予約はひと苦労というか、命懸け
予定よりだいぶ時間を使ってしまった。
本当は喫茶店で一息といきたかったところを、次に遅れないため自販機で済ませ電車の移動中に水分補給。
いよいよ後半戦だ。気合だ気合。
そして会議は躍る。
じゃなくて、ステージは躍る。
二時間のグダグダ会議とは対極の時を過ごした。
劇場を後にして、街路樹の影が長く伸びる通りをまったり歩く。
しばらく放心状態で無言が続くも、ようやく言葉が出てくる。
「最初に出てきた猫役の人、本物より猫らしくて、鳥肌立っちゃった」
「本物でしたね。すごかったっすね」
正直、ミュージカルとかナメてた。
史奈さんが好きだというから、いつでも誘って行けるようにと、捨て銭覚悟で休みの取れそうな曜日を選んで幾つかチケット予約をぶっ込んでおいたんだが、今日それがあって本当に良かった。
本物すげえ。感動した。
どこに感動したかと訊かれても、なんか感動したとしか言えない。
あと声でかい。歌うまい。
隣の彼女とは違った意味で、同じ人間とは思えなかった。
世の中食わず嫌いは損だということだな。会議は歌って踊ってやれば良いんだ。いい勉強させてもらったよ。
こうして同じ体験をして同じ心持ちでいると、会話がなくても心地良くいられる。
どれだけ久しぶりの気分だろうか。
いや、初めての気もしなくもない。行人の魂が感じている所為かもな。
こういうのも悪くないだろ? 行人くんよ。
つか、お前、ここのところやたら静かだな。助かるけども。
久しぶりといえば、ここは半年ぶりくらいか。
忙しくてなかなか来れなかったからな。
お。店の看板新調したのか。
『Pescatore Pigro』
名前も新しくすりゃいいのに。
随分と気取った怠け者になったもんだ。
「ここで夕食ですよ」
客を選ぶ気満々の高貴ぶった看板を目にした彼女から不安そうな顔をされる。そうだよな。少なくとも高校生だけの客をこの店で見たことはない。
「ユキト、無理してない?」
「大丈夫。そんなに堅苦しいところじゃないので。入りましょう」
予約はひと苦労というか、命懸けだったけどな。
———— お電話ありがとうございます。ペスカトーレ・ピグロです
———— えっと、明日の夕方にディナーを予約したいんですが
———— 申し訳ございません。既に予約で満席となっております
知ってるよ。
なんなら半年先だって埋まってるものな。
一発でヤツが電話に出てくれたらよかったんだが。まったく、携帯番号なんか覚えちゃいないっつの。
知らない声だな。新しいスタッフ雇ったのか。
———— あの、小野シェフはいらっしゃいませんか
———— 申し訳ございません。只今不在にしております
繋ぐ気ないよな。
本当に居ない確率も相当高いが。
どうすっかな。一旦引くか。
シェフが釣りから帰ったら折り返し電話をもらえるよう伝言を頼む。あからさまに訝しまれるのもやむなし。長嶺と名乗り、シェフの友人からの紹介だと付け加えた。
すると、相手が交代。
「お電話代わりました。支配人の小野でございます」
覚えのある声、なんだよ小野って。
「なんで美咲ちゃんがいるの? 支配人てなにさ? あっ、いやっ」
つい、素で話してしまい慌てても後の祭り。
「ナガミネ、様。失礼ですが、お目にかかった事がありましたでしょうか」
ああ、やっちまった。
でもあの美咲ちゃんが態度を崩さずにしっかり対応してるんだ。本当に支配人になったのか。せっかくの知り合いだ。少し挑戦してみるか。
「こちらこそ失礼しました。その、シェフのご友人である千住さ、……んから、色々お話を伺っていて、つい他人事と思えず」
「千住……。そう、でしたか。それで、ご用件はディナーの予約でしたでしょうか」
やばい。
なんだこの、腹の底が破けて穴があきそうな痛み!
自分で名乗ったんじゃなくて、知人として名前を出したはずなんだが。一度や二度名乗ったくらいじゃ死なないんじゃなかったのかよ、ルミさん。
だめだ、痛みで頭がうまく回らねえ。
「その、無理は、承知なんだけど、リーユナイトの部屋なら空いてるかと思ってさ、大吾、いやシェフに頼みたくて……」
「なぜそれを、いえ、ナガミネ様は千住様とどういったご関係なのでしょうか?」
「くっ、ああだめだ、きっつい! ごめん美咲ちゃん、声違うけど俺だ、本人! 悪いけど自分じゃ名乗れなくて、名前呼ばれるのもNGなんだわ。そんなわけで、さっきの人に俺の電話番号教えたからさ、大吾のやつに電話するように言っておいてよ、じゃあよろしく」
「お待ちください、悪戯は困ります!」
「そこをなんとか。ほら、あれだ、バレンタインのとき大吾の好きな日本酒教えてあげたよしみでさ、伝言だけでいいから」
「ウソ……。ほんとうに、はるかさ」
「名前呼んじゃダメ!!」
電話切った。
だって本当に死ぬかと思ったんだよ。
暫くして、番号の下四桁だけ憶えのある大吾の携帯から電話がかかってきた。通話ボタンを押した瞬間に俺の名前を呼ぶなと叫んでから、しばらく話し込んだ。
大吾は人並外れた嗅覚と味覚の持ち主だったが、それ以外はいい加減だった。そのおかげもあるのか、すぐに従前と変わらないやり取りができた。
死んだ人間と平気で話せるやつというのもなかなか居ないと思うが。
車に跳ね飛ばされて、気付いたら他人の家庭の高校一年生になってたと途方もない説明をして、とりあえず一通り教えてやった。どうにか今の環境に少し慣れてきたところだと、まるで地方の出向先から愚痴を聞かせるように。
大吾はいつものように相槌を打って、「そうだったのか」と話を飲み込んだ。
かくして、翌日の十八時、二名の予約を済ませることができた。
それでもって、夢に出てきたルミさんにディスりソング付きで叱られたわけ。
慎ましいおじきで迎えるスタッフへ長嶺の名を伝え荷物を預けると、待合用のラウンジへ案内される。席の用意まで少し待つだろうからと、先に彼女へレストルームを勧めた。
案の定、すぐに見知った相手が現れた。
髪、伸ばしたんだな。
「長嶺様」
支配人らしく堂々とした姿勢やよし。顔が強張ってるけども。
大吾が俺の説明を正しく伝えるとは思えず、もう一度電話を代わってもらい改めて簡単な話はしておいたのだが。お互いに話だけで実感を持てていたかは別問題。
「本当に結婚したんだね、美咲ちゃん」
前に組む手の薬指を確かめて、心底驚く。
「顔が全然違うよ? 本当に本当なの?」
会話になってなくて、思わず笑ってしまう。
「まあ、無理して信じなくていいと思うよ。実際俺も半信半疑なところあるし」
「私の好きな食べ物は?」
「栗蒸し羊羹。とエスプレッソを添えて」
「私の趣味」
「音楽鑑賞という名目のアイドル推し活。まだやってんの? 大吾に教えた?」
「……信じられない。って言いたくなるくらい本当っぽい」
そうだな。信じたくない現実に嘆く言葉だものな。そのくらいを思ってくれるだけで十分だ。
「それでそっちはどうしてさ。実家に戻ってたんでしょ?」
「それは、はる、……あなたのお葬式で彼と再会して」
おい待てよ。ひとの葬式をマッチングに使ってんじゃねえよあの野郎。
しかも再会後速攻ゴールかよ。
「あんな子供みたいに泣く人だったなんて知らなかった」
「それ作戦だよ? 母性くすぐってヨリ戻そうみたいな」
「あははっ、そうね、あなたならそう言うね。顔ぜんぜん似てなくて変」
本当にこんなことあるんだと、戸惑いつつもだんだんと素を晒してくれる。
予想通り、大吾は厨房から出てこない。
どんなかたちにせよ、今でも俺と話ができるとわかって気が済んでいるのだ。
「ところで、そのカラダはレンタルって事なのかしら」
「ん? ああ、これか。違うよ。あちらの彼女に貸出中なんだよ」
ちょうど戻ってきた彼女の方へ軽く顔を向けて示す。
すっかりハンコの存在忘れてたな。なるほど美咲ちゃんの想像力は素晴らしい。
「お待たせした?」
「大丈夫」
美咲ちゃん、ぽかん。
気持ちはわかるけどさ、君もう支配人でしょ。
ほら、お仕事。
「長嶺様、ちょおっと、こちらに」
隅に連れていかれ、事情聴取。
彼女に向ける背中は支配人、俺に向ける面は美咲ちゃん。さすがプロ。
「なにあの可愛い子っ。どういうこと!」
「だから気合い入れて強引にお願いしたってこと。察してよ」
「察しようがないのだけど」
「とりあえず、シェフ夫妻と知り合いだった体でよろしく。俺の名前ユキトだから」
納得いかなーい! 後で詳しくだよ!
中身おっさんだからな。そりゃ納得しなくて当然さ。




