リンザローテの感触
リンザローテを家庭教師とした勉強会の第一回目が始まったのだが、正直なところアルトは集中出来ずにいた。
それも仕方がないことで、腕と腕が触れ合いそうな距離にいるリンザローテの存在を意識し過ぎてしまい、目線も教科書から隣へと流れそうになっている。
「アルトさん、今日は錬成魔法学以外に何の授業を受けたのです?」
「言語学を少し……って、なんで俺のクラスが錬成魔法学をやったと知っているんですか?」
「それはですね、アルトさんがオリハルコンを短剣へと変えてみせたという話題を職員室で聞いたからですわ。S級魔法士とはいえ、あの素材を扱える者は少ないですから、先生方にとっても驚きだったのでしょう」
知識や技術に長ける教師陣であってもオリハルコンを錬成魔法で加工する事は不可能で、S級の中でも一部の限られた才覚ある魔法士のみにしか扱えないのだ。そのため、この数十年の中で最も期待できる生徒として注目されているらしい。
「そういえば、先生達の魔法士判定レベルってどれくらいなんですか?」
「校長先生のみがS級で、他の方々はA級ですわ。魔法士としての才能や力で言えば、アルトさんの方が上ということになりますわね。ガッカリしましたか?」
「いえ。判定レベルが全てではないですし、沢山の経験を積んできた先人の教えは貴重で学ぶべき点は多くありますから。事実、お婆ちゃんから学んだ事は有意義なものですし、日頃の生活にも魔法にも活かされています」
才能があっても的確に活用するためには知識が必要になってくる。その知識は独自に獲得するよりも、経験のある人間に教えてもらった方が早いし有効だ。
だからこそアルトは自分のS級判定に慢心せず、基礎的であっても聞こうという意欲がある。
「そういえば、錬成魔法学ではミカリア先生の助手を務めることになったんですよ。先生の手慣れた錬成を間近で見られますし、クラスメイトに教える際に自分も改めて練習できるので良い事ずくめでして」
「なんだかアルトさんが眩しく思えます。その真面目さ、失わないでくださいね」
リンザローテの脳裏をよぎったのはヴァルフレアであった。彼も昔は真面目な人間であったのだが道を踏み外して堕落してしまい、同じS級であるアルトには同じようになってほしくないと切に願っている。
「さ、どの教科からいきますか? アルトさんが苦手な科目を重点的にやりましょう」
「うーん……魔法系の科目は多分大丈夫なのですが、一般教養科目はどれにも苦手意識がありまして……」
「なら明日の授業で取り扱う科目の予習をするのはいかがです?」
「いいですね。えっと、明日は歴史学がありますね」
アルトは机の上に置いていたカバンから歴史学用の教科書を取り出して広げる。事前に一通り目を通してはいたのだが、情報量が多くて挫折していた。
その教科書にリンザローテは手を伸ばし、よりアルトとの距離を縮める。もはや軽く接触をしており、時折感じるリンザローテの二の腕の柔らかさと温かさにアルトはドギマギとして鼓動が速くなっていく。
「じゃあ、わたくし達の属する国家である”パラドキア王国”についての来歴を……」
ページをめくった時に動くリンザローテの腕が掠め、布の擦れる音が耳に響く。
この出来事はアルトの記憶に刻み込まれ、リンザローテの感触を思い起こす度に連動して教科書の内容も想起されることになり、成績向上に大きく貢献することとなる。
ある意味、この勉強方法は最適なものであるのかもしれない。
そうして二時間ほどリンザローテの歴史学講座を受けたアルトは、頭がオーバーヒートしたように機能不全に陥り、このままでは知恵熱が出そうなくらいに疲労していた。
普段このような勉強をしてこなかったアルトにとって、新鮮ではあるが過重労働にも似た感覚を抱いて部屋の天井を仰ぐ。
「お疲れ様でした、アルトさん。大丈夫ですか?」
「学校ってのは大変な場所なんですね……今後が思いやられますよ……」
「勉強ってものは積み重ねが大事なのですわ。日々学習して、知識を築き上げていけばいいのです」
「錬成魔法学の時に、俺もエミリーに対して似たようなコトを言ったな、そういえば……」
錬成が上手くいかなかったエミリーに対し、アルトは練習していけば上達するよと励ましたのだ。
その時の言葉が自分に帰ってくるとは思わなかったが、真実として何事も一日にして成らず、繰り返し反復する事で身に付くのである。
「会長、今後も宜しくお願いしますね。俺にとって会長こそが頼みの綱なので見捨てないでください……」
両手を合わせて情けなく懇願するアルト。魔法士としての実力は確かにあるが学生としてはルーキーでしかないので、恥を捨ててでも頼み込むしかない。
「ふふ、わたくしにお任せください。アルトさんのためならば、全力を尽くして最後まで力になって差し上げますわ」
「うう、ありがてぇ……」
リンザローテの自主退学を阻止し、勉強の面倒を見てくれるよう依頼して良かったと心底思うアルトは、ドヤ顔で腰に手を当てる彼女を頼もしい女神のように崇めるのであった。




