長嶺行人応援キャンペーン
夜、メッセージが届いた。
———— 補講ガンバッテネ
———— チヨノって、先輩の名前ですか?
———— 早坂だよ
———— 血好呑とか書くんですかね
———— 早坂だよ 怖いよ
———— さては恥酔脳ですね
———— 早坂だよ 脳いうな
———— では神木先輩に教わります いろいろと
———— 千代乃
———— 名前も綺麗なんですね 興奮します
———— はよ寝!
二週間後、俺は窮地に追いやられていた。
正確には、墓穴掘って落ちただけなのだが。
元来、自分を追い込まないと仕事しないタイプだという自覚はある。
だからこその、これは俺の意図した当然の流れである。
そう嘯いていられたのは、ついこの前までの事。
「ああ、なんだココ。天国かよ。疲れたああ」
「青春だねえ」
虚脱状態の俺がどうにか図書室へ辿り着くや否なや、窓際に立つ涼しげな美少女がご満悦の笑みを湛えた揶揄で迎えてくれる。
校庭の水道水を頭から浴びて散々汗を流したはずなのに、とめどなく汗が流れ止まらない。
タオルでがしがしと頭をかきながら、すっかり定位置となった閲覧席に座ると、美少女もまた定位置となった対面の席にすとんと腰を下ろす。
そして、昨年度の文化祭で配られたのであろう団扇を、美術品のようなおとがいに向けてぱたぱたと煽る。
揺れる髪の放つ香りの粒が目に見えるようだ。これだけ疲れきっていてもそんな錯覚に囚われてしまうのだからタチが悪い。
「精神的に煽るだけじゃなくて、ソレで物理的にも煽って欲しいんですが」
「あら。気が利かない美少女でゴメンね」
気が利く美少女なんて嘘くさいだけですよ。
なんて、ちょっと揶揄うつもりで口を滑らせてしまって以来こんな調子だ。
意趣晴らしができて少しは満たされたのか、風向きがこちらに向けられるようになった。
ふわりと浮いてしまった机の答案用紙を慌てて押さえると、物理の問題が目に入ってしまう。
その横に置かれたのは、表紙の真ん中に『物理I』、下の方にマジックで『早坂のだよ持出禁止』とお決まりの警告文句が付されたノート。綴じの緩んだ癖がコピーを取られまくった過去を物語る。
手に取り開いてみれば、器用に描かれたグラフと几帳面な文字。数式の羅列までも美しく見せる。この一冊だけあれば答案用紙を埋められるはずという無言の圧。
どんだけ気が利く美少女なんだよとげんなりする。
なぜ俺に縁のないはずの美少女が、二週間経った今も俺の前に居るのか。
その理由は二つある。
先に言っておくと、どちらも俺の所為だ。
まず、高一レベルの学習をナメたらあかんかった。
歴史系は調べればなんとかなる。英語ギリOK。現国は母国語という外国語。古典いと苦し。
数学、化学、生物、物理、無理。ギブ。
これでも現役だった頃は成績優秀な方だったんだよ。それに脳ミソも若返った事だし楽勝と思ってたのにさ、どれを手につけても拒絶感がハンパない。
五分も続かず息抜きモードへ遷移している自分がいるんだ。
ひとつ知ったのは、魂の記憶は脳の記憶とは少し質が異なるということ。
勉強しているうちに「そういや、そうだったな」と問題の解き方を思い出す事がほとんどない。
代わりに、女子におだてられ有頂天になった挙句、得意げに勉強ノートを提供する便利君だった過去の自分を思い出して悶絶したりする。つまり魂の記憶は学業においてクソの役にも立たん。
ということで、三日目の夜には自己解決を断念。
モチベを上げてかつ誰かに頼るとなれば今の俺には一択。
折角繋がった通信手段を駆使する。
———— 先輩、勉強教えてください
<華麗にスルーのスタンプをいただく>
———— 先輩と俺の仲じゃないですか
<図書室で撮ったツーショット写真をペタリ>
———— 先輩に殴られてから頭がぼーっとしてヤバい感じなんです
<写真に映る頬に残っていた紅葉跡をズームしてペタリ>
———— 痛かったなあ。心が
———— はよ寝!
四日目から美少女に罵られながら勉強するというご褒美しかない環境構築に成功。
そして二つ目の理由。
校内の各部活動で暗黙のうちに始まってしまった夏休み特別企画『長嶺行人応援キャンペーン』に彼女を巻き込んでしまったのだ。
これ、経緯を説明するとちょっと長い。
早坂千代乃と邂逅して以来、俺は宣言した通り徹底的に大人を追い詰めている。
さすがはプロの嗅覚というべきか、早々にマスコミからの接触が続いた。
即効性のあるメディアを優先、生々しい額の傷跡も惜しみなく披露した結果、学校の活動自粛に不安を募らせるユキト少年の危うさは瞬く間に世間へ広まった。
狙い通り、県の教育委員会も学校も被害者の生徒が心配するような事実は無いと否定。
しかし、否定の仕方が下手に過ぎた。ならば学校の責任はどう果たすのかと世間からの批判が再燃。平日の昼間にも関わらず職員室には暇人からの攻撃電話が鳴り続けるようになってしまう。
そんな荒れた状態が治まらないので、肝心な自粛解除はされないまま放置状態へ。
そして子供に箝口令を敷いておきながら、緩むのは常に大人の方である。
———— クソトロいガキの穴持ちなんか誰がやるかボケ
———— 次は俺が蹴落とす。長めに逝きと
こんな書き込みをSNSの鍵アカで垂れ流してしまう人物を死神井澤さんはしっかり見つけてくれた。誰かと言えばユキトの担任だった。
大人しい顔してたから意外性ゼロなんだけどな。ユキトへの誹謗中傷、殺傷宣言どころではおさまらない。
受け持つクラスの女子ランキングを加工画像付きで流してやがってドン引きである。物理教科を受け持つ理系教師の性なのか数値化に熱心。内容は変態オブ変態を極めているので割愛するけども。
一片の搾取も許さない井澤さんの仕置きはまさに鬼畜の所業。直接ソイツを乗っ取り指先と記憶を操作、鍵アカ解除して大公開しちゃった。
(あとで上司にこっぴどく叱られたらしい)
翌日から担任は体調不良を理由に欠勤。
俺は担任に苦手な物理の質問をしたかった体で職員室へ訪れ、そのまま担任の席に居座りクレーム電話の処理を始めた。
「お電話ありがとうございます。僕が被害者本人、長嶺行人です。あなたの人生は残り僅かです。では失礼します」
留守電サービス並みに機械的な語りで宣告を繰り返すと、ものの三十分程度で日に何十回と繰り返してくるヘビークレーマーたちは鳴りを潜めるようになった。
電話だけにね、鳴りがね、減った。
その即効性ゆえに俺の奇行を止められる職員は誰一人いなかった。
教頭がやむなくといった感じで顔を出してくる。
既に校長と教頭へは担任がネットに吐いた毒舌ログの一部を切り取ってメールで送り、学校側の責任を質していたが、なりすましの可能性が高いから他へ広めないようにと、端から取り合う姿勢の無い返信が届いていた。
井澤さんによるとコイツら、俺を心の病人に仕立てて施設送りにする計画を練っていたようだ。
俺は手にしていた授業用タブレットの画面を教頭へ向ける。
県のホームページにある『知事へのメッセージフォーム』へ、校長たちとのやりとりをペタッと貼り付けた状態。加えて、これ以上は学校を傷つけたくないのに、まわりの大人が真摯に向き合ってくれないので、やむなく知事を頼らせて欲しいと切なる願いをしたためてある。
呆気に取られているうちに、ポチッと送信ボタンを押した。
その数日後、俺の抱いた感想。
知事のチカラすごっ。
それまで業を煮やしていたというのはあったのだろう。あっという間に校長、教頭の首がもぎ取られたね。
ほぼ同時に県教育委員会の教育長が辞任。
闇の圧。
次いで、いじめ相談窓口増員のほか、授業用配布タブレットに設けられた『ホットライン』の通知を、学校内職員と県窓口に留めず知事にも直接メールが届くことにして、情報共有の徹底を宣言するなど強く内外へアピール。
そして俺に向けられた、勇気ある申告に感謝と、気付きに遅れた事へ謝罪のダイレクトメール。
さすがと言うほど素早く抜け目のない仕事だ。
これには俺も誠意を持って大人の対応で報いた。
知事には便箋二枚の手書き礼状を送りつつ、顔馴染みとなった記者の前でも知事に対する感謝の意を述べた。世間は殿様の活躍する時代劇が大好きだからね。精々好感度アップに使ってくれればいい。
教育組織の自浄能力に疑問は残されるものの、かろうじて問題解決の建前は出来上がったと思う。
こんな大人相手を裏でやっているうちに。
子供は大人以上にまわりをよく見ていた。
俺が学校に通い出した事、俺の言動がいちいち学校を揺さぶっている事。俺が大人相手に責任を質している事。
その動きが、学校活動自粛の全面撤回へ繋がったことをちゃんと理解していた。
感謝の感情から、というより、なんか感動っぽい流れに酔った所為なのだろう。暗黙のうちに長嶺行人を支えようとする機運が部活動の間で広まってしまう。
その最初が吹奏楽部だった。
長嶺君のために演奏を贈りたいと図書室までお誘いがやって来た。
その厚意は素直に嬉しい。
だが想像してみて欲しい。沢山の演奏者を前にぽつんとひとりご拝聴。
演奏終了とともに拍手してブラボー!
恥ずかしくて無理だと考えた俺は、隣の美少女に頭を下げ同行願う。
結果、彼女は終始他所行きのキラキラ笑顔、フィナーレのあとは躊躇なく立ち上がってブラボー!
超人気美少女の惜しみない拍手に演奏者たちは感動して泣いた。なんだこれ。
無邪気に青春を生み出してしまう彼らのエネルギーを羨ましく思うおっさんであった。
では終わらなかった。
今、長嶺行人を応援すると、漏れなく早坂千代乃が付いてくる!
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みたいなノリで、次から次へ図書室へ若者達が押し寄せるようになった。
そこで目撃される早坂千代乃の俺に勉強を教える姿が、誰よりも先んじて長嶺行人を支えていた聖女の逸話として拡散され、彼女もいよいよ逃げられなくなり一緒に巡業の旅へ。
まあ、色々やったよ。やらされたよ。
水泳部?
期待したけど無かったよ。
体操部?
制服のまま柔軟体操で終わったよ。
卓球部。
彼女とガチ勝負して負けた。本気で悔しかった。
そこで気づいたのが、彼女の抜群な運動神経。
ソフトボール部で見た彼女のバッティングフォームは美しいの一言。
ただでさえ、制服女子がバッターボックスに立つだけでおっさんにはグッとくるものがあるのに、流れるような重心移動としなやかな腰の捻りが生み出すフルスイングが、爽快にボールを弾き返す瞬間を目の当たりにしてその場でファンになった。サイン欲しくなった。
何度もスカウトしたけどダメだったんだよね、とキャプテンが俺の隣でため息。
天は二物を与えると、おまけをどんどん付けるようだ。
俺には機能制限付きのイチモツだけ。許すまじ天。
てな感じで、ここまでは良かった。ここまでは。




