№33 『送辞』と『答辞』
そしてやってきた卒業式の日。
さいわいにも影子はぎりぎりで復活した。まだ形を保つのが精いっぱいの状態だが、送辞を読む分には問題ない。
講堂にぎっしりと卒業生とその保護者、在校生が詰め込まれ、式は粛々と進んでいった。
卒業生代表である倫城先輩が卒業証書を受け取り、一礼して席に戻っていく。長々とした校長と理事長、PTA代表のスピーチが終わり、次はいよいよ影子の送辞だ。
『在校生代表、塚本影子さんによる送辞です』
アナウンスされると同時に隣の席の影子がすっくと立ちあがった。キメて来いよ、とばかりに背中を叩き、送り出すハル。
影子はすたすたと壇上に上ると、原稿も何も持たないままマイクの前に立った。
そして、マイクスタンドを勢いよく蹴り倒した。
きいん、とマイクがハウリングする中、呆気に取られている体育教師から拡声器をもぎ取ると、影子は街宣車張りの大音声でがなり立てる。
「てめえら! ここが終わりじゃねえぞ!!」
前置きも何もなく、その『送辞』は始まった。
「これからもずっと、未来は続いてく! ひと段落ついてほっとしてんじゃねえ! 終わらねえんだよ、人生は! 死んでも爪痕は残り続ける! それがあんたらの生きた証だ!!」
教師たちも保護者達も、卒業生たちでさえも、なにが起きたかまだ理解が及ばないようだ。ぽかんとして、がなり声に耳をつんざかれている。
影子はなおも声をからして続けた。
「せいぜい吠えろ! 世界に爪を立てろ! ファックな世界だが、まだまだ捨てたもんじゃねえ! 戦い続けてりゃ、それなりのハッピーエンドにはたどり着くはずだ!」
ようやくざわめきが起こり始めた。戸惑いをはらんださざ波のようなひそひそ声が客席中にわだかまる。
「戦え!! なにがあっても進み続けろ!! 負け戦だろうが胸を張れ!! 最後に笑ったもん勝ちだ!! ねだるなすがるな甘えるな!! これはあんたたちの戦いだ!! そして、アタシたちもそのあとに続く!! いいか、あんたらには続くものがいんだよ!!」
教師たちも異常事態を察知し始め、マイクの電源を切った。しかし、これを見越していたのであろう影子は、拡声器で引き続き『送辞』をシャウトする。
「だから、がんばれ!! くたばるまでがんばれ!! これはアンタらへのエールであって、願いであって、プレッシャーでもある!! 続くアタシたちに恥じないように、がんばれ!! がんばれって言葉が一番しっくりくるから何度でも言う、がんばれ!! 負けるな!! 勝ち取れ!! アタシたちとの約束だ!! ひとまず先行っててくれ!!」
これでは埒が明かないと判断した教師たちは、強硬手段に出ることにした。わらわらと壇上に出てきた教師たちが、影子を捕まえようと迫る。が、その手をするするとすり抜けながら、影子はてへぺろと笑って付け加えた。
「……ん、ご卒業おめでとうございまーす!!」
それで役目は果たしたとばかりに、教師に捕まり壇上から引きずり降ろされる影子。今まで優等生で通ってきた影子が化けの皮を脱いだのだ、教師たちもどう対処していいかわからないだろう。
しかし、影子はスカッと一発キメてくれた。
とびっきりクールでクレイジーなやつを。
『そ、卒業生代表、倫城一誠君による答辞です!』
なんとか式の体裁を保とうと、無理矢理に進行する教頭。きっと倫城先輩ならこの場を収めてくれるようなびしっとした答辞を読んでくれると期待してのことだった。
が、肝心の先輩も原稿らしきものは持っておらず、いまだ騒動の余韻を引きずる壇上にあがると吹っ飛ばされていたマイクを手にして、
「あーあー、大丈夫ですか?」
マイクが作動していることを確認してから、こほん、とひとつ咳払い。
そして、『答辞』が始まった。
「先ほど塚本さんが言っていたことがすべてです。これで終わりじゃない。未来は無限に続いていく。俺たちが死んでも『誰か』が続く。その『誰か』に恥じない道を、俺たちは歩んでいきたい。後輩たちにカッコ悪い背中は見せられませんからね」
くす、と笑ってから、倫城先輩は続けた。
「明日は必ずやって来るものじゃない。だからこそ、今この瞬間を精いっぱい生きることが、俺たちに唯一できることです。つまり、『がんばる』ことです。がんばって生きる、簡単なようでいて難しいことです。時には打ちのめされることもあるかもしれない。道に迷うこともあるかもしれない」
今度は倫城先輩がおかしくなった、と教師たちの間に緊張が走るが、それよりも式をなるべく穏当に済ませることを選んだようだ。倫城先輩はマイクの前から連れ去られることなく、『答辞』を続けた。
「けど、俺たちはひとりじゃない。共に歩む仲間が、一足早く未来へ向かう先人が、続いてくれる後輩たちがいる。だからまた、歩き出せる。明日は来ないかもしれないが、未来は確実に続いていく。見えない未来のために戦うことは難しいかもしれない。でも、がんばるしかないんだ」
はらはらと見守る教師陣をウインクひとつで黙らせて、先輩は、すうっと息を吸い込んで思いっきり叫んだ。
「約束する!! 俺たちはこれからも、がんばって生きていく!! お前たちにいいとこ見せる、それだけのためにな!! みっともなくても必死こいてでも、がんばって未来へ進む!! お先に、みんな!!」
そう言い切ると、先輩はそこでマイクを置いて一礼した。
水を打ったような静けさが会場に満ちていた。
しかし、次第にまばらな拍手が聞こえてくる。その拍手はだんだんと大きくなっていき、やがては万雷の喝采となった。卒業生の中には、涙しながら立ち上がって気勢を上げるものもいる。在校生も総立ちになって『送辞』と『答辞』をたたえた。
ぽかんとする教師たちの手をすり抜けた影子が、壇上で先輩とハイタッチを交わす。ふたりとも共犯者のようににんまりと笑っていた。
とっておきのいたずらが成功した時のようなわくわくが、誰の胸にも芽生えていた。ふたりの言葉は、これからの未来を歩いていく卒業生たちに、たしかに届いたのだ。
壇上から降りてくるふたりに、卒業生と在校生たちが押し寄せた。先輩は向こうで胴上げをされている。
同級生たちに次々と肩や背中を叩かれ、もみくちゃになりながらも人波を渡ってきた影子が、ハルの胸に飛び込んできた。
「ははっ、やったな、影子!」
「おうよ!」
その背中をぎゅっと抱きしめながら、ハルはねぎらいの言葉をかける。影子は満足そうにハルの胸に顔をうずめ、その間もずっと同級生たちに肩を叩かれていた。
……こうして、大波乱の内に卒業式は終了した。
前代未聞の『送辞』と『答辞』は、歴史には残らなくとも、きっとみんなの記憶には残っただろう。
宣言通り、影子は自分の言葉で卒業生たちを送り出した。
そのことは、ハルにとってもとても誇らしいことだった。
めちゃくちゃにハイテンションで、めちゃくちゃにバイオレンスな、いとしい彼女。クールでクレイジーで、時に持て余すこともあるけど、大切な恋人。
そう再認識させられ、ハルはまた、困ったような笑顔でため息をつくのだった。




