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№4 師匠の言うことには

「……ってワケなんですけど、師匠、信じます?」


 内心苦いと思っているコーヒーを飲みながら、カウンター席でぼやくように登校前のハルが言った。


 ここはハル行きつけの珈琲店だった。商店街の外れに位置する目立たないモノクロームの内装の店で、客はほとんど来ない。メニューはコーヒーだけで、しゃれっ気もない。しかし、コーヒーだけを置いているだけあって、味は確かだ。


「うん、信じるよ。事実は小説よりも奇なり、なんてね。小説家の僕が言うのも変だけど」


 カウンターの向こう側で、サイフォンを磨きながらマスターが答える。


 この喫茶店のマスターであることはわかっているが、本名は知らない。小さいころに訪れて以来、年を取ってないような気すらする年齢不詳。国籍すら不詳だ。ただ、この店のマスターをやっている、分かっているのはそれだけだ。


 そして、小説家でもある。幼いころ読んで感銘を受けた本の作者が近くに住んでいるということでこの店に入ったのが始まりだった。ありとあらゆる知識を持ち、深い知恵者でもあるマスターを、妄想癖のあるハルは師匠と慕って通いつめ、現在に至る。


 マスターに影子のことを洗いざらい話し、返ってきたのがその返事だった。


「その『ノラカゲ』に似ているのに野良ではない影子ちゃんとやら……君を主人と言ったんだよね? 今はどこにいるの?」


「それが、あの日以来ずっと僕の影に潜んでて……おーい、影子ー、出て来いよー」


 自分の影に向かって語り掛けても、出てくる気配はない。あいつのことだ、なにかたくらんでいるに違いない。不安な思いを飲み下すようにコーヒーに口をつける。


「なかなかステキなお嬢さんのようだ。僕も一度お会いしてみたいものなんだけれどもね」


 くすり、と妖艶にマスターが笑って見せる。たじろいでいると、お代わりのコーヒーを注いでくれた。このままでは苦くて飲めないので、ミルクと砂糖を入れる。くるくる、渦を巻きながらまじりあっていくその光景は、この店の純然たるモノクロームの世界観と一致していた。


「案外人見知りするタイプなんですかね。それにしても、具現化しておきながら僕を食わない『影』なんて……聞いたことないですよね」


「たしかに、聞いたことがないね。ハル君、『ノラカゲ』に関する知識は?」


「あんまり」


 暗に『教えてください』と言いたげに答えると、マスターはそれを汲んで解説を始める。


「『実存』をなぞる『影』、それが本来あるべき姿だ。しかし、イデアたる『影』は時として『実存』本体を喰らうことがある。そうして生まれたのが『ノラカゲ』だ。彼らはあるじを持たないただの『影』……再び依存すべき『実存』を求めて、本能のままにひとを食う」


「ひとを……」


 昨日の逃げてきた男、結局死体もなにも見つからなかった。『影』に食われるとはどういうことなのか。ごくり、喉を鳴らす。


「ひとを取り込んだ『影』は大きさを増す。より暗く、より広く。そして、より具体的な姿を取るようになる。君の話だと、昨日現れた『ノラカゲ』は主人を食って間もないようだね。あるいは、その男性が主人だったのか」


「で、その『ノラカゲ』に対抗するために政府が作り上げたのが、ASSB……」


「そう、対『ノラカゲ』支局。増加する『ノラカゲ』被害に政府が重い腰を上げたのが二十年ほど前。設立当初から目覚ましい成果を上げてきたけど、それよりも『ノラカゲ』が増える方が早くて完全に後塵を拝しているね。その存在は政府関係者以外誰も知らず、どうやって『ノラカゲ』を殲滅しているのか、装備は、規模はどの程度か、なんて、よく都市伝説系の雑誌で特集されてるね」


 サイフォンを磨き終わったのか、今度は白いカップを磨き始めるマスター。カップといいマスターの汚れひとつない白いエプロンといい、どこまでも白黒だ。


 お代わり自由のコーヒーを飲みつつ、漠然とぼやく。


「……これから、どうしましょう?」


「そりゃあ、君には主人たる責任があるからね、具現化した影子ちゃんの面倒を見るしかないよ」


「責任ったって、僕はなりたくてなったわけじゃ……」


「いいかい、ハル君」


 カップを置いたマスターが、改まった様子でカウンター越しに向き合ってくる。思わず背筋が伸びた。


「ひとは誰しも、今の自分になりたくてなったわけではない。極論を言うと、生まれてきたくて生まれてきたわけではない。そういう自分と理想の自分とのギャップに苦しんだとき、『影』――イデアは、その主人を喰らうのかもしれないね」


「こ、こわいこと言わないでくださいよ……」


 第一、影子が自分の理想――イデアだって? あんなめちゃくちゃな女が?


「自分とは真逆の生き方をする『影』……ないものねだりってやつじゃないかな?」


 そのこころの内を見透かしたように、マスターが言う。


 なんだか恥ずかしくなって、急いでコーヒーを飲み干すとお代を置いて席を立つ。


「話を聞いてくれてありがとうございました、師匠。これからも相談に来ます」


「うん、いつでもおいで」


 笑顔で見送るマスターをあとに、店を出るハル。


 これからまた一ノ瀬のいる学校へ行かなければいけないと思うと気が重かった。


 重いため息をついていると、足元の影から、にゅ、と影子が現れた。


「うわっ!? 君、今までどこ行ってたの!?」


「……どこって、影の中に決まってんだろ」


 影子はなぜか不機嫌だ。爆発物処理班の心地で話しかける。


「呼んでも出てこなかったじゃないか。なにかあったのか?」


「べっつにぃ。アンタにゃ関係ねえし」


「関係ないって……」


「あ、今日からアタシもガッコ行くから」


「はあ!?」


「言っただろ、女学生を満喫するって」


「だ、だって、転校の書類とか……」


「その辺は何とかする」


「なんとか、って……」


 開いた口が塞がらないとはこのことだ。


 影子のいる学校生活。もうめちゃくちゃになる気配しかしない。


 ただでさえ一ノ瀬軍団がいるってのに……


「さ、ガッコいこ!」


 ずうんとのしかかる不安でいっぱいのハルをよそに、影子はまたハルの頭を鷲掴みにして歩き出した。


「いででででで! わかったから! わかりましたからあああああ!!」


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