おキレになっていらっしゃる
元実験体が今ではムシ退治に忙しい。か。
だからムシってなんだよ。
実験が無事終わったらそのまま人の世へ解放とはならないのだろうとは思っていた。記憶を消される、最悪はそれ以上の仕打ちも想像はできる。契約時は心身ともダメージがあった状態とはいえ、実験後の処遇を確認しなかったのは俺のミスだ。
実は契約にあったが俺が忘れている可能性も多分にあるけどな。
夢の中で契約なんてするもんじゃない。
しかし、もし黒澤のように向こう世界の職を得ることで待遇が変わるならば、俺も今後の選択肢として交渉ができるよう考えておかねば。
そんな考え事をしながら体育館へ続く渡り廊下に差し掛かると、悲鳴の混じった喧しい音が沸いているのを耳にした。
場を制しようとする男の声が一層煩い。
声の主は生徒会顧問のヤンキー先生。
ちょうど、彼女の生徒会長就任挨拶が始まるところなのだろう。
ヤンキー先生がついに周防新の退学を発表したわけだ。
できれば彼女と一言交わしておきたかったという思いはあったけども、どうせ怒られるなら後でまとめてがいいかもという迷いもあったから、これはこれで仕方がないことにする。
はい静かにしましょー。
ほらそこ、ケータイ仕舞いなさい。
煩いですよー。
静かにしなさいー。
…………。
っせえって言ってんだろが! 黙れ!
このクソ共。まで聞こえた気がする。
やっぱヤンキー先生だった。
今日は報道陣も中へ入れると俺に教えてくれたのはヤンキー先生だったのだが。
一見、俺には何も関係の無い騒ぎだからな。この暴言を取材すべきか悩んでいることだろう。
着いた。
既にステージ中央の演壇に彼女は立っていた。
舞台袖のヤンキー先生がキレ気味で全員の沈黙が守られるのを見定めている構図。そこかしこですすり泣く声はあるが、概ね静かになった。
ちなみに色はぐっちゃぐちゃ。
ヤンキー先生は赤黒。え、俺に敵意?
いや、俺に向いてるかどうかは関係ないのか。
わからん。
そして彼女は、ネクタイが相変わらずモノトーン。
それ以外に重なる余計な色は見えない。
メディアの人々は後方に陣取っている。生徒の顔を映すわけにはいかないから当然の配置だな。
俺の登場に気付いたようだ。俺の顔は撮る気満々らしい。
ヤンキー先生が引っ込んだ。
「この度、生徒会長を務めることになりました早坂千代乃です」
その顔は穏やかで。
その声は柔らかで。
愛想ではなく、安心を振り撒くものだった。
その肝の据わりように俺はたじろぐ。
周防会長が突然去られたのは悲しく心細い。
それはみんなも同じ気持ちと思う。
だけれどもそれを嘆いて止まっているわけにはいかない。
自分は前を向いて進んで、責任を全うしようと思う。
みんなもどうか続いて力を貸して欲しい。
みたいな内容。拍手。
完璧な就任挨拶だと思う。
あとでたっぷり褒めそやしてやりたい。
それでもって、
「早坂さんはアラタ君が辞めた理由知ってるんでしょ!」
みたいな声が上がらなければ、尚良かったのだが。
「それは、先ほど近藤先生が説明されたようにご家庭の……」
「カノジョのくせにウソ言わないで!」
ほとんど八つ当たりだな。
あれ三年だろ。ガキかよ。
ん? カノジョ?
「私語は許可していない。君名前は?」
ヤンキー先生が凄むようにマイクで横から突っ込むと、慌てて駆けつけた担任がちょうど到着して宥める。そばに泣いている女生徒がいる。どうやら、悲しむ友達を見ていられなくて叫んだようだ。
こういうエクスキューズが成り立つとキレていいと思っている奴が俺は昔から大嫌いだ。泣いている友達が目立ってしまうのも二の次、ただ自分の欲求不満を解消するネタを見つけてガス抜きしているようにしか見えない。
偏見なのはわかっていても、実際の光景を目にしてみても、その見方を改める気がまるで起きない。
しかしカノジョかあ。
想定内ではあったが、彼女に少しでもそんな時があったなら、無闇にアイツのことを悪くも言えなくなったな。
彼女の様子を気にして視線を戻すと、なんと、笑っていた。
「くだらない」
たった一言が、体育館の蒸し暑い空気を一瞬で凍らせた。
嘲笑に細まる目が野次を飛ばした方向に向けられる。
その瞳はくだらない声の主を捉えて離さない。
そして、彼女の定着した親しみのイメージとかけ離れた、冷徹な言葉がステージから降り注ぐ。
「八つ当たりしないで欲しいかな。学校辞めた理由なんて直接本人に訊けばいい。でもひとりじゃ何もできないんでしょ。誰かの所為とか友だちの為とか言い訳ばっかりしながらいつも集団で近寄ってくる。それを嫌ったあの人は勝手に私を巻き込んだの。私は関係ないし、興味もない。ほんと迷惑」
おキレになっていらっしゃる。千代乃さん。
はっきり言おう。怖い。
これに立ち向かえる猛者は、居ないようだ。
馬鹿野郎どもが。どうしてくれんだよ、どのタイミングで声掛ければいいのか分からなくなっちまったじゃねえかよ。
すごい。すごいよ早坂さん!
ええ、そうよね。私はあなたの辛さを知っているわ。もう限界だったのよね。夏休み前はかなり弱っていたし、そんなあなたを支えるのが私の楽しみ、いえ、私の糧、いえ、私の義務だと思っていたの。
でも、違った。
私は今、感動で体の震えが止まらない。
「花岡さん、具合悪いの?」
「ううん、大丈夫よ。むしろ栄養が行き渡ってる」
気遣ってくれる後ろの子にこの喜びを説明してあげたい。
あの愚民を蔑む目。
嬲るように心を折る声。
今気づいたの。私は、ずっとそれを求めていたんだって。
私のからっぽが一瞬で満たされた。
干からびたシワだらけの心が瑞々しく潤っていく。
お味噌汁の鍋に間違ってパックの乾燥わかめ全部入れちゃったのなんか比にならないくらい。
ああ、今日はなんて素晴らしい日なのだろう。
もうあの邪魔者は存在しない。
これからは、あんな目をする早坂さんと二人きりで過ごせるなんて。
他には何も要らないから、どうか、どうか、私達をそっとしておいて。
この幸運よ、永遠なれ!
「早坂。もういい」
近藤先生が終わりを促す。
項垂れるように礼をして、演壇から離れる早坂さん。
そうだよね。力一杯吐き出したものね。
あとで私がちゃんとケアしてあげるからね。
ん? 誰? あの男の子。
入れ替わりで演壇を前にして立つ。
なんで早坂さんが慌ててるの?
何を止めようとしているの?
やだ。そんな男の腕なんか掴まないで。手が汚れちゃうよ。
「えー。本来なら空席となる生徒副会長を誰かに務めてもらいたいところですが、残り任期が短いことと、早坂生徒会長が指名を望まない考えであることを鑑み、副会長は不在のままとすることにしました」
そ、そうよ。正しい判断だわ近ちゃん。
今更、新キャラなんてお呼びじゃないもの。私が支えるもの。
なのに、なんなのかな。この胸騒ぎ。
なんか、後ろのカメラ持ってる人たちが一斉に構えてる。
「しかしながら、生徒会長の仕事量は決して少なくありません。これを補助する人材は不可欠であることから、生徒会顧問の判断により、臨時の生徒会長補佐役を設け、一年一組の長嶺行人君に務めてもらう事を決定しました」
なに言い出してんだよボケ近藤おおお!!
「ほら早坂、戻れ。それでは長嶺君、挨拶して下さい」
長嶺って、あの?
え、あれが?
嘘でしょ?
「どうも。地獄から這い上がって戻りました長嶺行人です」




