これデートのディナーでする会話か?
この店の料理と酒に身を委ねれば、たいていの人は幸せな気分になれる。
絶望する人間がいるとすれば料理人くらいだろう。
だから、大切な記念日や失敗できない接待、高嶺の花へ大勝負なんてイベントが自然とこの店に集まる。
中には修復不能な関係をどうにかできるとか、きれいな思い出のままで別れられるとか、盛大な勘違いでやって来る客がいるのだが、店の采配で途中から独りメシになってもらうことになる。
残念ながら、他人を不幸と見做して己を満足させている人間にはこの店の味も通用しない。
そもそも味覚も見下すようにしかできていないので、値段と予約の難しさでしか美味しさを判断できないという救いようのない不幸な人種なのだ。店の采配で個室行きになる。
そして、今俺たちが居る場所は特別。扉の銘板のとおり、客のためでなく店のための部屋。
店が満足したいと思う客だけが案内されるという不思議な空間だ。客がわけのわからぬうちに奇跡が起きたり失敗したりする。と言っても、俺にとっては都合のいい空き部屋でしかないのだが。
ポン、と爽快な音を発して開栓されたボトル。
明るい蜂蜜色が注がれ気泡がはじける。
なんとか乗り切った夏にとグラスを掲げたら、「なんとかは君だけ」と。乾杯。
「あ、おいしい」
「ワイン醸造用の葡萄果汁だけで作られました。爽やかな風味がいいですよね」
俺が言いたかった事を俺の百倍爽やかに彼女へ教えてしまうソムリエ。
こんなにおいしい葡萄がお酒になるんですねと素直に感心する彼女。
俺が言ってたら「へえ」で終わってただろうけどな。
「酒でもないのにこんな所まで来てて大丈夫なんですか、滝沢さん」
フロア満員御礼だったじゃねえか。早く戻れ。
「最初のお飲み物でご満足頂かねば始まりません。お酒でない分、難しい事もございますので」
爽やかーな笑顔で躱すベテラン。
営業のベテランから見ても強者。競合他社にいなくて良かったと思える人物だ。
流麗な身のこなしで大皿に並ぶ多彩なおつまみを彼女の目に映し、選ばせる。
ここで腹を膨らませては困るから冷や冷やものだ。三つまでにしなさいと喉から出そうになる声を我慢して念力を送る。果たして通じたのか、三つで止まった。
当然俺も同じチョイス。違うものがあると絶対欲しがるからだ。根拠は経験済み。
長方形のクラッカーにクラッシュしたチーズと生ハムを乗せて黒胡椒。
パイの上にフレッシュバターとドライフルーツ。
アンチョビペーストと角切りトマトを包んだトルティーヤ。
みな器用に一口サイズに仕上がっていて、しょっぱ甘しょっぱいは食欲が膨らむ。
どれから食べようか人差し指を顎先に当てて迷う、あざと可愛い彼女を微笑ましく見守る。のは俺だけでいいから。
「もう戻りなよ」
側に立つソムリエにぼそっと訴えると、
「ここは私が満足するための部屋ですから」
ぼそっと言い切りやがったよコイツ。
「クソムリエ」
「驚きました。本当にご本人なのですね。若返って生き生きしてらっしゃる」
従前の悪態をついたところで得心したらしい。
「これでも苦労してんの。必死なの」
そうですか。と完全他人事。
ようやくインカムで呼ばれ、去っていった。
パタパタと絨毯を足踏みする音。
一口目から彼女はご満悦。
営業生活の習慣で、歓談の隙間ができると脳が勝手に話題探しをしてしまう。そこで今更だが意外に難易度高めである事に思い至る。
家や学校を思い出させない、莉愛先輩の名前も口にできない、母の自慢は引かれるし、さっきの演劇にしたって「なんか感動した」としか話せない。
昼のカレー美味しかったですねというのも目前の料理にケチをつけるようでなんか違う。こうなると、婚活まがいの必死な質問合戦になってしまいそうだ。
婚活興味ないから知らんけど。
「先輩のご趣味は?」
「勉強。物理とか得意な人となら話が合いそう」
まともに取り合う気ねえな。
「将来やりたい仕事とかは?」
「お嫁さんかな」
「僕のですね」
「僕の?」
「俺の」
「食事中だよ。汚い話しないで」
やっぱり下ネタ扱い。
「先輩が専業主婦を望むとは意外ですね」
「ユキトはお嫁さんに主婦させるつもりなの?」
「え、ああ、はいはい。俺は居てくれるだけで満足です」
あれかね、実業家と結婚して、ホスト遊びに興じて朝帰りする謎のお嫁さん。
ゾワっと背筋が寒くなる。
「ユキトは? 将来の夢とかあるのかな」
「俺ですか。そうですね……」
ヒモ。
なんだ気が合うじゃないですか。僕ら相性抜群。
結婚した瞬間に壊滅夫婦でハッピー。
「学校の先生とか合ってそう」
俺が将来ネタ考える前に一番縁遠い職業を提案されてしまう。人を見る目ゼロだな。やばいな。男選びは俺の倫理審査を必須にしてもらおう。
「俺が教師になったら不同意なんとか罪で即刻逮捕ですよ?」
「最低だね」
「最低なマザコン男ですから、先輩が働いて養ってください」
「養えば臓器くらい売れるかしら?」
長嶺行人は捨てる部分が無いって言われるくらい利用価値があるからね。
怖い怖い。
これデートのディナーでする会話か?
「そうだ。これ、忘れないうちに渡しておきます」
「ごめんなさい」
「婚約指輪じゃないから。冗談でも傷つくから」
ポケットから取り出して見せたのは、小綺麗にラッピングされた小さい箱。
俺の情けない顔を見て喜ぶ彼女。
「べつに買わなくてよかったのに」
「貸出中の彼氏さーん、なんて呼ばれたらね。買うでしょう」
「おみやげにしたら?」
「誰に似合うはずだったかな?」
無理強いするつもりは無かったのに、ちょっとムキになった。
やっぱり消え物じゃないのは嫌がられるか。
少し戸惑った彼女だったが、テーブルの真ん中に置いた箱は無事引き取られ、手元に置かれた。
「ありがと。いただくね」
困ったような微笑んでいるような、なんとも不思議な顔をする。
「気が向いたら、それ着けてまた一緒に遊んでください」
「そうね。気が向いたら、ね」
それでいい。




