それは、一度彼女の口中で不要とされたもの
目当ての喫茶店に着いた時はランチをとるサラリーマンでやや混雑していたものの、俺たちが食後のコーヒーを飲む頃には殆どの客が去っていた。
この店は、俺が前に通学路を下見していた途中で長嶺行人のトラウマにあてられ体調を崩してしまい、酷い喉の渇きに苦しんでいたところを偶然訪れたのだった。あの時はアイスコーヒーを飲んだだけで、とても食べ物を口にする気にはなれなかったのだが、普通にレストランだと言っていいほどの豊富なメニューが印象に残っていた。
せっかくなので定番のナポリタンを頼んでみると、これがアツアツのスキレットに盛られてきて感激。甘めのケチャップソースをからめた玉ねぎとピーマンの風味に頬が緩み、時々噛み締める塩味の強いサラミソーセージに食欲が増してしまうという、まさしく王道の味を堪能できる逸品に巡り会えた。
対面に座る彼女はというと、メインディッシュに備えて軽めのサンドイッチを注文。やって来た卵フィリングサンドはしっとり、ハムチーズサンドは狐色にトーストされ中身がとろけていて、美味そうでしかない皿に大喜び。
あっという間に平らげたまでは良かったが、俺がナポリタンにパルメザンチーズを振りかけたところで我慢ならなくなり、フォークの奪い合いになった。
そして、彼女のまえに顕現したデザートの理想郷。
スマホで検索した名店の画像に勝るとも劣らない見栄えとボリューム感にご満悦。
唇に付いたクリームを舌先で舐めとる恍惚の表情に俺の目は奪われる。表情だけで言えば、女神が実在するならこんな感じなのだろうと思う。
「ユキト、私のお墓にはこのプリンアラモードを供えてね」
紙一重でアホの子である。
「近々お亡くなりの予定でも?」
「いいえ。私けっこう長生きすると思うの」
「それはまた、ずいぶんと遠回しなプロポーズですね」
「ユキト。食事中に汚い話しないで」
プリン食べながらそんな険しい顔する人初めて見たよ。
俺が彼女と結ばれる話は下ネタらしい。
「お味はどうですか?」
「もう最っ高です」
最上級の笑顔で称賛する女神に「それはよかった」と余裕の微笑みで満足するロマンスグレー。ここのマスターは只者でないと感じてはいたが、女性に対しても歴戦の勇士と見た。
そしてただご機嫌伺いにやって来たのではなく、俺のお願い事に適うものを手にしている。
「こんなものなら残っていたよ」
テーブルに広げて置かれたのは色褪せた何枚かの写真と中綴じのパンフレット。
校庭に並ぶテントの下で生徒達と並んだ記念写真。
マスターと、他に何人かの大人が混ざっている。
「これウチの高校?」
彼女もすぐに気付いたようだ。
「ウチの高校の、昔の文化祭です」
だいぶ前のだけどねとマスターが苦笑いで補足する。
史奈さんが掘り起こしてくれた文化祭の協賛者リストを見たとき、過去には商店街のお店が多かったことに気付いた。それも年々減っていって商店街関係はこの喫茶店を含めた三店舗になっている。写真は高校と商店街との関わりが深かった時代のもの。
記録では、販売する弁当や飲み物を特別に作って格安で提供してくれたり、今で言うアウトレット品も回してくれたりしたらしい。
「この頃の子達は、今でもウチの味が懐かしいと時々来てくれるよ」
「やはり昔は洋食屋さんだったんですね」
ここは『喫茶SUZUNE』だが、当時の協賛者リストには無かった。
代わりに『洋食屋リンガーベル』という店の名前があり、ある年から入れ替わったように見えたので気になったのだが、今日ここの料理を食べて問わずとも確信できた。
「もともと喫茶店をやりたかったんだけどね、昔は稼ぐのが優先だった」
朝から昼は近辺オフィス向けの仕出し弁当、夜は洋食屋と酒の提供。
パーティーや催事が一番利益を出せるので体に鞭打って頑張ったそうだ。
自分の子が社会へ巣立ったのを機にそろそろ好きな事をやらせてもらおうということで若干の改装をして喫茶店へ切り替えたと。
「お一人でお店を? それともご夫婦で?」
これは彼女の質問。
俺は前回来たときもマスターだけだったのを見ているのでその確認は憚った。
予感は当たって渋い顔になってしまった。さすがの彼女も察して「やっちゃった?」みたいな顔で俺を見る。
「あれはあれでケーキ屋がやりたかったと言い出してね。すぐ二軒隣のケーキ屋へ修行に通い出して……」
あなたが好きにするならわたしも好きにするわ。
熟年夫婦のあるあるだな。
行動に移った女は強い。根拠は、まあ元気にしてるだろう。
「……そのケーキ屋に後継が居ないからと、今はもうすっかり雇われ店主だ」
「わあ。なんか素敵」
「逃げた嫁さんがケーキ屋に嫁いだって商店通りじゃ笑いネタにされてるよ」
「あはは……。でも二人で好きな事ができて良かったですね」
そうかもしれないねと微笑むマスター。
そういうの憧れちゃうなと呟く彼女をよそに、俺はマスターの複雑な心境を察する。
これな、カミさんは一緒に店をやってくれると完全に思い込んでいたはずだ。
実際、ランチの混み具合を見るとワンオペは結構辛いだろうから、この先を悩ましく思っているだろう。忙しい時間帯だけをスポット的に入ってくれるバイトなんて望めないしな。この素晴らしいメニューを食べられるのもマスターの体力が続く限りまでという感じか。
「そのプリンは彼女の修行の成果だよ」
「そうなんだ! ユキト、あとでケーキ買って帰ろうよ」
「食べ過ぎ。今日はもう終わり」
そんなあざとくほっぺを膨らませてもダメなもんはダメ。
俺のナポリタンもあれだけ食べたでしょうが。
マスターの前なので口にはせず目だけで説き伏せる。
そんな様子を眺めるマスターは安堵して俺に確認する。
「よかった。その様子じゃ、いろいろ解決したのかな」
「はい。おかげさまで。それで、故あって文化祭の裏方を手伝うことになりまして。もしよろしければ、今年も協賛にご協力いただければと」
「ああ、そういうことか。もちろん。いつも少なくて申し訳ないが」
「ありがとうございます。ほら、会長も」
俺は席から立ち上がると頭を下げ、彼女にも礼を促す。
彼女はすっと立ち上がり椅子の横へ出ると、完璧な所作でお辞儀をきめる。
「いつもご協力をいただきましてありがとうございます。この度、北里北高校の生徒会長を務めることになりました早坂と申します。今後とも、よろしくお願いいたします」
一息で謝礼と自己紹介を言ってのけた。
なかなか堂に入った挨拶。社会人でも容易にできることじゃない。
いったいどこで覚えたのか、他所向きには相当慣れているようだ。
顔を上げ髪を耳に掛け直す頃には俺に怒り出す。
「協賛のお願いをするなら先に言いなさいよ。わたしがダメな子みたいじゃない!」
「いやほら、話の流れでタイミング的によかったでしょ?」
「キミの仕事はさっき確認したばかりだけど」
仰る通りでございます。余計なお世話でございます。
でもさ、商売ってのはタイミングなんだよ。わからないだろうけど。ここって時にぶっ込むもんなの。わかって欲しいんだよなー。
「まあまあ、座って。コーヒーもう一杯どうかな」
座って、マスターがコーヒーポットを取りに行っている間に脛を蹴られた。
ローファーの先端は硬いんだから加減しろってば。
史奈さんに机の足にぶつけたとか言い訳する身にもなってくれ。ただでさえ、傷とかアザに敏感になってんだからさ。
マスターが熱いコーヒーを注いでくれる。
「それで、今年は一口いくらかな?」
「その事なんですが、実はご相談があるんです」
また彼女が鋭い眼光を発してくる。しっかりプリン食べながら。
これは話の流れじゃなく考えていたこと。
昔の写真を見せてもらい、その思いは強くなった。
「悪いけどあまりたくさんは……」
「いえ。というか、お金を集めることに執心しては本末転倒と言いますか、文化祭なのに全然文化的じゃないなと……、会長が考えてまして」
すこん。
静かなる響きに伝わる激痛。わかったから脛はやめなはれ!
「ほう。文化的か」
「こうした昔の写真や記録を見ると、正直、この先輩達を羨ましく思うわけです」
マスターの視線は写真に移り、にこりと笑みを浮かべる。
多少はわかってくれるだろうか。
「昔はこの通りに若い声がたくさん響いてたよ。特に夕方になると、学校帰りの生徒さんと買い物客でごった返してそれはもう賑やかだった」
次々と浮かぶ情景が語られる。
肉屋の奥さんは子供達にコロッケを売るのが生き甲斐だった。旦那さんは、ただでさえ儲けが出ないのにばかすかサービスするなと煩くて、しょっちゅう喧嘩してたっけか。
床屋も運動部は丸刈りばっかりでつまらないと文句を言いながら夏になると張り切ってたし、ウチはウチで質より量の格安ハンバーグを出してたらそればかり売れるようになって困ったものさ。
極めつきは魚屋のおじさん。若い女の子と接したい一心で店前にたい焼き屋を始めたんだ。念願は叶ったけど女の子にだけ露骨にあんこの量を贔屓してたものだから、男連中が報復を考えた。男の子が女装してお尻を振りながら人差し指で一個くださいと頼んだわけさ。おじさんまんまと騙されて大サービス。
その場でたい焼きを齧って勝利を叫ぶ男の声に愕然として崩れ落ちたのは、今でも語り草だよ。
「ふふっ、なにそれ、おかしい……、あはは」
魚屋のおじさん、めでたく彼女のツボにハマったようだ。
「魚屋さんは、今でも?」
「今は息子が継いでるけど、流石にたい焼き屋は先代限りで終わり」
なるほど。
やっぱり青春は学校の中のみにして成らず。
こういったところの下地づくりを疎かにしてはならない。
「ちなみに今は、ウチの生徒がどのくらいこのお店に来てますか?」
マスターは腕を組み考え込む。わかってはいたが渋い反応。
「北高の生徒さんは月に数人。駅前からバイパス通りまで真っ直ぐ抜けられるようになって以来、ぱったりと途切れた感じだね。もうかれこれ五年は経つのかな」
俺も下見ではそのバイパス通りまでの道を迷わず選んだ。
率直に言って遠回りしてまで商店街を通る理由がない。品物が特別安いわけではなく、娯楽があるわけでもない。喫茶店よりも駅前に並ぶファストフード店の方が気軽で安上がりだ。つまるところ、コスパ・タイパが悪いというやつだ。
「月に数人ですか。尚更お金を無心するわけにはいきませんね」
「いやいや。これはお付き合いだから」
「そう言っていただけるのは有り難い事ですが、やはり商売。ここは僕の実家じゃありませんし、ウチの会長は実家に甘えないタイプなんです」
すこん。
実家というキーワードで少しつついたらやはり敏感な反応。
パイセンの教えてくれたことは間違いなさそうだ。
あー。アザになったなこれ。
「ははっ、実家ときたか。君は面白いことを言うね。さて、どうしたものか」
文化的か。と、マスターは店の中を見回しながら真面目に考えを巡らせてくれる。
向かいでコーヒーカップを手にした彼女の方は最初から考える気がない。
それどころか、実家ネタがひどく気に入らなかったようだ。怪しまれたか。
「えと、今年は飲食関係の模擬店が多くなりそうなんです。たとえば、接客の基本を指導いただくとかメニューの内容を監修いただくとか、そういった協力を頂ければと思うのですが。ね、会長?」
ここへ来る道中、プリンアラモードの画像責めを余所にカラ返事をしながら考えていた案を出してみる。
マスターはフンフンと頷き返してくれるものの、すんとなった彼女はカップのコーヒーを見つめたまま無反応。
こういうところは繊細というか、脆いというか、競走馬並みの扱い難度。
実際の馬知らんけど。
「わたしの友達、コーヒーが苦手なんです」
突然の情報公開。友達少なすぎてパイセンの秘匿性低い問題。
「十代の子なら珍しくない。眠気覚ましに苦い顔して飲む子もいるくらいさ」
なるほど受験生のニーズか。勉強になるな。
「こんなにおいしいのに……」
「それはありがとう。今度その友達も一緒にどうかな。飲みやすいのを用意するよ」
マスターの厚意に社交辞令の笑顔が返される。
お茶くらい気軽に誘えばいいのによー。
「先輩の味覚は無駄に大人ですから。でも、受験生相手においしい眠気覚ましのコーヒーというコンセプトはいいかも知れませんね?」
「ほう。面白そうだね。少し考えてみよう」
「検討の工数を考えるとかえって高くついちゃいますが。すみません」
「工数。君は、本当に高校生なんだよね?」
まずっ。大人とのビジネス談義気分で気が緩んだ。
普通の高校生は工数なんて考えないよな。
「ムダにオジサンなので。この人」
痛烈な意趣返しきたー。
とうとうこっちでも身バレしちまった。
バレちゃあしょうがねえ。
てめえら、やっちまいな!
奥にいた客が一斉に席を立つ。
お会計のようだ。
「そんなわけで、老け込んだ生徒会ですがよろしくお願いします。近々また来ますので、詳細はその時に」
すみませーん、と丁度良いタイミングで声が掛かる。
「こちらこそ。それじゃ、ごゆっくりどうぞ」
マスターは軽くお辞儀すると踵を返してレジへ向かう。
とりあえず目的は果たせた。
地域交流の要素も入れて社会学習的な意義を見せるのは予算案を通す上で重要。
願わくばもう幾つか協力店を見つけたいところだ。
まあ、勝手に動くとまた彼女の機嫌を損ねてしまうのだが———。
「はい。ユキト、あーん」
煌めくデザートスプーンに乗せて差し出された小さな粒。
周囲にわずかな果肉が残っているそれは、一度彼女の口中で不要とされたもの。
「それは、サクランボの種では?」
「ムダなオトナの味よ。召し上がれ」
芸術的なまでの艶麗な笑み。
なんだこのエロ辛い状況。
これまで何度かクソ童貞が狂喜しそうな間接キスのイベントはあった。彼女が全く気にしないようだったので俺もスルーしていたが、これはなんだろうな、一種の歪んだ親愛を表現するかたちなのだろうか。
一種が特殊すぎてわかんねーよ。
結論を出す前に匙の先端が俺の唇をつつき、自動ドアのごとく口が開いてしまう。
新食感。言葉にしてはならない粒の舌触り。ほんのり甘いよ。
どうか壊れないでくれ俺の魂。
「奥歯で噛んで」
たくあん食べるわけじゃないんだよ?
このまま飲み込ませてと目で訴えるも、却下。
若いから歯も丈夫で安心だね。ああ、なんか渋いの出てきた。
昔、サクランボの種を二個食べると死ぬってデマあったよなあ。もう死んだけどさ。
「これもおいしいと思うの」
「メロンの皮は堪忍してくんさい……」
ひたすらご容赦願った。
君が笑顔になったから今日はプリンアラモードのトラウマ記念日。




