の野菜室にあったレモンを一個取り出し、半分に切り分けて片方を仕舞う。残した方を右手に握り、コップの上で握力をかける。


「コイツ想像以上にチカラねえなあ」


 ふるふると震えてしまう右腕は搾り汁をコップ以外にも飛び散らす。雫が途切れ始めたところで早々に諦め、コップに溜まった量を目分量で水を加え十倍に薄める。


 十パーセントのレモン水を、目を閉じて飲む。


 一口でレモンだとわかった。


 なかでも酸味は飛び抜けて強い。

 この体感に勝る説得力はない。


 予想を超える十パーセントの存在感に驚くと同時に、認めざるを得ない残念な気持ちになる。


「ビタミンCみたいにカラダに良いなら別に文句はないんだけどな」


 どうにも拭い切れない面倒な予感に蓋をして、自分も出かける支度を始める。


 自宅マンション周辺は、取り立てて言うほどの特徴は無い住宅街。


 同時期に開発が進んだのか、似たような年季が入った一軒家を多く見かける。同じハウスメーカーの建売販売だったのかもしれない。

 これらのどれかが自宅だとしたら、迷い込んで帰宅困難者になっていただろう。その点、こうして離れても見つけやすいマンションだったのは幸いだった。あとは交友関係のある人物の家が紛れていないことを祈るのみ。

 ユキトに友達がいるとは思わないが。


 交通の便は鉄道とバス。自宅から最寄りの駅までは徒歩で十数分程度。バス停は駅と反対方向で五分はかかる。通学は、天候にかかわらず駅まで徒歩に決定。


 駅に着いてみると、事前に調べた通り駅舎に面した駐輪場は小さくコイン式なので早い者勝ち、離れたところに別の駐輪場があって、そこそこの台数が並んで見える。


「そういや、俺の自転車あるのかな?」


 持っていたとして、俺が病院に運ばれて以来一ヶ月以上の放置だ。とっくに撤去済みだろう。べつにこの程度歩くのは苦でもない。むしろ健康のためには、ってそんな心配無用の青春期か。


 近場で買い物するには、ここから更に十分程度歩いた先にあるスーパー、すなわちスーパーフレグランスな史奈さんがお勤めのスーパーマーケットしかない。店名なんつったか。


 あとは駅前のコンビニが一店。

 人口の割に利便性は低い地域というのが第一印象になった。


 ここから下り電車に乗って二駅目で下車。

 別路線の乗換駅ということもあってか、こちらの方が商業的な活気はあるようだ。ロータリーに沿ってファストフードや居酒屋の入ったビルが並ぶ。


 東側に構えるのは「桜ノ川商店街」のゲート。昨今の風潮というか、多分に漏れず古く傷んで錆や色落ちが酷い。無情な時の流れを感じさせる。


 ここでスマホを取り出して、学校までのルートを再確認する。

 ユキトのスマホは指紋認証だったので簡単に使うことができている。ガキのくせに高い機種使ってやがる。今はナビのアプリだけを使っているはずだが、バッテリーの減りが激しい。

 どうせゲーム関係のアプリが常時動いているのだろう。早いうちに一掃したい。


「商店街を通ると少し遠回りになるんだな」


 正面南へ向かう道路を少し行ったところで東西に走る国道と交わる交差点があり、そこからもう一つ先のバイパス道路に繋がる交差点を渡って東側へ向かうのが最短のようだ。


 まずは生徒の大多数が通るであろう最短経路を辿る。バイパス道路の四車線を渡るまでもなく、校舎の姿を確認することができたので良しとする。

 もともと校門まで行くつもりはなかった。夏休み中とは言え、もしユキトを知る誰かに見つかったりしたら面倒なだけだ。


 折角だからこのまま東側へ抜けて、さっきの商店街を反対側から入って駅へ戻ろうと考える。


 そこで目に入った光景に突然足が竦む。


「ああ。アレなのか」

 くだんの歩道橋だ。


 カラダの反応に関係なく、俺の心は平静だった。


 腰砕けになりながらも構わず歩道橋を目指して歩く。何か思い出せることがあれば役に立つ。それにこの先、被害者として証言を求められる事もある。

 今のうちに現場のイメージを頭に叩き込んでおく必要があると思った。

 

 商店街にたどり着いた頃には、また眩暈と脂汗で悲惨なことになっていた。


 とにかく喉の渇きが酷い。

 自販機を探しながら商店通りを進む途中、喫茶店が目に入る。そこでまた足が震えだす。毒を食らわば皿までとも言うが、どうでもいいから水が欲しい。

 開くドアと一緒に揺れるカウベルが懐かしい音を店内に響かせる。


「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」


 入ってすぐ窓際の奥に強烈な嫌悪感。その“一番お好きじゃない席”に座る。お冷やを目前に置いてもらうや否や一気にあおり一息。


 それからアイスコーヒーを注文した。

 ここは二人掛けの席。

 早速ユキトの記憶と対峙する。


 誰も居ない向かいの椅子をじっと見つめる。


 目を逸らしたくてたまらない重い気分に襲われる。嫌悪か恐怖かわからない。


 そのうちにうっすらと影が見え始めた。

 ブレザー、ユキトと同じ学校の制服だ。


 テーブルに肘を突き、脚を組み俺の脛を軽く蹴り続ける。整った輪郭、薄ら笑いを浮かべる頬。両目は黒く塗りつぶされたまま。


 おそらくユキトは、まともに目を合わせた事が無い。


———— 今朝のニュース見た? 円安がさ、まだまだ続くらしいよ


———— 長嶺君がチャージしてくれる円の価値も下落して困ってるんだよね


 ようやく声は聞けた。小賢しい。


 なにが損失補填よろしくだ。たいして意味も知らねえクソガキが。もう少し、名前が出るほど記憶を掘れないだろうか。


「お待たせしました。アイスコーヒーです」


 その声に驚いて現実に引き戻される。目の前に居た影は霧散してしまった。まあいい。多少の収穫はあった。


「君、大丈夫かい?」


 ここのマスターだろうか。ロマンスグレーの似合う人当たりの良さそうな顔のおじさんが眉をしかめ尋ねてきた。ぶるぶる震えて怪しい限りだったからな。問われるのも当然だ。


「大丈夫です。暑い中歩いたので、少しのぼせました」


 差し障りなく答えたつもりだが、反応は鈍い。社交的に過ぎたか。黙って頷く程度の方が良かったな。


「いや、誤解があったらいけないと思って黙っていたけどね、もしも、お金絡みで困った事になっているなら、ちゃんと周囲の大人に相談した方がいい」


 なるほど。見過ごすのも躊躇うほど繰り返されていたのか。


 客の会話に耳をそば立て干渉するなど店の人間としてあるまじき行為。そんな事は承知の上で一歩踏み込んでくれたわけだ。こういう大人を無下にはできないな。


「えっと、もう相談していて。なんとかなるんじゃないかと」


 正確にはこれからだが。目撃者の存在が確かめられたのは僥倖だ。


「そう。ならよかった。いや、相手が生徒会の子だからまさかと思ったんだけどね」


 マジか。グッジョブおじさん、グレートマスター!


 一気に絞り込めたな。


「その、ありがとうございます」

「いえ。失礼しました。ごゆっくりどうぞ」


 穏やかな眉へ戻り、それ以上はなにも言わず奥へ戻った。

 いつの間にか体調は回復していた。

 マスターのおかげで落ち着いた心持ちになってコーヒーを味わうことができる。


 入院中に警察が持ち出して見せた写真の十人には居なかった存在。あのとき物足りなさを感じたのは、ユキトがそいつを選べなかったからだとはっきり判った。

 俺も、もう一歩踏み込む必要がありそうだ。


 昼飯は商店街のうどん店でかき揚げ丼食った。恐る恐るだったんだけどさ、胸焼けしないんだわ。若さってやっぱ凄いわ。

 それで美味かった。次はうどん付きにしよう。


 駅を目指して商店街を進む。

 シャッターの閉まった建物がそれなりに目立つけども、元気な店はしっかりある。鮮魚、精肉、野菜、惣菜、弁当、文具、理容、雑貨。それなりに揃っている。

 学校帰りに買い物をここで済ませるのはアリだ。


 だが、今日はスーパーフレグランスな史奈さんの働くスーパーマーケットで買い物すると決めている。当然、事務仕事をしている史奈さんに会えることは期待していないし、従業員通用口の前で匂いだけでもと考えている犬君でもない。


 大事なのは共通の話題作り。史奈さんの仕事場を隈なく見て回り、目に焼き付け、感想を述べ、スーパー談義で盛り上がるのだ。楽しく弾む会話、これに勝る食事のスパイスは無いと誰かが言っていた。


 ちなみに史奈さんにお願いした今日の夕飯はカレーライスだ。スパイスフルな夜を乞うご期待。


 時刻は十二時半を過ぎている。

 もうすぐ上り電車が来る頃だ。


 このままスーパーへ向かえば十三時過ぎに到着といったところか。死神さんと弾まない会話をする前に買い物を済ませることに決めた。


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