ミニチュア大好き令嬢は馬車に揺られる
姫妻になった者には3人以上の召使いを連れることは禁止されている。しかし私にとっては充分だ。執事のガスパールとメイドのリサを連れ、王都とは別物のでこぼこ道を進む馬車の中で、妃教育で王城に向かう道のりと同じように趣味の針仕事を始める。三針ほど縫ったあたりでリサが心配そうに口を開いた。
「カナン様、こんなに揺れている中で細かい作業をすると御気分が悪くなります」
「大丈夫、わたくしの三半規管を舐めないで!」
気にせずどんどん針を進めていく。目下取り組んでいるのは淡い水色のシュミーズ・ドレス。元婚約者のディミアンに『君の瞳の色だ』と贈られたハンカチーフを再利用した一品である。
「しかしこの布、どう見たってわたくしではなくアリサの瞳の色よねえ。まあいいわ、もう会わない方の瞳の色なんていずれ忘れるだろうし。今日からこの色は『アリサの瞳の色』改め『朝の湖畔色』よ」
「まあ素敵な名前!ではなく、本当に危険ですから……」
がこん!
「あ痛っ」
丁度大きな段差を通ったらしい。馬車が大きく揺れた拍子に針を盛大に手の甲に刺してしまい、ぷつりと玉のような赤い血が肌から漏れ出る。
「言わんこっちゃないですか!今すぐ手当てをいたします」
「手袋を外していて正解だったわね……。でもほら、まるで白雪姫の物語みたいじゃない?わたくしの姫妻相手も白雪姫みたいな子だといいわね」
「そんな事言っている場合ですか!」
リサが慌てて私の手を取った瞬間、馬車の窓からガスパールの声が聞こえた。
「カナン様、到着いたしました」
辺境の地リリスは、思った以上に殺風景ですっきりとしていた。
馬車を降りた先にある小さな屋敷が私の新居だ。と言っても王城や実家よりは小さいというだけで、令嬢2人と召使い4人が住むには十分な大きさだ。姫妻が住む屋敷を境に東は森、西は小さな村が広がっている。……それにしても森はともかく村に人がいない。当たり前だ、ここは人が住むための土地ではなく聖女が国境を守るための砦みたいな物なのだ。
「もう1人の姫妻はまだ到着していないようね」
予め用意されていた部屋に荷物を運びながら邸内を見渡す。
「カナン様、私共が運びますから休まれては」
「いいえ、これはわたくしが運ぶわ。この中にはエルマーの作りかけの衣装が入っているのよ」
エルマーは私の人形の一員で、黒ウサギの男の子である。
「ガスパールはこっちをお願い。……アントワーヌの家具だから小さいけど結構重いわよ」
小ぶりのトランクをガスパールに預けると、軽々と持ち上げ部屋に運んでいった。
「……わたくしには勿体無いくらい良い従者だわ」
本来であれば王妃に仕える筈だった2人は、わたくしが妃教育をしている間同じ様に王宮仕えとしての作法を叩き込まれていた。わたくしについて行かずとも好きなだけ再就職先はあっただろう。
「ねえ2人共、荷解きもある程度終わったから町の方に出てお夕飯を買ってきて頂戴。この袋に入ってる分を使って、好きな物を買って構わないわ」
「それでは、お嬢様の好きな物を……」
「そうじゃなくて、あなた方の好みの物をって事よ。わたくしは『姫妻』だから、もう出される食べ物に注文をつけたりは出来ないわ」
「お嬢様は元々好き嫌いもございませんでしたよ!」
「良いから2人でお買い物してらっしゃい。わたくしは部屋で休んでいるわ」
半ば無理やり2人を出かけさせ、越したばかりの部屋でそっと一対の兎の人形を出す。
「……あなた達にも長旅をさせてしまったわね。アントワーヌ、エルマー」
無垢な瞳でこちらを見つめる2人と見つめあっていると、馬車ががこんと止まる音が外から聞こえた。
「リサとガスパールったら随分早いわね……いや、違うわ」
窓から見える馬車の色は私のものではない。2人目の姫妻、私の伴侶となる令嬢が到着したのだ。