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間違いなく思い出にはなったけどさ

 降りた駅はベッドタウンとしてよく知られた町。


 ここから高校へ毎日通うのは、なるほど遠い。朝は下り方向の電車だから都心へ向かうよりは幾分マシかもしれないが。


 ここでいいよと言いながら、手が離れない。

 可愛い。


 じゃなくて、楽しいデートの最後に怖い思いをさせた俺が悪い。反省。


「家に着くまでがデートですよ」

「なにそれ」


 駅前のコンビニでペットボトルのお茶を奢ってもらう。


 彼女は一口だけ飲むと落ち着いたらしく、「あげる」と俺に預けた。両手に茶。これで手も繋げないわけね。さすが頭いいっすね。早々のうちに片手を空けるべく飲みながら歩き出す。


 聞けば、家から駅までは一〇分もかからない距離とのこと。


 電車の着いた後はわりと人通りも多く、街灯が続く明るい道だったので、普段の学校帰りを思って安心する。まったくの大きなお世話だ。


 緩やかな長い上り坂を無言のままゆっくりと進んでいく。


 このヒールの音は凪。


 そう。劇場を出た後と同じだ。もうずっと前の出来事のようにも感じる。

 そのくらい今日は濃密な一日だった。


 正直、気力を使い切った感はあるけども疲れた感覚とは違う。


 あと数分で終わってしまう事が寂しいとさえ思える。


 そんな貴重な時間を分けてくれた彼女には感謝しかない。


 このお茶の渋さも忘れられない思い出になるのだろう。



「ユキト、美咲さんとデートしたことある?」


 気管に入ったなんてもんじゃない。

 鼻から茶吹いた。

 全米よりも泣いた。


 せっかく綺麗にまとめようとした俺を一撃で破壊しやがった。台無し。

 なんてこと言い出すかなこの子はっ。


 デイパックから取り出したタオルで顔を拭い、止まらない咳を押さえながら問う。


「な、なんで?」

「なんとなく。そんな感じがしたから。大丈夫?」


 恐るべし女子のなんとなく。

 そんな感じってどんな感じだよ。

 なんで焦ってるの俺。

 したことないぞ。デートは。


「さすがに、ないですよ」


 俺の美しい青春の一ページがこれ以上壊されたらたまらない。

 さっさと送り届けて終わろう。

 そういや、忘れるところだった。


「美咲さんといえば、言伝ことづてを頼まれてました」


「なにかな」


「意地悪なことしてごめんなさい。だそうです」


 きょとんとしたのも束の間、敵わないなあと嘆息する彼女。


「何をされたんです?」


「べつに。ユキトの口一杯にかき氷を詰め込みたくなっただけ」


 なぜか俺が理不尽な思いをする予定に。

 それ以上は何も教えてくれなかった。


 特に怒っている風もないから、そのままにした。触らぬ女神のなんとやらだ。


 まだ鼻の中が痛え。茶の渋み痛え。

 間違いなく思い出にはなったけどさ。

 タオルを首に引っ掛けて、目尻に残った涙を拭う。


 坂を上りきると、住宅の合間から遠くの街の夜景が目に入る。

 思いのほか高い丘の上だったようだ。


 なんとかと金持ちは高い所が好きというが、無駄にでかい家が確かに多い。


 警備会社のステッカーがそこかしこに貼られてたり、駐車場や玄関に据え付けられた防犯カメラがこっちを向いてたり、ある意味治安は整っている環境と言える。

 この一帯を歩くならやはり心配はいらないか。


 なんでこんなに気にするかって、この先、生徒会やら文化祭の仕事やらで帰りが遅くなることが増えるからだよ。おっさんは他のおっさんが信じられなくて気が気じゃない。

 俺がこんな子の父親だったら神経が磨耗して絶対死ぬわ。死んだけどな。


 つか今、彼女の直ぐ後ろ歩く俺、怪しくねえか?


 早坂さんのお宅のお嬢さんが不審者に狙われてるとか通報されてない?


 ほらそこの家のカメラ、自動で動いた気が。AIか。伊藤愛さん俺だよ俺!


「先輩ここ怖いです。隣歩いてください」


「なに言ってるのかな。あっ」


「あっとかきゃっとかNGですからっ」


「うるさい。静かにして」


 遠くから響く低い単発音。

 立ち止まった彼女がもう一度音を捉えると動き出す。


「こっちだよユキト」


 道路を横断して細い路地へ入って行ってしまう。


「ちょっと先輩、危ないですって。主に俺が!」


 やばい。絶対に間違われる。だが追わないわけにはいかない。


 外灯も殆どない暗い道が続く。


 でも安心。どこのお宅も赤外線でバッチリ監視。やべえじゃんよお。あと数分で終わるデートだったはずがここへきて緊張のピーク。


 行き当たったのは、小さな祠。


 その横から石造りの階段が下っていて、申し訳程度の灯りが照らしている。


「見えた。遠かったね」


 視界に広がる夜景のずっと先、おそらく向こうでは大輪の花がちらりと輝く。ちょうど何処かの花火大会がクライマックスを迎えているようだ。


 時折高く昇る尺玉の音だけが随分と遅れてここまで届く。正直なところ、リスクに見合う光景じゃなかった。


 それでもすぐ引き返そうとはならず、二人で階段を何段か降りたところで最後の盛り上がりを見届けている。


 俺の一段下にいる彼女が、何か思いついたように横顔を見せる。


「夏祭りと花火のデートっていうのもユキトの好きな青春じゃない?」


 そう。その通りだ。


「一瞬考えたんですけどね。ちょっとコンセプトからズレるのでやめました」

「コンセプトなんてあったんだ?」


 そういえば言ってなかった。

 学校を思い出させるのもよろしくなかったしな。


「二人だけの文化祭です」


 彼女は俺へ振り返り、首をかしげる。


「本当は二人で文化祭を回るのが俺の望みだったんです。でも当日は仕事で忙しいでしょうし、何より周囲が許さないでしょ。だから今のうちに超人気の早坂千代乃を独占して文化祭を楽しんでしまおう。そういう企みでした」


 俺的には大成功でしたと胸を張る。


 先輩的にどうでしたかと訊く前に、彼女は再び花火の方に向いてしまう。


 またご機嫌を損ねてしまったか。


「それにほら、取材を兼ねて写真を撮ったり、マルシェとか演劇とかやっぱり本物は参考になったし。まあ最後の絵画鑑賞は予定外でしたけどね。はは……」


 結局あなたは仕事の事ばかりね。遠くから蘇る声が胸に刺さる。


 何を口走ってんだか。

 本音を隠したくて必死な俺。


 昔、つまらない偏差値コンプレックスで彼女を自分の学校へ呼べなかった。


 それだけじゃない。何処へ行くのも自分から誘うことがなかなか出来なかった。


 そんな後悔を振り払いたくて、思い出を上書きしようとした。

 くだらないクズの企みでゴメンナサイ。素直にそう謝るべきだったな。


 不意に、彼女が頭の後ろを俺の胸にトンと当ててくる。


「ありがとね。素敵な、一生忘れられない文化祭だった」


 たとえ社交辞令だったとしても嬉しい言葉をくれたことに感謝。


「そうですか。良かったですね」

「うん。良かった」


 照れたおっさんは、ひねくれたやりとりしかできないけども。



「ユキトはわたしのこと好き?」


「可愛いと思ってます」


「またそれか」


「とりあえず来年は、あの花火を真下から一緒に見たいです」


「わたしの浴衣姿は別料金だからね」


「今から貯金します。そうだ、先輩へ捧げる花火も打ち上げましょうか」


「それはお金使い過ぎ。ユキトはやりそうだから怖いよ」


 彼方がぱあっと明るくなる。最後の乱れ打ち。

 間近で見上げたなら胸が躍るに違いない。

 イカ焼きを齧りながら飛び跳ねる彼女と浴衣を汚さないよう心配する俺。


「前掛けとか、おしぼりとか、今日よりも荷物多くなるな」


 明日でも行けそうなくらい必要な物が次々と思い浮かぶ。


「楽しそう。だけど無理かな」

「今フラれてもなあ。そんなに俺が嫌ですか」


「違うよ」


 彼女は階段を上り俺の一段上に立つ。

 大玉の残響が今更届く。もう光ってはいない。

 終わったようだ。


「受験勉強ですか」

「違うよ。じっとしてて」


 彼女は取り出したハンカチに小瓶の液を染み込ませて俺の額に当てる。

 オレンジのような香りがしてくる。


「なんの臭いです?」

「除光液。すぐ終わるから」


 何度か擦ったあと、さらにウェットティッシュで念入りに拭き取られた。


 自分で準備をしてくれていたのは嬉しいが。


 なにもこんな場所で終わらせようとしなくてもいいじゃないかと思う。


「他に好きな男が?」

「そうかもね」


 拭き終わったティッシュをメロンの皮よろしくまた胸ポケットに入れられると覚悟したが、彼女はハンカチに包んで自分のバッグへ仕舞った。


「これで貸出終了だよ。長嶺君」


 階段ひとつとヒールの分、それと歳上の分、彼女は俺を見下ろす。


 そして、きれいにした額を確かめるように鼻先を寄せ、唇を触れさせた。


「本当に、夢みたいに楽しかった。ありがとう」


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