宝物にはフタをしろ
女神様がかき集めた資料にざっと目を通し、めぼしいものだけ家に持ち帰った。
と言っても、年度不揃いのパンフレットや教員の研究会用に残した雑多な記録と写真などで、継承を意図したものは皆無だった。歴史だけは長い学校なので三十年以上前の記録でも簡単に出てきてしまうあたりは面白い。
後夜祭のキャンプファイヤー、ミスコン、大食い、激辛勝負。
屋上からの告白大会だろうか、地上の女子生徒が顔をしかめて腕をクロスしている写真はなかなかにシュール。
先生と生徒のかき氷早食い対決は因縁の闘いであるかのような必死の形相に思わず笑ってしまう。
昔は良かったなんて懐古主義はないつもりだが、当時の方がフリーダムのテーマにふさわしかったようだ。エシカル、サステナブル、なんでもハラスメントの現代にあってはどれも実現困難。というあたりが余計に憧憬を抱かせる。
「ユキトくんお風呂空いたわよー」
軽いノックと共に湯上がりの史奈さんから声が掛かる。
はっと我に返り、アルバムを懐かしむただの爺さんになっていた自分を振り払う。
欲しい情報が足りない。
必要なのは予算額と配分、スケジュールと分担、資材補充の必要数や発注先。
どれもゼロから検討していたのでは納期に間に合わない。
こと金の事に関してはぞんざいに過ぎる。協賛金があるらしくも出所さえ不明。
だめだ。こんな時はひとっ風呂浴びるに限る。
脱いだシャツを速攻で洗濯物カゴに突っ込む。
宝物にはフタをしろ。
史奈さんの後に入る風呂では必須の習慣になった。
あの人は洗濯にしろ着替えにしろ無防備に過ぎる。
俺にもしっかり毛が生えているのを一度披露すれば、少しは意識するだろうか。
まあ何があっても間違いは起きようもないのだが。寂寞感。
洗面台の鏡に映る細身の俺が俺でない違和感は一生消えないんだろう。
気に入る入らないで言えば後者。せめてもっと筋肉はつけたい。
顔も相変わらず覇気が無いものの、額の傷のおかげで多少の迫力にはなってるが。
髪を掻き上げて確かめると皮膚の縫い目が薄くなってきているのがわかる。
「やっぱ若さよな」
改めて全身を見回すと、数えるのも億劫だったほど多かった擦り傷が注意しないとわからなくなるまで治っている。内出血も完全に消えて、既に痛みは皆無。こうなってしまうと、「もう無理のきく体じゃないんだから頑張れない」とかいう鉄板の言い訳が使えない。
———— 時間の経過とともに精神が肉体に合うようになります
死神井澤さんの教えてくれた通りになってしまうのか。
イキったおっさんなんて勘弁してくれ。
格好悪いどころじゃねえよ。
「このブサイクくらいはどうにかしておくか」
額に被さる前髪を横に払う。
史奈の湯に浸かってすっかりリフレッシュ。
効能は局部を除いた血行促進。
あーくそ。風呂上がりのビールをガッといって寝ちまいてえ。
最近はせめて喉越しだけでもと炭酸水を呷って我慢している。
いつもなら史奈さんがコップへ注いで渡してくれるのだが居ない。
早めに寝たのかと思っていると、自室からぱたぱたと出てきてOKサイン。
待ってくださいOK枕みたいに誘われても心の準備が。
それに股間の準備が不能。なんてこった。
「パスワード解けちゃった」
「えっ、マジで?」
手渡されたUSBメモリー。
全く期待していなかった奇跡が起きた。
一日で二柱の女神に救われるとはなんたる運の消費。
正直怖い。
いつもより遅めに帰宅した今日、迎えてくれた史奈さんはクーラーバッグ以外の重そうな手荷物にすぐ気付いた。中身を見せて「生徒会のノートパソコン?」と不思議がる史奈さんに、明日以降のこともあるのでそのまま自分の背負った事情を説明した。
また心配させてしまうかもしれないと少し覚悟していたが、俺が順調に学校へ復帰しているように解釈したらしく思いの外喜んでくれた。ちなみに夕飯を食べながら夏休みがあと一週間であることを告げたら、「そうね、あっという間よね」と当然のように受け流されてしまった。ここに世代差があることを再び思い知るはめに。
焦る俺はIT気取りを始めてしまう。
「パスワード管理がなってなくてさ。肝心な圧縮ファイルが展開できないんだよ」
図書室に撒き散らした書類を回収して流し読みを終えた頃、自由な女神がダメ押しとばかりに生徒会のノートPCを持ち出して俺に渡してきた。念の為に漁ったらデスクトップのゴミ箱に『ゴミ文化祭のゴミ資料』と銘打たれたファイルを発見。ご丁寧にパスワード付きの圧縮ファイルに加工されていた。
わざわざ完全消去せず残しているのも開けなくしているのも全部アイツの嫌がらせの名残り。最初から破壊目的で取引する考えもなかった奴だから、パスワードを控えているわけがないと早々に諦めていた。
「何かヒントがあるかもね。ちょっと面白そう」と瞳を輝かす史奈さん。
そんな事に興味を持たなくてもいいのにと思ったが、ちょっとPC貸して欲しいというのでそのまま渡していた。
なんて事も忘れかけていたくらい全く期待していなかったのだが。
「どこかにパスワード隠れてた?」
「総当たり。8桁だったから大学のスパコン借りるほどじゃなかったわね」
今なんつった?
「それと、手書きの企画書は文字起こししてドキュメントファイル化したわ」
それ情報管理部が書庫削減する時に言ってたやつ?
「十二年分くらいの記録が残ってたの。歴史文化系の解析AIに放り込んでみたら、少子化の傾向と深い関係性があるっていうから興味深いわよね。あとプロジェクト最適化AIの診断結果も入れておいたから人員とか予算を考える参考にしてね」
あー、AIね。便利だし家庭でも普通に使うよね?
いや使わんし。この小さなメモリにどんだけ人類のテクノロジー入ってんの?
「か、母さん」
「あ。集客シミュレーションとかもしてみる?」
「うん、動線も悩んでたからいいねっ、って母さん?」
ザ・マテ。は、こっちの女神には使えなかった。
生き生きした目をして首を傾げている。
触れていいのだろうか。
親子関係とはいえ知り合って二ヶ月程度で相手を知った気になる方がおかしい。
意外性の一面や二面は有って当然。
とはいえ。触れていいのだろうか。
「母さんは、こういうの得意なんだね」
「結婚前にちょっと嗜んだ程度よ。今はもう全然」
はにかんで言われてもなあ。可愛いけど。
どう見ても嗜むなんてレベルじゃない。こういった仕事の方が好きだったなんて話だったら申し訳なさすぎる。これだけの技能をパート仕事だけで持て余す我慢を強いていたのなら、即刻軌道修正が必要だ。
「その、もしかして母さんはIT系の仕事の方が好きだったり?」
ゆっくりと頭を左右に振られる。
そしてなぜか、すっと両手を前に出して綺麗に整えられた爪の先を見つめる。
「クライアントが納品前日に仕様変更してくる世界……」
優しくも温度の無い声。
まずいっ、触れたらダメなやつだったか!
俺もそれ受けて何度開発会社の連中を暴発させたことか。
「あ、ああ、世界かあ」
「ユキトくんには、知ってほしくないかな」
「わかった。肝に銘じておくよ。仕様変更、ダメッ、絶対! ハハ……」
微笑む史奈さん。
もう乾いた笑いしか出んよ。




