せめて気分は大事にしたい
既に満杯だった客席フロアを横目に、カーテンに隠された奥へ通される。
ここには普段予約もできない個室が三つある。
表向きVIP用と目されているが、他の客にメシの味を悪くさせそうな迷惑系厄介を閉じ込める用途がメイン。
隔離して料金もふんだくれるからいいだろうと昔俺が提案、というか接待の都合で無理矢理用意させたのが発端だ。
そして、個室の並びを過ぎると『STAFF ONLY』の銘板が貼られた扉がある。
ここが、目当ての部屋。
白い塗り壁の、六人ほどまでならゆったりと会食できる広さ。入って正面の大きなガラス窓からは夕陽に色づくビル群が一望できる。
右手の壁にはワインレッドのカーテンが横断していて、左手の壁側にはアンティークの食器棚とカウンターテーブルが並び、食器やワイングラスが整然と仕舞われている。
今日は中央に二人掛け用のダイニングテーブルと二脚の椅子。どこか家庭的ながら特別な空間と感じられる雰囲気が面白い。
椅子を引かれた彼女が先に腰掛ける。
「少し改装したのかな」
窓枠の作りや絨毯の色が白く変わったように見え、感想を零す。
「改装というより、修理ですね」
「そういうことか。派手にやられたんだ」
勝手に納得して、俺も席に着いた。
ここは、奇跡もあれば失敗も多い部屋だから。
「改めまして。本日はペスカトーレ・ピグロへお越しいただきまして、誠にありがとうございます。お客様のテーブルを担当させていただきます支配人の小野でございます。ご要望などございましたら、お気軽にお申し付けください」
「じゃあ早速。そういう気取ったのナシでお願い」
せっかく支配人自ら担当してくれるなら、是非彼女と仲良くしてもらいたい。彼女について俺には気付けない何かを感じ取ってくれたなら僥倖。
「ちょっとユキト、失礼!」
俺を窘める彼女に美咲ちゃんは笑いかける。
「大丈夫ですよ。ユキト君はいつもこんな感じですから」
ほう、そうきたか。
親戚の叔母さんシチュか。おばさんとか呼んだらぶっ飛ばされそうだけどな。
少し合わせておくか。
「美咲さんは、ここのシェフと結婚したばかりなんです。だから文字通り支配人」
「あら失礼な紹介ね。覚えてなさい」
これでも遠慮してるんだぞ。なんなら葬式マッチング夫婦だって言ってやる。
「それで、こちらは高校でお世話になってる早坂千代乃先輩」
「早坂です。ご結婚おめでとうございます」
さっぱり要領得ないであろう彼女が精一杯気遣って合わせてくれる。こういうところ、やっぱり大人慣れしてるんだよな。
「ありがとうございます。ふふ、なんか変な感じ。歳上かあ。ふっ」
笑ってやがる。おっさんが必死に若作りしてるとか思ってんだろ。
そっちこそ覚えてろよ。
「支配人、腹減った」
「はいはい、ごめんなさいね。どんな風にする?」
「魚と肉両方で。前菜は、先輩、生魚は平気でしたっけ」
「ええ。大丈夫」
「シェフが今日持ち帰ったものだと、前菜はマゴチのカルパッチョ風、魚料理はタチウオのポワレあたりがおすすめですよ」
「いいね、じゃあそれで。それと肉料理は、今日見かけた露店のステーキより旨いやつを」
「よくわからないけど了解。少し多めになるけど平気?」
「余裕。若いから」
そこ笑うところじゃないぞ。
もう胃もたれしないってところを見せてやる。
なんつったって胃薬持ち歩いてないんだぜ、あの俺がさ。と、美咲ちゃんに心の中で嘯いてみせる。
「飲み物はどうかな。アルコールは諦めてね、ユキト君」
わかってるよ。それだけで楽しみ半減なんだけどな。
「んー。せめて気分は大事にしたい」
「じゃあ、食前に白ぶどうのスパークリング、そのあとはロゼのノンアルとかあるけどどうかな」
「ノンアルか。旨いの?」
「最近人気よ。味わいもいいし、どの料理とも合うと思う」
「へえ。面白そうだね。それでいこう」
「かしこまりました。では、少し失礼します」
このカラダになって初めて生前の俺を知る人との会話が嬉しくなって少々突っ走った感。後半なんか今日は運転あるから飲めないんだよ的なノリになってしまった。
そして二人きりの閉じた空間で今日初めての静寂。
彼女は背筋を伸ばしたまま窓の景色を眺めている。この建物はもうビルの影に覆われていて、西陽が差し込むことはない。
さてどうするか。
夕暮れが少し早まってきましたね、なんて言っても返事が来る気がしない。
「親戚?」
ぽつりと問いかけられる。
はい、と言えたらどんなに簡単でいいだろうか。
「いえ。ここのシェフと友達、みたいな感じで」
たとえ不自然でも嘘は言わない。
嘘はあとで必ず跳ね返るから。
根拠は俺の営業成果報告。
「シェフ、お幾つなのかな」
「四十一、だったかな」
大学の同級生です。
言えねええ。
ちなみに美咲ちゃん、十も下。
ふざけんなよ大吾。
「ユキトは、誰とでもすぐ仲良くなれるよね」
「誰とでもじゃないです。仲良くしたいと思う人にだけです」
俺はどちらかというと人に好かれないタイプだと思っている。
世の中には、天性の人当たりで誰からも好印象を得てしまう人がいる。そんなのが一人でも競合他社の営業にいたりすると全く勝てる気がせず、コンプレックスに苛まれ足掻いた時期もあった。
好かれなくても仕方ないと思えるようになったのは、わりと最近かもしれない。
私は貴方の敵ではありませんよ。
私は貴方にとって安全ですよ。
そこまでを頑張って、あとは相手が勝手に自分の味方だと思い込むのを待つ。そんなスタイルだ。
かなり労力も要るから、誰とでも仲良くは、しない。
「わたしの事は、可哀想だと思ったから?」
「べつに。可愛いとは思ってますけど」
その色を奪われたペンダントを見て込み上げる感情は可哀想とは違う。同情もしていないし、本人に対して思うところもない。
「わたしが可愛くなくなったら?」
「俺が先輩の何をどんなふうに可愛いと思うかは俺の自由です。綺麗で可愛くて優しい人だけを好むなら、俺は母とだけ仲良くなればいい」
全く無意味な質問に少し苛立ってぶっきらぼうな言い方をしてしまった。
いずれにせよ、思春期拗らせた少女を満足させる答えなんて俺には出せやしない。せいぜい憎まれ口を叩いて、鬱憤を吐いてもらうだけだ。
オレンジ色を閉じ込めた瞳がこちらへ真っ直ぐ向けられる。その瞳が放つ感情を、俺にはぶつけても大丈夫と思ってくれているところが、可愛いのだ。
「マザコンめ」
「はい。マザコンです」




