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アイアン・メイデン  作者: 荒宮周次郎
1/3

引き抜き

 聖騎士が、聖剣を腹に刺して死んでいる。


 村外れの森の中にある貧相な小屋、その窓を盗人のように覗き込んだベルが目にしたのは、そんな異常な光景だった。家具も碌に置かれていない床の上、仰向けに寝転がった女騎士の腹に深々と刃が突き刺さり、彼女を磔にしていた。鎧も着ていないシャツとズボンだけの彼女が、何故聖騎士と分かったのかというと、彼女はベルが探し求めていた人物だったからだ。


(えぇ………?し、死んでるーっ!?)


 目にした光景を、ベルは最初信じることが出来なかった。幻覚かと思ったくらいだ。ベルは着ている黒い外套のフードを脱ぎ、青色の目をゴシゴシと擦って再び窓を覗き込んだが、現実は何も変わらない。ベルは激しく狼狽し、困惑していた。己の心臓の鼓動が、酷く激しいもののように感じた。大抵の事はけらけらと笑い飛ばしてしまう彼女にしては、これはかなり珍しいことであった。


 ベルの人生にとって、死というものは実に身近なものであった。彼女が子供の頃にいた施設では、毎日数え切れない程の人が死んでいたし、成長して冒険者になってからも、彼女の周りでは何かと人の死が絶えなかった。彼女とパーティーを組んだ者は、何故か皆死んでしまうのだ。遺跡の落盤に巻き込まれて潰れた仲間や、魔物の奇襲から逃げ遅れて八つ裂きにされた仲間を、ベルは間近で見てきた。彼女と組んだ人がどうにも死んでしまうので、生き残った彼女に『死神』などという不名誉な渾名がついたくらいだ。


 そんな訳で、ベルは人の死というだけでは感情が動かなくなってしまった。少なくとも、他の者が薄情だと思うくらいには。しかし、この時ばかりはそうではなかった。なぜなら、彼女は小屋の中の人物が『鉄の乙女(アイアン・メイデン)』と呼ばれる人物だと知っていて、それを当てにしてきたからだ。


 ベルが知る限りでは、この騎士は「あらゆる攻撃を防ぎ、どんな魔法も弾く。いかなる戦場からも帰還する不死身の騎士」として巷では『鉄の乙女』の名で呼ばれていた。そんな騎士であれば、自分と冒険に出ても死なないだろう。そう思って、ベルはここに来たのである。そう、ベルはこの騎士を勧誘しに来たのだ。


 それなのにいざ来てみると、騎士は既に死んでしまっている。部屋の外から眺めただけだが、騎士が生きているとはとても思えなかった。剣はかなり深くまで差し込まれている。あの剣の刺さり方からすると、即死していても全く不思議はない。ベルはここの所毎日妄想していた、かの騎士との冒険計画が、遥か彼方にすっ飛んでいくのを感じていた。


 正直、早く騎士の生死を確認したかったが、ベルは直ぐに小屋に侵入しようとはしなかった。騎士が妙な死に方をしていたため、殺人の可能性を恐れたのだ。もし犯人が近くにいれば、目撃者を生かしておく訳はないだろう。ベルは息を潜め、注意深く周囲の気配を探っていた。


 しばらく警戒していたが、怪しい気配は感じられない。


「……ひとまず安全、かな。でも……、どうしよう、コレ。」


 ベルは再び窓の向こうに目をやったが、当然ながら中に広がる惨状に変化はなかった。小屋の中の人物が死んでいるなら、ベルにはここにいる理由がない。この騎士に会うためにここに来たのだから。


 とはいえ……。


「このまま帰るってのもなぁ……。」


 普通なら、ここから西にあるベニア村に戻り、他の人にこのことを伝えるべきだろう。しかし、ベルはこの騎士に会いに来たことを、他の誰にも知られたくなかった。この騎士の世間での立場は、非常に不安定なものになっている。簡単に言えば追われている身なのだ。変に話が大きくなると面倒だ。騎士が生きているのならまだしも、死んでいるのなら関わりたくない話である。


(指名手配……理由は教会に対する反逆行為だったっけ。)


 噂で聞いた話によれば、この騎士を母神教会に突き出せば、生死を問わず莫大な賞金を得られるということだったが、ベルは何か裏がありそうな気がしていたし、教会とは昔色々とあったので、そういった行動に出る気はまるでなかった。


 かといって、このまま何も見なかったことにして、聖都にある拠点へ帰るのも嫌だった。ここにたどり着くまで結構な距離を移動してきたのだ。このまま手ぶらで帰るなんて何だか釈然としない。危険があればその限りではないが、今のところはそれもなさそうだ。なら、ちょっとぐらい調べ回ったってバチは当たらないだろう。何かあったら、首を突っ込まずには居られないのがベルの性分だった。それに、探していた人物の最後に、何があったのかぐらい知りたいという純粋な好奇心があった。


 ベルは静かに小屋の入口へと回り込んだ。ドアには鍵がかかっているが、ベルにとっては大したことではない。


「はいはい。ご苦労さん……っと。」


 鍵開けはベルの得意技の1つだ。いとも容易く解錠すると、ベルはゆっくりとドアを開いた。


 窓から見た時に分かってはいたが、この小屋の内部にはおよそ生活感と呼べるものがない。恐らく、元は何かの物置だったのではないだろうか。人が住んでいるとは思えない、がらんどうな薄暗い小屋であった。壁の木板の隙間から風が入ってきているせいか、空気は少しひんやりとしていた。


 部屋の中央には騎士の死体がある。ベルは試しに足で突っついてみたが、ピクリとも動かない。やはり死んでいる。


 視界を動かすと、部屋の隅に鎧や盾が几帳面に並べられていた。恐らく騎士の物だったのだろう。多少汚れてはいるが、どれも魔力を帯びているのがベルには分かった。


 ベルはそれらに近づいて、注意深く観察してみた。


(全部魔導具(まどうぐ)か……。それも、込められている魔力の強さからすると一級品みたいだ。凄いね。)


 魔導具は、魔法技術によって付呪強化(エンチャント)された道具だ。単純に耐久性を高めただけの物から、込められた魔法を使える物まで様々な魔導具がある。低位の物でも高値で取引されており、ここに並んでいる鎧や盾なら、売ればかなりの額になるのは間違いない。


(まあ、こんなのが市場に出回ることはないだろうけど。)


 こんな物が売りに出された日には、真っ先に盗品であることを疑われるに違いない。それ程価値があり、持ち主が手放す事など考えられないような品であった。


(込められている魔法まで分かればもっと面白かったんだろうけど、そういうのは魔術師の領分だしなぁ……。)


 こんな物を見る機会は滅多にない。そう思って、ベルがしげしげとそれらの魔導具を眺めていた時だった。


「………っ!?」


 背後で何かが動いた気がした。


 慌ててベルは気配がした方を振り向いたが、そこにはただ騎士の亡骸があるばかりだ。動く者はいない。しかし、そんなことはありえない。


 ベルは自分の感覚に自信を持っていた。彼女はその気になれば、常人では聞くことの出来ない音を聞いたり、遥か彼方にある物を見ることが出来た。実際、ベルは小屋に入った段階で騎士の呼吸音がないことを耳で確認しており、騎士が死んでいるということを確信していたのだ。


 だが、彼女の勘が今、確かに何かが動いたと言っている。


(多分、指だ……。右手の指が動いた。見えた訳じゃないけど、そんな気がする。……もしかして、生きてる?)


 ベルは近づいて騎士の顔を覗き込んだ。


 騎士は動かない。呼吸音もやはり聞こえない。凛とした顔立ちの彼女は、静かに目を閉じている。短めに整えられた金髪が、血溜まりに浸っていた。動いたように思ったが、気の所為だったようだ。


(やっぱり死んでる。……ん?)


 しかし、耳を澄ませた彼女には、次第にある音が聞こえ始めた。


 意識しなければ聞こえない、いや、常人には意識したところで聞こえないであろう、恐ろしく小さな鈍い音がする。一定のリズムを刻むそれは、人の拍動のようにも思えた。しかし、今まで聞いたことの無い音である。人のそれとは少し違う。まるで、何かに覆われているようにくぐもった音であった。


 そして、じっと騎士を観察したベルは、あることに気がつく。


(何これ……鱗?)


 窓から見た時は分からなかったが、騎士の首には灰色の鱗が生えていた。まばらに肌を覆うそれらは、耳の下あたりまで生えている。


(なんでこんな物が?)


 好奇心から、恐る恐るベルは騎士の首筋に触れてみた。鱗の部分はつるりとしていて、まるで爬虫類の鱗のようであった。とても、人間に触れた時の感触ではない。


 しかし、そんなことはベルにはどうでもよかった。もっと重要なことを、彼女の指が感じ取ったからだ。


 手に伝わるのは仄かな温かさと脈動。




  こいつ、脈があるぞ。

 



「ここまでか。」


「しゃ、喋ったあぁぁぁ!?」


 ベルは無様に後ろにすっ転んだ。こんなにも無様に転んだのは、彼女の人生で初めてのことであった。しかし、それもやむないことである。


 絶対に死んでいる。己の感覚からそう信じ切っていた相手が、にわかに喋り始めたのだから。


「アンデッド退散!アンデッド退散!」


 神などこれっぽちも信じてはいないが、ベルは思わず叫んでいた。


「……なかなかに無礼な女だな、貴女は。」


 目を開いた騎士は首を動かして、ブンブンと手を振り回しているベルの方を向いた。無表情の顔からは、何を考えているのか読み取ることが出来ない。


「安心しろ。私はアンデッドではない。」


 騎士は静かにそう言った。


 こんなに信用できない話を聞いたのは久しぶりだ。どんな詐欺師、ペテン師の与太話だって、この女の話よりは信憑性がありそうなものだ。


「ほ、ホントに?生きてる?」


「うむ。」


「アンデッドじゃない?」


「そうだと言っている。」


 そう見えないから言ってるんだけど。


 絶対嘘だと思いながら、ベルは、騎士の腹に突き刺さった長剣に目を向ける。


 一応、確認しておこう。確認は大事だ。


「それじゃあ、訊いてもいい?」


「構わない。」


「……えーっと、名前は?」


「アリシア・ロウラン。」


「出身地は?」


「聖教国、ロウラン領。都市ローブル。」


「誕生日。」


「聖暦1347年。雪の月の4」


「職業。」


「聖騎士。」


「好きな食べ物。」


「エールエビのグラタン。カリカリに焼いたのが好きだ。」


「…… 聖騎士が、聖剣を腹に刺して死んでいる。


 村外れの森の中にある貧相な小屋、その窓を盗人のように覗き込んだベルが目にしたのは、そんな異常な光景だった。家具も碌に置かれていない床の上、仰向けに寝転がった女騎士の腹に深々と刃が突き刺さり、彼女を磔にしていた。鎧も着ていないシャツとズボンだけの彼女が、何故聖騎士と分かったのかというと、彼女はベルが探し求めていた人物だったからだ。


(えぇ………?し、死んでるーっ!?)


 目にした光景を、ベルは最初信じることが出来なかった。幻覚かと思ったくらいだ。ベルは着ている黒い外套のフードを脱ぎ、青色の目をゴシゴシと擦って再び窓を覗き込んだが、現実は何も変わらない。ベルは激しく狼狽し、困惑していた。己の心臓の鼓動が、酷く激しいもののように感じた。大抵の事はけらけらと笑い飛ばしてしまう彼女にしては、これはかなり珍しいことであった。


 ベルの人生にとって、死というものは実に身近なものであった。彼女が子供の頃にいた施設では、毎日数え切れない程の人が死んでいたし、成長して冒険者になってからも、彼女の周りでは何かと人の死が絶えなかった。彼女とパーティーを組んだ者は、何故か皆死んでしまうのだ。遺跡の落盤に巻き込まれて潰れた仲間や、魔物の奇襲から逃げ遅れて八つ裂きにされた仲間を、ベルは間近で見てきた。彼女と組んだ人がどうにも死んでしまうので、生き残った彼女に『死神』などという不名誉な渾名がついたくらいだ。


 そんな訳で、ベルは人の死というだけでは感情が動かなくなってしまった。少なくとも、他の者が薄情だと思うくらいには。しかし、この時ばかりはそうではなかった。なぜなら、彼女は小屋の中の人物が『鉄の乙女(アイアン・メイデン)』と呼ばれる人物だと知っていて、それを当てにしてきたからだ。


 ベルが知る限りでは、この騎士は「あらゆる攻撃を防ぎ、どんな魔法も弾く。いかなる戦場からも帰還する不死身の騎士」として巷では『鉄の乙女』の名で呼ばれていた。そんな騎士であれば、自分と冒険に出ても死なないだろう。そう思って、ベルはここに来たのである。そう、ベルはこの騎士を勧誘しに来たのだ。


 それなのにいざ来てみると、騎士は既に死んでしまっている。部屋の外から眺めただけだが、騎士が生きているとはとても思えなかった。剣はかなり深くまで差し込まれている。あの剣の刺さり方からすると、即死していても全く不思議はない。ベルはここの所毎日妄想していた、かの騎士との冒険計画が、遥か彼方にすっ飛んでいくのを感じていた。


 正直、早く騎士の生死を確認したかったが、ベルは直ぐに小屋に侵入しようとはしなかった。騎士が妙な死に方をしていたため、殺人の可能性を恐れたのだ。もし犯人が近くにいれば、目撃者を生かしておく訳はないだろう。ベルは息を潜め、注意深く周囲の気配を探っていた。


 しばらく警戒していたが、怪しい気配は感じられない。


「……ひとまず安全、かな。でも……、どうしよう、コレ。」


 ベルは再び窓の向こうに目をやったが、当然ながら中に広がる惨状に変化はなかった。小屋の中の人物が死んでいるなら、ベルにはここにいる理由がない。この騎士に会うためにここに来たのだから。


 とはいえ……。


「このまま帰るってのもなぁ……。」


 普通なら、ここから西にあるベニア村に戻り、他の人にこのことを伝えるべきだろう。しかし、ベルはこの騎士に会いに来たことを、他の誰にも知られたくなかった。この騎士の世間での立場は、非常に不安定なものになっている。簡単に言えば追われている身なのだ。変に話が大きくなると面倒だ。騎士が生きているのならまだしも、死んでいるのなら関わりたくない話である。


(指名手配……理由は教会に対する反逆行為だったっけ。)


 噂で聞いた話によれば、この騎士を母神教会に突き出せば、生死を問わず莫大な賞金を得られるということだったが、ベルは何か裏がありそうな気がしていたし、教会とは昔色々とあったので、そういった行動に出る気はまるでなかった。


 かといって、このまま何も見なかったことにして、聖都にある拠点へ帰るのも嫌だった。ここにたどり着くまで結構な距離を移動してきたのだ。このまま手ぶらで帰るなんて何だか釈然としない。危険があればその限りではないが、今のところはそれもなさそうだ。なら、ちょっとぐらい調べ回ったってバチは当たらないだろう。何かあったら、首を突っ込まずには居られないのがベルの性分だった。それに、探していた人物の最後に、何があったのかぐらい知りたいという純粋な好奇心があった。


 ベルは静かに小屋の入口へと回り込んだ。ドアには鍵がかかっているが、ベルにとっては大したことではない。


「はいはい。ご苦労さん……っと。」


 鍵開けはベルの得意技の1つだ。いとも容易く解錠すると、ベルはゆっくりとドアを開いた。


 窓から見た時に分かってはいたが、この小屋の内部にはおよそ生活感と呼べるものがない。恐らく、元は何かの物置だったのではないだろうか。人が住んでいるとは思えない、がらんどうな薄暗い小屋であった。壁の木板の隙間から風が入ってきているせいか、空気は少しひんやりとしていた。


 部屋の中央には騎士の死体がある。ベルは試しに足で突っついてみたが、ピクリとも動かない。やはり死んでいる。


 視界を動かすと、部屋の隅に鎧や盾が几帳面に並べられていた。恐らく騎士の物だったのだろう。多少汚れてはいるが、どれも魔力を帯びているのがベルには分かった。


 ベルはそれらに近づいて、注意深く観察してみた。


(全部魔導具(まどうぐ)か……。それも、込められている魔力の強さからすると一級品みたいだ。凄いね。)


 魔導具は、魔法技術によって付呪強化(エンチャント)された道具だ。単純に耐久性を高めただけの物から、込められた魔法を使える物まで様々な魔導具がある。低位の物でも高値で取引されており、ここに並んでいる鎧や盾なら、売ればかなりの額になるのは間違いない。


(まあ、こんなのが市場に出回ることはないだろうけど。)


 こんな物が売りに出された日には、真っ先に盗品であることを疑われるに違いない。それ程価値があり、持ち主が手放す事など考えられないような品であった。


(込められている魔法まで分かればもっと面白かったんだろうけど、そういうのは魔術師の領分だしなぁ……。)


 こんな物を見る機会は滅多にない。そう思って、ベルがしげしげとそれらの魔導具を眺めていた時だった。


「………っ!?」


 背後で何かが動いた気がした。


 慌ててベルは気配がした方を振り向いたが、そこにはただ騎士の亡骸があるばかりだ。動く者はいない。しかし、そんなことはありえない。


 ベルは自分の感覚に自信を持っていた。彼女はその気になれば、常人では聞くことの出来ない音を聞いたり、遥か彼方にある物を見ることが出来た。実際、ベルは小屋に入った段階で騎士の呼吸音がないことを耳で確認しており、騎士が死んでいるということを確信していたのだ。


 だが、彼女の勘が今、確かに何かが動いたと言っている。


(多分、指だ……。右手の指が動いた。見えた訳じゃないけど、そんな気がする。……もしかして、生きてる?)


 ベルは近づいて騎士の顔を覗き込んだ。


 騎士は動かない。呼吸音もやはり聞こえない。凛とした顔立ちの彼女は、静かに目を閉じている。短めに整えられた金髪が、血溜まりに浸っていた。動いたように思ったが、気の所為だったようだ。


(やっぱり死んでる。……ん?)


 しかし、耳を澄ませた彼女には、次第にある音が聞こえ始めた。


 意識しなければ聞こえない、いや、常人には意識したところで聞こえないであろう、恐ろしく小さな鈍い音がする。一定のリズムを刻むそれは、人の拍動のようにも思えた。しかし、今まで聞いたことの無い音である。人のそれとは少し違う。まるで、何かに覆われているようにくぐもった音であった。


 そして、じっと騎士を観察したベルは、あることに気がつく。


(何これ……鱗?)


 窓から見た時は分からなかったが、騎士の首には灰色の鱗が生えていた。まばらに肌を覆うそれらは、耳の下あたりまで生えている。


(なんでこんな物が?)


 好奇心から、恐る恐るベルは騎士の首筋に触れてみた。鱗の部分はつるりとしていて、まるで爬虫類の鱗のようであった。とても、人間に触れた時の感触ではない。


 しかし、そんなことはベルにはどうでもよかった。もっと重要なことを、彼女の指が感じ取ったからだ。


 手に伝わるのは仄かな温かさと脈動。




  こいつ、脈があるぞ。

 



「ここまでか。」


「しゃ、喋ったあぁぁぁ!?」


 ベルは無様に後ろにすっ転んだ。こんなにも無様に転んだのは、彼女の人生で初めてのことであった。しかし、それもやむないことである。


 絶対に死んでいる。己の感覚からそう信じ切っていた相手が、にわかに喋り始めたのだから。


「アンデッド退散!アンデッド退散!」


 神などこれっぽちも信じてはいないが、ベルは思わず叫んでいた。


「……なかなかに無礼な女だな、貴女は。」


 目を開いた騎士は首を動かして、ブンブンと手を振り回しているベルの方を向いた。無表情の顔からは、何を考えているのか読み取ることが出来ない。


「安心しろ。私はアンデッドではない。」


 騎士は静かにそう言った。


 こんなに信用できない話を聞いたのは久しぶりだ。どんな詐欺師、ペテン師の与太話だって、この女の話よりは信憑性がありそうなものだ。


「ほ、ホントに?生きてる?」


「うむ。」


「アンデッドじゃない?」


「そうだと言っている。」


 そう見えないから言ってるんだけど。


 絶対嘘だと思いながら、ベルは、騎士の腹に突き刺さった長剣に目を向ける。


 一応、確認しておこう。確認は大事だ。


「それじゃあ、訊いてもいい?」


「構わない。」


「……えーっと、名前は?」


「アリシア・ロウラン。」


「出身地は?」


「聖教国、ロウラン領。都市ローブル。」


「誕生日。」


「聖暦1347年。雪の月の4」


「職業。」


「聖騎士。」


「好きな食べ物。」


「エールエビのグラタン。カリカリに焼いたのが好きだ。」


「……うわぁ。」


  質問したこちらが言うのもなんだが、なんでも馬鹿正直に答えすぎである。素直か。


ベルはなんだか毒気を抜かれてしまった。警戒している自分が滑稽に思えるような、妙な真率さがこの騎士にはあった。


 兎に角、この騎士がアンデッドでは無いというのは、恐らく本当だろう。信じられないことだが、真実であれ、嘘であれ、自分のことをここまでスラスラと言えるのだから。ベルが知っている限りでは、アンデッドは生前より知力が低下し、記憶の多くを失っていることが多い。一部例外も存在するが、死者から自然発生したアンデッドが記憶を完全に保持していることなど稀だ。


「貴女の名は確か、ベル・グラム……だったか?」


 磔の騎士に名前を呼ばれ、ベルはアリシアの記憶の良さに驚いた。何だかこの騎士を見つけてから、ずっと驚いてばかりのような気がする。


「覚えてたの?」


 そう、ベルとアリシアは初対面ではない。とはいえ、別に親しい間柄という訳ではなかった。より正確に言えば、ベルが一方的にアリシアに興味を持っている関係なのだと、ベルは思っていた。ある時からベルは、アリシアを勧誘するために彼女のあらゆる事を調べ回っていたからだ。それはさながらストーカーのようだと、知人から揶揄される程であった。しかし、その事をアリシアは知らないはずだ。ベルは寧ろ、アリシアは自分の事などまるで覚えていないと考えていたぐらいだ。


 少し嬉しい。


「立場上、人の顔と名は覚えるものだ。それに、貴女はなかなか印象的な人物だったからな。」


 アリシアは聖騎士団の中でも精鋭の『円卓の騎士』の一員だった。今や『元』が前につく状態ではあるが。そんな地位にいれば、人間関係で色々あったのだろう、とベルは勝手に想像した。彼女の中で、ベルがどう印象的だったのかは気になるが。


「確か、聖都北部の遺跡群における、大型魔導具回収作戦に参加していただろう。優秀な冒険者だったと記憶している。」


 変に堅苦しい話し方で、アリシアはそう言った。どうやら、アリシアが自分の事を覚えているというのは本当らしい。


 冒険者は、世界各地に点在する『遺跡』を探索し、魔道具や古代の遺産を持ち帰ることを生業とする者達の事である。ベルはその中でも、そこそこ名が売れていると自負している。いい意味でも悪い意味でも。


「うん、まぁ、その、ありがとうございます?」


 ベルは、生涯一の苦笑いを浮かべた。優秀。悪くない評価だ。悪くない評価なのだが、どう反応するのが正しいのだろうか。普通は喜ぶのだろうし、実際ベルはいい気分だ。しかし、アリシアに剣が刺さっているのが気になりすぎて、会話にまるで集中できない。腹に剣が刺さった人との、気さくな会話の仕方なんて知らない。


「えっと……、話したいことは色々あるんだけどさ。まず、その剣をどうにかしない?」


「何故?」


 不思議そうな声で、アリシアは聞き返してきた。ベルからすれば、なぜ聞き返してくるのかを聞きたいぐらいだった。


 分かってはいたが、この騎士に世間というか人間の常識というのは通用しないらしい。別に自分が常識人だとは思っていないが。


「なんというか……ほら、死んじゃうし。」


「そのためにやっている。まぁ、私の見立てでは、死ぬまでにあと2日か3日はかかる。話す時間くらいは十分あるぞ。」


 頭が痛くなってきた。


 ベルはこめかみを押さえた。どうもこの騎士にとって、この程度の傷はどうということは無いらしい。実に信じ難いことだが。


 向こうの常識が、こちらのそれと違うことは嫌という程分かった。ならば、別の方向から説得する必要がある。


「えっと、じゃあ、その、話しづらくない?」


「そうか?」


「……少なくとも私は。」


「ふむ。」


 アリシアは「そういうものか」と頷くと、己の腹に刺さった刃を両手でむんずと掴んだ。


「ちょっ!?何してんの!?」


「見ての通り、引き抜くのだ。これがあると、話しづらいのだろう?」


 意外に素直だが、そんな行動に出るなんて聞いてない。実行までが早すぎる。なんでも言った通りにするあたり、命令に忠実なゴーレムのような女である。


 アリシアは素手で刃を握っているので、当然手の平は切れ、新たな血が流れ出していた。


「ちょっと待った!」


ベルの叫びに、アリシアは不思議そうに動きを止めた。


「なんだ。」


「私がやる!だからもう変な怪我を増やさないで!」


「だが……。」


「いいから!喋るな!」


アリシアが何か言う前に、立ち上がったベルは剣の柄を握った。


「ま、待て。その剣は……。」


騎士が何か言っているが、気にせずベルは力を込めた。


 しっかりと突き刺さっていたので、引き抜くのに手間取るかと思っていたが、全くそんなことはない。剣は驚く程するりと抜けた。肉のぐじゅぐじゅとした感触すら感じられず、ベルは少なからず驚いた。


「……意外と容赦ないな、貴女は。」


 抗議するような声が聞こえた気がするが、ベルは努めて無視した。さっきまで自分で引き抜こうとしていた奴が何を今更、である。


 口から血を吐く騎士を尻目に、ベルは懐から小瓶を取り出した。中には緑に輝く液体が入っている。


重傷治療薬ポーション・オブ・キュアシリアスウーンズ]。


 錬金術で作られたポーションだ。振りかけた患部の傷をたちどころに治すが、当然価格も馬鹿にならない。ベルも大枚を叩いて買ったのだ。とはいえ、今はケチってる場合じゃない。


「……ポーションか?必要ないぞ。」


 誰かさんがおかしなことを言っている気がしたが、ベルはやはり無視して小瓶の蓋を開けた。そして、中の液体を騎士の傷へ丁寧に振りかける。


「滲みるな……。」


「言ってる場合?」


というか、痛覚があったのか。ベルは少しばかり感心した。


 傷は瞬く間に塞がった。次の小瓶を取り出そうと懐をまさぐっていたベルは、それに気づいて目を疑った。いかに[重傷治癒薬]といえど、これだけの傷を完全に塞ぐのは不可能だ。てっきりもう1本必要だと思っていたのに、これはおかしい。


「……何かした?」


「別に。何もしていない。」


 いや、絶対に何かしている。


「嘘でしょ。何もなしに、こんなに早く治るわけない。」


 立ち上がったアリシアは口に残った血を吐き捨てると、傷があった場所を手でパン、と叩いてみせた。


「嘘ではない。が、何もないと言うと語弊があるな。」


「どういうこと?」


「私には再生能力……とは少し違うが、それに近い能力がある。恐らくその影響だろう。私がそう簡単に死ねない理由の一つだ。」


「そういうのは早く言ってよ……」


 そもそも何だ、そのデタラメな能力は。本当に人間なのか?ベルは訝しげにアリシアを眺め、そしてピンときた。


「その能力って、体に生えてる鱗と関係あったりする?」


 剣を渡しながら尋ねると、アリシアは無表情のまま、肩を竦めるような仕草を取った。その顔は金属でできてるのかと思うほど、表情が変わらない女だ。ベルは、アリシアの『鉄の乙女(アイアン・メイデン)』という二つ名を思い出した。


「……『鉄人形(アイアンゴーレム)』とかで良かったんじゃないかな。」


「なに?」


「なんでもない。それで、実際どうなのさ?」


「……そのとおりだ。以前、『第七次境界遠征』があったのは知っているな。」


「知ってる。聖教国に住んでる人間なら、誰だって知ってるでしょ。」


 魔族の住まう地『境界』への、聖騎士団の大遠征。それが『境界遠征』だ。


「そして、あなたはその遠征以来姿を消した。教会はそれ以来、あなたを指名手配してる。」


 アリシアが頷く。


「そうだ。最後の『境界遠征』で、私は魔族から呪いを受けてしまった。それ以来、この魔族のような姿で彷徨っている。今の再生能力も、この姿になってから手に入れたものだ。」


「教会は反逆罪で指名手配してるって言ってるけど?」


「反逆したというのは事実無根だ。恐らく、誰か良からぬ輩が情報操作でもしてるのだろう。」


 アリシアの言っていることが本当なら、とんでもない話である。とはいえ、ベルは複雑な感情であった。その輩がいなければ、ベルがこうしてアリシアに会うことは恐らく不可能だっただろうから。


「ところで、私からも一つ質問がある。……貴女はなんともないのか?」


 アリシアの言葉に、ベルは首を傾げた。質問の意味がよく分からない。少なくとも、腹に大穴を開けていた人に心配されるようなことには心当たりがない。


「なんともないって……何が?」


「私以外に、この剣を扱えたものはいない。何か、体に異常を感じたりしていないか?」


「何も無いけど……。扱うなんて大袈裟だよ。ただ引き抜いただけだし。」


「それが珍しいのだ。どうやら、何か特別な人物のようだな。貴女は。」


 こんなことは子供でもできる。ベルは馬鹿にされているのかと思ったが、そういう訳でもないらしい。


「さて、これで気兼ねなく話せるだろう?私は自害で忙しいが、貴女に対して興味が湧いた。話ぐらいは付き合おう。」


 自害で忙しいなんて初めて聞いた


「死ぬのなんて、普通は一瞬だと思うけどね。苦労してるのはあなたぐらいなもんだよ。……まぁ、そこがいいんだけど。『工作の指輪(クラフトリング)』。」


 ベルが身につけている指輪の魔力を解放すると、背もたれのついた木製の椅子が二脚現れた。


「立ち話もなんだし、座って話そうよ。ほら、どうぞ。」


 『工作の指輪(クラフトリング)』は1日3回、好きな道具を作り出すことが出来る()()()魔導具だ。便利なのだが、作り出せる物の大きさに制限がある、作った物は3時間経つと消滅する、といった制約のせいで絶妙に使いづらい。特に、1日の間は同じ物しか作れないという仕様が酷い。要は今日1日、この魔導具は椅子を生み出すことしか出来ない訳だ。それでも貴重な品で、持ち運びがしやすいので使っているが。


「ふむ……では、失礼する。」


 アリシアは姿勢よく腰掛け、ベルは素早く腰掛けた。2人は床に流れる血の川を挟んで向かい合った。


  アリシアの藍色の冷たい瞳と、ベルのアリシアへの好奇心に満ちた青の瞳が交差した。


(鋭い目……刃みたい。)


 一瞬気圧されそうになりながらも、ベルはアリシアの瞳に見入っていた。彼女の瞳の中に、歴戦に裏打ちされた自信を示す、鈍く輝く光を見ていた。


 彼女がいれば、『世界の果て』にだって行ける。


「それで?貴女のような冒険者が、わざわざこんなところに来たのだ。私に会いに来たのだろう?この落ちぶれた騎士に、一体何の用だ。」


「まあ、自害しようとしてた人にこんな事言うのもなんだけど、単刀直入に言うと……。」


 ベルは、騎士の目から目を逸らさなかった。この騎士には、真っ直ぐ自分の考えを伝えた方がいい気がしたから。


「私と冒険に出て欲しい。」


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