こういう代物は若い頃の方が香ばしい
長身、メガネ、落ち着き払った声。
鋭い眼光は引き締めた空気の弛緩を許さない。
今は受け持ったクラスの生徒の氏名を読み上げ、一人ずつ顔を確かめている。
そうやってこの場を掌握するのは教育委員会から派遣された指導員。
通常は教員の仕事を受け持つことは無いが、非常時のため不在となったクラス担任を代行するそうだ。
てっきり現役引退した爺さんがやって来ると思い込んでいたのだが、ベテランにも見えない若い男だった。三十歳前後ではないだろうか。自分で役職を『指導主事』だと自己紹介しつつ、校長と教員に助言や指導する立場だというから、相当に優秀なのか特別優遇のキャリアだと考えるほかない。
しかもだ。この人物、色が無い。
色気の事じゃないぞ。選別眼で重なって見える色の方。
「長嶺行人さん」
名を呼ばれ、立ち上がる。
「はい。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
一瞬目を合わせたが、すぐに次の生徒を呼ぶ。
向こうは既に俺の事をよく調べているはず。
上からどんな指示を受けているのかわからない。ここは知事の采配を信じるしか無いところだが、油断せず、じっくりと見定めて行こう。
ところでこのクラス、担任の先生が体調不良で当面お休みすると最初に告げられても誰一人動じていなかった。即、ノーダメージと判断されたのか。この後で校長と教頭が不在と知っても同じなのだろう。
それでもって、周防生徒会長の退学を知ったところで大騒ぎか。
そっちは主に女子生徒の大ダメージを引き起こすだろう。
弟の方も同じような事を考えているのか、頬杖をついてニヤけている。
「朝の連絡事項は以上。この後は始業式です。気温が高めですので、少しでも気分が悪くなった場合は無理せず申告すること。では、全員体育館へ移動してください」
ずずうっと一斉に椅子を引いて立ち上がる騒音の中、「長嶺さんは一緒に校長室まで来てください」と声を掛けられた。
全員つったじゃんよ。
他のクラスもほぼ同じタイミングで移動を開始したようで、ぞろぞろと体育館へ続く流れに逆らうように職員室のある方へ歩いていく。見知らぬ大人に連れられる長嶺行人だから、当然すれ違いざまに注目を浴びて、特別扱いを認識される。
これはわざとなのか。
校長室の扉を開けられ、促されるまま足を踏み入れる。
頭を下げ「失礼します」と断りの声を発してみても、中からの反応はなかった。それどころか、誰もいない。
つまり、初っ端からタイマン張って来たわけだ。
「そこのソファに座ってください。今日も朝から暑いですね。何か飲みますか?」
教室での近づき難い印象と打って変わって、急にフランクになりやがった。
これはどういったコミュニケーションの高等テクニックを披露してくれるのか。営業人としてちょっと楽しみになってくる。
「いえ。大丈夫です」
あくまでこっちは震える子鹿のような登校初日の長嶺行人。
簡単に同調するわけにはいかない。
遠慮に頷いて俺の対面に座ると、両膝を揃えていきなり頭を下げてきた。
「改めまして自己紹介を。私は黒澤寿朗と申します。リユース混合率6パーセントの成功事例です」
面食らった。
こっちの方面は正直完全に油断していた。
ルミさんが操っているわけではない。それはすぐにわかる。
今の紹介が真実ならば、俺の先輩に当たる。
そして、他の死神が中の人であるならば、競合関係である可能性も。
いずれにしても、こちらの情報を晒すことは避けるべき。
まずは、「何の事です?」とシラを切ってみるか。
「そんなに緊張なさらないでください。私は二十九歳、あなたの方がずっと歳上なのですから」
コイツ、俺の生前を知っているのか。
ここで俺の旧い名を連呼すれば俺を殺せるのだと知らしめているわけだ。
相手が人間ならやりようはある。
だが死神が操っているとすれば分が悪い。
とにかく行動へ移るための情報が足りなさすぎる。
とりあえずは無駄な足掻きと時間稼ぎだ。
「あの。始業式が始まってしまうのでは?」
「まだ大丈夫。校長の代わりに各学年主任からの話があり、続けて各部活夏季大会の成績優秀者の表彰、新生徒会長の挨拶。あなたの登場はその次。三十分くらいはありますよ」
なるほど。俺がヤンキー先生に頼んでいた事も把握して織り込み済みと。
随分と用意周到じゃないか。
「ああ、でも、早坂千代乃の事は気になりますか。早めに……うぐっ!」
その名を口にされた途端、
無意識に唇が動いてしまった。
『今死にたいのか』と。
「何が目的か知らんが。彼女を巻き込まないことだけはこの場で約束しろ」
その歪んだ顔は人間である証か。それとも演技か。
いや、もうどっちでもいい。ムカつくし。
とりあえず、口に俺の靴下でも詰め込んで、名を呼ばせないようにするか。
「ちょ、ちょっと待ちましょう。色々誤解があるようですよ? なぜ靴下脱いでるんです?」
「約束は?」
「します、しますって! というか、最初からしてるんですがっ!」
「意味わからん。とりあえずコレ食っとけ」
こういう代物は若い頃の方が香ばしいんだよな。
安心しろ。水虫は無い。
史奈さんが日々洗ってくれてる靴下だ。
むしろこれは誉れ。ありがたく頂戴しろ。
「ストーップ!!」
やっと死神登場。
と思えば、ルミさんだった。
職員室に誰も居ないから、事務室のお姉さんを使って全力疾走してきたとのこと。
なんか、この雰囲気のルミさんはやはり似合っていて、懐かしい。そんな喜びに浸っていたいところだが、期待していたのは相手方に関係する死神の登場だった。
まだ息の整わないルミさんが俺の代わりに抗議する。
「黒澤さん、困ります。約束の、時間は、守っていただかないと」
約束とはこれいかに。
「ちゃんと、約束通りですよ。地域標準時で、お伝えしたはずですが?」
そっちも息が絶え絶え。
もしかして、マジでただの人間だったのか。
やっぱり何か飲もうということになって、職員室備え付けの冷蔵庫から来客用のお茶をくすねてくる。ソファに座り、三人揃ってぐいっと喉を潤し、はあっと一息。
まず、この黒澤とかいう男。正真正銘の元実験体で人間だった。
二年前、めでたく実験の成功認定を受け、その後は人間的に言うなら死神の業界団体が運営する組織から業務委託を受けて公開実験の公正を監視するオブザーバーの仕事をしているという。
元は大手に属する実験体だったが、今は完全に中立な立場にあって、業界でも高い信頼を得ていると得意顔。
「つまりあれか。その運営組織に多額の資金を供出している大手の企業が、こっちの小っさい会社が博打を打つような実験を始めたの知って、ぜったい不正するからしっかり監視しろと圧を掛けて来たと」
「身も蓋もないこと言いますね」
人間界でのあるあるを当てはめて俺の理解を述べると、黒澤は苦笑いでこれを否定しなかった。
それでも、公開実験に監視役が付くのは珍しい事ではなく、今回も正規の手続きを踏まえて担当になったと言う。
ルミさんも不満顔だが黒澤の説明に水を差してこない。
顔合わせの時間については齟齬があったようだが。
「ま、崖っ縁に立った小っさい会社の社長は何言い出すかわからんしな。折角だし、しっかり監視してもらう方が安心か」
「そんなに小さくはないんだね」
黒澤の仕事を俺が認めると、職員室からの通用口から別の人物が現れた。
見た目はどこでも見かけるような小太りおじさん。
声は明るいが目は笑っていない。細かい性格の管理職タイプだな。
「誰?」
当人ではなく隣のルミさんに尋ねる。
「上司です」
「えっと、事務室の?」
「どちらもです」
なるほど。ルミさんの上司が事務室の上長を使って登場したわけか。お初にお目にかかりますねと挨拶したいところだが、今の語り口に覚えがある。
「もしかして。前にスーパーの駐車場で声かけてきたおじさんか」
「そだね」
ルミさんが上司を睨みつける。知らなかったことらしい。
自分の知らないところで担当する人間に上司がフォローという名目のちょっかいを出していたなら、それは面白くない事だろう。
「おや、モルスさん。いえ、今は源五郎さんでしたっけ。お久しぶりです」
「だね」
のっそり歩いて入ってきて黒澤の隣、ルミさんの対面に座った。
源五郎て。名前なんぞどうでもいいとは思うが、そのカタカナネームからの差は節操がなさすぎじゃないだろうか。
海外赴任から戻ってキャラ変するにしたって、もうちょっと今風なの選ぶだろうに。
ただそれよりも、外見に関係なく当然のように中身の死神を言い当てた黒澤の方に俺は驚いている。運営組織とやらが何かしらの能力を与えているのか。
「私に間違った時間を教えましたね」
「ごめんだね」
隣のやり取りで誰がこのトラブルの原因かは、はっきりした。
謎の四者面談。
今日はとりあえずの顔合わせということで良いのだろうか。
同じ人間同士、それも実験体をやりきった黒澤には尋ねたいことが山ほどあるけども、今の俺は呼ばれた身。ここは黙って一通りの話を聞くべきなのだろう。
「さて。メンツが揃いましたので、ご説明を始めます」
タイマン目的ではなかったらしい。
黒澤は軽く咳払いすると、いかにも事務的な調子で語り出す。
まず、協会に申告いただいた実験内容と実験体の情報に虚偽が無いことを確認できました。審議委員による協議の結果、提出済みの安全策が遵守されることを前提に、本実験計画の続行を正式に認める判断となりました。
源五郎さんとルミさんが揃って頷いた。
いかにもそれっぽく、それでいて内容がふわっとしているあたり、人間の会議まんまじゃないかという俺の感想をよそに、死神業界用語が飛び交う会話が続いている。
俺が聞き取れた内容としては、実験期間は今から一年後までになったことと、ルミさんが俺の担当を続けること、そしてこの実験が終わるまで同種の追加実験は認めないということ。
当初実験期間は約二年間と聞いていたから、短縮にはなった。
この理由も、いかにも人間らしい内容だった。
「他から更に挑戦的な実験開始の申請が相次いでるそうです。協会としてはエスカレーションさせたくないため、あなた方の実験結果が見えるまでは保留させる方針です。しかし、」
どんなに待たせても一年間が限度だと。
それ以上は大手の要求を抑えることができないということだ。
これさ、死神が揃って人間の説明を真摯に受け止めているあたり、かなりシュールな絵ヅラだ。しかも人間の常識が通用しているところもある。彼らは人間とは全く異なる価値観に従う存在ではなかったのか。
そんな疑問を抱えているうちに、概ね合意に至ったようだ。
少し口を挟ませてもらおう。
「ちょっといいか?」
「どうぞ」
まるで俺が痺れを切らすのを待っていたように反応がいい。
「黒澤、先生は、俺を一日中監視するわけ?」
至極単純。史奈さんとの二人生活を邪魔されるわけにはいかないからな。
「いえ。この学校でたまに確認するくらいです」
「そんなものなのか」
「私も普通に生活がありますし、それに副業の方も多忙なので」
「へえ。他の団体とも関係あるのか」
その理解を、黒澤は驚いたようだ。
「さすが勘のいい方ですね。その通りです。まあ、ご想像の通り、仕事は蟲退治なんですけどね」
なんだよムシって。
そんな勘は持ち合わせていないんだが。と、ルミさんに目で問うと「あとで説明します」と小声で制された。
「そろそろ時間ですね。長嶺さんは体育館へ向かってください」
言われて確かめると二十分ほど過ぎていた。
色々と消化不良だけれども、始業式のイベントは外せない。黒澤とはこれから毎日顔を合わせることになるのだから、ここで焦る必要もない。頭を切り替えよう。
俺が立ち上がると、黒澤は改めて俺に告げる。
「繰り返しになりますが、私はあくまで中立。そして、あなたを囲むどの人間にも干渉する事はしません。もちろん、教育に携わる立場としての指導は別ですけども」
今は信じない。
そう言う代わりに、
「お互い、慎重にいこう」
そんな言葉を残して俺はこの場を離れた。
「キミもそろそろカラダを外れないとだね」
「はい。お先に失礼します」
校長室に残る黒澤と源五郎。
十秒の沈黙を経て。
「ずいぶんとダメージ受けたね」
源五郎が呆れるや否や、どさっと黒澤がソファーに横たわった。
天井を仰ぎ、両手で顔を塞いで深く息を吐く。
「まだ目の前に死を感じてますよ」
事前に対策をしていてもこの衝撃。
あの言葉がもし声に出ていたら。語尾が少しでも違っていたら。精神への衝撃が強過ぎて魂の損傷は避けられなかったかも知れないと黒澤は怖気づく。
数日前に魂を負傷したという人物に心から同情してしまう。
「気を付けろと言ったはずだけどね」
「これ、既に『宣告』の域を超えているのでは?」
死神の由緒正しい宣告を知るからこそ異端の能力としか思えなかった。
「やばいんだよね。どうしようかね」
源五郎は額から汗を一筋垂らす。
黒澤もまた、この自称死神の存在と関わって数年を経た今でも、彼らの発してきた言葉を鵜呑みにしたことはない。「やばい」と言うならそれは彼が真実よろしくないと感じているのだが、それは死神にとっての話であって、自分の思っているヒトの魂が傷つく懸念の事ではないと捉える。
「やはり寄生精霊の『恩恵』を受けてますね?」
恐らく、彼はこれを「やばい」と言った。
しかも、演技として。
「わざとじゃないんだね」
「審議会でも実験の主旨が変わっていると不満が噴出していたそうです。もし問題になれば、自ら出向いて弁明してください」
面倒だねと呟きながら笑っている。
それでも目は笑っていない。
黒澤は怠そうに起き上がると、お茶を呷る。頭を振りながら千住悠の行動を見届けねばと気を取り直し、立ち上がろうと思うがまだ脚に力が入らない。
「僕もカラダを返さないと」と源五郎の方が先に立つのを見上げ、不満が口を衝いて出る。
「私個人としては実験が計画通り進み、成功することを祈っています。ですが、あの人にリワークの事を勘違いさせている点は納得していません」
「オブザーバーとしての意見だね」
「いえ。同じ人間として、です」
源五郎は「参考にするね」と言うと、黒澤の頭を撫でてから出て行った。
宣告の影響が消え、一気に気分が楽になる。
黒澤は今度こそ立ち上がり、体育館へ向かう決心をする。
早坂千代乃の名を口にしただけでこの有様。
あれが同じ人間であるわけがないし、関わるべきでないと本能的に感じてもいる。
だが今はこの実験が唯一の希望。
死神を出し抜いてでもやり遂げてみせる。
「言うの忘れてたね」
「うわっ」
校長室を出たところで源五郎がぬっと目の前に出てきた。
独り言を声に出さず良かったと本気で焦った。
「蟲が一匹、紛れ込んでるね。早めによろしくだね」
「……わかりました」
連休明けに人の集まる場所では出没する率が高い。
懐からスマホを取り出して確認すると新着メッセージは無かった。
まだ依頼が来ないということは小物か。時間の余裕はあるだろう。
心労の所為か、黒澤がその思い込みに疑念を持つことはなかった。




