やっぱり暇そうなんだよ、このヒト
俺にとっての悲劇は陸上部。
大会辞退から一転、出場が確定して喜んだ部長。
絵に描いたような好青年だが無駄に熱い。
一緒に走れば誰とでも心が通じ合うと本気で信じているタイプ。
俺とエンカウントした部長が、最初に発した言葉は「一緒に走らないか!」だった。いきなりの厄介なキャラクター登場から逃げたかった俺は「機会があれば、そのうちに」と社交辞令を返したつもりが、その場で翌朝に機会を作られてしまった。
そして毎朝のランニングが何回目かも思い出せないほど疲労蓄積して今日に至る。
陸上部は部長以外の連中も厄介。あいつらの中で俺の知らない俺のキャラが仕上がっていて妙に馴れ馴れしい。
誰にも言ってないが、陸上部顧問の先生から謝罪と礼を言われた。土下座付きで。
大会辞退の方針を部員達に知らせた時、教員が責められるのは当然と覚悟していたが、皆そろっていじめ問題を見て見ぬふりをした報いと捉えていたらしく、涙を流しながら誰も何も言わなかったという。
挙句、俺と同じクラスだった部員から退部届を渡され、自分もこの先、生徒達を指導できる資格など無いと感じて教師を辞めようか悩んでいたと。
特に思うところの無い俺は関わりを持ちたくない一心で、後悔する顧問の手に握られた退部届を取り上げて「関係ないですよ」と破って返したのだが。
翌日、顧問と部員達が辞めた部員の家まで走って行って、破かれた退部届を渡したとかいう、エネルギー効率無視の汗だくな青春群像劇が俺の存在を美化してしまった。
「失われた時間は取り戻せない。だけど、体力は何度でも戻せる、だよ」
自分達にも何か手伝わせて欲しいと、陸上部の部長が俺に言った言葉。それを近くで聞いていた彼女が、感動だよねー、と俺に向かって揶揄うように繰り返し口にする。
「そんなに気に入ったなら、先輩も一緒に走りましょうよ。暇そうだし」
「私が混ざったら、男子のみんなが練習に集中できなくなっちゃうでしょ?」
至極もっともな見解を示される。
いやマジで、走高跳なんかやったら、めちゃくちゃ絵になるだろうしな。
ヘソちらとか集中乱れて危険だ。エロの一秒ケガ一生。
ひとり納得していると、団扇が縦になって頭を小突かれる。
「いてっ」
「なんで私が暇そうよ。誰の所為か忘れたのかな」
実は俺がヘルプを請わなくても彼女は学校の生徒会室に毎日通っていた。
きっかけは生徒会長の退学。
この突然の出来事による影響をもろに受けたのは副会長。
目前の美少女その人。
文化祭の中止は免れたものの、生徒会の仕事が遅れに遅れている状況だった。
彼女曰く、各クラスや参加部活の企画書をチェック、修正企画案やら費用の概算やらをまとめて、夏休み明けには教職員側へ報告と予算の承認を得なければならない。
その後は、文化祭実行委員会へ詳細を指示、準備作業を引き継ぐ必要がある。
しかし彼女は未だに山積みになった企画書の半分も目を通せていない。
そんな超多忙の人を揺するような真似して足を引っ張っているのは誰だ俺だ。
言わずもがなだが、生徒会長とはユキトを強請っていたラスボスキャラの事である。ラスボス討伐はそれなりに骨の折れる仕事だったが、色気要素ゼロで何一つ面白くなかったので語る価値もない。
ちなみに、俺がアイツに退学を強要したわけではない事は強調しておきたい。
むしろ被害を黙っている事と引き換えに、色々と役に立ってもらうつもりでいたのだから。
それが、俺と対峙して以降、憑き物が落ちたように晴れやかな顔になったアイツは、けじめだとか言って学校を去ると俺に告げた。賢いうえに男から見てもかなりのモテ顔だったから、何があっても人生イージーモードなのだろうと正直嫉妬しか感じなかった。
それでも自ら課したペナルティで十分だと判断した俺は、それ以上の追求をやめた。
「そうでしたね。お忙しい身にも関わらず僕なんかの為にありがとうございます」
「僕って誰かな」
「下僕の僕です」
もっと小突いてくださいと頭を差し出したのに、彼女はつんとして自分だけを扇ぐようになってしまう。
でも実際、暇そうなんだよな。この人。
例の企画書の束を図書室に持ち込んで、パラパラめくりはするけども、検討している気配が全くない。それどころか、五分も続かないうちに息抜きモードへ遷移している。まるで少し前の自分を見ているようだ。
俺も負けじと先輩から借りた物理学の授業ノートを眺めて五分。
飽きた。今まさに俺と彼女は同じ空間で同じ気分を共有している。
「先輩、会長に御昇進ですか」
「そうらしいね。ほんと迷惑な話」
暇じゃないとした手前、スマホから目を離して別の企画書を手に取った。
おや、子犬の動画巡りに大忙しでしたね。
睨まなくでいいですよ。何も言ってないでしょうが。
「迷惑以上に、イケメンで紳士の会長がいなくなってショックなのでは?」
俺は知らないが、美男美女の生徒会だと持て囃されたに違いない。
アイツはかなり人気があると自分で言ってのけるくらいだし、彼女もお似合いのカップルだと言われれば、まんざらでもなかったはずだ。
「居ても迷惑、居なくなっても迷惑。迷惑以上に迷惑」
意外なことに、彼女にとってアイツのウケは良くなかったようだ。
瞬間的に付き合ってた頃でもあったのか。
これはあまり首を突っ込んではいけない部分だと直感で思った。
「ところで、生徒会って他にも面子がいますよね。書記とか」
「いるよ。呼んで手伝わせればいい?」
「まあ。先輩ひとりじゃ大変でしょうから」
生徒会の事情なんて知りたくもないが、一人でやる仕事でないことは明らかだし、夏休み中だからと遠慮する状況でもない。心苦しいなら俺が代わりに呼び出してもいいと思ったのだが。無反応。
と思いきや。
「メイド好き?」
「大好きです」
「じゃあ却下」
持っていた企画書を横へ放った。
そんなご無体な。リアルJKのメイド姿なんて忘却の彼方に置き忘れたおっさんの浪漫だぞ。
どんなにぼったくっても大行列間違いなしだというのに。
いや却下でいいです。目が怖い。
ここは聖なる学び舎。
心の汚れたおっさんが踏み入ってよい場所ではない。
当然。納得。残念。無念。溜息吐息。
その蔑む目も至高。ご馳走様です。
「会長の退学、まだ内緒のはずなのだけど。なぜ君が知ってるのかな」
「あ」
まずった。関係者相手に油断しすぎたな。
大した秘密ではないし、どうとでも釈明はできるが。
しかし内緒だったとは露知らず。だから、やたらに人を呼べないわけか。
人気者のロスとなれば、事情を知ってそうな教師や彼女が囲まれて質問攻めに晒されるのだ。
なるほど。それは後回しにしたいと思う問題だ。
「ごめん。言い方が逆ね。君が知ってるのだから、あの人もそうだったのかな」
はい。そうだったんです。
察しの良い美少女は損ばかりしますよと言えば、本気で怒るだろうか。
「あの人との和解は済ませました。言えるのはそれだけです」
終わった事を蒸し返すような真似をしてはならない。それが和解というものだ。
彼女はそれ以上を俺に問わなかった。
でも夏休みを潰されるほどの迷惑を被っているのだ。納得できるはずはないし、やる気など出なくて当然だ。
誰が悪いかと言うならアイツでしかないが、結果的に彼女を巻き込んでしまった事については俺に責任の一端がなくもない。
ならば、彼女のご不満は俺が一手に引き受ける所存。
決してご褒美じゃない。
ただな。やっぱり暇そうなんだよ、このヒト。
いや、暇というよりは。
「じゃあ次の問題。これも前の問題と類似だけどわかるかな?」
急にシャキッと背筋を伸ばして先生モードが始まった。
前の問題って、一問目も手付かずなんだが。
俺の困惑など彼女はお構いなしで、中指で掻き上げた髪を片耳に掛けながら上半身を俺の方へ傾けてくる。なんだコレ、なんのプレイが始まるんだよ。
「ちょっといきなりでわかんないです」
「力学的エネルギー保存則だよ。ノート見てみようか」
彼女は俺のペンケースからペンを一本取り出すと、開いたノートの隅に走り書く。
“誰かこっち見てる”
おう。
まったく油断していた。
考えるフリして首を回すと、出入口の方に二つの影を発見。
「ああ。このことですね。じゃあ、こんな感じでしょうか」
“もっとイチャイチャして見せます?”
机の下で俺の脛に爪先キックが飛んできた。
「うーん。ちょっと違うかなあ」
“マジメにやろか”
「あ痛ああ。いいと思ったんだけどなあ」
“オレはいつでもマジメです”
「なら、加速度二倍の運動エネルギーを試してみようか」
“ウソですゴメンナサイ”
試す、つったぞ。そこは、考えてみようだろ。
目がイキイキしてるんだが。
どんだけフラストレーション溜めてんだよ。
俺が怯えているうちに、図書室の引き戸が遠慮がちに開かれる。
「失礼しまーす。あのう。長嶺君、練習始めるけど今日はどうする?」
書道部の女子が二人、練習を誘いに来てくれたのだった。
今の書道部は文化部詐欺。あれは運動部だと断言していい。
誘われ軽い気持ちで校舎の中庭へ行ったが最後、待っていたのはバカっ広い紙面とバカでかい筆。
なんか隅でダンスの練習してるし。一緒に踊ろ、じゃねえよ。
とんでもない思いをして墨に染まったのはつい先日。
「ええと、課題の締め切りが迫ってまして、残念ですが今日は遠慮しておきます。スミマセン」
そうなんだ、じゃあ明日ねと言い置くのを頷いて、お引き取りいただいた。
明日はないのだよ。今日が最後の提出日なのだ。残念またね!
ティーチャー早坂は去っていく二人に笑顔でひらひらと手を振っていた。
「友達ですか?」
「私、誰にでもこんな感じだから」
「なるほど。超美人な八方美人なんですね」
「超いうな」
金持ちの苦労も知らないままだが、ここ最近で無駄に容姿がいい人間の苦労もあるのだとよく分かった。
どちらも縁がないので同情さえ難しいけれども。
「行けばいいのに」
「何がです?」
「書道部。楽しそうだったじゃない。達筆だったし」
「冗談でしょ。クソ重い大筆のおかげで今でも腕が筋肉痛なんですよ。楽しいワケがない」
彼女はスマホをひょいひょいとスワイプして、上の階から撮った俺の出来栄えを見せる。
「『寛容たれ』難しい字、よく書けてるよ」
「はあ。どうも」
寛容くらい漢字わかるわ。
じゃなく、この場合は文字サイズのバランスを取るのが難しいのに良くこなしていると評してくれているのだけども、昔、ばあちゃんに厳しく習字を教えられた魂の記憶が蘇ってちょっと辛かったんだよ。
「これ、自分に言い聞かせるため?」
一瞬、理解が遅れた。
まさか俺の上等な皮肉が通じていなかったとは。
「上から眺めてた先輩に送った言葉ですよ」
「は? なんで私?」
ほら、その剣呑な顔がね。美しいけども。
「短気で狭量なところも先輩の魅力ですけどね。手が早いのはいかがなものかと」
かつて紅葉柄をデザインされた頬を指でとんとんと指し示す。
「ふうん」
ガシッと再び脛に衝撃。
「足が早いならいいとかじゃなくてええ!」
「やっぱり書道部禁止」
それは正解だと思う。
次に書くのは『短気は損気、隣は破損機』と決めていたからな。




