てかそんな仲じゃねえだろが
「うおっと!」
部室棟の扉を開けて踏み出すと、足元を黒い影が横切った。気がした。
「猫か?」
何も居ない。
ぞわりと悪寒が走る。だからビビんなって。
気を取り直して顔を上げると、本格的な登校時間帯になっていた。久々の学校とあって、元気に賑やかなのと、鬱っぽいのが入り混じっている様子はさもありなんといった感じだ。
挙動不審を勘付かれないよう、きょろきょろせず目線を落としたまま校舎玄関までの流れに身を投じる。
多少の注目を浴びるのは覚悟していたものの、長嶺が転落した歩道橋が撤去されるらしいとか、校長を引き摺り下ろそうとする教頭の陰謀だったとか、俺の前後で好き勝手な噂話に花が咲いているくらいだから、それほど目立たなくて済みそうだと安堵する。
よし。このままホップ・ステップ・ジャンプでクラスへ飛び込むぞ。
若干、杉田Bの影響を受けつつ踏ん切りをつける俺。
ホップ。
座席の事を失念していた。
クラスは一年一組。教室までは難なく辿り着けた。ちゃんと確認していたからな。
しかし、そこから先で足が止まってしまう。
会社じゃ固定座席じゃなくフリーアドレスだったし、そもそも外回りが多かったから、一日中座る席の事など考えもしなかった。
教室の中を覗くと、まだ半分程度しか埋まっていない。このまま廊下で棒立ちとなったまま空席を見極めるのも不自然。ここは深く考えず適当に入り口の近くで屯している連中に「俺の席どこだっけ」と尋ねてしまう方がいいだろう。「知らん」と返されてしまったら若干ダメージあるだろうけども。
ステップ。
選別眼が煩い。
ここ二、三日でやたら変調が激しい。魂の傷が見えるようになったのはいいが、色の方は濃淡だけでなく、いろんな色が人物に重なって見えるようになってしまった。
しかも色の境界が人物の輪郭に関係なく膨らんだり縮んだりまでして、一定に落ち着くことがない。
この変化の度合いは若い人間ほど顕著になるようで、こうして視界に入る中でも純白のシャツのはずが真っ青になっているやつもいる。
遠目に登校風景を眺めるくらいならぼんやり見える程度で済むが、こうして集団を目前にするとキツいものがる。
ルミさん曰く、熟練すれば見たい時にだけ見えるようになって、色の微妙な違いの意味まで把握できるようになるのだそうだ。
意味とは、死神にとって有用という意味であって、魂の鮮度やタイプの選別に使えるノウハウの事だから、人間である俺にはあまり意味をなさない。それよりも、感情や思考の状態を見極める道具になってくれるかが問題で、これは独学でやっていくしかないようだ。今のところ俺にわかるのは、この間のデート中に見えた「赤黒い色」が「敵意」であるということくらいだ。
ジャンプ。
「ちょっとわるい。長嶺の席は、どこかな」
入り口近くの男連中三人に話し掛けた途端に緑色から赤黒へ変化。
どうなってんのさ、これ。
「なんの用だ?」
「だから、長嶺の席、どこかなって……」
三人とも立ち上がって前を塞がれ、そのままずいずいと廊下まで押しやられてしまう。話に応じる雰囲気ではなさそうだ。
朝っぱらからイキるような真似はしたくないんだが、初日からナメられた印象を周囲に植え付けるのも良くない。やむなしか。
「ああっ! やっぱ長嶺じゃねえかよお!」
教室の中からもう一人飛び出てきて、大声で俺を呼ぶ。
小宮山だ。
陸上部の、一度退部してから戻って来た例のやつ。
コイツ、杉田Bが大好きすぎて暑っ苦しいったらないんで、俺が積極的に避けてた連中の一人。同じクラスだったのをすっかり忘れていた。
「お、おはよう」
「すっげえイメチェンじゃん。つかお前、杉田さんと朝練やってたわけ? あの人が知らねえ奴と一緒に走ってると思ってさ、まじショックだったんだぞ。なんで俺を誘わねえんだよお、みずくせえよお!」
あーうるせえ!
誰がお前なんぞ好き好んで誘うかよ。てかそんな仲じゃねえだろが。
「あ、ああ。悪かったな」
パブリックとプライベート、外ヅラと腹の内、考えずとも使い分けられるのは営業職やってて良かったと思うひとつだ。
選り好みしてられる状況じゃない。小宮山を使ってそこの三人を抑えてもらわねば。と思ったものの。
なんでいつの間にかグリーン三兄弟だよ。
「なんだ長嶺かよ」
「まじか。全然違くねえか?」
一人が無言で俺の前に立ち、「よく戻って来た。ナイスファイト」と胸に拳。
聞けば、誰かが長嶺を威嚇しに来たのかと思って追い出そうとしたらしい。テレビでドン底から立ち直ろうとしている俺の声音を聴いて目が覚めたとかなんとか。
きっと夏休み、他に燃やす物がなかったんだろうな。
一気に気温が三度上がった気分だ。クソ暑っ苦しい。
地球温暖化より先に校内温暖化の方が深刻という危機感。
どっと疲れが出たが、とりあえず教室へ入場は果たした。
「小宮山。俺の席はどこだっけか」
「え、知らん」
お前が言うかよ。
「委員長ー、長嶺の席どこだっけ?」
小宮山が必要以上にでかい声で他の生徒に尋ねる。
振り返ったのは、これまたルミさんを彷彿させるような冷んやりした表情の女生徒。
ショートボブがよく似合っていてルミさんよりは柔らかい印象。
こんな事言ってると今夜またルミさんの長い指導が始まってしまう。
この子が学級委員長ということか。色は濃い青、夜明け前の空のようなグラデーションがかかっている。
他と違ってちょこちょこ色が変わらず落ち着いているので、今の俺には好印象だ。
黒板の前で新品のチョークを並べていた手を払ってやって来ると、俺の前を通り過ぎて窓際の席一つを指差す。
「ここ」
無駄な会話を好まないタイプと思い、余計なことは言わずに「ありがとう」と礼だけ言ってバッグを机の横に掛け、椅子を引く。
「ケガ、もう平気なの?」
淡々とした、静かな声で俺の健康を気遣われる。
周囲の騒がしさに紛れて聞き逃してしまうところだった。
「ああ。もう、大丈夫」
お陰様で、なんて言えば「何もしてないけど?」とか返って来そうで、余計な言葉を出すに出せない。営業泣かせなタイプだ。
プロ営業でなければ見分けが付かないほどの仄かな笑みを見せ、抑揚の無い調子で机の事情について説明をくれる。
「よかった。それで、机と椅子は警察の人が証拠品? とかの理由で持って行ってしまったらしいから、新しいのにしておいたよ。他になくなった物とかがあったら言ってね」
凄いな、この子。
これ、俺が俺でなくて行人の方だったなら完璧な対応だ。
たった一言の「よかった」だけで味方の立場にいることを伝える。
そして踏み込まず、押し付けず、出来るだけのことをして、窓を開いておく。心の傷を負った人に対しての接し方がよくできている。これは研修受けたってなかなか出来ることじゃない。
「そうか。色々とありがとう。もしかして、委員長が新しい机を運んでくれた?」
委員長は頭を振って否定した。
「私は椅子だけ。机はあの人」
さっきから女子に囲まれて騒がしい一角を指差す。
雑巾をピザ生地のように指先で回しながら首だけこっちへ向けてくるヤツがいる。
「伊藤さん、拭き掃除は終わったよ」
「ご苦労様」
委員長が淡白に労うソイツが机を運んでくれたらしい。
委員長、伊藤さんか。
で、ソイツの方。遺伝子的にムカつく顔をしている。
間違いなく天が二物を与えて、フルオプション装備したタイプだ。
不覚にも目を合わせてしまった。
「えっ、もしかしてユキト君?」
朝のハーレムタイムを構わず打ち切って俺の席まで駆けてくる。
だめだ。あれは絶対アイツの遺伝子だ。
「来んなよ」
外ヅラが保てない。
というか自重する気が全く起きない。
「ほんとにユキト君だ! すごいね、全然雰囲気変わったじゃないか!」
「馴れ馴れしいぞ。誰だオマエ」
言った瞬間から教室中が、しんとする。




